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26-8(キャナとのいくさ8(王太后ペルの依頼4))

 ロールーズがトワ王国イダ朝の王都だった頃、ロールーズの街の近郊に、王都を守るための支城がいくつか築かれた。

 だが、ロールーズの街が王都だったのは遠い昔のことだ。

 国を三つに分けた内乱があり、洲国の支配下に入り、トワ王国がロタ朝となってからは、王都はロタ一族の本拠である北部に移された。

 ロールーズの街はトワ王国のいち地方都市となり、支城は残らず廃棄された。

 支城が廃棄されてかなり経つ。

 サッシャたちもまだ支城を修復するところまでは手が回っていない。

 ファロの子供たちの墓は、そうした、廃棄された支城のひとつにあった。

「ここはいいところですね」

 ファロの子供たちの墓の前に膝をついていたペルが立ち上がる。ペルの視線の先、鬱蒼と茂った木々の向こうに、静かに流れる川面が見える。

「ファロにはレヴリ湖という名の湖があると聞いています。ここなら、子供たちも喜ぶのではないかとトワ王国の家宰様が提供して下さいました」

 海神の巫女が答える。

 子供たちの墓は土を盛っただけの簡素なものだ。しかし、荒れ放題の支城にあって、墓の周囲だけが整備され、数えきれないほどの花で埋められている。

「子供たちを葬ってから、ロールーズの民人も必ず誰かが祈りに来てくれています。

 家宰様も、毎日、来られているようです」

「サッシャ・ロタ殿が、ですか?」

 巫女が頷く。

「子供たちを死なせてしまったことを悔いておられるとお見受けしております。はっきりと口にされてはいないようですが。

 ここに来られる一方で、龍翁さまの神殿に通うのを止められたとか。

 ファロの子供たちを死なせてしまう前は、必ず日に一度は来られていたのにと、龍翁さまの巫女様方が心配されていました」

「そうですか」

 二人の会話を聞きながら、カイトが肩から弓を外す。崩れた城門へと視線を向ける。

 ペルやカザン、兵士たちも遅れて気づく。

 遠くから蹄の音が響いてくる。

 崩れた城門に、乗馬姿の男が姿を現す。

「サッシャさんだわ、ペル様」

「ほう。あれが」

 カザンが目を細める。

「馬の腕は、なかなかだな」

 サッシャが馬を止める。

 兵士たちがいることにもカイトがいることにも驚くことなく、馬を兵士に預け、ペルの前に歩み寄る。

 膝を折る。

「初めてお目にかかります、王太后様。トワ王国の家宰を務める、サッシャ・ロタと申します。

 よろしくお見知りおきください」

 短くサッシャが息を継ぐ。

「此度は、御子息のご不幸、衷心よりお悔やみ申し上げます」

 木が揺れた。

 風はない。

 不自然に木々だけが、大きく波打ち、ざわりっと葉音を鳴らした。

 空白があった。

 存在したかどうかも判らない、短い沈黙が。

 カイトはペルの背後にいる。

 海神の巫女も。

 カザンとララもだ。

 サッシャは膝をつき、頭を落としている。

 兵士たちもまた、サッシャに倣って膝をつき、顔を伏せている。

 だから、誰もペルの顔を見てはいなかった。


 なぜ、わたしたちは、こんな--


 しずくがひとつ、落ちる。波紋が広がる。微かな音。

 いや。声だ。

 ペルの声だとカイトは思った。

 静かな森の奥の泉に、ただ一滴、しずくが落ちたかのような、微かな声。

 サッシャは膝をついている。兵士たちも顔を伏せている。誰も口を開いていない。声を聞いたようにも見えない。

 気のせい?

 と、カイトは思った。

 ただ、カイトの心に冬の寒さにも似た淡い哀しみが薄く残っている。

「ペル様」

 いつもと変わらぬ大声をカザンが響かせる。

 短い静寂を払う。

「大丈夫ですか?」

「ええ」

 背中を向けたまま、ペルが頷く。ペルの声もいつもと変わらない。

「ありがとう、カザン将軍」

 平静を取り戻している。

「お心遣い、感謝いたします。サッシャ・ロタ殿」

 暖かな声でペルが言う。

「遠慮することはありません。どうぞ、お立ち下さい。ちょうど、あなたの噂をしていたところでした」

「わたしの、ですか?」

 サッシャが驚いて顔を上げる。

「ここには毎日来られているにも関わらず、以前は毎日通われていた龍翁様の神殿に通われていないとか。

 龍翁様の巫女様方が心配されているそうですよ」

「わたしは、龍翁様にとても顔向けができない罪を犯しました。何故、神殿に足を向けることができましょう」

 硬い声で応えたサッシャの緊張を解きほぐすように、優しくペルが微笑む。

「やはり、同じ一族ですね。タツタ姫によく似ています」

「は?」

 戸惑うサッシャから視線を外し、ペルがカイトへ顔を向ける。まるでカイトの疑問を読み取ったかのように、「タツタ姫は、前王の妃だった方です。カリナ姫を妃とするためにあの子が、離縁してしまいました」

「ああ」

 曖昧にカイトが頷く。

 カイトにはもやもやとした知識しかない。

 カリナ姫という名は知っている。エイマイ王が死に、新しく王になった人だ。そう言えば、エイマイ王に最近嫁いだとトロワが言っていた気がする。『自分を愛してくれてる奥さんを離縁して、20歳以上も年上のおばかさんのところに嫁ぐなんて』--と、聞いたのは、どこでだっただろう。

「カリナ姫には王としての職務があります。わたくしもここにいる。ですから前王の遺体は、タツタ姫が守って下さっています。

 タツタ姫には、本当に申し訳ないことをしました。

 サッシャ殿」

「は。はい」

「罪があるのは、わたくしもです」

「え?」

 ペルが首を振る。

「いえ、むしろ、わたくしの方が罪は深いでしょう。決して許されないほど。ですが、わたくしは後悔していません。

 後悔することも、許されはしないでしょう」

「--ペル様」

「サッシャ殿。あなたは何故、クスルクスル王国が、トワ王国を取り込み、トワ郡としたと思いますか?」

「それは、虚言王様とキャナ王家との約束を現実のものとするために、それと、スティードの街の後背地とするため、では」

「そうですね。それも間違いではありません。

 ですが、一番の理由は、止められなかったからです」

「は?」

「わたくしにも、夫にも、もはや止められなかったのです。国を。軍を。国民を。虚言王様とキャナ王家との約束を現実のものとする。それはむしろ、皆を説得するための口実として利用しました。

 虚言王様とキャナ王家との約束は果たされた。

 だから、ここで軍を止めようと。

 もし、説得力のある口実がなければ、クスルクスル王国は、洲国にまで攻め込んでいたでしょう」

「……」

「それが、クスルクスル王国がトワ王国を取り込み、トワ郡とした理由なのですよ」

「ペル様」

「何でしょう。サッシャ・ロタ殿」

「何故、ペル様はここに、ロールーズの街に来られたのですか?」

 ペルの話の裏にあるものを知ろうと、サッシャが問う。もしや、トワ王国の独立を認めるという暗喩なのですか--。

「すべてを守る者は、すべてを失う」

「え?」

「戦術の要諦のひとつです。ご存知ですね」

「はい」

「それが理由です。それが、わたくしがここに来た理由です」

「どういう意味でしょう」

 ペルがサッシャに栗色の瞳を向ける。瞳の奥に、赤い瞬きがある。サッシャが怯む。気圧される。

「わたしは、わたしの守りたい物を守る。そのために、ここに来たのです」

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