26-6(キャナとのいくさ6(王太后ぺルの依頼2))
とにかく目立った。
ペルとカザンは。
ペルは黒い服に身を包んでいる。
魔術師の黒いローブではなく、喪服だ。
ペルの肖像画はトワ郡中のどこにでも飾ってある。誰もが見たことがある。人に見られることを常に意識している。見られることに慣れている。だからだろう、隠そうにも隠し切れない威厳と存在感がペルにはある。
しかも、喪服姿だ。
人目を引くという意味では、カザンも同様だ。ガタイが良く、風格がある。圧倒される。
二人の後ろに控えているのは、元海軍少尉のララだ。
外堀に架かる橋を渡る前から、多くの民人が近づいて来る三人に気づいた。
民人たちは、
「え」
と声を失くし、手にした荷物を取り落とした。
そうした民人のひとりに、
「ファロの子供たちがどこに葬られているか、教えて頂けますか?」
と、ペルは笑顔で尋ねた。
問われた民人が三人を案内したのは、ロールーズの街にある龍翁の神殿である。
しかし、民人に「巫女様、巫女様!」と呼ばれて姿を現したのは、龍翁の巫女ではなかった。
人を憶える。
それは為政者として最低限必要とされる能力だ。
元々魔術師で、物覚えは良かった。慣れてもいた。クスルクスル王国の宮廷に入って、人を憶える術を確かな技術として身に着けた。
平凡王の月命日に、海神の神殿にも通っている。
だからペルは、出迎えてくれた巫女を見知っていた。憶えていた。
龍翁の神殿から現れたのは、クスルクスル王国軍に帯同していた海神の巫女だった。
海神の巫女は、「ペル様」と驚きの表情を浮かべ、すぐに膝をついた。
「子供たちを死なせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
と、頭を落とした。
「どうかお立ち下さい」
ペルが巫女の前に膝をつく。
「子供たちの遺体がクスルクスル王国軍に侮辱されることを、あなたが止めてくれたと伺いました。子供たちを葬り、冥福を祈るためにここに残ってくれたとも。
謝るのはわたくしの方です。
辛い思いをさせてしまいましたね」
巫女が首を振る。
「わたしは子供たちを救えなかった。例えこの身と引き換えにしてでも、リプス将軍の愚行を止めるべきでしたのに。
わたしは、何も、何も、できませんでした」
「わたくしもです。わたくしも止められなかった。いえ、むしろ、罪はわたくしにあります。
王をもっと早く諫めるべきでした。
わたくしが。
だから、子供たちに謝罪したいのです。巫女様。わたくしを子供たちの墓所に、案内していただけますか?」
ファロの子供たちの墓は、ロールーズの街から少し離れた場所にあるという。
「歩いて行くには、いささか遠いのですが」
と海神の巫女が迷っているところに声をかけたのは、北門を守っていたトワ王国の兵士たちである。
彼らはペルを追って龍翁の神殿まで駆けて来て、
「馬車は我々が用意いたします。お供させていただけないでしょうか」
と、申し出た。
「上官の指示ではないのだろう?規律違反に問われるぞ」
カザンの問いに、兵士は首を振った。
「ここでペル様に何かあれば、それこそトワ王国とクスルクスル王国の関係は修復できないところまで壊れてしまいます。
それはトワ王国の為になりません。
ですから、我らに護衛させて頂けないでしょうか」
ペルが微笑む。
「そうですね。これ以上の不和はわたくしの望むところでもありません。手数をかけますが、お願いいたしましょう」
「来ましたぞ。ペル様」
カザンが囁く。彼にしては囁き声だが、彼は地声が大きい。兵士たちが振り返る。ペルを守るように槍を上げる。
龍翁の神殿の前には広場がある。
広場からはいくつもの道が延びている。それぞれの道の入り口から、ある者は慌てた様子で、ある者は引き攣った笑いを浮かべて、別のある者は眉間に皺を寄せて、配下か家人か判らない数人の男たちを引き連れて現れた。
ペルが兵士たちを制して前へ出る。
「大丈夫です。みな、わたくしの知り人です」
男たちが足を止める。
人垣となってペルやカザンを取り囲む。
年嵩の一人の男が、ペルに「何用ですか。ペル様」と問う。取り繕ってはいるが、男の声には戸惑いと恐れがあった。
ペルが微笑む。
海神の巫女に向けたのとは違う、親しみを威厳で裏打ちした笑みだ。
「久しぶりですね。ゴア殿」
「わ、わたしのことを、憶えておいでなのですか?」
「肩を並べて共に洲国と戦った方のことを、わたくしが忘れると思っていましたか?」
「おお」
ゴアと呼ばれた男の身体が震える。
「ゴア殿の質問に答えて頂けないでしょうか。王太后様」
別の男が訊く。
口調は丁寧だが、敵意が言葉の裏にある。
「何のために、ロールーズの街に来られたのです」
「ファロの子供たちの墓に参るためです。それと、サッシャ・ロタ殿の顔を見ておきたかったからです。
それはそうと、再び会えて嬉しく思いますよ、ロカ殿」
ロカと呼ばれた男が怯む。
「……わたしも。生きてペル様にお会いできる日がくるとは思わなかった」
「わたしも」
「わたしもです、ペル様」
他の男たちも親し気にペルに話しかける。涙ぐんでいる者さえいる。しかし、遠慮があるのだろう、ペルに必要以上に近づこうとはしない。
ロカが声を張り上げる。
「だが、今は状況が違います。ペル様。クスルクスル王国の王太后様がなぜ、トワ王国の家宰の顔を見たいなどと言われるのですか。
あなたからすれば、我らはクスルクスル王国に弓を引いた反逆者だ。
敵だ。
それなのに何故、ここに来られた。それも、カザン将軍がおられるとは言え、僅か三人で」
「ただ会っておきたかっただけです。サッシャ・ロタ殿がどういう方なのか、知りたかっただけです」
ペルが言葉を切る。栗色の瞳が怒りと決意に深く沈む。
「我が民を殺した、キャナと戦う前に」
ざわめきが起こる。
「軍が来ているのですか」
「タリ郡までは」
「我々に、共に戦えと言われるのですか」
ペルが首を振る。
「わたくしは義務を果たす。ただ、それだけです。我が夫である平凡王がかつて約した通り、トワの民を、トワの地を守る。
それだけのことです。
あら」
ペルが顔を上げ、ロカたちの背後に視線を向ける。
「あなたも来ていたのですね。カイト」
ペルの視線に誘われてロカたちが後ろを振り返る。「わっ!」と声を上げる。慌てて後ずさる。
人垣がふたつに分かれる。
道が開く。
「うん」
カイトが頷く。
「久しぶりですね、カイト」
海神の巫女に向けたのとも違う、ロカたちに向けたのとも違う、明るい笑顔をペルがカイトに向ける。
心からの笑みだ。
カイトに向けた笑顔に嘘も裏もない。
嘘も裏もないが、彼女の立場では、本人が意識するかどうかに関係なく、政治的な意味を含まない行動は一つもない。
ペルがカイトと--新しい神を鎮めた狂泉の落し子と--知り合いである、それも親しい間柄であると人々は知った。知らされた。
ロカたちの顔に、疑問が、恐れが、戸惑いとなって渦を巻く。
カイトがペルに向かって足を進める。
誰も止めない。息をすることさえ忘れてカイトを見詰めている。
「恐れられていますね。カイトさん」
ララが呟き、
「少し大人っぽくなったか」
とカザンは笑った。
ペルが微笑む。
「これからファロの子供たちの墓に参ろうと思います。あなたも一緒に行きますか?」
「うん」
カイトが頷く。
北門を守っていた兵士たちが馬車を引いてくる。
「では、失礼します、ロカ殿」
ゴアや他の者たちにも一人ずつ声をかけて、ペルは馬車に乗り込んだ。海神の巫女が続き、カイトとカザン、ララが乗り込む。御者台に座った兵士が鞭を鳴らし、周囲を固めた他の兵士が馬で続く。
ペルを乗せた馬車が広場から走り去っても、呆然と立ち尽くしたまま、しばらく男たちは誰も口を開こうとはしなかった。