26-15(キャナとのいくさ15(キャナとのいくさ5))
「さすがに強いな」
ハラが苦い思いの混じった言葉を落とす。クスルクスル王国軍のことだ。言外にイスールに問う。アイツらを行かせるしか、手はないか。
「はい」
イスールが頷く。彼も判っている。ハラの決断を待つ。
「右翼へ」
それだけをハラは命じ、イスールは「承知いたしました」と頭を下げた。
「左翼が崩されています!ただし、敵は少数!」
物見の報告に、ジュニアは本陣近くに控えさせていた一隊を左翼へと投入した。彼らを投入する前に、ジュニアは一隊を指揮する隊長を呼んだ。
「このいくさの勝敗は、貴殿たちにかかっている」
と、言った。
隊長は頷き、「お任せを」と応えた。
対”古都”の製品用として整えた部隊だ。
投入した部隊の兵たちは全員が、呪を身体に描いている。旧ロア城でイタカが一晩で編み上げ、トロワが手を入れ、ペルとリンリンがクスルクスル王国軍に帯同している魔術師たちと仕上げた呪である。
レナンに託されたイタカの遺産だ。
ジュニアが遠望する先で、崩されていた左翼が押し返す。
クスルクスル王国軍に勢いが戻ってくる。
だが、
「あっ」
とジュニアは声を上げた。
クスルクスル王国の兵が薙ぎ倒される。音が遅れて届く。大きな音ではない。が、ひとつ、ふたつと続く。クスルクスル王国軍に、円形の小さな穴が開く。
何が起こったか、ジュニアはすぐに察した。
「何事だ?」
「父上、ボクは、ハラという人物を見誤っていたようです」
「む?」
「ここを頼みます」
「説明が足りんぞ、ジュニア」
「死兵です」
「死兵?」
「”古都”の術を施した兵が、自爆しています。火の精霊の術で、己を破裂させています」
カザンが視線を左翼に向ける。
あちらこちらで、クスルクスル王国の兵士の中に小さな円形の穴が開く。かなりの数の兵士が巻き込まれている。
「愚かなことをする」
低く、カザンが怒気を落とす。
「ボクは軍を立て直します。ここを、--ペル様をお願いします」
「承知」
ジュニアの背中を見送り、カザンが近衛隊に指示を飛ばす。手薄になった左翼からの襲撃に備える。
「カザン将軍」
本陣の奥から、ペルがカザンに静かに声をかける。
「来ました」
左翼から兵の声が次第に大きくなっていく。近づいて来る。速い。遠かった悲鳴が、すぐ近くで響く。
カザンが長剣を抜く。
「行きますぞ、ペル様」
『いつでも』
カザンの大声に、声にならない声でペルが応じる。
姿が見えない敵に兵たちが倒される。兵の倒れ方から、近づいて来る敵は一人、とカザンは見て取った。姿は捕らえられないが、見えた。ちらりと。すぐに姿を消す。ペルに狙いを定めた、つまり、「ここか!」
カザンの長剣に確かな手応えを残し、血の臭いを纏った風が通り過ぎる。
風がカザンを飛び越え、一気に本陣へと降り立ち、姿を現す。キャナの兵。何かが焦げるような臭い。カザンにも判る。自爆しようとしている。キャナの兵が顔を上げ、ペルを認める。
ペルの前には、ララがいる。
キャナの兵の身体がぐっと沈む。跳躍すべく力を溜め、すとんと、落ちた。己の影の中に。
ハララム療養所で何があったか、ペルはカイトから--自分とフランの関わりは伏せて--詳しく聞いた。
”古都”の製品であるイーズの影に本体が隠されていたことや、そのイーズを、フランが影の中に妖魔を忍び込ませて殺したことも。”古都”はフランが建てた。”古都”の次席であるルモアという女の噂は、ペルも聞いている。ルモアは、魔術に狂気にも似た情熱を注いでいる。
間違いなく、フラン好みの女だ。
そうしたことから、
「イーズという名の”古都”の製品の術は、フラン姉さまの術が基になっているのでしょう」
と、ペルとリンリンは判断した。
だから、フランは易々とイーズを殺せたのだ。
影の中に隠した本体と器の間には、繋がりがある。繋がりがありながら、外部と遮断されている。境界がある。
狙うならそこだ。
しかし、フランの術を基に構築された境界だ。
「わたしたちが破ることは不可能でしょう」というのが、ペルとリンリンの見解である。
「でしたら、姉さま」
と、リンリンがペルに提案したのは、影の中の本体もろとも、封じてしまおうというものだった。
”古都”の製品であるキャナの兵が跳躍しようと身体を沈めた足元に、リンリンは疑似空間の入り口を開いた。フランから造り方を習った疑似空間だ。強固という意味では”古都”の術に劣るものではない。そこへ、上からペルが力を使って無理やりキャナの兵を押し込んだ。落とした。
リンリンが素早く疑似空間を閉じる。
キャナの兵が自爆した音は聞こえなかった。
本当に自爆したかどうか、確かめるつもりはペルにもリンリンにもない。本当に自爆するつもりだったか確認する気もない。ペルを人質として抑え、ペルもろとも自爆すると脅してクスルクスル王国軍を止めるのが目的だった。むしろそちらの方が、可能性としては高い。
いずれにしても、無力化さえできれば十分である。
ジュニアが戻って来る。何かをカザンに囁く。
「ジュニア」
ペルがジュニアを呼ぶ。
「戦況を」
「良くはありません」
と、ペルの前に膝をついて、ジュニアは報告した。
「左翼を酷く崩されました。近衛隊と中央の兵を回し、手当てをしましたが、兵の数が足りません。
左翼から押されています。
いずれは、中央と右翼も崩されるでしょう」
「では、どうしますか?」
「旧ロア城でのキャナとのいくさの前に、カン小父は、大局的に見ればこのいくさ、既に我らは勝っている、と言ったと聞いています。
わたしも同じことを言いましょう。
我らは既に、このいくさ、勝っています。例え我らがここで一人残らず討ち果たされたとしても」
「なぜ?」
「このいくさの目的は、我らが決して引かぬことを示すことです。
ここは我らの土地だと知らせることです。キャナに。トワの民に。クスルクスル王国の民、すべてに。
既に目的は果たされました。
いま、ここにペル様がいらっしゃる。王太后様自らがご出陣された。
誰もが知ったでしょう。
我らの決意を」
「それで?」
「ペル様には、タリ郡まで引いて頂きたく存じます」
「逃げろ、と言うのですか?」
「はい」
ジュニアはペルを助けたくて言っているのではない。
もっと冷徹な計算がある。
「逃げなければならぬ、ということですね?」
「もし、ペル様がキャナの手に落ちれば、その時には、勝ちいくさが、負けいくさとなります」
「あなたたちはどうするのですか?」
「嫌がらせをしましょう」
「キャナに?」
「はい」
ジュニアの口元に笑みがある。彼らしい、軽やかで、どこか人を小ばかにしたような笑みだ。
「具体的には?」
「生きることです」
意外な答えだった。
「どういうことでしょう?」
「ペル様は、この世で一番怖いモノは、何だと思われますか?」
「そうですね--」
ふと遠くをペルが見る。誰かを思い浮かべたのか、しかしすぐにペルは首を振った。
「教えて貰えますか?ジュニア」
「生きている人間です」
ペルが頷く。
「確かにそうですね」
「ですから我々も生きて見せます。キャナが幾ら殺そうとしても、簡単には殺されません。策もいくつか用意してあります。生きて、嫌がらせを続けます」
ペルが笑う。
「楽しそうですね」
「はい」
「ならば、わたしも引く訳にはいきません」
「ペル様--」
「心配は要りません、ジュニア。もしもの時には、リンリンがわたしの始末はつけてくれます」
ギクリッとジュニアがリンリンへ視線を向ける。
リンリンは頷くことも首を振ることもしない。表情を変えることなく、ジュニアを見返している。
ペルが優しく笑う。
「逃げるのならば、わたしではなく、あなたの方ですよ。ジュニア」
「え?」
「カンが言った通り、もう年寄りの出る幕ではありません。これからはあなた方の時代です。
わたしがいなくても、海都クスルにはカリナ姫がいる。タツタ姫も。
あなたに負けないぐらい優秀な人材も、数えきれない程います。
ジュニア。
わたしはここから引くことはありません。あなたの言う通り、ここは我らの土地です。そのことを、キャナに、いえ、世の全てに示すのです」
「しかし--」
「ああ、でも、ここで死ぬ気はありませんよ?」
ペルの口調が変わる。
軽い響きを帯びる。
「いくさはこれからです」
ペルが立ち上がる。
「リンリン、手伝ってもらえますか?」
「はい。姉さま」
リンリンを従えて、ペルが本陣から前へと進む。いくさ場を見渡す。ペルは喪服を纏っている。彼女の姿は、いくさ場にいるクスルクスル王国軍の兵士、すべてから見えた。多くの兵は後ろを振り返る余裕などなかったが、幾人かは気づいた。
クスルクスル王国軍よりも、クスルクスル王国軍側へと攻め寄せていたキャナの兵の方が、より多く、敵の本陣の前へと進み出た黒衣の老女に気づいた。
ペルが小さく呪を唱える。
息を吸う。
声に、力を、乗せる。
リンリンが傍らでペルを支える。ペルと心を結ぶ。
「クスルクスル王国の兵士たちよ!」
ペルの声が響く。
いくさ場の隅々まで、朗々と。
風の精霊術だ。
クスルクスル王国の兵士が手を止める。キャナの兵士も。誰もが顔を上げ、ペルを見た。
「立て、我が兵士たちよ!剣を取り、槍を握り、弓に矢を番えよ!わたしはここにいる!あなた方と共に!
わたしはここから引かぬ!
例え、我が身が朽ち果てようともわたしはここから引かぬ!
我が兵士たちよ!
立て!
進め!
卑劣なキャナの者どもを打ち倒せ!
勇気を示すときは、今ぞ!」
いくさ場から、クスルクスル王国軍から、うねるように歓声が、喚声が上がる。本陣からでも判る。倒れていた兵士が立ち上がる。怯んでいた兵士が足を止める、前へと進む。キャナ軍が怯み、クスルクスル王国軍が、押し返し始める。
「ペル様!ペル様!」
と、兵士が叫ぶ声が、地鳴りとなって轟く。
「ジュニア。ここをいくさ場としたあなたの策が、ようやく実を結びましたよ」
いくさ場へと視線を向けたまま、ペル言う。
ペルの言葉に、ジュニアが南へと弾かれたように視線を回す。
南に軍がいる。
数万の兵が新たに駆けて来ている。
クスルクスル王国軍と同じく、ペルの名を叫んでいる。
トワ王国軍だ。
流石に本陣からは見えないが、兵士たちの先頭にはサッシャがいた。
「今こそ、ペル様のご恩に報いる時!ペル様をお助けしろ!進め!トワの民よ!キャナの背信者どもを打ち倒せ!」
大声で応じる兵たちの中には、ロカやゴアたちもいる。
「ペル様を守れ!」
「進め!」
「死ぬべき時は、今ぞ!」
と、叫んでいる。
「トワ王国軍だけではありません」
ペルが視線をキャナ軍の向こう、遠く西へ向ける。
「ゾマ市の市民も。ああ、マウロ様もいます」
キャナ軍からすれば、背後から、少数ではあったが、一群の兵士が躍りかかっていた。アイブ率いるゾマ市の一隊である。
兵士たちの中にはマウロも、旧ロア城までミユに従ったニスたちもいる。
「ペル様を救え!」
「ミユ様の仇を!」
「カン将軍の仇を!」
「スフィア様を否定する者どもを許すな!」
と、口々に叫んでいる。
「それと、北からも援軍が来ました」
最後にペルは言った。
「姉が、カイトと--、狂泉様の落し子と共に」