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26-4(キャナとのいくさ4(スティード、崩落))

 役人どもの目を掻い潜るのは慣れている。

 オム市には城壁がなく、トワ郡の郡都だけあって行き交う人も多く、不慣れな街を警備するキャナの兵士に知られることなくオム市に入るのは、トトにとっては難しいことではなかった。

「よお。親父さんはいるかい?」

 トトが訪ねたのは、オム市の東の外れにあるささやかな商店街の金物屋である。店番をしていたよく太った女が、仏頂面のまま、店の奥に声をかける。

「おとっつぁん!筋の良くないお客だよ!」

 呼ばれて現れたのは、額が酷く突き出た小柄な老人である。

 落ち窪んだ小さな瞳でトトをジロリッと見上げて、奥へ入れと顎をしゃくる。

「古着屋は元気か?」

 店の奥に腰を落ち着かせて、ガラガラ声で老人が問う。パロットの街で、カイトに偽の市民証と通行許可証を準備してくれる筈だった古着屋のことである。トトが老人を訪ねたのは、古着屋の紹介だ。

「まだ100年は死にそうにないぜ。あの爺様は」

 老人がふんっと鼻を鳴らす。

「それで、こんなところまで、わざわざ何用で来た」

「キャナ軍の動静を教えて欲しいんだ。細かく、どんなことでも。パロットの街でもそうだが、オレたちみたいな悪党の方が自然と情報は集まってくるからな」

「その悪党が正義の味方気取りか?」

「正義の味方なんかじゃねぇよ、オレは。そんなの虫唾が走るぜ。オレはただ、オレの生まれたトコを守りたいだけさ。

 キャナのヤツラが気に食わねえ。それ以上の理由はねぇよ」

「だから、カザン将軍の息子の手下なんぞやっとるのか?」

「度胸あるぜ、ヤツは。それに、ヘンなヤツだが、オレと同じで生まれたトコを守りたいって気持ちにウソはねぇよ」

「そうでなければ、王に向かって、バカ、などとは言わんか」

「おう」

「よかろう。協力してやる」

「恩に着るぜ」

「別に構わん。ワシはな、トワの姫様が気に入っておった」

 と、老人は意外なことを言った。

「会ったことがあるのか?」

「見かけたといった程度じゃな、ワシは。いつも笑顔を絶やさないようにされていたが、いつも張り詰めていて、トワの民のためにと心を砕かれているのが見ているだけで判ったわ。

 どうせ治められるなら、こういうお方が良いと思わせるお方じゃったな」

「そいつはオレも、一度ぐらい会ってみたかったもんだな」

「死んだ--ということじゃが、本当か?」

 人には言えないコトを頼んでいる。

 だったらここは正直に話した方がいいなと、トトは判断した。

「行方知れずだ。死体は見つかってない。見つかったとは、オレは聞いてない」

「姑息なことをするのは好かんが、死んだという噂が広まっているのは、カザン将軍の息子のたくらみか?」

「ああ」

「ワシの孫娘がな、トワの姫と道で行き会ったことがあってな」

「ん?」

「きれいな方だったと、優しい方だったと、喜んでおった。それが、トワの姫が死んだと聞いてな、ずっと泣いておる」

「……」

「ワシの孫娘を泣かすヤツは、ワシの敵じゃ」

「それ、キャナのことだよな。--ジュニアじゃなくて」

「ご自分の恨みを抑えてザカラめを討ち、旧ロア城に去られた方を、追い詰め、殺そうとしたのはヤツラじゃろう」

「ああ」

「任せておくがいい。ワシらを敵に回したことを、キャナのヤツラに後悔させてやるわ」

「すまねぇな。それじゃあ頼むわ」

 腰を上げたトトに、「そうそう」と、世間話でもするかのように老人が声をかける。

「カザン将軍の息子殿に伝えておいてくれんか。旅に出ると、水が合わなくてハラを下すことはよくあることよなぁ、と」

「あまり無茶するなよ。あんたもいい歳なんだからよ」

「言われんでも、孫娘をこれ以上、泣かせるようなことはせんわ」

 と、老人は低く笑った。


「ああ、それと、ワシの知ったことではないが、あの婆さんはどうする?」

「婆さん?誰のことだ?」

「スティードのオニババじゃ。キャナに閉じ込められて、ロクに外の情報を得ておらんじゃろう。

 良ければこっちで何とかするぞ」

「そっちは大丈夫だ。何の心配もないさ」

「どういうことじゃ」

 トトが笑う。

「他の誰よりも優秀な伝令が、もうスティードの街に忍び込んでいる頃だからさ」



 スティードの港の外に軍船がいる。

 クスルクスル王国の船ではない。キャナの軍船だ。

 昨日までは19隻だったが、2隻増えて今日は21隻の軍船が巡回している。

「忌々しいの」

 不快げに、スティードの総督であるムラドは言葉を吐いた。だが、心の内ではキャナの軍船がいる意味を忙しく考えている。

『何があったのかのう』

 キャナの軍船がスティードの沖に初めて姿を見せたのは、10日ほど前だ。ムラドはすぐに、陸からキャナの軍が攻め寄せてきていないか調べるよう命じた。スティードの街を囲む城壁の外にキャナの軍がいないと聞いて、ムラドは眉をひそめた。

『おかしい』

 と、思ったものの、現れた軍船をそのままにしておく気はムラドにはなかった。たった2隻の軍船を沈めるのに幾らも時間はかからなかった。

 なぜ、陸側と連携しないのか。

 不思議に思って人を外に出した。しかし、戻って来なかった。彼らが戻るより先に、キャナ軍に陸側を固められた。

『何かあったな』

 海側と陸側とで何か連携に齟齬があった。

 だから、たった2隻の軍船だけが先に現れた。と、確信したものの、何があったかは判らなかった。

『新しい神が現れたことと関係があるのかのう--』

 ロールーズの街に新しい神が現れ、信徒たちがザカラを討ち、いずこかへ立ち去ったことまではムラドも知っている。

『さて。どうしたものか』

 外で何が起こっているのか。それが判らない限り、無理はできない。

「艇長さん」

 誰もいない筈の背後から声をかけられて、ムラドは振り返った。

 驚きはなかった。

「どこから入ったのかえ?カイト」カイトの姿を認めて笑う。「まぁ、お前なら、キャナの軍がいようが、城壁があろうが、関係ないかのう」

「うん」

 扉の前に影となって立ったままカイトが頷く。

「何か、ワシに用か?」

「ジュニアさんに伝言を頼まれたわ」

 ムラドが顔をしかめる。

「バカの、バカ息子のことか?」

「え?」

「カザンの息子のことじゃろう?バカ王に向かってバカと言った。バカにバカと言うムダなことをするなど、如何にもカザンの息子らしいわ」

「えーと」

「それで、伝言とは、何じゃ」

「エイマイ王が死んだわ。それで、カリナ姫が王位について、ペル様がトワ郡に来られるって」

「王が死んだ?」

「うん」

 ムラドがカイトから視線を逸らす。固く口を閉じたムラドの顔に、ちらりと深い悲しみが浮かんだ。

「そうか--」

「うん」

「カザンジュニアは他に何か、言っておったか」

「ううん。これだけ伝えれば十分だって、ジュニアさんは言ってたわ」

 ムラドが不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「若僧めが。生意気な。それで、」カイトに視線を戻す。「お前はどうする」

「ロールーズの街に行く」

「ロタの小僧にも伝言があるのかえ?」

「ううん。サッシャさんには何も伝えなくていいって。ただ、話してくればいいって言われてる」

「--そうかも知れぬな」ムラドの瞳が深く沈む。頭が素早く回る。状況を整理し、何をするべきか決断する。

「カイト--」

「なに?」

 ムラドが口を開くのに、ひと呼吸分の間が開いた。「もし知っていれば教えて欲しいのじゃがな」と、カイトに声をかけた時に言おうとしたこととは別のことを、ムラドは言った。

「10日前にキャナの軍船が現れた。だが、どうにも腑に落ちんでの。陸の側との連携が悪すきる。キャナの軍に何かあったかと思っての」

「何かって?」

「オム市を押さえるのが遅れるような何かじゃ」

 カイトがためらう。

「キャナが、旧ロア城に攻めてきたわ。それで遅れたのかも」

 ムラドが目を細め、カイトの顔色を伺う。

「何の為じゃ」

「新しい神の信徒をすべて殺してしまえば、新しい神がどうなるか、調べるために」

「そうか」

 小さく頷いて、

「ズイブンと下らぬことで時間を浪費してくれよったの」

 と、ムラドは吐き捨てた。

「それじゃあ、わたしは行くわ」

「カイト」

「なに」

「こちらは任せておけと、カザンジュニアに伝えてくれるか」

「うん」

 カイトがムラドに背中を向け、「あ」と声を上げる。

「そう言えば、ありがとう、艇長さん」

「何がじゃ」

「フウに、えーと、持たせてくれてた手紙。助かった」

 ムラドが笑う。

「あれはフウが言い出したことじゃ。ま、役に立ったなら何よりじゃ」

「うん」

 音もなく扉を開けて出ていくカイトを見送り、「危うくカイトに、寄宿生のマネをさせるところじゃったわ」と、ムラドは呟いた。

「誰か、誰かおるか!」

 歳に似合わぬムラドの大声に呼ばれて、ひとりの女が現れる。

 整った顔は表情が少ない。

 むっつりと怒ったように口を結んでいる。

 ムラドの秘書である。

「何でしょう。艇長」

「王が死んだ。ペル様が来られる」

 簡潔にムラドが告げる。

「え」

「船乗りどもに支度をさせろ。ペル様のところに送り届けるのじゃ。キャナと一戦交えるぞ」

「はい!」と、秘書の声のトーンが上がる。

「船乗りどもには何も持たせなくても良い。いや、酒だけはたっぷりと持たせてやれ。政庁にあるカネはすべて民人に配れ。

 惜しむな。

 後は、手筈通りじゃ」

「はい!」

 顔を明るく輝かせて秘書がバタバタと駆け出して行く。

「さてと」

 ムラドがのっそりと秘書を追う。

 小さな目が怪しく光る。

「久しぶりに、海に、いくさ場に戻るとするかのぉ」



 オム市の郊外でカイトはトトと落ち合った。

「よお、どうだった」

 トトに訊かれ、カイトは「大丈夫」と応じた。

「トトさんは?」

「こっちも問題なしだ。ジュニアが言ってた通り、トワの姫の影響は大きかったよ。進んで協力してくれたぜ」

「うん」

「さて、次はロールーズか」

「うん」

「それじゃあ、とっとと片づけっちまおうぜ、カイト」



 スティードの街の沖合を巡回していたキャナの軍船が異常に気づいたのは、日が落ち、辺りが濃い闇にすっかり包まれてからである。

「街に灯りがない」

 家々に明かりが灯されていない。

 警備のためだろう、海岸沿いに一晩中焚かれていた篝火も消えている。

 ただ、スティードの街の背後の崖だけが、星空を断ち切って黒々と聳えている。

「警鐘を鳴らせ」

 旗艦に座した司令官が命じる。

「総員に戦闘の準備をさせろ」

 短い警鐘がスティードの波間に響き、船員が「船が近づいてきます!」と叫ぶのとほとんど同時に、旗艦の目の前で火柱が上がった。船だ。燃える船だ。劫火に包まれた一隻の船が、呆気に取られて立ち竦む人々に向かって、旗艦へと向かって突っ込んでいった。


「くそっ」

 沈んだ旗艦から僚艦に助けられ、「どうなっている!」と司令官は怒鳴った。

「船が何隻か、いや、何十隻かも知れませんが--、正確には判りません、港の外へと逃げて行きました」

「逃げた?」

 報告した船長を司令官が見返す。

「あの、ムラドが?そんな筈あるか、あのくそったれの婆さんが、ただ逃げるなどということをする--」

「船長!スティードの街が--!」

 司令官と船長が街を振り返る。絶句する。スティードの街が燃えていた。隅から隅まで、見える限りすべての建物が炎を上げ、背後の崖を、夕日に照らされたかのように鮮やかに浮かび上がらせていた。

 司令官がギリギリと歯を鳴らす。

「くたばりぞこないの、くそったれが……!」

 翌朝、物の焼け焦げた臭いと熱気のくすぶる中、司令官はスティードの街に上陸した。

 油の臭いが漂っている。

 焼け残った建物は一棟もない。崖の上の家まで燃やし尽くされている。

 陸側からスティードの街を固めている筈の友軍と連絡を取るために、司令官は幾人かの兵に背後の崖に刻まれた道を登るよう命じた。

「住民はどこへ行った」

 司令官が問う。

「全ての住民を船に乗せて逃げられる筈がない。どこかにいる筈だ。探せ」

 街の西側で叫び声が上がる。

 遠いが、逃がすな!という声が聞こえた。

「いたか」

 司令官がふと顔を、スティードの街の背後に聳える崖に向ける。彼が命じた通り、幾人かの兵が細い道を辿っている。

 その崖から、パラパラと岩が転げ落ちていた。


「きゃっ!」

 キャナの兵に追われて逃げていた女が転倒する。

 スティードの街の西側に造られた細い道だ。まだ新しい道なのか、崖側には土を削り取った跡がはっきりと残っている。

 女を追っていたキャナの兵が剣を抜く。

「立て。両手を上げろ。お前だけか。他の住人はどこにいる」

 倒れた女が息を吐く。

 顔を上げる。

 楽しくてたまらないとでも言いたげな笑みが女の口元にある。

 キャナの兵は知らなかったが、ムラドの秘書の女だ。

「手を上げるのは、あんたらの方よ」

 笑いを含んだ声で言う。

「何?」

「おうおう。大人しくしてもらおうじゃねぇか」

 秘書の後ろから、長剣を手にした幾人もの男たちが駆け出して来る。弓矢を構えている者もいる。

 秘書の女が笑う。

「いい子だから、手を上げた方がいいわよ?」

 先頭にいた兵士は視線を素早く走らせ、大人しく手を上げた。彼のすぐ後ろに続いていた兵も手を上げる。

 しかし、最後尾近くにいた兵士たちは、ためらうことなく身を翻した。逃げた。「住民たちはこちらにいます!」と叫んでいる。

 残った兵が、手を上げたまま、「すぐに増援が来る。大人しく投降した方が身のためだぞ」と、言う。「シロウトだろう、お前ら」秘書の後ろから姿を現したのは、兵士ではない、と見て取っている。

 身のこなし、長剣の扱い方、構えた弓矢。

 いずれも武器の扱いに慣れていない素人の動きだ。

 彼らが手を上げたのも、逃げた兵士の盾になるためだ。スティードの住民に、後を追わせないためだ。

「そんなモノ、来ないわよ」

 秘書の女が土を払いながら立ち上がる。

「せっかく手を上げた方がいいわよって教えてあげたのに。報せに行ったりするからムダに死ぬことになるのよ」

「どういうことだ」

「ほら」

 秘書の指さす先を、キャナの兵士が手を上げたまま振り返る。驚きの余りガクリッと顎が落ちる。

 スティードの街の背後に聳える崖。

 膨らんでいる。

 巨大な人の形に。

 顔がある。

 肩が盛り上がる。

 腕が伸びる。

 まるでスティードの崖そのものが立ち上がったかのように、何体ものゴーレムが、ゆっくりと巨体を起こそうとしていた。


 崖に造られた道を登っていた兵士たちが悲鳴を上げて転げ落ちていく。

 ずんぐりとした身体には小さな頭が載っている。腕は地面に届きそうなほど長く、逆に足は太く短い。

「お、お前、魔術師か!」

 キャナの兵士の問いに、秘書は引き攣った笑いで答えた。

「違うわ。あたしは魔術師じゃない。なりたかったけど。才能がなかったの。見習いにもなれなかったわ、あたし」

「な、だったら、あれは、あれは、何だ!」

 ゴーレムたちが焼け落ちた建物を踏み潰している。味方の兵は悲鳴を上げて船へと逃げ戻っている。

 スティードの街の平地は狭い。

 ほんの数歩、歩いただけでゴーレムが港に、キャナの軍船に迫る。

「失敗作よ」

 と、秘書が答える。

「なっ?」

「よく見てみるがいいわ。

 あのゴーレムたちには、目もない。口もない。あたしが造れるのは、あそこまで。それに、いくら教えてもらっても数式が理解できなくて、だから、あのゴーレムたち、自重を支えることもできないわ」

「ど、どういう……」

「だからね、あのゴーレムを造ったのは、崖を崩して、登れなくすることが目的なの。この街と、トワ郡が行き来できないようにね。

 後は」

 ゴーレムの足がもつれる。崩れる。港へと向かって。キャナの兵士が乗り込んだ船の上へ向かって。炎に焼き尽くされたスティードの街を埋め、大波を起こし、キャナの船を巻き込んで、ゴーレムたちが次々と倒れる。

「倒れて、港は使えなくなる、ということよ。見ての通り、ね」

 キャナの兵士が喘ぐ。

「そんな……。港を、港を潰してしまうなんて……」

 秘書がヒステリックに笑う。

「何を言ってんの!

 誰があんたらに港を使わせてやるもんか!

 ここはあたしたちのモノよ!あんたたちに使わせるぐらいなら潰すのなんて当たり前よ!何、寝ぼけたコトを言ってんのよ!」

 ゴーレムだった大量の土砂に潰された港を、兵士は呆然と見ている。何隻かの船は辛うじてゴーレムに潰されることもなく、大波にひっくり返されることもなく残っている。港から逃れようとしている。

「はっ!逃げられるワケ、ないでしょう!」

 侮蔑したように秘書が言う。

「アンタら、誰にケンカ売ったか、判ってんのかよ、カス」

 秘書の言葉が終わらないうちに、逃れようとしていたキャナの軍船に、何処からか飛来した巨大な火矢が突き刺さった。


「ど、どこから撃ってきた!」

 ゴーレムに潰される前に辛うじて船に飛び乗った司令官が叫ぶ。彼が叫んでいる間に次の火矢が飛来し、僚艦に突き刺さる。

「港の外です!」

 船員が叫ぶ。

「港の外に、船がいます!」

「船から、だと……」

 司令官が視線をやると、確かに港の入り口に船がいた。ただ一隻。警備のために残していた筈の自軍の船はいない。いや、沈んでいる。残骸が浮かんでいる。

 船の舳先に、巨大な弓のようなものが見える。

「ば、馬鹿な。船にバリスタを……?そんなもの、飛ばせる筈が……、そもそも、当てられる筈が……」

 燃え上がっていた僚艦が傾く。

 沈んでいく。

 火矢が飛んでくる。

 彼の乗った船に。まっすぐ。彼に向かって。

 大きく目を見開き、

「避けろっ!」

 と叫んだ司令官を、巨大な火矢が貫いた。


「左、二度」

 スティードの街の港の入り口の船の甲板に立ち、ムラドが呟くように命じる。船が動き、波に揺られ、「撃て」と再び命じる。

 船首に据えられたバリスタから火矢が飛ぶ。

 すぐに次の矢が装填され、弦が引かれる。火がつけられる。

「そのまま」

 波に船が上下し、少し右へと傾き、「撃て」と短くムラドが命じる。すでにキャナの軍船は最後の一隻になっている。無傷ではない。燃えている。

 懸命に逃げようとしていた最後の敵船に、三本目の火矢が突き刺さる。

「弓矢ではカイトにとても敵わんが」

 誰にともなくムラドが言う。

「海の上では、ワシの方が上じゃ」

 スティードの街の住民たちが土砂に潰された港へと走り下りて来るのが見えた。小躍りしている秘書の姿も見えた。

 最後の敵船が傾き、沈んでいく。

 キャナの兵士が海へと飛び込んでいる。ムラドが目を細める。生き残ったであろうキャナの兵の数を推し量る。

 残してきた者たちで制圧できる、と判断する。

「行くぞ」

 ムラドがスティードの街に背中を向ける。

 潰した街のことはすでに彼女の頭にはない。後悔は微塵もない。昏く淀んだ高揚感が腹の底で渦を巻いている。これから来るであろうキャナの本隊をどう潰すか、クスルクスル王国にケンカを売ったことをどう思い知らせてやるか。ペルを悲しませた報いを、どう受けさせるか。ムラドはただそれだけを考えていた。

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