4-1(酔林国1)
息苦しさに、カイトの意識は目覚めた。
周囲はただ一筋の光もない闇だ。
横になっている、というのは判った。
宿で眠っていたはずだ、と思う。
明日には酔林国に着くよ、と言ったタルルナの声が蘇る。
ふと、光が見えた。
星のような、小さな光。
それはすぐにカイトよりも大きくなって、生き物の姿へと変じた。
淡く発行する銀色の生き物。
オオカミだ。
だが、ただのオオカミではない。
体高が2mはあるだろう。
その銀色狼が、圧し掛かるようにして彼女を見下ろしていた。
「おはようカイト。なんだか顔色が悪いね。良く眠れなかったのかい?」
「ヘンな夢を見た」
欠伸をしながらカイトはタルルナに答えた。夢の内容は覚えていない。ただ、妙な夢を見たという記憶だけが残っていた。
越えて来たばかりの紫廟山をちらりと見る。
「この山の中にたったひとつだけ、狂泉様の神殿があるって言い伝えがあるな」
宿で昨夜、ライが教えてくれたことである。
「誰も見たことはないけどな」
「誰も見たことがないのに、どうしてい言い伝えになってんのさ」
タルルナが当然の突っ込みを入れる。
「そういうもんだろ、言い伝えっていうのは。ちゃちゃを入れるなよ、タルルナ。あんただって知ってるだろ?この話」
「まあね」
「ホントなの、タルルナさん」
ライはともかく、タルルナなら信じられる。そんな口調でカイトがタルルナに訊く。
「ああ。コイツの言った通りさ。
この山の奥に、誰も立ち入ることの許されない、禁忌の森でもさらに禁忌とされる森があって、そこに狂泉様の神殿がある、ってね。
初めて山を越えた時に聞いて、由来を聞いたけど誰も知らなかったよ。とにかく昔から伝わっているって」
「ふーん」
ヘンな夢を見たのは、あんな話を聞いたからかな、とカイトは思いながら、眠気を払うようにうーんと大きく伸びをした。
「見えたぜ、カイト」
隊商の前から、ライがカイトに声をかける。彼は隊商の最後を歩く彼女を待って、「あれが酔林国だ」と、指し示した。
「わあ」
カイトは思わず声を上げた。
森の中に平野が広がっていた。遠目にも水田が連なっているのだと判る。収穫が近いのだろう、風に揺れる稲がまるで金色の海だ。
「ひろーい!」
彼女にしては珍しく、声が弾んだ。
「そんなに驚くことかねぇ」
笑いながらタルルナが言う。
「だってわたし、こんなにたくさんの水田、見るの初めて」
「ああ、そうかも知れないねぇ」
狂泉の森では芋を主食とするところが多い。タルルナも知っている。おそらくカイトの集落もそうなのだろう。
「森の外にある水田はもっと広いぜ、カイト」
「ホント?!」
瞳を輝かせてカイトがライを見上げる。
「そりゃそうさ。狂泉様の森の中じゃあ、酔林国はとんでもなく人が多いけどよ、森の外じゃあとても国なんて言えないからな。ちっぽけなもんだ、酔林国は。外じゃあ何十万って人が住む街だってあるんだ。
水田が広くなるのは当然だろ?」
「何十万……」
カイトがタルルナを振り返る。
「ホント?タルルナさん」
「オレを信じろよ、カイト」
「ちょっとムリ」
「おい」
あははははと、タルルナが笑う。
「ホントだよ、カイト。何十万人も住んでる街はそんなに多くはないけどね。南だと、キャナの迷宮大都と、クスルクスルの海都クスルぐらいだろうね」
「クスルクスルのカイトクスル?」
初めて聞く名に、カイトが訊き返す。
「狂泉様の森の南には国が4つあってね。まず、酔林国のすぐ南にあるのがキャナ。キャナの東隣が洲国。洲国のさらに東にあるのがクスルクスル王国で、クスルクスル王国の首都がクスル。
でもクスルと言っただけじゃあ国名と区別がつかなくて判り難いから、海都クスルって言うのさ」
「残りのひとつは、なに?」
「百神の国、ゴダ。キャナの西隣にある国だよ」
「狂泉様の森とは接していないけどよ」
ライが口を挟む。
「南にはもうひとつ、国があるよな」
タルルナがちらりとライを見る。
「あれを国、と言うかい?」
「一応は国だろ?」
「何のこと?」
ふむと考えて、「あたしはあまり話したくないね。話したら悪いことが起こりそうだからさ」と言って、タルルナは話を終わらせた。
「ねぇ、タルルナさん。水田の間で光ってる、あれは何かな」
「ん?」
カイトの指の先を追って、「用水路だよ、あれは」と、タルルナは答えた。金色の波の間に、太陽を反射して光る線が何本も縦横に走っていた。
「用水路って、あれが全部?」
「水がなきゃあ、稲は育てられないだろう?」
「あれを、人が作ったの?」
タルルナが笑う。
「他に誰が作るって言うんだい」
カイトが黙る。
しばらくして、カイトはポツリと「不思議」と呟いた。
「あんなにきちんと、すべての田んぼに水を行き渡らすことができるなんて」
「言われてみれば、確かにね。すごい技術だ」
「わたし、森よりきれいなものなんてないって思ってた。でも、そんなことないんだって思うわ。
人が作るものも、こんなにきれいなんだね」
「カイト」
「なに、タルルナさん」
「あのバカが来るのが遅れたからさ、あんた、余分な仕事をしたようなモンだろ?だからもういいよ、護衛は。
ここまで来ればもう大丈夫。
先頭に行って、もっとよく見てきな」
カイトの顔が明るく輝く。が、すぐに彼女は「ううん」と首を振った。
「最後まで護衛をさせて。少しはしゃぎ過ぎた。ごめんなさい」
「怒ったんじゃないよ。十分あんたはやってくれた。いいんだよ、ホントに」
「ありがとう。でも、仕事は最後までやらないと」
「そうかい」
「うん」と頷いて、両手で軽く頬を叩いて気合を入れ直し、カイトは隊商の最後尾へと駆け戻っていった。