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25-2(空を射る2)

 ロロの矢は、不規則に方向が変わる強風に逆らって、はるか高く聳えた新しい神に向かってまっすぐ飛び、新しい神の、ミユの額に突き刺さった。

 カイトに新しい神の姿は見えてはいない。だが、ロロの矢が、確かに何かに突き刺さるのをカイトは見た。中空に矢が止まるのを見た。

 新しい神の閉じていた瞼が開く。

 視線を落とす。

 己を射たカイトに。

 子供たちの口々から、悲鳴が迸った。

「なぜなぜなぜなぜ--!」と疑問が風となって渦を巻いた。幾つもの細い腕が、カイトに向かって殺到する。

 雲が裂ける。

 空から二筋の光が飛来する。

 カイトに迫っていた腕が銀色の光に千々に引き裂かれる。光が、カイトに向かって迫っていた姿の見えない何かを食い千切る。

 いや、光ではなく、二頭の巨大な銀色狼だ。

 二頭の巨大な銀色狼が、まるでカイトを守るかのように軽やかにカイトの両脇降り立ち、新しい神に向かって咆哮を上げる。

「狂泉様の--」

 呆然と呟いたのは、レナンである。

 彼もまた、マウロと同じものを見ていた。見る者によって姿を変える筈の新しい神の姿を、マウロと同じ姿で。

 レナンだけではない。カイト以外の誰もが、同じ神の姿を見ていた。


「嬢ちゃんか?アレ」

 走りながら呟いたのは、オセロである。

 彼の肩には気を失ったボルが担がれている。新しい神が顕現するや否や、彼は倒れたボルを担ぎ上げ、オレの仕事はここまでと躊躇うことなく逃げ出したのである。

 オセロにカイトの姿は見えていない。

 見えるところからはとっくに離れている。

 彼から見えたのは、新しい神に向かって飛んだ矢だけだ。

『さすがだな』

 と、思いながら、行き会ったキャナの兵にオセロは叫んだ。

「目的は果たした、全員、逃げろ!」

 キャナの兵が戸惑い、顔を見合わせる。

 オセロに、兵への指揮命令権はない。キャナ軍の立場で言えば、他の龍翁の英雄も含め、彼らひとりひとりが司令官直属の独立部隊、というのが一番近い。

『クソ真面目なキャナ人め!』

 オセロが心の内で罵る。しかしそれが、キャナの強みでもあると知っている。混成軍を形成している洲国の兵は、オセロの言葉に従ってとっとと逃げ出している。それが洲国の強みであり、弱さだとも知っている。

「状況が大きく変化した!ハラ司令の指示を仰げ!軍旗の下に集まれ!」

『クソったれども!』

 言葉には出さずにつけ足して、『後は好きにしろ!』とばかりにオセロが走り去っていく。彼の後ろで、キャナの兵の逃げ出す足音が聞こえた。

『お?』

 オセロの走る先にキャナの軍旗が見えた。ハラが、大きな身振りで兵に指示を出している。兵を逃がしている。

 司令官自ら、しんがりを務めるつもりだと、オセロは見て取った。

 ハラが自分を嫌っていることをオセロは知っている。だが、彼自身はハラが気に入っていた。頭の回転が良く、裏表がなく、気が短く、それでいて冷静で、策を弄することも躊躇わず、何より自らがしんがりを務めようとするバカなところが。

 だから、

「追撃なぞされるか!阿呆!」

 と、まず怒鳴った。

 いきなり目の前に現れたオセロに怒鳴られ、ハラが絶句する。

「たかが200の兵!神は荒れ狂ってる!こちらに構っているヒマなど、ある筈がない!あんたもとっとと逃げるんだ!先頭に立って、軍旗と一緒に走れ!

 今はそれが、あんたの務めだ!」

 言いたいことだけを言って、そのまま走り去って行く。

「な、何だとぉ!」

 ハラが顔を真っ赤にして腰の長剣に手をかけたときには、オセロの姿は既に遠くに小さく離れていた。

「言い様に問題はありますが」

 ハラの怒りを鎮めるように、イスールがいつもと変わらない落ち着いた声を響かせる。

「オセロ公子の言われることにも、理が、あるかと」

「追撃は」

「それどころではないでしょう。復讐、という理由を除けば、彼らにこちらを討つ理由もございません」

「判った」

 ハラが長剣から手を放す。

「軍旗を高く掲げろ!逃げるぞ!」

 兵が応じる声を聞きながら、兵が引いてきた馬にハラが跨る。「進め!」オセロに対する怒りは心の奥に仕舞った。

 忘れたのではない。

 侮辱を忘れられる性質タチではない。

 ただ、仕舞っただけである。


 カイトには、新しい神の姿は見えていない。だが、風音がより一層高くなり、木々が幾つもなぎ倒され、見えない何かが怒り狂っていることは判った。

 左右に視線をやる。

 銀色狼の姿を認める。狂泉の意志を認める。

 矢筒に手を回す。

 指に触れたのはニーナの矢だ。素早く引き抜き、弓に番える。

 狂泉への祈りは口にしない。

 口にする必要がない。

 カイトの中に祈りは常にある。

 彼女自身が、祈りでもある。

 指から矢が離れる。

 ニーナの矢が飛ぶ。風を切り裂き、ロロの矢の横に滑り込む。

 子供たちの上げた甲高い悲鳴が、世界を震わせ、黒雲が大きく波打ち、--風が止まった。

 音が消えた。

「え?」

 世界が凍りついたかのような静寂の中、マウロが声を上げる。

 新しい神が棒立ちになっている。棒立ちとなり、北へと顔を向けている。

 東へと視線を転じる。

 どこか遠くへ、神の視線がはるか遠くへ向けられる。

 そして、神は消えた。

 そこにいたことが嘘のように姿を消し、神がいた空間を埋めるように背後から吹いた風によろめいたマウロが顔を上げると、銀色狼の姿もまた、消えていた。


「何があったの?!」

 カイトの問う声に、マウロはハッと我に返った。

「消えた--」

 呆然としたまま答える。

「どういうこと!」

「新しい神が消えた。今、そこにいたのに--」

 指をさしたのはレナンである。

 彼の指さす先で、黒雲が円形に散り、青空が覗いている。

 カイトがレナンの指さす先を見る。弓を肩にかける。「探してくる!」と、叫ぶ。

「えっ?」

 急に風が止まり、黒雲が何かに吹き飛ばされるように青空が拡がり、中空にあったはずのロロとニーナの矢が消えた。カイトが見たのはそれだけだった。ロロの矢もニーナの矢も落ちては来なかった。

 だとしたら、新しい神は、

「ミユさんとフウのところに行ったのかも知れない!」

 と、カイトは思った。

 マウロとレナンの返事を聞くことなく、レナンがミユたちとはぐれたという林へと駆け戻って行く。

「オレも--!」

 レナンがカイトを追い、何人かの兵も後を追う。

「待て!」

 遅れて駆け出そうとした他の兵士たちを、マウロが止めた。振り返った兵士たちに、「負傷者の手当てが先だ」と、マウロは言った。

「ミユとフウは、カイトに任せよう。もし、カイトが見つけられなければ、他の誰も見つけられないだろう。

 だからわたしたちは、わたしたちのするべきことをしよう」


 足元の悪い林の中を、カイトが飛ぶように駆けて行く。

 たちまちレナンたちが置き去りにされる。後ろを振り返ることなく、狂泉の落し子の姿が木々の間に消える。

 森の中の小さな広場に出たところでカイトが足を止めたのは、ひとつの死体に何か引っかかるものを感じたからだった。

 知っている人のような気がした。

 仰向けに倒れている。死んでいる。誰かは判らない。しかし、死んでいる、それだけは確かだ。

 死体の胸から上が、ない。

 ターシャの屋敷で、死んだ犬に襲われた時のことをカイトは思い出した。自分に食いつこうとした犬が弾き飛ばされた、何故かあれに似ている気がした。

 地面を探る。

 心臓が跳ねる。地面を探っていた指先も。

『フウの足跡だ』

 と、思う。

『でも』

 ひどく乱れている。森人らしくない。足元が定まっていない。ふらふらと酔ってでもいるかのように歩いている。

 そのまま追っていって、地面に這いつくばる。

 足跡が消えていた。

 突然。

 フウの足跡だけでなく、まるで掃き清めたかのように、誰の足跡もない。

「どうして」

 小さく呟く。

 懸命に探す。しかし、いくら探っても、それ以上は追えなかった。

『戻ろう』

 と、思い、立ち上がって、カイトは勢いよく振り返った。

 矢を弓に番え、視線を鋭く巡らせる。

 何かがいた気がした。

 人ではない何か。

 身動ぎでもしたかのように微かに気配が漂い、すぐに消えた。

 だが、誰もいない。

 何もいない。

 短く息を吐き、矢を仕舞い、背後に未練を残して、カイトが駆け去っていく。カイトの気配が遠ざかり、森に静けさが戻る。

 木の陰から女が現れる。

 背の高い女だ。

 魔術師の黒いローブを纏っている。栗色の瞳の奥に赤い輝きがある。姿勢がよく、それが女の身長を更に高く見せている。

 女はカイトが消えた先を、何かを確かめるようにしばらく見詰めてから「もう少し静かにしていて下さいね」と、己の懐にいるものを優しく撫でた。


『これ』

 カイトが再び地面に這いつくばったのは、そこからさほど離れていない山中のことである。

 クロとミユの足跡だった。

 何人もキャナの兵士が死んでいる。

 が、二人の姿はない。

 足跡はひどく踏み荒らされている。ここで何かがあり、事が終わった後に多くのキャナの兵が駆けつけ、生きていた味方の兵を助けた。背後を、おそらくは新しい神を振り返り、怒鳴り、慌てながら逃げた、と、カイトは見て取った。

 最初に何があったか、カイトは慎重にクロとミユの足跡を探った。

 まず、クロが踏み止まり、ミユを先に行かせた。

 三人のキャナの兵士。

 クロが斬った。斬って、振り返り、立ち竦み、深く踏み込んでいる。放たれた矢のような勢いで駆け出している。

『低い』

 ほとんど四ッ足かと思えるほど身体を低くして、キャナの兵士の間にクロが突っ込んでいる。

『クロが怒りに我を忘れている』

 と、足跡を見てカイトは思った。

『でも』

 強い。と思う。

 ひとり、ふたり。三人。怒りに我を忘れて、それでいてクロは冷静だ。殺すことに拘っていない。剣で足を刈っている。喉を浅く割いている。腹を突いて、止めを刺していない。殺すことより相手の動きを止めることを優先している。

『クロとやったら、わたし、敵わないかも』

 と、思う。

 足跡を追っていたカイトの手が止まる。

『ここにミユさんが倒れていた』

 死んでない。クロが安堵したのが判る。そして--。

 カイトが顔を歪める。

『斬られた』

 浅くはない。飛び散っているのはクロの血だ。

『すごい』

 クロの動きが鋭くなっている。斬られてから、むしろ。残った兵士を斬り伏せ、ミユを担いで、逃げた。

『--え』

 足跡が消えていた。ミユを担いで、二人分沈んでいた足跡がない。カイトが額を地面に擦りつけるようにして辺りを探す。

 だが、ない。

『まるで--』

 クロとミユが宙に溶けたかのように、足跡がない。掃き清めたのとは違う。他の足跡は残っている。

「クロ!」

 堪らず、カイトは叫んだ。

「いるんでしょう!クロ!隠れてないで、出てきて!ねぇ!クロ!」

 応えはない。

 誰も応じる者のいない森に、クロを呼ぶカイトの声だけが、空しく響いた。

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