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29-2(全ての神々の背信者2(残され人))

 迷宮大都へと向かう雷竜の背中の上で、カイトは、「どうして今、えーと、……モルドだっけ、その人に会いに行くの?」とフランに尋ねた。

「マルタとフウがいるからよ」

 カイトが首を捻る。

「どういうこと?」

「そうね。モルドに会う前に、説明しておいた方が良いわね」

 フウとマルタに顔を向ける。

「あたしの推測だけど、モルドは--」


 寂しい部屋だな。

 フランの影から出て、カイトはそう思った。

 部屋にはほとんど何もない。天井は高い。それに、かなり広い。が、装飾品が見当たらない。カイトは知らないが、かつては談話室だった部屋だ。モルドはそこを執務室とした際に調度類はすべて撤去させた。

 大きな執務机だけが、殺風景な部屋の奥、壁の前にポツンと置かれている。

 男がいる。

 30代か、40代だろう。

 執務机に座り、熱心にペンを走らせている。

 部屋の主であるモルドだ。

『思ってたより小さい人だな』

 モルドは常に軍の先頭に立って戦っていたとカイトは聞いている。だからカイトは、ライやオセロと同じ巨漢を想像していた。なるほど武人らしく、肩幅が広く、筋肉質で均整の取れた体つきをしている。カイトよりも背は高いだろう。しかし、ライやオセロと比べればひと回り以上、小柄だ。

『何もないけど--』

 カイトの声にならない思いをフウが拾う。

「うん」

 声に出してフウが頷く。

「ぜんぜん寂しくないわ」

 広いだけで殺風景な部屋を、殺風景だとは感じられない。

 むしろ狭く感じる。

 熱がある。

 モルドの放つ熱気がある。それが部屋を狭く感じさせている。

 フウの声にもモルドは顔を上げない。

 ここにいて。と身振りで示し、フランがひとり執務机に歩み寄る。

「それは何?」

 と、モルドに問う。

「民法を改正する特別法の原案だ」

 滑らかに動く手を止めることなくモルドが答える。

「どんな内容なの?」

「貸付利率の制限と、制限に違反した場合の罰則に関する法だ。民法で抑えていたつもりだったが、法の抜け穴を突く者たちも、借金に苦しむ民もまだ多い。抜け穴を潰し、市民を守る為の法だ」

「でも、法の抜け穴を探す人たちが大人しく従うかしら?」

「組合を作らせる。

 役人の数にも限界があるからな、商人自身に互いを見張らせる。組合に加わる者は他の者よりも高い利率での貸し付けを認める等の様々な優遇をする」

「密告を奨励するということね」

「密告と告発は別のものだ。告発者を守る為の法も用意する」

 執務机の上には書類が山となっている。フランはそのうちのひとつを手に取った。

「これは何?」

 モルドが顔を上げる。ちらりとカイトたちの姿を認め、フランを見上げる。

「東の市場の開発計画の改正案だ。工事が遅れているからな。その為の人員の確保の計画と、新たな噴水の設置計画だ。

 それは、百神国の前線に送る命令書だ。

 クスルクスル王国に新たに送った軍への命令書もある」

「これは裁判記録ね。あなた、これを全部、読んでいるの?」

「もちろんだ。新大陸の国々との貿易計画も進めている。まずはショナから始めたいところだが、人材が足りない。

 誰かいい人材を知らないか?」

「ねえ、あなた、いつ眠っているの?」

 呆れたようにフランが訊く。

「さて。前にベッドに入ったのは、いつのことだったかな」モルドが背もたれに身体を預ける。笑う。あまり眠っていないとは思えない力強い笑みだ。「だが、どうも私はあまり眠らなくてもいい性質らしい。ありがたいことにな」

「ターシャなら知っているでしょうね」

「ロード伯爵は、残念ながら海都クスルだ」

「グン司令は死んだわ」

 短くモルドが沈黙する。

「そうか」

「クスルクスル王国を攻めるのを、止めて貰えないかしら」

「何故」

「あたしの妹の国だから」

「君の?」

「ええ」

「王太后--か」

「そうよ」

「ハラはどうなった?」

「降伏したわ」

「グンが率いていた軍は、どうなった?」

「消えたわ」

「どういう意味かな」

「言葉通りそのままの意味よ」

「君が?」

「そうね」

 曖昧にフランが頷く。

 口の端だけでモルドが笑う。

「流石だな、フラン」

「あたしのこと、知っているのね」

「私のことを忘れたのか?」

「あなたと会うのは初めてよ。モルド」

「いや、私は君に会ったことがある。君を知っている。姿は違うが、私が君を間違える筈がない」

「あたしが忘れることはないのよ」

「そうだったな」

「どこで会ったと言うの?」

「ああ。それはもうどうでもいい。来てくれて嬉しいよ。ずっと君に会いたかった」

「どうして?」

「これで私の望みが叶うからだ」

「望みって何?」

「全ての神々を、人の世から立ち去らせることだ」

 短くモルドが沈黙する。

「手を貸してくれ。フラン」

 モルドの声は、まるで喉が潰れているように少ししゃがれている。それでいて声量は大きく、よく通る声だった。

 カイトが身動ぎする。ちらりとマルタとフウを見る。

 フランは振り返ることなく、「どう?マルタ」と、マルタに尋ねた。「大丈夫です。フラン姉さま」緊張を声に残してマルタが答える。

「良かった」

「何が良かったのかね。フラン」

 モルドの問いに答えることなく、

「あなた、残され人ね」

 と、フランは柔らかく言った。


    ***


 雷竜の背で、フランは、「モルドは力を持っているわ」と、カイトの問いに答えた。

「え」と声を上げたのはマルタで、カイトとフウはフランの言葉の意味するところを理解できなかった。

「でもフラン姉さま、モルドって、男の人ですよ?」

「そうね」

「どういうこと?フラン」

 フランがカイトに顔を向ける。

「あたしたちは、マスタイニスカの『娘たち』だって話したでしょう、カイト。

 この力はね、お母さまから受け継いだ力なの。だからだと思うけれど、発現するのは女の方が多いわ。

 でも、男がまったく発現しないかというとそうでもないわ。

 多分モルドは、あたしたちと同じ力を持っているわ」

「あ」

 オーフェとオセロから聞いた話を、カイトは思い出した。

「迷宮大都が攻められた時に、モルドって人の言葉にみんな逆らえなかったって聞いたことがある。

 オセロさんも、モルドさんに、あなたには斬ることができないと言われただけで、剣を抜くことができなかったって言ってたわ。

 そのこと?」

「あたしの力は弱いわ」

 フランが頷く。

「モルドがどれぐらい力が強いか判らない。測れないの。だから、もしかするとモルドの声に支配されるかも知れないわ」

「フランが?」

「ええ」

「もしそんなことになったら……」

 フランが見せた様々な魔術をカイトが思い出す。

 ハララム療養所を守っていた護衛を無力化し、ハララム療養所よりも大きなゴーレムを造り、たった一人で10万のキャナ軍を潰してしまう。

 しかも神々とも友だちなのだ。

 フランは。

「大変なことになる……、気がする」

「でしょ」

「マルタさんとフウがいれば、その心配はないってこと?」

「モルドとキャナの様子を注意深く見てきたけれど、マルタとフウ、二人を上回るほどの力はモルドにはないと思う。人々はモルドの声に逆らえないけれど、それがずっと続いている訳じゃない。

 オセロ公子は長剣をモルドに突きつけることもできたわ。

 そうしたことから判断すると、多分ではあるけれど、マルタとフウ、二人の力を合わせれば、モルドの力を抑えられると思うの。

 だからよろしくね、マルタ。フウ」

「はい」

 と、マルタとフウが頷く。

「それと、モルドがどこから来たか、だけど--」


    ***


 僅かにモルドが眉を上げる。「そうだとルモアは言っていたよ」背もたれに身体を深く預ける。

「私は残され人だと。だが、私には判らない。残され人とは何だろう?」

「ルモアは教えてくれなかったの?」

「君に訊け、と言われたよ」

 フランが笑う。

「あの子らしいわね」

 カイトが首を捻る。「ルモアって誰?」と、フウに囁くが、フウも「あたしも知らない」と囁き返し、マルタも首を振った。

「”古都”の次席よ、カイト。立場的には、”古都”であたしの次にエライ人ということになるわ。でも、あたしは”古都”の運営には関わっていないから、実質的に”古都”のトップを務めている子よ」

 三人の様子を見て取ってフランが答える。

 モルドがカイトへ視線を向ける。

「やはり、君がカイトか」

「うん」

「君に礼を言わなければならないな」

「何のこと?」

「ハララム療養所を潰してくれただろう?私もあれを何とかしたかったが、”古都”との関わりがあって、難しくてね。

 そのことだよ。

 私の手間が省けた。

 ああ、すまない。話が逸れたな。

 では教えてくれないか、フラン。残され人とは何なのか」

「あなた、ホウンガンって知ってる?」

「いや。--あ、いや、名前は知っている。デアの4大魔導士の一人だ」

「会ったことはないのね」

「ないな」

「彼はね、人じゃないの。

 ゴーレムよ。

 ホウンガンというのは彼を造った魔術師の名前だけれど、今は彼がホウンガンと名乗っているし、デアの4大魔導士に数えられているのもゴーレムの方よ。

 彼が教えてくれたわ。

 時間もまた波だと。

 波のように次々と押し寄せて来るものだと。

 過去と今は、まったく別のものだそうよ。過去が今になる訳じゃなくて、この今に続いている過去はどこにも残らない。過ぎ去った過去は無数に続く今に次々と塗り替えられていくのよ。

 そこには、あたしの知らないあたしがいる。

 あたしはあなたを知らない。でも、あなたはあたしを知っている。あなたが会ったのは、別の時間の中にいるあたしよ」

「……」

「だけどたまに、過去に塗り替えられることを拒んで、別の今に取り残される者がいるわ。特に武人に多いの。あなたのようにね。それが残され人。歴史に残された者よ。

 あなたのいた世界は、もう、深い歴史の層の下よ」

「歴史の層の下……、か」

「神々は、あたしの兄姉きょうだいだわ」

 モルドが笑う。

「ロード伯爵が言っていたのは、このことか」

「何のことかしら」

「ロード伯爵に、私は竜王とは違うと言われたよ。何が違うか理解しない限り、神々と交渉することはできないと。

 君のことだったんだな、フラン」

「竜王はあたしの友だちよ」

「--そうか」

「神々をこの世界から立ち去らせること、諦めてくれる?」

「いや」

「どうしてかしら」

「私が私だからだ。神に人生を振り回されるのは、間違っている。人は生き方を自分で決めるべきだ」

「こちらに来る前に、何かあったのね」

「ああ」

「ねぇ、モルド。話さずに済めばそうしたかったけれど、あなたは、別の今からここに来た訳ではないの」

「ん?」

「ホウンガンが今から今へと渡って行けるのは、人ではないからよ。人の身で時の狭間は渡れない。

 あなたの身体は、こちらで造られたの。

 時間を渡って来たのはあなたの想いだけ。強い想いが次の今に塗り潰されることを拒否して、肉体を形造ったのよ。

 本当のあなたは、元いた世界にそのままいるわ」

「--あそこに?」

「ええ」

「では、私はあれから、いや、あいつらは、どうなった」

「あたしには判らない。あなたの言うその人たちがどうなったか。あなたがどうなったかも。もしかすると、元のあなたは、あなたを形造った想いを捨てて、幸せになっているかも知れないわ」

「そんなことが……」

「ないと言える?」

「--それは」

 モルドが目を閉じ、顔を上げる。苦悶が額を掠める。「そうだとしても」フランへと視線を戻す。

「私は、やはり、私だよ。フラン」

「残念だわ」

「私を殺すのかね?」

「あなたは優秀過ぎるもの」

「光栄だな、それは」

「モルドって本当の名前なの?」

「いや」

「どういう意味?」

「私の国の言葉で、死んだ者だ。死者だよ」

「あたしと同じね」

 モルドが何かをしたようには、カイトには見えなかった。何かをしようとした気はした。生きるために。しかし何もできなかった。

 モルドの息が止まる。唐突に。まるでずっと前に死んでいたかのように。背もたれに身体を預けたまま。がくりっと頭を落とす。

 熱が消える。

 モルドの放っていた熱気が消え、急に部屋が暗くなったようにカイトは感じた。

「何をしたの?」

 フランに歩み寄りながらカイトが問う。

 同じ光景を見たことがある。ハララム療養所で、義手と義足姿の瀕死の男をフランが楽にした。あの時だ。

「この子の過去を殺したわ」

 ただの死体となったモルドを見つめたままフランが答える。

「過去って?」

「今に続く過去よ。次の今に塗り替えられる前にほんの僅かな間だけ存在している過去よ。過去を殺せば、今に残るのは死という結果だけ。

 この子のようにね」

 フランがモルドの瞼をそっと閉じる。

 カイトを振り返る。

「あたしたちが怖い?カイト」

 あたしたちとフランは訊いた。あたしや、マルタや、フウが怖いかと。

 答える代わりにカイトは、「弓矢を持っているわたしが怖い?フラン」と訊き返した。フランの口元が緩む。

「いいえ」

 と、フランは笑みを浮かべて答えた。

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