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3-2(紫廟山を越える2)

「さてと、カイトちゃん、だったかね」

「……カイト」 

「ん?」

「わたしはカイト。クル一族のカイト。カイト、と呼んでください」

「いいよ、判った」

 タルルナが頷く。

「とりあえず、あたしの泊まっている宿に行こうか。詳しい話はそこでだね。プリンス、あんたはどうする?」

「宿って、いつものところ?」

「ああ」

「混浴だったよね、あそこ。いいね、ボクも泊まろうかな」

 カイトの眉が上がる。

「あたしはいいけど、」

 と、タルルナが言う。

「この子はいやみたいだね」

「一緒にお風呂に入ろうとしたら射殺されそうだね」

 笑いながら軽口をたたき、

「ボクは知り合いのところへ行くよ。それじゃあね、タルルナ。カイトちゃん」

「ありがとう、プリンス。助かったよ」

 と、プリンスを見送って、「じゃあ、こっちだ」とタルルナは歩き始めた。



「なんで旅に出ようと思ったんだい?」というタルルナの問いに、宿の温泉に肩まで浸かって、「知らないから」と、父親に応えたのと同じ答えをカイトは短く返し、言葉を続けた。

「わたし、父のような猟師になりたいの。でも、友達に酔林国のことを聞いて、わたしって何にも知らないんだって思ったわ。だから、いい猟師になるためにも、森のことをもっと知らないといけないんじゃないかと思って、旅に出たの」

「それでどうだった、旅に出てみて」

「知ってることは増えたけど、判らないことが増えたかな」

「判らないことって、何だい?」

「ぜんぶ」

 と、カイトはここまでに出会った奴隷の男のこと、王太子夫妻のことを話した。タルルナが雇うのをやめた3人の森人についても、

「あんな人たちが森にいるとは思わなかった」

 と言い、

「プリンスも。あんなふざけた人がいるとは思わなかった」と笑った。

「性格がひねくれてるよね、アイツは」

 と、タルルナも笑う。

「ミブンとか、どれいってなんだろうって思う。そのうち判るかなって思ってたけど、まだぜんぜん判らない」

「あたしも生まれは洲国だよ」

 ふうと夜空を仰いで、タルルナが言う。彼女たちがいるのはタルルナの宿泊する宿の露天湯である。湯気が夜気に流れて気持ちがいい。

「ホント?」

「ああ。ナソ州じゃないけどね」

「タルルナさんはキャナの商人だって、プリンスが言ってたわ。そうじゃないの?」

 キャナというのが国の名で、狂泉の森の外、酔林国のすぐ南にある国だということはカイトもすでに知っている。

「いや、プリンスの言う通り、あたしはキャナの商人さ。キャナに自宅もある。居酒屋と兼用だけどね。宿泊もできるから、もし機会があれば寄っておくれ。

 迷宮大都の、東の市場の近くでやってるから」

「メイキュウダイト?それが街の名前なの?」

「キャナの首都だよ。キャナの王様が住む、キャナの政治の中心さ」

 首都と言われても、政治の中心と言われてもカイトには判らない。政治という概念そのものが、狂泉の森ではなじみが薄い。

 タルルナの話の中で、他にも判らない単語は少なくない。けれどそれは、仕方のないことだとカイトは思っていた。ヴィトやプリンスが言う通り、すぐに理解するのは無理なのだろう。無理に理解する必要もないのだろう。

 だからカイトは、タルルナの言葉の細かいところまでは拘らなかった。

「洲国の出身なのに、どうしてキャナに住んでいるの?」

「あたしの生まれた郡州はナソ州と違ってまだ存在しているけれど、戦乱が多いのは今とあまり変わらなくてね、あたしがまだ5歳の時に、あたしの両親を含めた家族はみんな戦乱で死んで、あたしは独りになっちまったのさ。

 それで浮浪児になってたあたしを、たまたま商売で洲国を訪れた人が拾ってくれてね、あたしに読み書きを教えてくれて、どこが気に入ったか、養女にしてくれたんだよ。

 それがあたしの養父。キャナの商人で、あたしの他に子供がいなかったから、あたしが跡を継いだって訳さ」

 カイトは黙った。

 タルルナの話を理解するのに少し時間が要った。判らない単語はない。ただ、内容が信じられなかった。

「独りになったって、それはつまり、一族が滅んだってこと?」

 囁くようにカイトが問う。

「あんたら森人の言う一族とは違うかも知れないけど、まあ、そういうことだね。それがどうかしたかい?」

「わたし……」

 カイトが顔を伏せる。

「もし、一族のみんなが死んじゃったら、わたし、独りで生きていく自信なんかない」

 しばらく沈黙した後、カイトは細い糸のような声でそう言った。


「タルルナさん、どうしてそんなことができたの?

 わたし、もし一族のみんながわたしを残して死んじゃったら、もし誰かに一族を滅ぼされたら、そいつらを最後の一人まで殺して、みんなのところに行くと思う。

 それならできる」

 迷いのない声でカイトが言う。

 復讐のために己の死を厭わなかった奴隷の男の行動も、森に入って死を選んだ王太子夫妻の行動も、カイトにはまだ理解できた。

「でも」

「でも、なに?」

「独りだけ残されて、一人で生きていくなんて……、できない」

 独りで残される。想像するだけで、温かい湯の中にあって身体が震えた。

 タルルナが、カイトの不安を洗い流すように明るく笑う。

「あんたらはそうなのかもね。だって狩猟と復讐を司る狂泉様の信徒だものね」

 タルルナは中空に視線を向け、遠い記憶を探った。

 昔は思い出したくもない辛い記憶だったが、今はいい具合に枯れている。まだ微かに胸が痛むが、それがむしろどこか心地良くもあった。

「あたしは、復讐とか、死ぬとかは考えなかったね。まだ幼かったからね、ただ、生きていくことに必死でさ。

 食べ物を差し出してくれた養父の手が、最初は信じられなかったよ。

 他人の手はすべて、あたしを傷つける手だったからね。

 キャナに連れて行かれてからも、しばらくは養父が信じられなかった。でも養父は、ずっとあたしに、お前はそのままでいいんだって言ってくれた。辛い思いをしたんだから、無理に他人を信じることはないって。

 むしろそれで、あたしは養父を信じられるようになったんだ」

 タルルナがカイトに視線を戻す。

「カイト、あんたはあんたの父さまのような猟師になりたいって言ったけど、あたしは、養父のような商人になりたかったんだよ。

 養父はね、商売は人と人を結びつけるためのものだって言ってた。一人でも多くの人を幸せにするのが商売だって。

 いま、あたしが人を幸せにできているかどうかは判らないけれど、あたしも養父のように、人と人を結びつけられる商人になりたい、そう望んでいるよ」


「さて、まずはメシを食って、それから仕事の話をしようか。あんたの報酬をどうするか、とかね」

 湯から上がりながら、タルルナが言う。やっぱり鋼みたいな人だ、とタルルナの背中を追いながらカイトは思った。痩躯ではあるが、薄く筋肉を纏った肌には張りがある。背筋をしっかりと伸ばし、悠々とした足取りには確かな自信があった。

「タルルナさん」

「なんだい?」

「報酬ってお金のこと?」

「そうだよ。それがどうかしたかい?」

「だったら、お金の代わりにタルルナさんに頼みたいことがあるの」

 と、どこか思い詰めた顔で、カイトはタルルナを見上げた。

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