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3-3(紫廟山を越える3)

 翌日、酔林国に向けて出発の準備をしているところへ、プリンスが顔を出した。30頭ほどのロバに荷が山積みである。

「おはよう、タルルナ。カイトちゃん」

 軽い口調で言うプリンスに、「おはよう」と返しながらタルルナは彼に歩み寄り、彼の手に何かを握らせた。

「これで楽しくやっとくれ」

「いらないよ、タルルナ」

「あたしが借りを作るのが嫌いなのは知ってるだろう?」

 プリンスが苦笑する。

「敵わないね、あなたには」

「これからどうするんだい?」

「北の方に行ってみようと思ってるよ。北は閉鎖的で怖いからあまり行きたくなかったんだけど、カイトちゃんのような可愛い子がいるなら、会ってみたいからね」

「そうか」

「カイトちゃんをよろしくね、タルルナ」

「ああ」

「カイトちゃんも、タルルナをよろしく。もしかすると、小煩いネズミが出るかも知れないから、気をつけてね」

 プリンスの言葉の意味を問い返すことなく、「うん。判った」と、カイトは浅く頷いた。


「婆さま。もう、いつでも出発できますよ」

 背の高い若い男がタルルナに声をかける。カイトは彼も、15人ほどいる雇用人のうちの一人と思い込んでいたが、それにしては口調が随分と砕けていた。

「よし。じゃあ、行こうか」

 手を振るプリンスに見送られて、一行は酔林国へと続く山へと向けて出発した。プリンスの姿が見えなくなった辺りで、

「さっきタルルナさんのこと、婆さまって呼んでたあの人、タルルナさんの親族?」

 とカイトは訊いた。

「孫さ。この隊商にはあの子以外に、もう一人、孫がいるよ」

「子供いたんだ。何人ぐらいいるの?」

「ぜんぶで100人ぐらいかな」

「多すぎるよ」

 周囲に注意を払いながら、呆れたようにカイトが言う。

 タルルナが笑う。

「養父の真似事がしたくてね、あたしも孤児を引き取っているんだ。養父が養子にしたのはあたし一人だったけど、あたしの場合は気がついたらそんなに増えてた。みんな良い子でね、あたしの自慢の子供たちさ」

「そうなんだ」

「あたしはホントはもう隠居しててね。家督は子供に譲ってるんだ。でも、何もしていないと落ち着かなくて、また商売を始めたんだよ。

 さっきの子ともう一人の子は、孫たちの中でも特にしっかりした子でね。子供たちがあたしの監視のために寄越してるのさ。

 あたしが大平原の彼方まで行っちまわないようにね」

 カイトは笑った。

「確かにタルルナさんなら、放っておいたらどこまでも行ってしまいそうだね」

「ああ。あたし自身、そう思うよ」

 と、タルルナも笑った。


 隊商の護衛として雇われたものの、そもそも護衛とは何か、カイトは判っていなかった。昨夜、カイトがまず訊いたのは、

「護衛って、何をすればいいの?」

 だった。

「ロバを守ってくれればいいんだよ」

「人間も?」

 タルルナは笑った。

「むしろ守るなら、人間が優先だ」

「判った」

 そのカイトが出発した隊商の中で歩く場所として選んだのは、最後尾に近いタルルナの隣だった。

「ここで、前の方は大丈夫かい?」

「ちょっとうるさいネズミがいるから。ここがいい」

 と、カイトは答えた。


「平原王か。確かに会ったことあるよ」

 歩きながらタルルナが言う。

「どんな人?」

 カイトは辺りに視線をやりながら応じた。タルルナが平原王に会ったことがあると教えてくれたのはプリンスである。「平原王のことを知りたいんだったら、ボクよりタルルナに聞いた方がいいよ。タルルナは実際に会ったことがあるはずだから」と。

「良い男だよ。しゅっとした面長で、切れ長の目元は涼やかでね、いつも笑顔を絶やさない男だったね。

 あたしの好みとはちょっと違ってたけど。

 頭が小さくて立ち姿も綺麗でね、歌も上手かった。平原王になるにはふさわしい容姿と声をしていたね」

「声?声が平原王になるのに関係するの?」

「平原公主様は動物と狩猟の神様だけど、音楽の神様でもあるからね。カイト、あんたは森の外には神殿ってものがあるのは知ってるかい?」

「うん」

 森の外には神様を祀った神殿があり、神様に祈りを捧げて暮らしている巫女や神官がいる。

 それも旅に出てから知ったことだ。

「神様をお祀りしているところでしょう?」

「ああ」

「プリンスが教えてくれたわ。森には常に狂泉様がいらっしゃるけど、外はそうじゃないから、神殿なんてものがあるんだって」

「そうだね。神殿以外に神様がいらっしゃらないって訳じゃないけど、この森ほど神と近い訳じゃないのは確かだね。

 大平原はね、平原公主様の神殿組織がけっこう力を持ってて、その中心が自在宮と呼ばれる街なんだよ。この自在宮を保護して初めて、本物の平原王として認められるんだ。

 自在宮を押さえるまではいくら実力があっても、自称平原王、ってとこだね。

 しかも押さえるとは言っても、ただ武力で自在宮を押さえるだけじゃダメで、平原王は歌が上手くあるべしって条件があるのさ」

「ヘンな条件」

「そうだね」

 とタルルナが笑う。

「でも、あたしはキライじゃないけどね、この条件。わがままな平原公主様らしくてさ。おっと。こんなこと言うと、バチが当たるかな」

「大丈夫。森でも狂泉様のことを、気紛れなお方ってよく言うけど、バチなんか当てられたことないもの」

「お二方ともけっこういい加減なところがあるからねぇ。雷神様なんか生真面目でさ、キャナの国民にしても神殿組織にしても、真面目な連中が多い……って、ああ、話が逸れたね。

 話を戻すと、平原王として認められるためには、自在宮で平原公主様のために歌を歌って、その歌を気に入ってもらう必要があるんだ。だから平原王を名乗る連中は、自在宮を押さえるとまず、歌を歌うために公主廟にお参りするのさ。

 今の平原王はちょっと順番が違っててね、まだ大平原の統一事業に乗り出す前に、ほんの数人程度の部下だけを連れて自在宮を訪れたんだ。必ずここに戻って参りますので、まずは平原公主様に歌を聴いていただきたいってね。

 彼の歌はあたしも聞いたよ。

 あたしが彼と初めて会ったのは20年ぐらい前、まだ彼が放浪生活を送っていた頃のことで、一緒に呑みに行こうってことになってね。興に乗って彼が居酒屋で歌い始めたんだけど、店中の人が聞き惚れるぐらい、情感豊かないい声だったよ。

 自在宮で歌った時も平原公主様にすぐに気に入られたそうだけど、それはそうだろうなっていう声だったよ」

「その人、どうして平原王になろうと思ったの?」

「民を救いたいからってさ」

「どういうこと?」

「大平原の国々は洲国と同じで、小さな戦争をよく起こしてた。その度に苦しむのは国民さ。彼は放浪生活を送っている間にそういう人をいっぱい見て、あるとき急に、自分が平原王になって大平原からいくさを失くさなければ、って思ったそうだよ。

 だから今の彼は、ちょっと危険だね」

「危険?なぜ?」

「自分が正しいことをしているって信じているからさ。

 彼が平原王としての実力を備えているのは、今の状況を見れば確かだよ。寛大なところもあり、降伏する者は許し、大平原に秩序をもたらしている。支配下に置いた街々では自由に通行を許し、経済を活性化させて、自分の利を優先する様子もない。

 でもね、正しいことをしていると信じているから、幾らでも残酷になれる。人を幾ら殺しても気に病むことがない。

 カイトが会った、森で死んだ王太子、彼にはなかった性格だね」

 タルルナの声が僅かに湿る。

「あの人は、ちょっと優しすぎた。あの人が少しでも平原王の冷徹さを持っていれば、意に従わぬ者を殺して、平原王に従って国を保つこともできたと思う。

 でも、彼にはそれが出来なかった。

 それが、彼の限界だったんだね。

 あたしはどちらかと言うと、彼のような弱さを持った人間の方が好きなんだけど、それでは生きてはいけない。なかなか難しいもんだね」

「……」

「もし、あたしが平原王の大平原統一事業の邪魔になると思ったら、きっと平原王はためらうことなくあたしを殺すだろうね。幾らあたしが彼と古い馴染みだといっても。

 危険というのは、つまりそういうことさ」


「平原王っていくつなの?」

「40の半ばのはずだよ。あたしが初めて会った時には、確か20代の半ばだったはずだから。

 彼が大平原の統一事業に乗り出したのが10年ぐらい前か。

 時間が経つのは、ホント、早い……」

 カイトが足を止める。矢を番え、森の奥を探る。

 タルルナも、彼女の横で足を止めた。

「どうしたんだい?」

「オオカミ」

 短くカイトは答えた。

「ロバを狙ってる。でも……」

 そのまましばらく待って、カイトは矢を下ろした。

「行ったわ」

「そう。良かった」

「信じてくれるの?」

 タルルナはカイトの言葉をまったく疑っていない。タルルナにはオオカミの気配は判らない筈で、カイトにはむしろそのことが不思議だった。

「商売の基本は人を信じることだからね。あたしはプリンスを信じてる。プリンスが推薦したあんたの腕も信じてるよ。

 それにあんたは、嘘をつけない性格だね」

「そうかな」

「あたしはそう思うよ」

「……そんなことないと思うけど、みんなを止めて」

「なぜ?」

「前から誰か来てる」

 そう言って、カイトは再び矢を番えた。


 駆け足だった軽やかな足取りは隊商が止まると同時に遅く緩やかになり、足音も大きくなった。こちらが気づいたことに向こうでも気づいて、わざと足音を響かせたのだろう。

「いい護衛を雇ったみたいだな、タルルナ」

 大きな声でそう言いながら現れた男は、カイトがこれまでに会った誰よりも大きかった。身長は森で死んだ王太子と同じぐらいだろう。だが、男は王太子と違って体に厚みがあった。弓を肩にかけていることから森人とカイトは見たが、普通なら山刀を腰に差しているところを、男は長剣をぶら下げていた。

 歳は30代半ばだろうか。

「遅いよ、ライ」

 腰に手を当てて、タルルナが男を睨む。

「大丈夫だ、カイト。コイツが、酔林国から来るはずだった護衛さ」

 ライと呼ばれた男がカイトに無精髭の伸びた顔を向ける。

「オレに気づいたのは嬢ちゃんか?」

「嬢ちゃん、じゃないわ。わたしはカイト。カイトと呼んで」

 はははと、ライが短く笑う。

「悪かった、カイト。オレはライだ。オレのこともライと呼んでくれ」

 ライはとにかく声が大きい。いや、声だけではなく、態度もどこかデカく、尊大だった。

「護衛はこの子だけなのか、タルルナ。他は?」

「いろいろあってね。この子はプリンスの紹介でね。雇おうと思ってた連中とモメてたところにこの子を連れてきて、この子ひとりの方が役に立つって言うんで、この子だけ雇うことにしたのさ」

 ライが眉を上げる。

「プリンスの野郎の紹介か。で、ヤツは?どこにいる?」

 そう話す一行を、森の中から見つめる人影があった。タルルナに護衛の仕事をキャンセルされた3人の森人である。

「ありゃあ、ライじゃないか。酔林国の」

 ひとりが呟く。

「残りの一人ってあいつか」

 そう言った別の男の声には驚きと恐れがあった。

「お前、知ってたのか?」

 問われた禿頭の男が「ああ」と頷く。

「オレは降りるぜ」

 身を潜めていた男が立ち上がる。もう一人もすぐに続いた。

「オレもだ。プリンスだけじゃなく、暴君まで相手にする気はねぇよ」

「おい、このままコケにされたままで悔しくないのか!」

 禿頭の男が他の二人を振り返って怒鳴る。だが二人は後ろを振り返ることなく、小さく手を振った。

「命あっての物種だからな。お前も諦めな」

 二人の姿が森に消える。禿頭の男は忌々しげに唾を吐き捨てた。

「舐められたままで終われるかよ」

 弓を肩から外し、矢を手にする。

「こうなったらタルルナの野郎だけでも--」

 矢を番え、隊商に視線を戻す。

「え?」

 顔を上げた彼の目の前に、一本の矢があった。


 森に目を向けたまま、カイトは弓を下ろした。

「手応えあり、か?」

 カイトの背後から彼女に覆いかぶさるようにしてそう尋ねたのは、ライである。額に手を当てて、カイトと同じ森の奥へと視線を送っている。

「さあ」

 弓を肩に戻しながら、カイトは答えた。

「少なくとも、静かにはなったわ」

「違ぇねえ」

 ライが体を起こす。

「どうしたの?」

 尋ねてきたタルルナに、ライは笑顔を向けた。

「なんでもねえよ。この嬢ちゃん、おっと失礼。カイトが小煩いネズミを追っ払っただけさ」

「そう。だったら出発してもいいかい?」

「おう。いいぜ」

 ライがカイトを振り返る。

「オレが前に行く。カイトは後ろを頼むぜ」と駆け出したライに「うん」と頷いて、カイトはタルルナから離れて隊商の一番後ろに回った。

「さあ、行こうか!」

 張りのあるタルルナの声が森に響き、隊商は再びゆるゆると動き始めた。

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