24-18(新しい神18(旧ロア城の戦い2))
昨夜のことである。
カイトの盾を務める兵たちを集め、カン将軍は「ワシと一緒に死んでくれるか」と訊いた。
兵たちは何も言わず、カン将軍の言葉の続きを待った。
「此度のいくさ、我らの最大の敵は、龍翁様の英雄じゃ。オセロという、ザワ州の元公子じゃ。
彼奴めがクロの言う通りの男なら、必ずやカイトを狙って来るじゃろう。それもおそらくは一人で。
だが、カイトにはやって貰わねばならぬことがある。
だから、そうなった場合には、ワシを含めたこの12人で、龍翁様の英雄を討つ」
「どのようにして、でしょう」
カン将軍が首を振る。
「残念ながら、策は何もない。何か手立てを講じるには、ザワ州の元公子の情報が少なすぎる。我ら12人で、足にしがみつき、腕にぶら下がり、皆で押し倒してでも、首を切り落とす。それしかない。
無駄死になる可能性の方が高い。
だが、やるしかない。
もし否と言うのならば止めはせぬ。ワシ一人でも、一太刀はくれてやるわ」
「でしたら」
兵の一人が声を上げる。
「長剣よりも槍の方が良さそうですね。皆でかかるとなると」
「投網でも用意しておいては如何でしょう。投網で絡みとって、首を落としては」
「ああ、それはいい」
と、賛同する者もいた。
「本当に、よいのか?」
兵たちが笑顔をカン将軍に向ける。
「必ずや、我らで龍翁様の英雄を討ち果たしましょう」
と、彼らは明るく笑った。
悲鳴は上げなかった。カン将軍の名を叫ぶこともしなかった。誰、と問うことも、呆然と立ち竦むことも、カイトはしなかった。
考えるよりも早く、ほとんど無意識のうちに、カイトは矢を放っていた。
どこから現れたか、夜が落ちて来たかのように、カン将軍の背後に黒い塊となって降り立った男に。
ザワ州の元公子に。
喜色に満ちた凶暴な笑いに醜く顔を歪ませた男に。
友だちの--、モモの恋人に。
オセロが身体を捻る。矢を躱す。視線を戻す。が、カイトがいない。傍らを誰かが走り抜けていった。気配がした。
振り返る。
矢があった。
すでに放たれた矢が。
逃げる間はない。だからオセロは逃げなかった。手の平で受けた。矢が手を貫いたが、気にも留めなかった。痛みには慣れている。英雄としての治癒能力も知っている。手の平の矢を藁か何かのように握り潰し、カイトを追うべく身体を前へと傾け、足を踏み出そうとする。
弓を構えたカイトが右足へと重心を移す。誘われる。左へとカイトが飛ぶ。たちまち見失う。
城壁の上にいた兵士。
まだ多くの兵士は何が起こったか気づいていない。カイトの代わりとばかり、そのまま走り出し、手当たり次第、斬った。両断し、腕を飛ばし、突き刺す。
「止めて!」
カイトの声が響く。
突き刺した剣を引き抜き、兵士を城壁の上から蹴り落として、オセロが振り返る。宙に舞っていたカン将軍の首が落ちて、転がる。たったそれだけの時間しか経っていない。けれどもすでに、城壁の上にはカイトとオセロ以外、生きている者は残っていない。
「止めるのが遅かったな」
オセロが言う。
「もう終わったよ、嬢ちゃん」」
カイトの息が荒い。
怒りを抑えきれていない。
カイトの視線の端に、カン将軍の首がある。まだカイトに向かって言葉を続けようとしているかのように、僅かに口を開いて。
カン将軍の広い額には、真新しい絆創膏が張られてる。
飛び散った血が、絆創膏を汚している。
何に使うのか、槍とともに兵たちが用意していた投網も、手が付けられないまま城壁の隅に残っている。
カイトの視界が歪む。
怒りが思考を乱す。オセロの姿。他には何も見えなくなる。
どくどくと身体の奥で血が流れる音が聞こえ、オセロに向けた矢先が小刻みに震えた。
オセロはカイトの様子を冷静に観察している。
『しまった』
と思う。
『楽しみをフイにしちまったかな』
と、思う。
もし、怒りに囚われたままカイトがオセロに向かっていれば、おそらくカイトは何もできないまま死んでいただろう。
だが、旧ロア城の反対側で響いた爆発音が、カイトの足を止めた。
オセロがカイトから視線を逸らす。
「真似をされたか--」
旧ロア城の裏側の急斜面に続く城壁が吹き飛んでいた。
手の平に刺さったまま握り潰した矢を、オセロが抜く。捨てる。傷跡がたちまち塞がり、動きに支障がないか確かめるように、何度か手を握る。
「どういう意味」
低い声でカイトが問う。弓をオセロに向けているのは同じだが、怒りの余り震えていた矢先が止まっている。
「この城壁。廃棄されてかなり経っている。手入れもされていないんだろう?」
「……」
「雨が染み込んでいた。それを気化させた。龍翁様の力でな。そうやって城壁を壊したんだ。
誰かが同じことをしたんだろう。
おそらくは魔術で。
ここに誰か魔術師でもいるのか?嬢ちゃん」
カイトは答えない。だが、イタカのことだと判った。昨夜聞いたカン将軍の言葉が耳に蘇る。何のためにイタカが城壁を壊したか、理解する。
短く息を吐く。
ミユさんを逃がすためにイタカさんは城壁を壊したんだ。
行かなくっちゃ。
と思う。
ミユさんのところに。フウのところに。
「なぁ、嬢ちゃん。嬢ちゃんには借りがある。西の広場で助けて貰ったし、ガイとモモのことも--」
オセロが話しかけてくる。
カイトが矢を放つ。
聞く気はない。
心の中でオセロが笑う。
『それでこそ』
と、思う。
オセロが矢を躱す。だが、躱した先にも矢があった。目の前に。カイトの読みと弓の腕に感嘆しながら、ぞくりっと悪寒を感じた。矢の回転がおかしい。何か違う。これを手で受けるのは、危険だ。
首を捻る。
躱す。
オセロの額を掠めて行った矢が、オセロの肉をこそぎ取っていく。
おう。
オセロの口元が歪む。禍々しい笑いに。
低く腰を落としたまま大きく踏み込み、長剣を頭上に掲げ、カイト目がけて振り下ろす。ゴウッと音を立てて剣が空を切る。龍翁から下された神剣だ。渾身の力で打ち込んでも折れることなく、城壁が打ち砕かれる。破片が飛び散る。カイトが左へ逃げたと見えた。視線を素早く回す。だが、いない。ぞくりっ。再び悪寒を感じる。首を切られる。山刀が叩き込まれる。
おう!
断ち切れない。5センチほど。そこまでは打ち込めたが、オセロの筋肉が刃を止めた。弾き返した。つまり、ここにいるってことだよな!と、オセロが肘を飛ばす。
手応えがない。
空を切る。
オセロは声を上げて笑いそうになった。
捉えられない。
カイトを。
速いのではない。オセロの死角へ、死角とカイトは動いている。
何かが飛ぶ。視界を掠める。
腕。
オセロ自身が切り落とした兵士の腕だ。
風を感じた。
倒れるように身体を捻る。矢が掠めていく。倒れた死体。とても人が隠れられるとは思えない。だが、矢は確かに、兵士の死体の影から飛んで来た。
『これほどかよ!』
堪え切れずにオセロは笑った。笑いながらカイトを追って死体へと躍りかかり、斬った。
いない。
逃げられた。どこかへ。
オセロが足を速める。集中力が高まり、身体が動き始める。人ではあり得ないほど速く。英雄の力にオセロの意識が追いついていく。
微かな呼吸音。
そこか!
と、オセロは、片手で投げ放つかのように神剣を振り下ろした。その分、間合いを伸ばして、己の斜め後ろへと。
神剣が城壁を砕く。
確かにカイトはそこにいた。
打ち砕かれた城壁の先。目の前を通り過ぎた神剣を恐れることなく。飛び散る城壁の欠片も意に介することなく。
オセロに向かって弓を構えて。
矢が放たれる。三本の矢が。回転している。それぞれ。異なる速さで。異なる方向へ。ヤバイ、と思う。血が滾る。沸騰する。咆哮を上げ、オセロは前へと、カイトの矢が届くよりも速く、カイトに向かって突っ込んでいった。
カイトもまた前へと出た。迫り来るオセロの巨体に瞬きすることなく。迷宮大都でイーズと戦った時のように、前へと。オセロの巨体が目前に迫ったところで巧みに重心をずらし、軽く地面を蹴る。身体を浮かせる。
カイトの放った矢は、オセロが前に出たことで打点をずらされた。
狙いを外された。
だが、前へと突進するオセロの勢いも殺した。
身体を浮かせたまま、カイトがオセロの巨体を捌く。
受け流す。
しかし、完全には受けきれなかった。弾き飛ばされた。ゴロゴロと転がって素早く跳ね起きる。
オセロは追って来ない。
「行け!」
声が響く。
カイトが見たのは、オセロと刃を合わせたイタカの後姿である。
「ミユを!」
「うん!」
と頷いて、カイトは躊躇うことなく走り出した。オセロが壊した城壁の間に飛び降り、そのまま姿を消す。
「ああ、あんたが新しい神の英雄か」
刃を合わせたままオセロが抑揚のない声で訊く。オセロは片手だ。カイトの放った三本の矢を受けた右肩が弾け飛び、腕がだらりと落ちている。だが、両手で押し込むイタカの長剣が、軽々と受け止められている。びくともしない。
「仕方がない。仕事に戻らせて貰うとするか」
ため息交じりにオセロが言う。
イタカは返事をしない。
精霊はすでに呼び出している。
返事をする代わりに、短い呪を、イタカは鋭く唱えた。