4-5(酔林国5)
「酒造りに適した米は、普通の米とはちょっと違うんだよ」
稲刈りの終わった翌日、夕食の席で、トロワはそう話してくれた。双子も赤子も、すでに別の部屋で夢の中である。
「どう違うの?」
「米の粒が大きいことが一番大きな特徴だね。吸水性にも優れていて、食用にするには旨味が足りないけど、その分、雑味が少ない酒が造れる。
ただ米粒が大きい分、稲が風に倒れやすくなって、育てるのは難しい」
「米作りに、まず苦労してたよね」
そう言ったのは、ハノだ。
酒造りのための米を作っているのは、彼女の実家である。
「なかなか根付かせるのが難しくてね。養父といろんなことを試して、茎の短い種を選別したり、大変だったな」
「そのおかげで、うまい酒が呑める」
酒の入ったコップを口にしながらライが言う。
「なんでライがここにいるの?」とは、カイトももう訊かない。「誰も待ってねえ家に帰るのは寂しいだろ?」というのが答えなのは判っているからだ。
「褒めてくれるのはいいが、他人の造った酒を呑みながら言われてもな」
苦笑を浮かべてトロワが言った通り、ライが呑んでいるのは、トロワの酒ではなく、彼が持参した酒である。
「トロワ、ちょっといい?」
「ん?」
ハノに呼ばれてトロワが立ち上がる。
トロワの足音が遠くなったところで、「これ、呑んでみな」と、ライが手にしたコップをカイトに差し出した。
「イヤ」
「いいからよ。まずこれを呑んで、それからこっちのトロワが造った酒を呑んでみな」
囁くようにライに言われて、訝しく思いながら、カイトは二つのコップを順に手に取った。
「おいしい……!」
トロワの造った酒を口にして、思わず声が出た。
「ぜんぜん、違う」
「だろ?」
持参してきた方の酒を呑みながらライが言う。
「おっと。旨いからって呑みすぎるなよ。お前は弱いんだから。
さっき米が違うって言ってたけどよ、米が違うだけじゃなくて、トロワはとにかく酒を造るのに手間をかけているんだ。だからたくさん造れない。実際に呑み比べてみれば、よく判るだろ?」
「うん」
「だからこうして、酒を持参してきてるって訳だ」
「……意外」
「なにが」
カイトは首を振った。ライなら遠慮することなく酒を飲み干してしまいそうなのに、と思ったのである。しかしそれを口にするのは、何となく軽い抵抗があった。
「ううん。大したことじゃない」
と言って、カイトは話題を変えた。
「稲刈りも終わったけど、収穫の祭りっていつやるの?」
「祭りに興味があるのか、カイト」
「うん。ニーナたちに聞いた。弓の腕を競う、弓技会って大会があるって」
「ああ、あるぜ」
ライが答える。
「午前に予選をやって、午後にもう一回試技をして、最後は5人に絞り込んで決勝をやるんだ」
「ライも出るの?」
「もちろん。オレは今、3連覇中だからな」
「すごいね」
「カイトも出たらどうだ?」
いつもの大きな声でライが言う。
「お前が井の中の蛙にしか過ぎないんだってことをオレが教えてやるよ」
ライは豪快にガハハハと笑った。
酒に酔っていたし、元々そういう性格で、ライに悪気がないのは判っていた。
しかし、ちょっとカチンときた。
「判った。わたしも出る」
「そうしな。祭りが盛り上がる」
「うん。ライの方こそ井戸の中のカエルなんだって、わたしが教えてあげる」
またやっちゃった。
そう思ってカイトは反省したが、後悔はしなかった。だからニーナにも、「ライの言い方がムカついたから弓技会に出ることにした」と正直に話した。
「いいんじゃない?」
カイトの話を聞いても、ニーナは驚くことも、呆れることもしなかった。
「あんたのそういうところ、わたしはけっこう好きよ」
「応援するよ、カイト」
ぼそぼそと呟くように言ったのは、ロロである。
3人とも弓を肩にして、互いの誤射を防ぐために色鮮やかな上衣を着ていた。
最初は、
「カイト、弓が上手いんだってね。ちょっと教えてくれない?」
とニーナに頼まれたのだが、
「ごめんね。あなたに頼んだのが間違いだった」
と、すぐに言われた。
「でも、あんたがとても上手いのは判ったから、教えてもらう代わりに、いっしょに森に入ってくれる?」
狩りの経験を積みたいと言うのである。
酔林国に住んでいると、森に入る機会が少なくて、とニーナは言った。断る理由もなくむしろ喜んでカイトは了承し、ニーナが仲のいいロロに声をかけて、3人で行くことになったのである。
「優勝候補の本命は、やっぱりライ?」
「そう」
短くニーナが答える。
「ライさんの前はプリンスが連勝してたの。だからみんな期待してたのよ、プリンスに。ライさんの連勝を止めてくれるんじゃないかって。でも、またふらりといなくなっちゃったから」
「そうなんだ」
「頑張れ、カイト」
「うん」
森に入るとすぐに彼女らは話すのをやめた。獲物の痕跡を探して慎重に歩く。先を行くニーナの背中を軽くカイトがつつき、少し先の木の間を指さす。ニーナが頷き、矢を番える。
「カイト、カイトから見て、わたしの構え、おかしなところない?」
ウサギに狙いを定めたまま、ニーナが囁く。
「ないよ。でも」
カイトはニーナに近づき、弓を握ったニーナの腕を少しだけ上げた。言葉にするのは苦手だが、実地で教えるならまだできる。
「もっと肩の力を抜いて、ニーナ」
「うん」
カイトがウサギに目をやる。
「いまよ」
ウサギをしっかりと見据えて、ニーナは矢を放った。
ロロの放った矢が、ウサギに当たった。
「やった!」
歓声を上げて駆け出そうとするロロに、「待って、ロロ。周りを注意することを忘れないで」とカイトは声をかけた。「あ」ロロが足を止め、周囲を警戒しながら、ウサギにゆっくりと歩み寄る。
矢はウサギの胴体に刺さっていた。苦しそうにもがいていたウサギを、ロロは山刀で楽にしてやった。
「どう!」
ウサギを手にして振り返ったロロの頬が、赤く上気していた。
「おめでとう、ロロ」とニーナは言って、「でもまだまだ練習しないとダメね。わたしもだけど」と続けた。
森に入って2時間ほど経つが、彼女の獲物もまだウサギ一匹である。カイトは二人に付き合っていたので手ぶらだ。
「カイト、あんた、トロワさんちの夕食を獲って帰らないといけないんでしょう?大丈夫?」
「うん」
カイトはぐるりと森を見回すと、矢を番え、ほとんど間を置くことなく放った。
「わたしたちの苦労はなんだったのって思うわ」
鳥を3羽、回収してきたカイトに、ニーナは文句を言った。カイトが放った矢は一矢のみ。それでカイトは、3羽の鳥を落としたのである。
「カイト、すごい」
「誰にも負けたくないもの、弓矢は」
淡々と言うカイトに、ニーナがぷっと吹き出す。
「正直でいいよ、カイト。それじゃあ、食事にしましょ」
ニーナとロロの仕留めたウサギを3人で捌いた。ニーナもロロも手際がいい。
「上手いね」と言ったカイトに、「革ノ月に出るために、散々仕込まれたもの」とニーナが答える。「あんたもそうじゃないの?」
「革ノ月のためっていうことはないかな。北では森に入る機会が多かったから」
「いくつぐらいの時に初めて森に入ったの?」
「憶えてないわ。そもそも集落が森の中にあるようなものだし、気がついたら森に入ってたって感じかな」
「北の人はみんな、カイトみたいに弓が上手いの?」
ロロの問いに少し迷ってから、カイトは、「わたしより上手い人には、まだ会ったことないわ」と答えた。
「よかった」
ニーナが言う。
「あんたみたいな人が普通なんだとしたら、やってられないもの」
革ノ月に出て、楽しくて気がついたら3ヶ月も経っていた話をすると、ニーナもロロも「あんたらしい」と声を上げて笑った。
「上手い上手いと思っていたけど、あんたなら弓技会で優勝しても、ぜんぜん不思議じゃないわね」
ウサギを胃に収め終わったニーナが言う。お茶をすすりながら、ポツリとロロがカイトに尋ねた。
「だったらカイト、演武会にも出るの?」
「エンブカイ?」
「それを言っちゃあダメよ、ロロ。……って、もう遅いか」
「どうしてよぉ」
ロロが文句を言う。
「カイトなら参加したいって言いそうだから」
「それの何がいけないのよぉ」
「あんた、カイトを殺す気?」
「なに?エンブカイって」
カイトの瞳が輝いていた。
「やっぱりこうなるか」
わざとらしくふぅとため息をついて、ニーナは説明を始めた。
「演武会はね、狂泉様に武を奉ずるために、弓技会が終わった翌日と、その次の日に行われるの。弓技会は誰でも参加できるけど、演武会は、弓技会で上位に入った人しか参加できないの。
それも、委員会が認めた人しかね。危ないから」
「カイトも参加できるよ、きっと」
「カイトに熊と素手で戦えって言うの?ロロ」
「熊と戦うの?エンブカイって」
「それぐらい危ないってこと。演武会はね、まず1日目に体術を競うの。当然、素手でね。あんた、ライさんと素手で戦える?」
「それはムリ」
「でしょ。二日目は剣術だし。軍の人たちだって参加するんだから」
「グン?グンってなに?」
「そうね。改めて訊かれると、どう説明すればいいか迷うね」
「人を殺すことを目的とした組織」
ロロが呟く。
「そうだね。他の国と戦争をするための組織、かな」
「他の国と戦争をするための……」
カイトがニーナの言葉を繰り返す。まだカイトにはピンとこない。
「どうしてそんな組織が酔林国にあるの?」
湯呑を口に運びながらニーナが答える。
「酔林国とキャナが、今、戦争をしているからよ」