4-2(酔林国2)
平野に降りてからもかなり歩いて、隊商は宿に着いた。
『こんなにたくさんの家、見たことない』
宿に着くまで、歩きながらカイトはそう思っていた。
だから、
「寂しいところだろ、国と言っても」
とライに言われて、カイトは驚いた。
酔林国に入ってからもしばらくは、水田の間にぽつりぽつりと家が建つだけだった。それが次第に2軒、3軒と集まって並ぶようになり、すぐに10軒、20軒と増えて、タルルナが泊まる辺りまで来ると、周囲には100軒近い家が--カイトにとっては数え切れないほどの家が--並んでいたのである。
「寂しい……の?これで?」
ライは狂泉の森の外の街を知っている。
酔林国の家々は軒を連ねているのではなく、それぞれの家の間では豊かな木々が静かに梢を揺らしていた。
彼にとっては、酔林国はやはり、寂しいところだった。
「一度、森の外に行ってみるのもいいかもな」
これで寂しいのなら森の外の街がどれほど賑やかなのか想像が出来ず、カイトは「わたしはいい」と、首を振った。
「カイト、あんたこの後、どうする気だい?」
カイトがタルルナと約束したのは、酔林国までの護衛である。つまり宿に着いた時点で、彼女の契約は終了したことになる。
「決めてない」
「だと思ったよ」
笑いながらタルルナが言う。
「まぁ、あんたなら、森に入ればひとりで生きていけるんだから、決めてないっていうのも無茶でも何でもないよね」
「しばらく酔林国にいるのか?カイト」
「うん」
「報酬のこともあるしねぇ。森とかじゃなくて、誰かのところにいてくれればいいんだけど」
「報酬って何だ?タルルナ」
「それはカイトとの契約だからね。話せないよ」
「じゃあ、オレのところに来るか、カイト」
「あたしは、オオカミに生肉を差し出すようなマネはしたくないね。あんたのそんなとこ、ホント、プリンスとそっくりだね」
呆れたように言ったタルルナに、ライが大袈裟なほど顔をしかめて見せた。
「やめてくれ、あんな軽薄野郎といっしょにするのは」
フフフと笑って、タルルナはカイトに顔を向けた。
「カイト、あんたに紹介したい人がいるんだ。もしよければその人のところに厄介になってみないかい?」
「どんな人?」
「そうだね」
と、タルルナが考える。
「常識人だよ。ちょっと変わり者だけど」
常識人だけど変わり者とタルルナに評されたのは、トロワ、という名の男だった。歳は50才だという。
酔林国の宿で夕食を取りながらタルルナが教えてくれた。
「酔林国はね、王はいないんだ。王の代わりに5人の委員が治めててね、トロワはそのうちの一人さ」
「治めるって程のことはしてねぇがな」
ジョッキを呷りながらそう言ったのは、ライである。
「ライ。いちいち口を挟まないでくれるかい。そもそもあんたはここに自分の家があるんだから、こんなところで呑んだくれていないで、とっとと家に帰りな」
「誰も待ってねえ家に帰るのは寂しいだろ?どうせガヤの街まで護衛して行くんだから、細かいことを言うなよ」
「ガヤって?」
「酔林国に一番近いキャナの街さ。ライにはそこまで護衛してもらうことになってるんだ」
カイトの質問にタルルナが答える。
「話が逸れちまったけど、ライの言う通り、委員たちは治めるって程のことはしてないね」
「ちょっとした寄合のようなモンだからな、酔林国は」
「寄合と言うには人が多すぎるよ」
カイトが突っ込む。
タルルナとライは酒を呑んでいるが、カイトはしらふである。何度か口にしてみたものの、ビールもワインもおいしいとは思えず、しかもすぐに酔って、気分が悪くなってしまったからだ。
「他の集落と同じさ、ちょっと人口は多いけどな。住んでる連中がみんな自分勝手すぎるんだ」
「大人しく政府に従うタチじゃないのは確かだね。あんたも含めて」
タルルナもライに同意する。
「ちょっとした調整役ってとこだな、委員っていうのは。森の外の国とモメ事が起きると行って話し合ったり、ケンカしてる連中を宥めたり」
「無報酬だしね。よくやってるよ、トロワは。元々は外の者なのにね」
「外って、森の外?どこから来たの?キャナ?」
「もっと遠くだよ。カイトは、この森が旧大陸の南にあるってことは知ってるかい?」
「うん」
と頷いたものの、旧大陸の詳しい地理は、彼女の頭の中にはなかった。
「狂泉様の森の北には大平原がある。これは知ってるよね。大平原の向こうには”祖氏たちの大地”と呼ばれる山岳地帯があって、さらにその向こうには”空白の砂漠”が広がってる。
そこからさらに海を渡った先に、新大陸がある。
トロワは、その新大陸にある、ショナ、という国から来たのさ」
ショナ。どこかで聞いた気がする、とカイトは思った。どこで聞いたんだっけと考えるが思い出せない。ただ、ショナという国がとんでもなく遠い、ということは理解できた。
「そんな遠いところから、どうして酔林国に来たの?その人」
「旨い酒を造りたいからってさ」
「酒?」
「ここなら旨い酒が造れるはずだからという理由で、ここに移り住んだんだそうだ。
家族を捨ててまでな。
タルルナが変わり者、って言う筈だろ?」
頷くこともできず、カイトはポカンと口を開いた。
家族を捨ててまで、とライは言ったが、翌日トロワを訪ねて行った3人をまず出迎えたのは、彼の子供の双子の娘たちだった。
「いるか、トロワ!」
酒蔵でもある広い屋敷の外で怒鳴ったライに、「ライだ!」という子供の歓声が応えて、転がるように子供が駆け出してきた。
「おお、元気にしてたか」
きゃあきゃあと声を上げて双子がライによじ登って行く。まるで同じ顔をした2匹の子鬼である。
「いらっしゃい、ライさん。あら、タルルナさんも」
続いて現れたのは、身重なのだろう、おなかの大きな女性だった。歳は20代といったところか。
「久しぶりだね、ハノ。トロワはいるかい?」
「ええ。二人とも、父さまを呼んできて」
はーいと元気よく答えて、双子が駆け戻っていく。
「今日はちょっとトロワに用があってね。この子のことなんだけど」
双子の勢いに圧倒されていたカイトは、タルルナに呼ばれて前に出た。優しそうな人だな、とハノを見て思う。
弓を肩にかけ、軽く頭を下げる。
「こんにちは」
カイトの様子を見て、ハノが言葉を続けようとする。そこへ、双子を両腕にぶら下げて、男がひとり姿を現した。
「やあ、ライ。タルルナ。2人揃って何の用だい?」
男は、カイトが狂泉の森で出会った他の誰とも異なる雰囲気を纏っていた。垢抜けている。男の特徴を簡潔に表現すれば、そういうことになるだろう。
身長は170半ばか。
細身だが、双子をぶら下げた腕は逞しかった。
カイトは彼が50才と聞いていたが、外見的には随分と若く、ライと同じぐらい、30代半ばとしか見えなかった。
「久しぶり、トロワ。今日はあんたに頼みたいことがあってね」
「めずらしいね。貴女が頼みごとなんて」
涼やかな笑顔でトロワが応じる。
「この子のことなんだけどね」
タルルナがカイトの背中に手を回す。
「もし良ければこの子をあんたのところに置いてやってくれないかと思ってね」
「誰だい、その子」
「カイト。クル一族のカイトです。カイト、と呼んで下さい」
驚いたことに、そう名乗ったカイトを見直して、トロワは「ああ、君が」と頷いた。
双子はすでにトロワの腕から降りて再びライによじ登っており、トロワは空いた右手を上げて、何かを小さく呟いた。
開いたトロワの掌から雪が零れ、風に乗ってカイトの周りを冷たく舞った。
「オレはトロワ。魔術師だ。よろしく、カイト」




