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26-16(キャナとのいくさ16(『ま、いいか。フラン姉さまがいるし』))

 すまねぇな、ハイハ。

 カイトを堅く抱き締めたままライは思った。


 カーラとヤッちまったよ。

 しかも、ガキまで出来ちまった。

 いや、すまねぇと思ってるよ。

 ホントに。

 だがよ、カーラより先に死んじまったお前が悪いんだぜ?

 酔ってたってこともあるしよ。

 オレたちは狂泉様の信徒だ、よくあることだろ?

 オモシロイ奴にも会ったぜ。

 カイトっていうんだ。

 お前らが死んで、もうカーラや爺っさまと酒を呑むことはねぇだろうと思ってたよ。そんな気にはとてもならなかったからな。

 けど、あいつの弓が、すべて払ってくれた。

 生きてて良かったと思えたよ。

 いや、

 忘れさせてくれた。

 だから、爺っさまやエトーやマクバ、カーラと酒を呑んだんだ。お前らが逝っちまってから、初めて。

 ん?そう考えれば、カーラとヤッちまうことになったのも、カイトのせいか?

 ま、いいか。

 細けぇことは。

 今からオレもそっちに行くからよ。

 カイトのこと、詳しく話してやるよ。そうすりゃあ、お前も納得するだろうよ。


 痛くない。


 あー。

 何かヘンだな。

 こういう時は、こう、さわやかな風が吹いて、白い光に包まれてよ、お迎えが来るモンじゃねぇのか?

 どうして誰も現れないんだ?

 ハイハ。

 カーラとヤッちまったんだぜ?

 文句のひとつも言いに--。


 痛くない。

 どこも痛くない。

 死にそうな気がしない。


 ライの腕の中では、カイトが叫んでいる。「離して!」と腕の中から逃れようとしている。怒りに涙が混じっている。

 深刻ぶっていたことが、急に恥ずかしくなった。

「あー、カイト。すまねぇ」

 気の抜けた声をライが響かせる。

「え?」

 カイトが動きを止める。

「どこも痛くねぇ」

「え?」

「何だか、死にそうな気がしねぇ」

「え?」

「カイト、大丈夫?」

 ライのではない別の声が響く。若い女の声。ライの向こう、背中側から。カイトの頭が真っ白になる。聞きたくて、聞きたくて、仕方がなかった声だ。

 ライの腕は緩んでいる。

 するりとカイトが抜け出す。

「フウ!」

 と、カイトは叫んだ。


 フウはキャナ軍を向いて立っていた。そこへ、カイトが飛びついた。フウがバランスを崩して倒れそうになる。

「ちょっと、カイト、待って--」

 キャナ軍の兵士が、再び連弩を構えている。

「危ない、ここはまだ--」

 フウの声は、カイトに届いていない。フウにしがみついて、泣き続けている。フウは仕方ないなと笑った。

『ま、いいか』

 カイトに向き直る。

「よしよし。心配したんだね。ゴメンね」と、カイトの背中をさする。

 フウは、キャナ軍のことは忘れることにした。忘れても問題はない。と判断した。

 だって。

『--フラン姉さまがいるし』と、フウは思った。


 この娘が、フウか。

 と、ライは二人を見上げて思い、「やべぇ」と立ち上がろうとした。連弩から放たれた矢が、再び空を覆っていた。そこへ「目を閉じた方がいいわよ。暴君さん」と、しっとりと甘い女の声が響いた。

 ライの目の前が、世界が、赤く、白く染まる。

 空を覆っていた矢が焼き尽くされる。

 だが、熱くない。

 風も感じない。

 矢だけを焼き尽くして、炎が消える。

 咄嗟に目を閉じたライは、ちかちかする目をしばたかせながら、後ろを、声の主を振り返った。

 赤い髪がまず、ライの目を引いた。

 いくさ場にいるとは思えない、露出の多い服を着た女がいた。

 カイトと同い年ぐらいに見える。だが、もっと年上とも思える。何故だか歳が判りにくい。

 いい女だなぁ。

 と、思い、『ヤリてえなぁ』と、ライは思った。

 女が、--フランが、ライの考えを読み取ったかのように彼を見下ろし、艶やかに微笑む。ライのリビドーが猛る。暴走しそうになる。『いかん。ホントにここで襲っちまいそうだ』と自制心をフル稼働し、「あんたが、トロワの師匠か?」と少し掠れた声で、ライは訊いた。

「そうよ」

「まずは、礼を言うべきかな」

「あたしはフウを助けただけだから、礼には及ばないわよ。暴君さん」

「ついで、ということか?」

「ええ」

「だったら、ついでに頼まれてくれるか?」

「何かしら」

「アレ、何とかしてくれねぇか?」

 ライが示したのは、連弩を射てきたキャナ軍である。ライは知らないが、まだ経験の浅い兵たちである。二度も矢を焼き尽くされて、どうするべきか戸惑っている。だが、連弩が脅威なのは間違いない。

「いいわよ。ついでに、ね」

 フランは呪を唱えなかった。ただ、キャナ軍をちらりと見た。フランの視線の先、連弩を手にしたキャナの兵士たちの間に土が盛り上がる。土の塊はすぐに人型となり、数えきれないほどのゴーレムとなって、咆哮を上げた。

 キャナ軍の兵士がパニックになり、悲鳴を上げる。

「こんなところでいいかしら?」

 と、フランがライに問う。

「ああ。十分だぜ」

 ライが槍を手にする。

「お前らは、ゆっくりしていきな」

 そうカイトとフウに言って、駆け出す。

「フウ」

 カイトが顔を上げる。涙を拭う。「うん」とフウが頷き、二人もライに続いて走り出す。

「二人とも若いわねえ」

 と、肉体的には二人と同じ歳のフランが言う。

「フラン姉さま」

 フランの背後から、マルタが声をかける。

 マルタは心配そうにカイトとフウの後姿を追っている。

「いいんですか、フウを行かせて」

「大丈夫よ。カイトがいるし。それに、フウの影にはあたしの妖魔を潜ませてるわ。もしあの子が暴走しそうになったら、すぐにあの子を助けられるようにね」

「わたしも行きます」

 返事を聞くことなく、マルタが駆け出す。魔術師の黒いローブを纏っているとは思えない軽やかさで走り去っていく。

「心配性ねぇ。マルタは」

「師匠」

 フランが声を振り返る。

 挨拶の言葉をフランは口にしなかった。「また腕を上げたわね、うさぎくん」と、笑った。もちろん魔術のことではない。

「あたしが呑んだお酒の中でも、5指に入るおいしさだったわ」

 トロワが口元を緩める。

「次に飲んでもらう時には、一番おいしかったと言って頂けるよう、精進しましょう」

 と、トロワは応えた。



 トワ王国を味方につけた方が勝つ。

 あまりに判り切ったことで、クスルクスル王国軍もキャナ軍もそのことを十分に理解していた。

 両軍で異なっていたのは、クスルクスル王国軍はトワ王国軍に味方として参戦してもらうことが勝利には必須と考えていたが、キャナ軍は、トワ王国軍がクスルクスル王国軍に味方さえしなければ十分だと考えていたことだった。

 トワ王国の政権内にもキャナと繋がりのある者はいる。モルドに憧れを抱くもの。信奉者。一ツ神の信徒。カネで買われた者。様々だ。

 そうした者たちを使って、キャナはトワ王国の決定を遅らせてきた。

 クスルクスル王国に味方するか、キャナに味方するか、それとも傍観するか--。

 いくさが始まる前、ハラはロールーズの街の諜報員から、トワ王国の評定は長引いて、しばらくまとまりそうにないと報告を受けていた。

 だからトワ王国軍の参戦は、ハラにとって予想外だった。

 予想外ではあったが、対応を遅らせはしなかった。

 クスルクスル王国軍の物見櫓に登った兵士は、キャナ軍の見せたダイナミックな動きに息を呑んだ。

 キャナ軍からすれば左翼から中央、中央から右翼へ、更には後詰の兵もまた一部を残して陣を組み直し、襲来したトワ王国軍に対抗した。

 むろん、クスルクスル王国軍と、ゾマ市からの一群にも対応しながらだ。

 左翼に残り、クスルクスル王国軍の右翼と対峙したキャナ軍の兵士の数は、一万程度だろう。

 トワ王国軍の襲来は、キャナの兵士たちの危機感を高め、闘争心を奮い起こす材料ともなった。いくさ場に響いたペルの声に圧されたことを忘れさせ、キャナ軍の左翼に残った兵は、敢然とクスルクスル王国軍へと立ち向かっていった。

 カイトたちはそこへ、キャナ軍の左翼へ、突入した。


 前方のクスルクスル王国軍に集中していたため、キャナ軍の兵士たちはすぐにはカイトたちに気づかなかった。カイトとライ、それにラダイたち元森人が放った矢が、気づかせなかった。キャナの兵士に悲鳴を上げさせなかった。

 最左翼にいた20人近くが、まず死んだ。

 彼らが倒れる前に更に20人が射抜かれ、たちまち50人のキャナ兵が死んだ。異常に気づいてクスルクスル王国軍からカイトたちへと視線を転じた兵も警告の叫び声を上げることなく死に、別の兵が、「北から敵襲!」と叫んだが、その声は喧騒に紛れた。

 ライとレナンを先頭に、リド城から駆けつけた兵たちが一丸となって斬り込み、幾人ものキャナ兵が血飛沫を上げて倒れ、ようやくキャナ軍は、北からの敵襲に組織として気づいた。

「何だ、ヤツラは!」

 最左翼にいた将官は、もう60を越す歳だったがまだ意気軒昂で、馬上から北を見て叫び、部隊を立て直そうとして、矢で射抜かれた。

 馬から転げ落ちた。

 キャナの強みは、彼らの生真面目さにある。

 上官が馬から転げ落ちるのを見て、次官の男はすぐに、「北から敵襲!迎え撃て!」と叫び、そこで矢に射られて死んだ。

 だが、指示は出された。

 キャナの兵たちは槍を捨てて盾を上げ、接近戦に有利な小回りの利く短めの長剣を抜いた。

 洲国で幾多のいくさを経験した練達の兵士たちである。一切ひるむことなく、ライやレナンを迎え撃った。押し留めた。

 彼らの誤算は、カイトがいたことである。


「ラダイさん!」

 混乱の中、ラダイに声をかけたのは、フウである。

「やあ、フウちゃん。久しぶりだね」

 返り血を浴びたラダイが笑顔で応じる。

「何か用?」

「矢が足りないの!」

 簡潔にフウが叫ぶ。ラダイはすぐに察した。

「姫の?」

「うん」

「レナン隊長に頼んだ方が良いんじゃない?」

「レナンさんはムリだわ」

 何故、と問う必要はなかった。

 レナンは忙しかった。

 カン将軍の伝言をペルに伝えるという仕事を終わらせ、レナンは解き放たれていた。復讐心に身を委ね、ライと並んで、炎の如き激しさでキャナ兵と刃を交えていた。

 復讐を司る神、狂泉の信徒として、ラダイにもレナンを止めようという気にはなれなかった。

「それじゃあ、とりあえず、オレの矢を持って行ってくれる?」

「ありがとう」

 フウがレナンから矢筒を受け取り、駆け去って行く。

「矢を集めろ!」

 フウを見送り、ラダイは仲間や味方の兵士に叫んだ。

「姫に渡すんだ!このいくさを、終わらせるんだ!」


 気配を消したカイトの傍に、糸でも手繰るようにフウは迷うことなく駆け戻った。ラダイの矢筒を渡す。

 カイト。

 フウの声がカイトの脳裡で響く。

 あたしの心を繋ぐわ。邪魔なら、言って。

 言葉の意味を、カイトは問わなかった。問う必要はなかった。フウはカイトの背後にいる。そのフウが見ているものを、カイトも見た。

 視界が広がった訳ではない。

 だが、実際に目で見ているものだけではなく、いくさ場のすべてが見えた。

 ライやレナンがどこにいるか。

 キャナの兵がどこにいるか。どこに潜んでいるか。

「邪魔じゃない」

 カイトは矢筒から矢を抜いた。

 何が起こっているか、最初に気づいたのはライである。ライは敵兵の間に自分を狙う弓兵の姿を捕らえた。先に射殺すべく、槍を弓に持ち替えようとしたところで、弓兵が矢で射られた。

 弓兵だけではない。

 彼の周りで次々とキャナ兵が倒れていく。

 ライの背後から飛んで来た矢が彼を掠め、キャナの兵士を射抜いていく。

 ライは笑った。

 カイトだ。カイトの矢が、ライの前を開いていく。キャナ兵で覆いつくされたいくさ場に、道ができていく。

 レナンは気づいていない。

 だが、レナンの周囲のキャナ兵も、レナンに襲い掛かろうとする前に次々と倒れた。

「こりゃいい」

 ライは笑い、「死にたくなかったら、道を開けろ!」と叫んだ。槍を振るい、数人のキャナ兵を打ち倒し、更に大きく道を開く。

「行くぞ!カイト!」

 返事はない。返事を聞く必要もなかった。


 クスルクスル王国軍の物見櫓でいくさ場全体を遠望していた兵士は、キャナ軍の左翼で起こった異常に最も早く気づいた。

「な、なんだ、あれ」

 呆然と呟く。

 キャナ兵で埋まったキャナ軍の左翼に道が伸びていく。速い。人が走る速さと変わらない速度で空白が拡がっていく。兵士はごくりっと喉を鳴らし、それでもジュニアに報告することを忘れなかった。

 物見櫓からの伝令は、ジュニアに、

「キャナ軍の左翼が、消えていきます!」

 と、報告した。

 他に言いようがなかった。


 キャナ軍の左翼の異常は、動揺のさざ波となってキャナ軍全体に拡がっていった。左翼の異常に気づくのが一番遅れたのは、キャナ本陣にいたハラとイスールである。

「正面にはクスルクスル王国軍、南からトワ王国軍、東からも、別の一隊か」

 慌ただしく自軍の配置を変更し終えたハラが、イスールに確認する。

「はい」

 イスールが応じる。

「ゾマ市の兵のようです。それと、マウロ様らしき人物も」

「旧ロア城の生き残りか」

「はい」

「何か策はあるか?」

「正面」

「そうだな」

「当初の予定通り、正面に突っ込み、王太后を抑える。

 これしかないかと」

「オレが出る。止めるなよ、イスール」

 イスールが吐息を落とす。

「止めたいところですが、他に手はありません」

 ハラがイスールに笑顔を向ける。

「死ぬなら、せめて新大陸まで攻め込んでからと思っていたが、狂泉様の森の南の国々からすら出られないとはな」

「まだそうと決まった訳ではありませんよ。ハラ司令」

「いいだろう。親衛隊を、前へ--」

 ハラが言葉を途切らせる。顔を北に向ける。

「どうかしましたか?」

「静かだ」

「え」

 イスールも北へと顔を向け、北に広がる静寂に気づいた。

 ハラが足早に本陣を出る。

「何が起こっている!」

 兵たちは誰も答えない。立ち竦んでいる。ハラもまた、立ち竦んだ。ハラに遅れて本陣を出たイスールもだ。

 いくさ場の北側。

 そこが、妙に静まり返っていた。

 自軍の兵士が呆然と立ち尽くしている。道を大きく開けている。一人の男に。肩に弓を掛け、腰に長剣をぶら下げ、手に槍を持った男に。誰も声を出さない。喚声はない。うめき声もない。

 つまり。怪我人がいない。倒れている者は、ぴくりとも動かない。

「あんたが、この軍の大将か!」

 男が、ライが、ハラに向かって大声で確認する。

「悪いことは言わねぇ!降伏しな!」

 ハラが止める前に、親衛隊の若い兵士が数人、叫び声を激しく迸らせながら駆け出し、硬直した。倒れる。矢で額を射抜かれている。死んでいる。全員が。

「止めろ!」

 今度は、ハラも叫ぶことができた。しかし、遅かった。ハラの近くで弓を上げた兵士が、矢を放つ前に、崩れ落ちた。

「止めろ」

 改めて、ハラが兵士に命じる。

 ライは黙って、そのハラを見つめている。ライはただ立っているだけだ。兵士たちを射た者の姿は見えない。いや、どこから矢が飛んで来たのか、それさえハラには判らなかった。

「これが、狂泉様の猟師の、いくさのやり方か」

 姿を隠し、確実に殺す--。

「違うな」

 ライが否定する。

「オレたちにとっちゃあ、これは、狩りだ。だから、食べることのない命を無駄にはしたくねぇ」

「狩り、か」

 ハラが小さく笑う。

 なるほど狩りならば、姿を隠すのも当然だ。

「イスール、オレたちは、最初から戦力分析を誤っていたようだ」

「はい」

「全軍に武器を捨てるように命じろ。どうやら、ここまでだ」

 イスールが深く頭を下げ、戦闘停止を告げるキャナの太鼓が大きく、打ち鳴らされた。

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