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29-1(全ての神々の背信者1(逃げるのは彼にとって生きるためのひとつの手段に過ぎない))

 城壁のない迷宮大都にあって、王宮だけは堅牢な城壁で守られている。

 南門が正門だが、南門は名前の通り正確に南を向いているのではなく、少し南西に向いて造られている。雷神の住む遠雷庭に向いているのである。

 正門が開かれることはほとんどない。

 王が遠雷庭へ赴くときに限って開かれる習わしとなっている。

 よく使われるのは東門だ。南門よりは小ぶりで、迷宮大都の中心部へと続いているのは東門だ。東門よりもさらに小ぶりな北門は、南門とは違う意味であまり使われることのない裏門といった位置づけである。

 雷神の復活を告げる声に王宮内の誰もがうろたえる中、その北門が激しく叩かれた。

「暴徒が迫っている!執政様にお伝えしたい、ここを開けてくれ!」

 城壁の上にいた兵が「ソイツ一人だ!他には誰もいない!」と叫び、北門に詰めていた門番が慌てて北門を開け、十数人の完全武装の兵が走り込んできた。「スマンな」と言ってたちまち門番を縛り上げ、城壁の上にいた兵士に片手を上げる。

 北門を制圧した兵士たちは、数人を北門の守りに残して東門へと走った。

 開かれた東門を潜り、一軍を率いて姿を現したのは、ハララム療養所の騒乱の際に駆けつけた中尉だった。

「門を閉じよ!誰も入れるなよ!」

 東門を抑えた中尉が向かったのは、王の許である。王宮は広い。緊急事態とばかり、中尉は部下たちと共に、丹念に手入れされた庭に無数の馬蹄の跡を残して宮殿へと駆け込んだ。息を整え、鎧の乱れを直し、王の御前へと進む。

 誰も止めない。

 むしろ、侍女たちが中尉の進む先で次々と扉を開いていく。

 王は、王族のプライベート空間である王宮の奥にある瀟洒なホールで中尉を待っていた。

「お許しもなくこのような見苦しい姿で参上したこと、お詫び申し上げます。

 雷神様がお戻りになられました。いまこそ好機。王宮から一ツ神の信徒をひとり残らず排するご許可を頂きたく、参上いたしました」

「一ツ神の信徒だけですか?」

 片膝をついた中尉に、短く王が問う。

「彼らに与する者も、一人残らず」

 と、中尉は答えた。

 レンツェの執務室に中尉が押し入ったのは、そういう訳である。


「情報官はどこに行かれた?」

 中尉の問いに、レンツェの秘書が「え」と声を上げる。

 レンツェの執務室に主の姿はなかった。執務机には、何かを燃やした跡がある。

「いらっしゃいませんか?」

「いないわ」

 執務机に残された燃えかすを調べながら中尉が答える。手紙か?と、中尉は判断した。入念に燃やされている。

 文字を読み取ることは出来そうにない。

 中庭に面した窓を開き、下を覗き込んで、中尉は思わず笑い声を上げた。

「何です?」

 副官が問う。

「あれを見て」

 上官に促されて中庭を見下ろし、副官も「あれは」と、笑った。窓の下に梯子が転がっている。

 レンツェの執務室は3階にある。

 どこに隠していたか、予め用意してあった梯子を使って逃げ出したのだろう。

「用意のいい方ですなぁ」

「思っていたよりもズイブンと楽しいヤツね」

 中尉が配下の兵を振り返る。

「レンツェ情報官は中庭に逃げた!探せ!ただし、殺すなよ!」

 王宮の門はすべて抑えている。いずれにしても王宮から逃げられることはない、と中尉は思い、それはレンツェも同じだった。

 当のレンツェは中庭の一角、茂みの中に潜み、中尉の声を聞いていた。

『優秀だな』

 彼らがこの日の為に準備をしていたことはレンツェも知っている。だから中尉が押し入って来たこと自体に驚きはない。

 ただ、押し入って来るのがレンツェの予想よりかなり早い。

 おそらく雷神の声を聞くや否や、感慨に耽ることなく直ちに行動に移したのだろう。

『困ったものだ』

 さて、どうしたものかと思い、レンツェはふと自分の影に目を止めた。

「まだ私は役に立つ。そう思うが、如何かな?」

 小さく囁く。

「そうね」

 レンツェに答えたのは、雷竜の背中にいたフランである。

 兵士たちが中庭に駆け込んできた足音が響き、レンツェの身体がすとんと彼の影の中に落ちる。光が消え、さほど待つことなく軽い浮遊感と共に再び周囲が明るくなり、レンツェは落ち着いた様子で立ち上がって周囲を見回し、自分がどこにいるか知った。

 さすが、”古都”の首席。

『人が悪い』

 心の中で嗤って膝をつき、頭を落とす。

「陛下におかれましては、たいへんご機嫌うるわしく。臣、レンツェ、雷神様がお戻りになられたこと、衷心よりお祝い申し上げます」

 と、玉座に座った王に向かって、レンツェは口上を述べた。


 玉座より数段低い広間には王に近い数人の臣下が並び、堅く閉じた扉の前には十数人の兵士たちがいる。おそらく中尉が残していった兵士たちだ。

 レンツェもここで何度となく王に拝謁したことがある。

 謁見の間である。

 おそらくここを、一ツ神の信徒に対する臨時の作戦本部としているのだろう。

「レンツェ情報官。貴官はどこから現れた?」

 兵士を制して王が問う。

「雷神様のお声を聞き、執務室より、急ぎ馳せ参じて参りました」

「床から浮かび上がった、と見えたが?」

「陛下のお言葉に反すること、誠に遺憾ながら、私に魔術の心得はございません。お許しもなく参上したこと、お詫び申し上げます」

「ふむ」

 王が更に口を開こうとする。部屋が暗くなる。窓から差し込んでいた光が遮られる。ガタガタと窓が、建物そのものが揺れる。

 ずんっと太い音と共に、床が、王宮ごと跳ね上がる。

 王が窓の外へ視線を向ける。

 王の意を得た臣下の一人が窓へと歩み寄り、息を呑む。

「何事か」

 軽く頭を下げて報告した臣下の声は、僅かに動揺を残していた。

 レンツェは感心した。なかなか肝が据わっている。と思う。臣下の答えは、パニックを起こしても不思議ではない内容だった。

「王宮の、城壁の外、西側に雷竜がいます」

 と、臣下は報告した。

 王のすぐ近くにいた臣下が王に顔を寄せ、

「逃げた方が宜しいかと思いますが?」

 と、落ち着いた声で問う。

 問うより先に王を逃がすべきだな。とレンツェは思う。状況が異なれば、こいつらは全員、死ぬな。

 そう思いながら、

「逃げるには及びません」

 と、レンツェは恭しく頭を下げた。

「何故か、レンツェ情報官」

 雷竜の野太い咆哮が王宮そのものを震わせ、続いて暴風が窓を破らんばかりに叩く。飛び立ったな。と、レンツェは判断した。

「雷竜が、飛び立ちました。南へ、飛び去って行きます」

 窓から外を伺っていた臣下が報告する。

 王の問いに答えようとして、レンツェは止めた。

 閉じられた扉がノックされたのである。予め決められた合図だろう、2度。短く間を開けて、3度。兵士が内側から扉を開く。僅かに開いた隙間から姿を現したのは、レンツェの執務室に踏み込んで来た中尉だった。

 レンツェの姿を認めても顔色を変えない。

 王の前へと進み、膝をつく。

「遺憾ながら、王のご期待に沿えない報告をする為に戻って参りました」

「どのような報告でしょう」

「一ツ神の信徒と判明している者のうち、上層部以外の者は捕らえましたが、幹部の姿がどこにもありません。ただの一人も。

 ここにいらっしゃるレンツェ情報官以外は」

「逃げた、と?」

「城門はすべて抑えています」

「レンツェ情報官」

 王がレンツェに顔を向ける。

「貴官に何か心当たりはあるか?」

 レンツェが「は」と頭を下げる。

「まずはひとつ中尉の報告の訂正を。

 私は一ツ神の信徒ではなく、雷神様の信徒です。ですから、一ツ神の信徒の主だった方たちは一人残らず姿を消しているということでしょう。

 雷神様がお戻りになられたこと。

 先程の雷竜。

 これらはひとつの事実を示しています」

「ふむ?」

「キャナ王国の女主人が戻ってきたのです」

 王が沈黙する。

 黙り込んだ王から視線を逸らし、レンツェは中尉に顔を向けた。

「中尉。貴殿にひとつ確認したいのだが、モルド執政の執務室は調べたのかね?

 いや、答えなくていい。

 入ることが出来なかった、そうじゃないかね?そう、まるであの騒動の夜、ハララム療養所に入ることが出来なかった時のように」

 中尉が軽く眉を上げる。

「ええ」

「ならば、何も心配することはない」レンツェの頭が素早く回る。「モルド執政の執務室の前に兵を配置しておくことだ。人数は多くなくていい」いずれにしても。と、様々な可能性を考えながらレンツェが言う。「必要ない」多分な、と平然とハッタリをかます。

「それは、貴官の考えか?」

 問うた王の声に、感情は少なかった。

 胸の内の動揺を隠している。

 レンツェは「いいえ」と応じた。王を見上げる。ひとつ賭けをする。「私の友人であるロード伯爵からの助言です」と、ターシャの名前を出す。

『あれか』

 中尉は、レンツェの執務机に残されていた燃えかすを思い出した。

 だが、中尉の推測は半分正しく、半分は間違っていた。

 確かにレンツェは、ターシャから届いた手紙を燃やした。

 しかし、手紙に書かれていたのは、『王には女主人が戻ったと伝えれば通じるだろう』とそれだけだった。それ以上、何の説明もなかった。

 女主人というのがターシャの古い友人を指していることは、レンツェにも想像がついた。それが王に通じる、とは。レンツェは嗤った。つまり、”古都”の首席とキャナ王家は、レンツェが思う以上に深い関係にあるということだと悟った。

 モルドの執務室の前に多くの兵士を配置する必要がないとレンツェが言ったのは、ターシャの助言ではなくレンツェ自身の推測と判断である。

 それにも関わらずターシャの助言だと王に告げたのは、王に考えさせる為だ。

 レンツェをここで捕らえるか否か。

 王はまだ決めていない。

 保留している。

 利が多いか、害の方が多いか。天秤にかけている。

 レンツェはそこに、天秤に、新たな材料をひとつ提供したのである。

 ターシャは使いようによって毒にも薬にもなる。劇薬だ。私も劇薬です。ですが、毒をもって毒を制す。ロード伯爵とはいいバランスをとれますよ。

 レンツェはそう、王に告げたのである。

「いいでしょう」

 王は決断を下した。

「レンツェ情報官。これからもわたくしに仕えること、許します」

「誠心誠意、王に忠義を尽くし、お仕えすること、ここにお誓い申し上げます」

 深々とレンツェが頭を下げる。

 雷神に誓って、とは言わない。王も判っている。コイツはいつ裏切るか判らない。しかし、今は、味方だ、と。

「中尉」

「は」

「レンツェ情報官の言う通り、モルド執政の執務室の前に兵を配しなさい。人数も多くする必要はありません」

「はっ」

「ただし、くれぐれも扉が内側から開かれるまでは、決して踏み込もうとはしないように。いいですね」

 と、王は念を押した。

 女主人の邪魔をしないように、ということか。と、レンツェは腹の奥で密かに笑った。

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