30-1(母の呪い1)
聞きたいことはたくさんあった。
しかしイクは、「元気そうね」と笑い、「良かった」と心の底から言って、「どうしてここにいるの?」とだけ、カイトに尋ねた。
パロットの街でカイトとクロがねぐらにしていたイクの宿の前だ。
「モモに会いに来た」
緊張した面持ちで答えたカイトに、イクは、「いいことで?悪いことで?」と問い返した。
「--悪いこと」
「だったら」
と、イクは、エルの屋敷の住所をカイトに教えた。イクは他にも、ペルがキャナ軍を打ち破ったことは既にパロットの街に伝わっており、それと、「雷神様の神殿の扉を森の子が開いた」という話も、街中に広まっているとカイトに教えた。
「だから、あまり人目につくのは良くないと思う」
と、イクは言った。
「パロットの街には来たことがあるから、場所は判るわ。だから、ここからもあたしの影に入って行きましょう」
「うん」
カイトがフランに頷き、「イク、驚かないでね」と言う。
「何を?」
イクが訊き返した時には、カイトと連れの3人の姿が、地面にすとんと落ちた。走り去る影が、たちまち建物の影に紛れて消える。
しばらくポカンとしていたイクは、「……驚くなって、ムリでしょ」と文句を言った後に楽しそうに笑って、宿に、仕事に戻っていった。
エルの屋敷は、王領府や龍翁の神殿があるイズサ島からさほど離れていないパロットの街の南東の静かな一角にあった。門も扉も大きく開かれ、トワ郡の騒動が嘘のように、屋敷全体が穏やかで柔らかな光に包まれていた。
「カイトか」
影から出るや否や、カイトは鋭く声をかけられた。
振り返ると、長剣を手にしたマルがいた。全身の毛を逆立たせて屋敷の前に立ち塞がっていた。
「誰だ。ソイツ」
低い声でマルが問う。
フランのことだ。
「えーと」
どう言おうかとカイトが迷う。
己の胸に手を添わせ、艶やかにフランが微笑む。
「怪しい者じゃありませんわ」
いやいや、十分怪しいでしょ。と、マルタは思った。
マルのことはカイトから聞いている。戦神様の護り人なら、フラン姉さまの影に潜む無数の妖魔に気づいても不思議じゃないわ、と思う。
「わたしの、えーと、友だち、かな」
迷いを残したままカイトが言う。
「カイトの友だちなら、歓迎いたしますわ」
華やかな声が温かく響く。日中にもかかわらず、夜が明けたかのように辺りがより一層明るくなる。
そんなことはあり得ない。
しかし、カイトもフウもマルタもそう感じた。
エルだ。
「下がってろ、エル。コイツは--」
「大丈夫よ、マル。カイトがそう言っているもの」
エルがマルの前に出る。
ただし、出過ぎはしない。いつでもマルが間に割って入れるようにフランとは少し距離を取る。
戦神の護り人であるマルの言葉を尊重する。
「初めまして、わたしはエル。”スフィアの娘”を務めさせて頂いています。
カイト、皆さんを紹介してくれる?」
「うん。この子が、フウ。わたしの探していた子」
「よろしくね、フウ」
「あ、うん」
何故か、フウはエルに気後れした。
この子は何だか、キケンな気がする、と、勘が働いた。カイトの存在を確かめるようにカイトの手をしっかりと握る。
「それと--」
カイトが紹介する前に、フランは、「あたしはフラン。カイトが言った通り、カイトの友だちですわ」と微笑んだ。
フランとエルと視線が妖しく絡む。悪戯っぽい笑みがフランの口元に浮かぶ。「”古都”の首席と言えば、自己紹介になるかしら?」と告げる。
「なんだと!」マルが叫び、「あら」と、エルは笑った。
「そうじゃないかなと思っていましたわ。歓迎いたしますわ、フラン様」
「エル!」
「大丈夫よ、マル。カイトの友だちなんでしょ」
「そういう問題か!」
「大丈夫ですよ、戦神の護り人様。こんなところで悪さはしませんわ。あたしが誓うべき神はどこにもいませんけど、とりあえず、神に誓いますわ」
「えーと」
ぜんぜん誓いになっていない。
エルが笑う。
「承知いたしました、フラン様。そちらの方は?」
「ショナの魔術師で、あたしの妹のマルタです」と、フランはマルタを紹介した。
「よろしくお願いいたします。マルタ様」
エルがカイトに向き直る。
「元気そうね、カイト。どうしてここに来たの?」
「モモに会いに来た」
カイトの表情をエルが伺う。「オセロさまのこと?」問いながらもエルは穏やかな笑みを崩さない。
「うん」
エルが素早く考える。
「モモは事務所にいるわ。自分の会計事務所を立ち上げたの。そうね。わたしも一緒に行った方が良さそうね」
「あなたも行くのはいいけれど」
フランが割って入る。
「カイトが雷神の神殿の扉を開いたことは、もうパロットの街に伝わっているのでしょう?あなたとカイトが一緒だと、いろいろと目立ち過ぎるから、あたしが送って行ってあげるわ。
その事務所の住所、教えて貰えるかしら」
「ありがとうございます、フラン様」
エルがモモの会計事務所の住所を教え、「それじゃあ、あたしとマルタはここで待っているわ」とフランが言って、カイトとフウ、エルとマルの身体がそれぞれの影の中に、すとんと落ちた。
『あなたたちの姿は他の人からは見えないから、安心してね』
影から出る前にフランの声が耳元で響き、カイトたちは地上に出た。パロットの街の大通りに面した歩道の上だ。
確かにフランの言う通り、誰もカイトたちに視線を向けない。気づいていない。
「とんでもねぇな、アイツ」
マルが忌々し気に吐き捨てる。
「カイト、どこでアイツと知り合ったか、後で詳しく教えろ」
「うん」
「それじゃあ、行きましょう」
エルが扉をノックする。モモの声で返事があり、エルが扉を開く。カイトも続き、「カイト--」と、モモが立ち竦む。
そしてモモは、カイトに、「オセロさまが、死んだの?」と、声を絞り出すように訊いた。