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28-6(秩序をもたらす者6(遠雷庭2))

 カイトは恐怖を知らなかった。

 知っていると思っていたが、間違っていた。

 今まで感じたことがあるのは本当の恐怖ではなかったと、大きく目を見開いたまま、カイトは知った。

 身体の芯を氷で貫かれたかのようだった。喉が詰まり、心臓まで息をひそめた。汗は出ない。血の気が引き、寒気を感じた。

 御座の間の隅に少年がいる。

 立っているのではない。座っているのでもない。深く座った姿勢のまま、少年は宙に浮いていたのである。

 少年の周囲だけが闇に包まれている。

 光が掠れ、消えている。

 少年の整った顔は人形かと思えるほど白く、一見すると闇に顔だけが浮いているかのように見えた。大きな瞳は瞳孔だけでなく虹彩まで黒く、まるでぽっかりと空いた底のない穴だ。絹糸のような髪も、夜の如く黒い。

 少年を包む闇から冷気が薄い霧となって漂ってくる。

 矢を引き抜こうと矢筒に手を回したまま、カイトは動けないでいる。

 カイトの傍らにはフウがいる。

 カイトはフウを庇い、フウはフウで、カイトを支えるように震える手をカイトの背中に添えている。

 フウの存在が温かい光となってカイトを支えている。

 マルタは一人、硬直している。ガタガタと震えている。気を失って倒れそうになっている。

「ご無沙汰しております、閣下」

 冴えた声が響いた。

 フランの気配が、マルタと、カイトとフウの前に広がる。冷気が緩み、カイトが細く白い息を吐く。

 フランがマルタの前へと足を進める。フランの口元に冷笑がある。いつもの華やかさが影を潜め、怜悧な美しさがフランを輝かせている。

「久しぶりだね、フラン。我が愚弟が君を殺してしまったと聞いて心配していたけれど、元気そうで安心したよ」

 フランが優雅に膝を折り、頭を下げる。

「ご心配いただき、ありがとうございます。閣下」

「何の用だ、惑乱」

 雷神の透き通った声が冷気を払う。闇を押し返す。

 雷神の脇には姫巫女がいる。雷神に付き従い、少しも恐れを見せることなく闇の神を見つめている。

「冷たい言い方だね、雷神。長く閉じこもっていた弟がようやく扉を開いたんだ。兄として顔を見に来ることが、そんなに不思議かい?」

「今は取り込み中だ」

「そうは見えないけどね」

「それに、何のつもりだ。その姿は」

「ああ、これかい?」

 闇の神が両手を広げる。

「君を真似てみたんだ。この姿なら、姉上の、狂泉の森に入れるかと思ってね。もっとも、ボクが訪ねて行った時には、狂泉は不在だったがね。

 フラン、君と呑んでいて」

 闇の神の発した言葉が、カイトの呪縛を解いた。闇の神が狂泉様の森に、--故郷にいた。しかも、狂泉様の留守の間に。

「森に?いたの?」

 疑問が言葉になってカイトの口を突いた。

 ぽっかりと空いたふたつの穴がカイトに向けられる。

「ボクを前にして、ボクの許しもなく声を出せるとは、驚きだね」

「何の為に狂泉様の森にいたの」

 カイトの身内は、闇の神への恐怖にまだ硬くこわばっている。しかしカイトの声に、恐れは微塵も感じられない。

 闇の神が笑う。

「いいね、君も。流石は、ターシャが気に掛けるだけのことはある。いいだろう、教えてあげよう。

 君も知っているだろう?

 グラム殿下の始末をつけに行ったんだよ、ボクは」

 と、闇の神は答えた。


「ファリファ王国に面白い子がいると知っていたからね」

 闇の神が言葉を続ける。

 ファリファ王国という国名にカイトもフウも聞き覚えがあった。海都クスルで会ったティアのことだと二人とも悟った。

「殿下が死んだ後、彼女が何をするか、興味があった。

 想像以上だったよ。

 彼女は。

 ボクが望む以上にファリファ王国に混乱をもたらしてくれた。

 もちろん、竜王との契約があるからね。直接、ボクがグラム殿下に手を出すことはできないし、そんなことはしないよ。

 ボクはただ、囁いただけさ。

 君の伯母様たちにね。

 君たちは正しい。だから、正義を行うようにってね」

「正義?」

「そう、正義さ。何をと具体的に告げる必要はない。ただ、君たちは正しい、と囁くだけで十分だ。何が正しくて、何を行うべきかは、彼ら自身が考える。

 選ぶ。

 君の伯母様たちが、復讐を選んだようにね」

 カイトの息が静まる。冷たい怒りが満ちていく。

「カムラ魔術師もそうだよ」

 と、闇の神が言う。

「君は間違っていない。正しい。間違っているのは、他の者たちだ。と、囁いた。そして彼は、彼の選ぶべき道を選んだんだよ。

 フラン」

「何でしょう、閣下」

「君も王妃に囁いたよね。あなたにも自由に生きる権利があるわ、と」

 フランが微笑む。

「ええ」

 軽い会話だった。友だちとして。だが、結果は深刻だった。

「王妃を殺した暴漢だけどね。彼のことも知っている。彼は王妃を愛していたよ。だから、君のその気持ちは間違っていないと教えてやったよ。愛することは素晴らしいことだ。君の信じるままに行動すればいいってね」

「お前が」

 雷神の言葉が閃く。

「そうだよ、それで彼は、彼が正しいと信じることをしたんだよ。その結果が、君とフランの心の隙を生んでくれた。

 そうでなければ、君とフランには届かなかっただろう、ボクの声は。

 フランを殺すことは悪いことじゃない。それはフランの為になることだ。雷神、君はそう信じただろう?

 そしてフラン、君もだ」

「ええ」

 楽になるのは悪いことじゃない。君はもう充分苦しんだ。

 闇の神はそう、フランの心の隙に囁いた。

 雷神の身体を雷光が這う。低く重い雷鳴が壁を震わせ、御座の間を明滅させる。

「オレにフランを殺させる。その為に仕組んだのか、お前が。何の為だ。何故、フランを殺させようとした」

「知りたかっただけだよ」

「何を」

「君がフランを殺せるかどうか、をね。

 ああ、そう言えば、彼もそうだ」

 闇の神が笑う。

 カイトに視線を戻す。

「フォンと言ったか」

「……フォン?」

「彼は君を愛していたよ。カイト」

「え」

 カイトが戸惑う。動揺する。

「……フォンが?」

「気づいていなかったのかい?」

「え、え?」

「だから彼は、君に相応しい男になりたかったんだよ。ボクは彼にも囁いたよ。君は間違っていない。だから、頑張れってね。

 そして彼は、平原王の兵士が森に攻めて来た時に、勇み過ぎた」

 カイトの息が乱れる。

「……あなたが、あなたがフォンを?」

「違うよ」

 闇の神が否定する。

「ボクはただ、彼の後押しをしただけさ。手助けをしただけだよ」

 カイトの視界が、瞬時、失われる。言葉にできない怒りに。しかし、怒りは熱風となってカイトの恐怖を吹き払い、彼方へと通り過ぎた。

 カイトが足を踏み出す。

 前に出る。

 足を進めながら、矢を抜く。

 抜くべき矢を。

 弓を肩から外し、力強く握る。

 矢を番える。

 構える。

 闇の神へと向けて。

 森が広がる。カイトの周囲に。陽の光さえ届かない深い森が。風もない。獣の気配もない。鳥の声も遠い。厚く重なった枝葉の下に、泉がある。波紋のひとつもなく、静寂だけを満たした水面がある。

『森から訪れし者が、南の国々に秩序をもたらす』

 カイトの中に言葉がある。だが、それは彼女の意識の下にある。考えてはいない。考えてはいないが、間違いなく、カイトは何処の神が下したかも判らない神託を、深く心に刻んでいた。

 だから、

「疾く去れ!混乱をもたらす者よ!ここは、お前のいるところではない!」

 と、カイトは鋭く叫んだ。

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