29-4(全ての神々の背信者4(一ツ神、現る2))
「え」
声を上げたのは一ツ神の信徒たちではなかった。
彼らは絶句した。
マルタとフウの力で、彼らの心にフランの言葉は深く刻み込まれた。信じさせられた。
ポカンと口を開けたのは、カイトである。
「え」
もう一度声を上げ、「フランが?」とカイトは訊いた。
フランが楽しそうに笑ってカイトを振り返る。
「いいわね。そんな風に素直に驚いてくれると、あたしも嬉しいわ」
「うそ」
「本当よ」
フランがガラクに視線を戻す。
「もう7千年も前になるわ。
竜王が言い出したのよ。
神々は数多いる。それなのに何故、神々の手から零れ落ちて、救われない人々がいるのかしら、とね」
「りゅ、竜王様?」
「ええ」
フランが頷く。
「竜王も一ツ神の信徒よ。竜王が”常世への水先人”の初代なのよ」
「な、な」
「神々が数多いても人々を救えない。だったら、存在しない神なら、人々を余さず救えるんじゃないかしら。
そう答えたのはあたし。
冗談だったけれど、竜王は、いいわねって言ったわ。
存在しない神々なら、どんな人の望みでも応えられるかも知れないって。自在にかたちを変えることもできるわねって。
で、あたしに、あなたが神になればいいわって竜王が言ったのよ。
冗談だとばかり思っていたけど、本気だったわ、竜王は。
あたしも話しているうちに面白そうだと思うようになって、二人で考えたわ、どんな神にするか。
一ツ神って名前もね、二人で考えたのよ。
まだ伝わっているわよね、これ」
フランが口調を変える。
歌うように告げる。
「我は知る。
世界は流るる時に沿ってただ一筋に続くのみと。
この世に広がりはなく、この世に高さはなく、この世はただ一本の細い線でしかないと知るが故に、我は一ツ神と名乗る。
我以外に神はなく、数多ある神々は悉く偽りの神であるが故に、我は一ツ神を名乗る。
世界の始まりし前より在り、世界の終わりし後にも在る神。
常世にありて世の全てを照らす神。
永遠の栄光をもたらす者。
人を常世へと導く唯一の存在。
我の前に見ゆるは、いずれ死する者たちの群れ。
我の後ろに続くは、既に死せる者たちの群れ。
常世へと至りたくば、我に従い、ただ我が名を称えよ。
全てを我に委ねよ。
我が意思。言葉を携えた預言者に。水先人に。
それのみが常世へと続く唯一の道。
ただひたすらに我を信じよ。ただ一心に我を信じよ。
それのみが常世へと続く唯一の道であるが故に」
信徒たちは黙り込んでいる。
フランが口にしたのは、一ツ神の信徒にのみ伝えられる、一ツ神の教えだ。
「知っているのね」
「だったら、常世って、存在しないの?」
訊いたのはカイトである。
「いいえ、存在するわ」
フランがカイトを振り返る。
「あたしは何も忘れない。あたしは全てを憶えている。あたしの記憶が常世なのよ。あたしこそが常世そのものなのよ」
「あ」
『あたしは忘れないもの』
迷宮大都の地下世界で聞いたフランの言葉をカイトが思い出す。『一度見たものは、絶対に忘れないの』
「あたしは憶えているわ。一ツ神の信徒たちのことを。モルドのことも。勇敢に死んだグン司令のことも。初代の水先人である竜王のことも。
あたしは忘れない。
決して。
キャナはあたしの友だちの、竜王の国よ。
でも、あたしの国でもあるのよ。
ガラク補佐官。
どうしてキャナ王国が7千年もの長きに渡って続いてきたと思う?」
フランがガラクに問い、答えを聞く前に言葉を続ける。
「あたしが守ってきたからよ。
大災厄の前、デアの支配を受けることなく独立を保ってこられたのも、大災厄の時にキャナの王家が続いたのも、狂泉がキャナの民を森に受け入れたのも、この国があたしの国だったからよ」
「……無茶苦茶だわ」
思わずカイトが声を漏らす。
『ホントね』
マルタが声なき声で応じる。
『キャナ王家を守りながら、一ツ神で、”古都”の首席って、自分で騒動の火を起こして、大騒ぎして、それを自分で消しているようなものだもの』
「うん」
『これがフラン姉さまなんだと、こっちに来て、わたしも改めて認識したわ』
「うん」
カイトとマルタの会話を聞き流して、フランが言葉を続ける。
「あなたたち一ツ神の信徒がキャナの政権を取ったのも、今回が初めてのことじゃないのよ。
大災厄の前、デアが興る100年ほど前にもキャナの王家が乱れて、一ツ神の信徒が政権を取ったことがあるわ。
でも、政権を取った後に信徒たちは驕り高ぶり、市民を虐げた。
だから、あたしが止めたわ」
「知っている」
信徒たちの一人が呟く。
焦点の定まらない瞳で、夢でも見ているかのようにフランを見つめている。
「オレの爺様が言っていた。だから、止めろって。初代様がお出ましになる。いずれは。昔のように。
だから、宮廷に入るのは、止めろって」
「ニグ」
信徒の名をフランが呼ぶ。
「大災厄を経てもまだ、伝承されているとは思わなかったわ」
「オレのことを、知って--、いや、ご存知なのですか」
「もちろんよ」もちろんではない。調べただけだ。迷宮大都に戻ってから信徒たちひとりひとりについて、じっくりと。
この日の為に。
「あたしと一緒に、当時の”常世への水先人”を討ち倒したのが、あなたの祖先よ。イナという名のね。それは伝わっているかしら。
あたしは違うって言ったけど、イナはあたしのことを、初代の”常世への水先人”だと信じてたわ」
「あなたが、初代様--」
「違うわ」
ニグが首を振る。
「オレの家には、そうだと伝わっています。初代様は、気づいていないだけだって。一ツ神様から使命を授けられているけれど、それをご本人が知らないだけだって。
今なら判る。
そうだ。
貴女は知らないだけだ。
ご自分が一ツ神様の使徒だって。
貴女は、初代様だ」
ニグと呼ばれた男の声に、熱が籠る。フランを見つめる瞳にも、畏敬の念が宿る。
「そうかも知れないわね」
フランはニグの言葉を否定しなかった。
否定しない方がいいと判断した。
「あたしと竜王、二人とも、そうと知ることなく一ツ神の使徒になっていたのかも知れない。
あたしにもそれは否定はできないわ。
一ツ神って名前にしても、竜王と二人で考えたつもりだけれど、どうして一ツ神って名にしたか、どうしてその名を選んだのか、確かな理由はあたしにも判らないわ。
あたしも竜王も、本当は一ツ神の啓示を受けていたと言われても、否定のしようがないわ。
もしあたしが本当は一ツ神ではなく、初代の”常世への水先人”なのだとしたら、それでもかまわない。
あたしは、あなたたちにこのいくさを止めて欲しいの。
王に従って欲しいの」
フランが息絶えたモルドに視線を落とす。
「あたしは長く生きている。
とても長く。
そのあたしの経験から言うと、歴史は逆回りすることはないわ。一度起こった変化は、決して元に戻らない。
かたちを変えて進むだけ。
モルドがこの国にもたらしたものは、決して失くなることはないわ。
東の市場もそう。モルドが整えた法もそう。議会はどうなるか判らないけれど、人々の記憶には残る。
モルドが百神国を、洲国を打ち破ったという事実は。
迷宮大都を、人々が万花の都と言い始めているようにね」
フランが信徒たちに視線を戻す。
「どうするか、あなたたち自身で決めればいいわ」
信徒たちは答えない。
「行きましょう」
フランが信徒たちに背中を向ける。そのままモルドの椅子の背後の壁に向かって歩き、壁の中へと消える。硬い壁に、水面の如き波紋が残る。マルタがためらうことなくフランに続き、カイトとフウも、顔を見合わせ、二人の後に続いて壁の中に消えた。
モルドの執務室の扉が開く。
扉の前で待っていた中尉は、武器を構えようとした部下を止めた。
執務室から最初に姿を現したのは、ガラク補佐官だった。
顔色が悪い。
生気のない瞳で中尉の姿と、中尉の後ろに続く数人の兵士たちの姿を認め、ガラク補佐官は、「抵抗はしない。我らは王に従う」と告げた。
「何があった」
中尉の問いに、
「何もない。何もなかった。ただ我らは、我らの神に、従うだけだ」
と、ガラクは答えた。