24-16(新しい神16(旧ロア城で芝居を見る2))
「マウロ様、こちらへ。オセロ公子に城まで送って頂きます」
イスールに先導されて帷幕から出たところで、マウロは「少し教えて頂いてもよろしいだろうか。イスール殿」と、声をかけた。
何かを探ろうとしたのではなく、ハラとイスールという若者に、キャナの若者に、興味があった。
「何でしょう」
「失礼だが、あなたはキャナの王家にも繋がる家柄だとか。だとすれば、雷神様の信徒であった筈。
何故、改宗されたのでしょう」
「よくご存知なのですね。我々のことを」
イスールが微笑む。
「カン将軍でしょうか。その情報の出処は」
「ご存知なのですか、カン将軍を」
「あの方がクスルクスル王国軍を離れたのは我々にとって幸いでした。
こちらの陣営に加わってもらえないかと行方を探していましたが、残念ながら敵となってしまわれたようですね」
「ええ」
「我々にとっては痛い損失でした」
と笑ってから、イスールはマウロの質問に答えた。
「わたしは、神の姿を見たのです」
「神の姿を?」
「はい」
「それは、いつのことでしょう」
「百神国と洲国が迷宮大都まで迫って来た時に。百神国と洲国を、迷宮大都の市民が追い払って、迷宮大都に戻って来た時に。
人々の歓喜の声が、わたしには神の声に聞こえました。
モルド執政は、いえ、モルド執政を取り囲んだ迷宮大都の市民すべてが、雲間から差す光に包まれていた。
輝かしい栄光の光に。
まだ幼かったが、わたしは確かに、神を見たのです」
「失礼を承知でお訊きするが、何故その神が、あなたがいま信仰されている神だと思われるのですか?」
「理屈ではありません。わたし自身、何度も自問しました。何故と。何故、一ツ神様だと判るのか、と。
実際にわたしが見たのは迷宮大都の市民で、市民の中心にモルド執政がいらっしゃったからか、とも思いますが、そうではありません。
本当に、理屈ではないのです」
「もうひとつ、お訊きしてもよろしいだろうか」
「はい」
「モルド殿は、狂泉様の森の南側の土地を取り戻すことをいくさの大義名分とされているが、本当の目的は別にあるという噂を耳にしました。
全ての神々にこの世界から立ち去って頂くことがモルド殿の本当の目的だと。
そうだとすると、あなたの主もまた、この世界から立ち去ってしまうことになる。
そのことについてイスール殿、あなたはどうお考えなのだろうか」
「我が神は、常世にいらっしゃいます」
「この世には、そもそもいらっしゃらないということか」
納得したように頷いたマウロに、イスールは首を左右に振った。
「はい、でもあり、いいえ、でもあります」
「え?」
イスールが足を止める。マウロに向き直る。イスールの菫色の瞳が、マウロの菫色の瞳を挑むように見返す。
「一ツ神様は常世にいらっしゃいます。
そしてまた、我々信徒一人一人の、胸の奥にもいらっしゃいます。例え他の神々がこの世界から、神殿から立ち去られたとしても、ここから」イスールが己の胸に手を添える。「我らの主が去られることはありません」
「イスール殿。あなたは、あなたご自身は、モルド殿が本当に全ての神々を立ち去らせることができると信じておられるですか?」
「はい」
反射的と言ってもいい速さでイスールが応える。
「モルド執政であれば必ず。
もし仮に、モルド執政が道半ばにして倒れられたとしても、わたしたちがいます。わたしたちがモルド執政のご意志を引き継ぎます。必ずや、全ての神々に立ち去って頂くことになるでしょう。
マウロ様」
「何でしょう」
「マウロ様は先程、”古都”の魔術師の言いなりになる必要はありますまい、とおっしゃられたが、我々は決して”古都”の魔術師の言いなりになどなってはおりません。
”古都”もかつてはキャナの土地です。
いずれは我らが、”古都”を潰してご覧にいれましょう」
マウロの話を聞いて、「イスールも若い」と、カン将軍は笑った。「沈着冷静、滅多に感情を表に出すことのないつまらない小僧という噂だったが、なかなかどうして、熱いところのある若造のようですな」
マウロが頷く。
「カイトが見聞してきた迷宮大都の有り様から、決してキャナが一枚岩ではないと思ってはいましたが、思っていた以上に大きく引き裂かれているようです」
一ツ神を支持する者と、拒否する者のふたつに。
「モルドに続く次世代の者共が育っている、ということですなぁ」
「憂慮すべきことに」
「次世代の者共--、か」
カン将軍の視線がマウロから逸れる。次世代の者という言葉が、カン将軍にいくつかの連想を与えた。多くの物事が閃いては消え、再び繋がり、ひとつの言葉に収れんした。
『このいくさ。すでに我らの勝ちか』
不吉な連想だった。
確かに勝ちだ。
だが、そこには、誰もいなかった。
彼自身だけでなく。
マウロも。
ミユも。
「どうかされましたか?」
「いや」
マウロの問いに、カン将軍が笑う。
不吉な連想を振り払う。
「ペル様とカザン将軍が苦労することになるなと、思っただけですわ。
ま、それは、我々がいま気に病むことではありませんな。
どういうつもりかはともかく、ハラの若造めが夜襲をしないと雷神様に誓ったのは、至極良い情報ですぞ。
クロ」
「なんだい」
「ザワ州の公子殿の方はどうじゃ。お前の話からすると、ハラめの命令に大人しく従う御仁ではなさそうじゃが」
「確かに従わないだろうけど、多分、今夜襲って来ることはしないだろうなぁ」
「何故じゃ」
「公子さまは暴れたいからだよ。夜襲なんてつまらないことはしないと思うぜ。
もし、ヤルって決めたら躊躇うことなく襲ってくるだろうけど、もし夜襲をかける気ならオレやカイトに会いに来たりしなかったんじゃねぇかな」
「ならば、備える時間はありそうじゃな」
「そんなに時間、ねぇだろ?」
「いいや。ある。まずは、皆を集めてくれんか」
カン将軍が説明を終えると、広間はしばらく沈黙に包まれた後、沸騰したように怒号が湧き起こった。
今にも暴発しそうなほど兵士たちの怒りが高まったのを見計らって、カン将軍は片手を上げた。
「決戦は、明日じゃ!」
声を張り上げる。
「ヤツラは糧食もない、疲れてもおる。
へろへろじゃ。
”古都”の魔術師のつまらぬ好奇心に乗せられて、のこのこ我らが土地まで来たことを骨の髄まで後悔させてやろうぞ!
キャナのXXXXXどものXXXXXに、XXをぶち込んで迷宮大都まで叩き返してやろうぞ!」
あっとカン将軍が後ろを、ミユを振り返る。
「これは。ミユ様がいらっしゃるのを忘れておりましたわ。粗野な言葉遣い、お許し下され」
「気にしないでください、カン将軍」
笑みを浮かべ、ミユが澄んだ声を響かせる。
「そういったことであれば、わたくしも死にたくはありません。”古都”の魔術師の好奇心を満たすために死ぬなど、まっぴらです。
明日は、キャナの人たちに、せいぜい吠え面をかかせてやりましょう」
短い沈黙が落ちる。
どっと笑い声が弾ける。
「ミユ様のおっしゃる通りだ!」「絶対にミユ様を死なせたりはしません!」と、今度は温かみのある声が広間を満たした。
「ねぇ」
と、カイトは隣のクロに声をかけた。
「ん?なんだ?」
「ミユ様をお守りするのはいいけど、もう一人、姫巫女がいるってこと、みんなちゃんと憶えてるのかな?」
「いいんじゃねぇか?だってよ、そのもう一人の姫巫女が」
クロが顎をしゃくる。
「やる気満々だ」
クロの言う通り、フウは肩に弓を掛けたまま、興奮した様子でミユに何かを話しかけている。早口で、あたしが必ずミユ様をお守りします!と言っているように、カイトには見えた。
「そうだね」
「よいか!」
兵士たちの声を圧して、カン将軍の力強い声が響く。
「今夜、我らがやらねばならぬことは、食って、寝ることじゃ!明日のために、しっかり英気を養っておけよ!」
「おう!」
夜襲はほぼない、と判断しているものの、見張りの手筈を整えてから、カン将軍はカイトをひとり呼び寄せた。あまり表情のないカイトの顔を見て、ふと、カン将軍はロールーズの街に残してきた部下のことを思い出した。
死んだと聞いた。
矢で射られて。
『後を頼むぞ』と言い残したことが、深い悔恨となってカン将軍の胸を突いた。
「ワシの部下も、ロールーズの街にいたのじゃ」
意図せず言葉が転がり出た。
言ってから後悔した。
カイトの顔に、訝し気な表情が浮かぶ。
カン将軍の言葉の意味を測りかね、戸惑いを残したまま「カンさんが、あそこにいなくて良かった」と、カイトは応じた。
「ああ」
カン将軍が苦笑する。
殺意に痺れる指先をぐっと握り締める。
あそこにいなくて良かった。まったくその通りじゃ。と、思った。
カイトにとっては、否、狂泉の森人にとってはそれだけのことで、確かに、それだけのことでしかない。
「そうじゃな」
と、明るく笑う。
「ワシも歳を取ったのう」
清々とした声で、カイトに愚痴って見せる。
「そんなことないわ。だって、強かったもの。カンさん」
虚を突かれてまじまじとカイトを見返し、
「ありがとうよ」
と、カン将軍は口元を綻ばせた。意外なほど、嬉しかった。
「では、本題に入るとするかの」
食事の支度をする背後の喧騒を聞きながら、
「もし、城門を破られれば、この城でミユ様を守ることはできん。その時には、お前がミユ様とフウを連れて逃げよ」
と、カン将軍は告げた。
「どこへ?」
「森へ」
「どういうこと?」
「ザワ州の公子が言った、新しい神の居場所が判るというのは、10に8はハッタリじゃろう。ミユ様にザカラの居場所が判ったこともあって、必ずしも嘘とは言い切れぬのが辛いがな。
だから、もし、城門を破られた時には、ミユ様と一緒に森に紛れよ。
お前とフウの二人でミユ様をお守りしてくれ」
「判った」
「無理を言っておることは判っておる。だが、頼むぞ」
カイトが頷く。
「もし、オセロさんが追って来たとしても、森の中でなら、わたしは誰にも負けないわ」
迷いのない声でカイトが言う。
カン将軍が軽く眉を上げる。気負い過ぎているな、と思う。この娘も人か。と思う。すばやく思考を巡らし、
「おおそうじゃ」
と呑気な声を上げる。
「このこと、フウには予め話しておいた方がいいかも知れん」
「うん」
「ミユ様には知られるなよ」
カイトの背中に向かってカン将軍が言う。
「自分だけが逃げるなど、ミユ様は決して良しとはされんじゃろうからな」
「判った」
カイトの後姿を見送りながら「--後は、クロがやってくれるじゃろう」と、カン将軍は呟いた。
「さて、次は--」
カン将軍は広間に視線を戻した。
兵士たちの間に、広間を出て行くミユの姿が見えた。このいくさ。すでに我らの勝ちか。再び思う。
「--いや」
小さく呟く。
「まだまだ。やれることは、まだ、ある」
悔恨も後悔も、希望も全て振り落として、ミユを生かすための策を練るために、カン将軍はレナンを探して兵士たちの中へと分け入って行った。
カン将軍に言われた通り、カイトはフウを探した。
しかしフウはずっとミユの傍に張り付いていて、それならとカイトは、一人になったクロをこっそり呼んだ。
「そうだな。そうするべきかもな」
と、クロも同意した。
「公子さまの話はオレもハッタリだと思うぜ」
「うん」
「なぁ、カイト」
「なに?」
「もし、ここから逃れることが出来たら、お前らはそのままお姫様を連れて、狂泉様の森まで逃げればいいんじゃねぇかな」
「でも、ミユさんもフウも--」
「そうなんだけどな」
クロがうーんと唸る。
「根拠はねぇんだ。けど、なんだかあの二人なら匿ってくれそうな気がするんだよ。狂泉様が」
「どうして?」
「いや」
物事はなるようにしかならない。だから、大丈夫だよ、いぬ先生。と言ったイタカの言葉がクロは引っ掛かっている。
「なんとなく、なんだ。すまねぇな」
「だったらクロも一緒に行こう」
「オレも?」
カイトが頷く。
「フウとミユさんと4人で。だから、ミユさんから離れないで。何があっても。必ずわたしが行くから」
「カイト」
「なに?」
「お前の矢はどこまでも届く訳じゃない。そうだろ」
逸っていたカイトの心が深く沈む。
「……うん」
「オレはお姫様から離れねぇよ。でも、物事はなるようにしかならねぇ。だからあんまりひとりで抱え込み過ぎるなよ」
「でも」
「大丈夫さ。みんな頑張ってる。やれることをやってる。だから、お前もお前のやれることをやりゃあ、良いんだよ」
と、クロはだらしなく笑った。
「そういやあ、お姫様の芝居、見たことねぇなぁ。ちょっと見せてくれねぇ?」
広間で皆と一緒に食事をしていたミユにそう言ったのは、ミユの近くでカイトと並んでメシを食っていたクロである。
「今、ですか?」
口につけていた湯呑を下ろし、驚いたようにミユが問う。
「んー、そうだなぁ。いま、見てえなあ」
「あたしも、久しぶりに見たいです。ミユ様のお芝居」と、フウも言った。
ミユが視線を回す。
広間には他の兵士たちもいる。
しかし彼らは、ミユたちの会話に気づいている様子はなく、ミユは「判りました」と頷いた。
「何かリクエスト、ありますか?」
「王妃の黒いローブ」
と、答えたのはカイトである。
何かを確かめるようにミユの視線が天井にしばらく向けられ、「では、カイトのリクエストにお応えしましょう」と、ミユはカイトに向かって微笑んだ。
ミユが立ち上がる。
いちど顔を伏せてから、視線を斜め上へと向ける。菫色の瞳が、遠く、ここにはない何かを見る。
カイトの心臓が掴まれる。
ミユが腕を上げる。滑らかに腕を回し、軽く身体をくるりと回す。
たったそれだけのことで、ミユ以外にはいる筈のない堅実王やアリア姫、群臣、煌びやかなドレスを纏った貴族の娘たちの姿が見え、賑やかな音楽まで聞こえた。
王妃の黒いローブの冒頭、平凡王の誕生日を祝う場面だ。
ミユが口を開く。祝歌が広間に響く。
魂を持っていかれた。
芝居を見ていることを、カイトは忘れた。
兵士たちが話すのを止める。ミユへと視線が集まる。
演じ始めればミユは世界を忘れた。芝居の世界に浸り、見ている人々のことはまったく気にならなかった。
ペルと平凡王の出会い。愛の告白。二人の前に立ちはだかるアリア姫。宮殿に侍女として勤め始めたペル。少しずつ増えていく友だち。
そして、物語の転機となる仲の良かった侍女の殺害。
ミユはたった一人で演じている。にも関わらず、そうしたすべてがカイトには見えた。
やがて真実を知ったペルは、苦悶の末、「さようなら」と呟き、アリア姫を救うために再び魔術師の黒いローブを纏った。
カイトの頬を涙が伝う。涙が伝い落ちていることにも気づかない。
広間にはミユの声だけが響いている。カイトも兵士たちも、一人残らずミユの芝居に引き摺り込まれている。
マウロやフウ、イタカたち、ミユの芝居を観たことのある者は、まだ余裕があった。楽しんでいた。
クロもだ。
彼がミユの芝居を観るのは初めてだ。
しかし、クロが、カイトや兵士たちのように有無を言わせず芝居に引き摺り込まれることはなかった。マウロやフウのように、楽しんでいた。
浮かれていた。
「いいねぇ」
と、ひとり満足そうに呟き、機嫌よく両の耳を動かしながら、酒の入った湯呑みを、クロはゆっくりと口に運んだ。
広間の外では、音のない雨が再び、旧ロア城に集った人々を静かに包み始めていた。