24-19(新しい神19(旧ロア城の戦い3))
カイトがいたのとは正門を挟んだ反対側の城壁に、ニスという名の兵士がいた。
タリ郡の田舎に暮らす男で、弟と二人で、名もない一兵士としてクスルクスル王国軍に加わっていた。
彼と弟がクスルクスル王国軍に加わったのは、若い頃に軍務を経験したことがあり、徴募をかけていたのがカン将軍で、カン将軍が反乱軍だけでなく、いずれは襲来してくるだろうキャナを想定して徴募をかけていたからである。クスルクスル王国のためでもトワ郡のためでもなく、故郷であるタリ郡を守るために、ニスはクスルクスル王国軍に加わったのである。
カン将軍が捕らえられ、リプスがファロの子供たちを殺した際に、ニスが弟と共にクスルクスル王国軍を離れたのは、殺されたファロの子供たちと自分の子供たちの姿が重なったからだ。
他の仲間たちとカン将軍を救い出し、「これからどうされますか」と、ニスは挑むようにカン将軍に尋ねた。
「ワシは新しい神の信徒と共に行くよ」
迷いのないカン将軍の声に、ニスは自分が苛立っていた理由を知った。
昨夜、
「城門が破られれば、もはやこの城ではミユ様をお守りできん。その際には、ミユ様をカイトに託して森へと逃がす」
と、カン将軍は胸の内をニスに打ち明けていた。
「城壁が壊されている!」
突然響いた爆裂音に、城壁の反対側の様子を伺った弟が叫び、ニスはもはやこれまでと見切りをつけた。
他の兵士たちに向かってニスは「もう、この城は駄目だ……!」と叫び、激しく投げ出された。彼のいる側の城壁が破壊されたのである。
ニスは素早く跳ね起き、状況を見て取った。林から駆け出したキャナの兵士が、崩された城壁へと殺到していた。
「そこから、10人、残れ!」
兵士たちを選び出し、ニスが城壁の外を指さす。
「ヤツラを城内に入れるな!残りは城内へ!カイトがミユ様をこの城から逃がす!できるだけ時間を稼げ!」
「死ぬなよ!兄貴!」
走り去る弟の背中に「お前こそな!」と叫んで、ニスは残った兵士たちと並んで、城壁の外へと矢を射続けた。
旧ロア城の南側で爆裂音が響いても手を止めない。キャナの兵も矢を打ち返してきている。すぐ隣の仲間が倒れても、ニスは矢を射るのを止めなかった。
「矢を射るのを止めてもらえないか。できれば、無駄な殺生はしたくない」
と、聞き覚えのない低い声が背中から響いても、ニスが後ろを振り返ることはなかった。
さすが、カン将軍。
と、感心した。
彼の気持ちを声に出したのは、別の人物である。
「ホントに来やがったぜ。おっそろしい人だなぁ、カン将軍は」
どこに隠れていたか、カエルとかかしが、ニスたちと、ニスに声をかけた二人組の間に立ち塞がっていた。
昨夜、カン将軍は、
「ザワ州の公子様以外の龍翁様の英雄は、カエル、かかし、おぬしらに任せる」
と、カエルに告げた。
「彼奴等は必ず正面から来る。正門に現れる。ザワ州の公子様とは反対側にな」
「裏側から来るってこともあるんじゃないですか?なんで、そんなにはっきり言い切れるんです?」
カエルの問いに、カン将軍はどこか馬鹿にしたように、
「ヤツラが英雄だからじゃ。それだけじゃよ」
と答えた。
「お前は?」
カエルと対峙した龍翁の英雄が訊く。
短く切りそろえた髪には、白いものが混じっている。歳は50は越えているだろう。たれ目で、頬がこけ、長身痩躯で、背筋をまっすぐ伸ばして屹立しているが、腰回りには無駄な肉があり、兵士とはとても見えない。
事実、男が纏っていたのは、白い神官服だった。
「質問に質問で返すなって、神殿では教えてないのかい?」
へらへらとカエルが言う。
「アルラン」
低く野太い声を響かせたのは、もうひとりの龍翁の英雄だ。こちらは元は兵士だろう、アルランと呼ばれた龍翁の英雄とは違って巨漢だ。アルランも長身だが、さらに頭ひとつ分、背が高い。
「ムダに殺したくねぇなんぞと甘いことを言ってるんじゃねえ。こいつらぜんぶ、殺っちまえばいいんだ」
「ボル」
巨漢に話しかけたアルランの声には冷たい侮蔑があった。
「今はわたしが話している」
「なんだとぉ!」
ポルの怒声を無視して、
「お前、新しい神の英雄だな」
と、アルランが静かな声でカエルに問う。
「元は、いずこの神の信者だ」
「アンタと同じ龍翁様だよ」
「そうか」
アルランが顎を引く。彼の手には、長さが1mを越えるメイスがある。
「ボル。手を出すなよ」
フンッと鼻だけを鳴らしてボルが応える。
「偉大なる龍翁様を裏切ることがどういう結果を招くか、わたしが、この背信者に教えてやる」
「望むところだぜ」
と応じたカエルの背後では、にこにことかかしが笑っていた。
敵を知らずにいくさに臨むなど、無策のまま谷底に向かって飛び込むようなものだと、オセロは知っている。
己を知らぬままいくさに臨むのもまた、同じことだと知っている。
だから、英雄となるとすぐにオセロは、龍翁から授けられた力がどういうものか、我が身を使って調べた。
己の肉体を実際に、斬り落としてみたのである。
いくさに支障がない耳から始め、次に指を、続いて腕を落とした。腹を裂き、内臓を引き摺り出した。
軍の宿舎の一室で、ひとり血塗れになりながらオセロは英雄の治癒能力を知り、治癒するまで痛みは消えないことを知り、死にはしないものの心臓は突かれないようにした方がいい、と知った。
精霊を知覚できるのではないか。
オセロがそう思ったのは、街に出て、犬が嗅ぐ臭いを「見た」気がしたからだ。
すぐにクロのことを思い出し、獣人にできることならば、英雄にもできるのではないかと思った。
キャナ軍にも魔術師は帯同している。
呪を唱えてくれと、何故、龍翁の英雄に頼まれるのか判らぬまま、魔術師はオセロの要望に応じて、風の精霊、火の精霊、水の精霊、土の精霊をすべて呼び出してくれた。
だからオセロは、イタカが呪を唱える前に、イタカが呼び出していた火の精霊の気配を感じ取っていた。
イタカが魔術師だと悟っていた。
警戒もしていた。
それでも、右腕を持っていかれた。
身体を捻って躱したオセロの動きに、だらりと落ちた右腕がついて来なかった。イタカの唱えた呪によって出現した火球に包まれて、オセロの右腕が四散した。
オセロが飛び離れる。イタカから距離をとる。右肩は肉も骨も剥き出しとなり、右腕は切断面が焼かれて失われている。
だが、すぐに元に戻ると知っている。
痛みはある。
激痛だ。
しかし、足は止めない。
表情にも出さない。
新たに現れた火球が、動き続けるオセロを掠める。
額が焼かれる。
服が焦げる。
大きく前へと出る。背後に火球を残し、イタカへと迫る。が、横へと大きく飛ぶ。オセロがいた空間で、火球が炸裂する。
精霊の気配が薄くなる。
オセロは足を止めた。
逃げている間に、右肩も右腕も元に戻っている。右手に神剣を持ち変える。
少しイタカに興味が湧いた。
「あんたが魔術師か。それで、新しい神の英雄、で間違いないよな?同じ英雄同士だ。もし良ければ、名前を教えて貰えないか?」
オセロの問いに、イタカは答えない。
小さく呪を唱え続けている。
ああ、そうか。
と、オセロは得心した。
英雄となってオセロが知ったことがもうひとつある。息が切れない。どんなに激しく動いても。
つまり、英雄となれば、戦いながら呪を唱えることなど容易いことだと、イタカを見ていて気づいたのである。
『オレも魔術を覚えておくんだったな』
と思い、ダウニのこもった笑い声が耳に蘇った。似合いませんよ。あなたには。と、言われた気がした。
『おお。オレにできるのは』
オセロが前へと大きく踏み込む。一気にイタカとの距離を詰め--水の精霊と土の精霊の気配を感じ--足が滑った。転倒した。
湿気を含んだ泥があった。オセロが踏み込んだ先に。違う、コイツの魔術だ、と悟り、悟った時には、身体を躱していた。
イタカの手にした剣が城壁を穿つ。
こんな魔術の使い方があるのか、とオセロは胸の内で感心している。
簡単な呪だ。
ただ、水と土を出現させただけ。
簡単で、かつ効率的だ。
オセロが転がるように逃げる。跳ね起きる。精霊の気配。踏ん張ろうとした足が再び滑る。仰向けに転がる。泥に塗れる。イタカがオセロに躍り掛かる。
突然、壁が立ち塞がった。
イタカはそう感じた。
倒れていたオセロが両足を引き寄せ、跳ねるように立ち上がったのである。
そのまま勢いを殺すことなく、オセロの手にした神剣が弧を描いてイタカに叩きつけられる。イタカが受ける。彼が手にしているのも新しい神から下された神剣だ。折れない。折れないだけでなく、刃を滑らせ、イタカはオセロの力を受け流した。
イタカが後ろに下がる。逃げる。オセロが追う。二撃、三撃と打ちこむ。イタカが手首だけを返し、まったく無駄のない動きで受け流す。
イタカの唇が動く。
オセロの肌が粟立つ。火の精霊の気配。
首を縮めたオセロの頭のすぐ上で火球が破裂する。低く座るほどに腰を落とした姿勢のまま、オセロが神剣を水平に払う。
空を切る。
火球が破裂している間に、イタカは後ろへと飛び離れている。
オセロが身体を起こす。
『舐めていたな』
と、思う。
真面目なヤツなんだろうな。
とも思う。
イタカの剣は素直で、かつ磨き抜かれていた。繰り返し修練して、骨の髄にまで染み込ませた技だ。
型通りの剣と言っていい。
一方、イタカはイタカで、『カイトが強いと言うはずだな』と思っている。
オセロの剣には型がない。
我流の剣だ。
オセロもザワ州の公子だ。小さい頃から剣は習わされた。
だが、習いはしたが、人から習うということが、彼は苦手だった。師に逆らい、何度となく打ちのめされながら、習い始めてから20日後に、オセロは師から習ったのではない我流の剣で師の額を割った。
初めて人を殺したのは9歳の時。
ひとりで街へ出て、子供と狙って近づいて来た人さらいを殺した。殺す前にアジトの場所を聞き出し、アジトにいた者も一人残らず殺した。
いくさ場に出るようになって、彼の剣は更に磨かれていった。イタカとは違う意味でオセロの剣技も磨き抜かれた剣技だった。人を殺し、殺した数だけ荒々しく研ぎ澄まされた剣だ。
オセロと打ち合える者は少ない。
何より剣速が違う。斬撃の重さが尋常ではない。数合打ち合っただけで多くの相手は耐え切れずに隙を見せ、剣を落とし、死んだ。
しかし、イタカはオセロの豪剣の威力を巧みに殺している。刃が当たるのに合わせて僅かに刀身を引いている。
型がない自在な剣にも的確に対応している。
だが、『勝てない』とイタカは思い、オセロの方は、『久しぶりに楽しめそうだ』と思っていた。
ほんの数合打ち合っただけで、二人とも、互いの力量の程を悟っていた。
『コイツを相手に、正面から斬り合いをしたのではダメだ』
イタカが呪を唱える。
風の精霊と水の精霊を呼ぶ。イタカの姿が揺らぐ。薄くなる。水柱が立つ。水柱の後ろにイタカの姿が消える。
背後にも精霊の気配を感じて、オセロが振り返る。
イタカが姿を消したのとは別の水柱が3本。
合計4本の水柱に囲まれている。
イタカが何をする気なのか、オセロには判らない。理解しようとも思わなかった。姿を消されたままでは後手を踏む恐れがあった。相手のペースに合わせる気など、オセロにはなかった。
オセロが城壁を見回す。
広さを測る。
顎を引く。
足元に意識を集中させる。自分自身が立つ城壁に沁み込んだ雨。それをすべて、オセロは気化させた。