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24-10(新しい神10(雨の夜の再会1))

 ロールーズの街は静まっている。

 ミユたちがいるのはロールーズの街の南側だ。クロもいる。カイトも。彼らが視線を向けているロールーズの街の反対側、北門前では、ザカラの罪状を記した起訴状が、トワ軍の兵士によって声高に読み上げられている筈だった。

 クスルクスル王国軍の多くは戦うことなく外濠を越えて逃げ散った。サッシャもミユたちも後は追わなかった。

 戦意を喪失して投降した兵は、まだ北門前にいる。

 ザカラの起訴状を聞かせるために。クスルクスル王国の民人にもザカラの罪状を伝えるために。

 トワ郡庁を落とし、オム市を去る前に、サッシャたちは郡庁に残された書類を、一枚残らず、廃棄されていた物も含めて、徹底的に調べた。

 クスルクスル王国が定めた法を、ザカラはとことん無視していた。

 横領。背任。収賄。窃盗もある。強盗も。郡庁を囲む城壁を築く際に周囲の土地を接収した行為も正規の手続きを踏んでいない。傷害。殺人。何人もの人々が殺された、増税に抗議した人々への弾圧もある。

 ザカラの一存で定められた違法な法も多い。

 初夜税などはその最たるものだ。

 起訴状にはそうした罪状がひとつ残らず記され、最後にトワ郡の民に対する人道上の罪を記し、クスルクスル王国の法に則って、トワ王国の民人の総意として、死刑が宣せられる筈だった。

 声が止まる。

 城壁を挟んだ反対側にいても判る。

 肌がひりつきそうなほど緊張感が高まる。

 短い沈黙の後、大きな歓声が、ロールーズの街を、城壁を、揺るがせた。

「終わったな」

 イタカが呟く。

「はい」

 ミユが頷く。

「郡主様は、亡くなられました」

 彼女がずっと感じていたザカラの居場所が、今はもう判らない。

「それじゃあ、行くかい?お姫様」

「そういたしましょう」

 クロの言葉にミユが頷く。

 歩き始めたミユに、もう一人の姫巫女であるフウ。彼女らを守るように、英雄であるイタカとかかし、カエルが続く。

 カイトとクロも一緒だ。

 ロールーズの街を訪れていたファロの民人も従った。

 民人たちの後ろには元山賊たちがいる。

 騒動に気づいて起き出したロールーズの民人たちの幾人かが、ロールーズの街を離れていくミユたち一行に気づいた。ひとり、ふたりと人数が増えていき、ロールーズの民人たちは城壁の上に鈴なりになって訳も判らないままミユたちを見送った。

 ロールーズの民人たちの中に、古老たちもいた。

「あんたたちが来なければ、こんなことにならなかったのよ!」

 サッシャに向かってそう叫んだ女もいた。

 ファロの子供たちをクスルクスル王国軍に差し出す。その代わりに、ロールーズの子供たちを逃がしてもらう。

 そう発案したのは彼女だった。

 間違ったことをしたとは思っていない。自分たちの方が被害者だと、いまでも彼女は信じていた。

 女は忌々し気にミユたちを見ていて、ふと、気がついた。

 誰かがいる。

 ミユたち一行の中に、子供のような……、でも、あれは。

 女が見ていたのは、新しい神である。

 見る者によって姿を変える新しい神である。

 女の顔から血の気が引いた。ガタガタと震え始める。あれは、子供たちの顔。あたしが殺した。そして、無数の……。

「わ、わあーー!」

 女が絶叫する。

 獣のような叫び声を上げ、女は逃げた。立ち去るミユたちに背中を向け、城壁から空中へと飛び出し、空中にあってもジタバタと手足を動かし、意味不明の叫び声を上げながら落ちていった。



 まだ、ロールーズの城壁が背後に、辛うじて小さく見えていた頃のことである。

 最初に気づいたのはカイトだった。

「誰かが追って来てる」

 と、カイトはクロに告げた。

「来たな」

 イタカが遠くへ視線をやる。

 追手がかかる。

 ミユたちはそう覚悟していた。

 クスルクスル王国軍でもトワ王国軍でもない。新しい神の信徒を討つための追手だ。海神や龍翁の信徒たちのことだ。

 土煙が上がっている。

 ロールーズの街から、おそらくは騎馬の一団が追って来ている。

「意外と少ないな」

 訝し気にイタカが呟く。

「50人ぐらいか?」

「それによ、ちょっと来るのが早すぎねぇか?」

 クロも疑問を口にする。

「イタカ先生、かかしさん、カエルさん。戦わないで頂けますか」

「ん?」

 イタカがミユを振り返る。

「海神様や龍翁様の信徒とは、戦わないで下さい」

「姫様、姫様の気持ちは判らないでもねぇけどよ。ただ殺されるっていうのは、オレは嫌だぜ」

 カエルが文句を言う。

 ミユが首を振る。

「わたしたちの成すべきことは終わりました。竜王様が遠ざけた神々の力を、もう、使うべきではありません」

「そりゃ、そうだけどよ」

「あたしもイヤです」

 フウの手には弓がある。

「あたしがミユ様をお守りします」

「フウ。あなたは戦巫女ではなく、姫巫女なのですよ」

 呆れたように言ったミユに、

「だったら、あたしは戦う姫巫女になります」

 と、フウは応じた。

「いいねぇ、それ」

 クロが低く笑う。

「それで一本、芝居が演れそうじゃねぇか。戦う姫巫女ってよ」

「フウもカエルさんも下がってて」

 カイトが前へと出る。

「わたしが死なせないわ。ミユ様も。フウも」

「悪いけど、オレもカイトと同じ意見だよ、お姫様。ああ、オレたちは新しい神の信徒じゃねえし、勝手に戦るんだ。

 止めてもムダだぜ?」

「オレたちも」「あたしたちも、勝手にします」

 クロに続いたのは、ロールーズの街から逃れて来たファロの民人たちである。ミユに従ってトワ王国軍に加わっていた男たちや、慰問に訪れていた女たちだ。

「みすみすミユ様を死なせたりしません」

「おう」

 ファロの民人を押しのけて、キヒコの手下だった山賊たちがカイトに続く。

「ここで姫様を死なせちまったら、あっちに行った時にカシラにどやされちまうぜ」

「カエル、お前は下がってな。英雄さまは大人しく、オレたちの後ろで姫巫女様を守ってな」

 ミユが短く息を吸う。イタカに向かって口を開こうとする。

 そこへ、

「もし、隊長さんに、あんたを連れてここから逃げるように言うつもりなら、やめた方がいいぜ?お姫様」

 と、からかうようにクロが言った。

「そんなことをしても、オレとカイトがいるんだ。地の果てまででも追いかけるよ。あんたを守るためにな」

 ミユが口を閉じる。

「そんなの……ヘンです」

 拗ねたように文句を言う。

 クロは嗤った。

「そうだな。でもよ、悪くねぇだろ?」

 遠くに追手の姿が現れる。

「待て、カイト」

 クロが告げる。

「追手にしては、何かヘンだ」

 騎馬の一群が足を止める。一騎だけが駆けて来る。ゆっくりと。手綱を握った男に、クロもカイトも見覚えがあった。

 よく陽に焼けた若い男だ。

 遠くからでも判る。

 ミユの親衛隊長を務めていたレナンである。

 カイトが弓を下ろす。

 少し先でレナンが馬を降りる。両手を上げる。

「頼む。射たないでくれよ、カイト」

「何の用だよ」

 クロが問う。

「カイトの弓がいちばん怖かったんだ。何せ、射たれたらお終いだからな」

 むっつりとした表情のままレナンが歩み寄ってくる。

 膝をつく。

 長剣を脇に置いて敵意のないことを示し、頭を落とす。

「我々もお供させてください。ミユ様」

 と、レナンは言った。


「我々はミユ様をお守りすることを海神様に誓いました。誓いを果たさせていただきたく、参上いたしました」

 ミユは頭を抱えたくなった。

 クロが言った通り、彼女はイタカに、自分とフウを連れて逃げるようにと頼むつもりだった。英雄の力があれば追手から逃げられるだろう、少なくとも、皆を巻き込まないようには出来るだろうと思ったのである。

 しかし、改めて考えてみれば、クロの言う通り、獣人であるクロと狂泉の森人であるカイトの二人に追われたら、どんな遠くに逃げても逃げ切れないという気がした。

 そこへ、供をしたいという者がさらに現れるとは。

 しかもそれがレナンだとは。

 レナンの頑固さはミユも知っている。

 サッシャに説得されるまで、たった数人で数万人のトワ独立軍と対峙して、まったく引こうとしなかった人だ。彼もまた、決して諦めることはないだろう。

「駄目です。レナンさん」

 ミユは泣きたい気持ちを隠して、レナンの前に膝をついた。

「トワ王国にはこれからまだ多くの困難が待ち受けています。むしろこれからの方が道は険しいものになるでしょう。

 お気持ちだけを嬉しく頂きます。

 しかし、供を許すことはできません。サッシャ様のところに、今すぐお帰り下さい」

「サッシャ様には暇乞いをして参りました」

 頭を落としたままレナンが応じる。

「サッシャ様から、ミユ様に使っていただくようにと馬車や旅の荷も預かっています。サッシャ様からもミユ様のことをよろしく頼むと言われました。

 トワ王国には優秀な人材が揃っています。遠からずマウロ様も援軍を連れて戻られるでしょう。

 我らが欠けたとて、トワ王国は何の心配もありません」

「いけません。今すぐ、サッシャ様のところにお戻り下さい。レナンさん」

「お断りします」

 レナンが顔を上げる。

 にこやかに笑う。

『コイツが笑ったトコ、初めて見るな』

 と、驚いたのはクロだけではなかった。ミユもまた、レナンの笑顔を見るのは初めてだった。

『なんて清々しい笑顔なのかしら』

 ミユは暗澹たる気持ちになった。こんなに清々しく笑う人を、どうやって説得すればいいの!と、暴れたくなった。

「お許しいただけなくても、勝手について参りますので。クロのように」

「へ?オレ?」

「我々は新しい神の信徒ではありません。ですから、ミユ様のご命令に従わなければならない理由はありません。

 クロは良くて、我々がダメ、ということはありますまい」

「あー、まあ、その通りかな」

 クロが同意する。

「オレたちも勝手について来てるしな」

 元山賊たちもうんうんと頷く。

「ダメです」

 ミユの声が震える。

「わたしは、もう、誰にも死んで欲しくはないのです」

 レナンが何と答えるか、クロにはすぐに判った。元山賊たちも。ファロの民人も。フウも。カイトも。

 なぜなら、誰もが同じ気持ちだったからだ。

 レナンが微笑む。

「申し訳ありません。わたしたちは、ミユ様を、死なせたくはないのです」



「ちょっといいかい?お姫様」

 昼時に休憩をとった。

 ミユがひとりになったのを見計らって声をかけたクロに、ミユは「クロさん」と声にトゲを混じらせて応じた。

「ん?」

「どうして誰も、わたしの言うことを聞いてくれないんですか」

 クロは嗤った。

「そんなふくれっ面してていいのかよ。お姫様」

 ミユはガキのように頬を膨らませている。

「クロさんにはいいんです」

「そりゃありがてぇ」

 と笑って、クロは言葉を続けた。

「ホントは判ってんだろ」

 ミユが弱く頷く。

「……判っています」

「あんた自身がサッシャに言ってただろ。あんたのことを引っ張り出して申し訳なかったって言ったアイツによ、あんたはあんたの意思でトワ王国に加わったんだって」

「……はい」

「みんな同じだよ」

「……判っています。でも」

 ミユの横顔が悲しみに曇る。

「わたしはもう、誰にも死んで欲しくはないんです」

「そうだよな。そりゃそうだ。でも、覚悟を決めた方がいいんじゃねぇかな」

「え?」

「残念だけどよ、この先に明るい道はねぇ。本当に、真っ暗だよ。でもよ、みんなそうと知った上でここに来てるんだ。お姫様なら判ってるとは思うけどよ。

 あんたが今、やらねぇといけねぇのは、みんなの気持ちを受け止めることなんじゃねえか?」

「クロさん」

「ん?」

「なんだか、ずいぶん、エラソウな言い方ですね」

 上目づかいに、責めるようにミユが言う。

 クロは嗤った。

『いいねえ』

 と、思う。この人は、こうでなくっちゃ。

「あー、いつもカイトの相手をしてるからかな。何せ、ガキだからな、アイツは。つい、説教くせぇ言い方になっちまう。

 すまねぇな」

 ミユが首を振る。

「判っています。判っているんです」

 小さく息を吐く。

「わたしはまだ、覚悟が足りないって。でも、……もう、そうは言っていられないんですね」

「あんたが大将だからな」

「はい」

 ミユがクロに顔を向ける。笑みを浮かべる。

 クロの心が弾む。嬉しくなる。

「ありがとうございます。クロさん」

「いいってことよ」

 と、だらしなくクロが笑ったところへ、「クロ、いるか?!」と、彼を探す声が響いた。


「千の妖魔の女王--」

 フウが呟く。

「知ってる?」

 カイトに問われて、フウは頷いた。

「イタカ先生に教えて貰ったことがある。デアの4大魔導士の一人だって。本当にいたかどうかも判らない人だって。

 その人が、竜王様の友だちかぁ」

「うん」

「どんな人だったの?」

 カイトが首を捻る。考え込む。

「えーと。よく判らないヒトだったけど、うーん、イタズラ好きな子……、かな」

 フウが笑う。

「なに、それ」

「フランが魔術をよく知ってるのは間違いないと思う。フランの呪文は、今まで聞いた誰よりも、聞いてて気持ち良かったから」

「そうなんだ」

 カイトが振り返る。フウも。

「こんなとこにいたのか、カイト」

 カイトに声をかけたのはクロである。

「何かあったの?」

 立ち上がりながらカイトが訊く。

「妙な商人が来てるんだとよ。お前に会いたいって」

「誰」

「シンクって名乗ってるらしいが、お前、知ってるか?」


 シンクがいるというところにカイトがクロと行くと、シンクは兵士たちに取り囲まれて地べたに座っていた。大きく布を広げ、取り囲んだ兵士たちに笑顔で話しかけていた。

 広げられた布の上には、様々な商品が並べられている。

「シンクさん」

 カイトが声をかけると、「やあ、カイトちゃん。探したよ」とシンクは笑って応じた。

「騒動が収まってさ、ロールーズの街に行ったけどどこにもいないんだもの。

 トワ王国の兵士に訊いても言葉を濁すだけで、カイトちゃんの友だちだって言っても信用してくれなくてさ、最後にはトワ王国の大将にまで詰問されて、ホント、タイヘンだったよ」

「なんだ、コイツ」

 胡散臭げにクロがカイトに訊く。

「シンクさん。ロールーズの街まで案内してもらった人」

「なんでこんなアヤシイヤツに案内なんかしてもらうことになったんだよ」

「えーと」

「縁があったってことだろうねえ」

 しみじみとシンクが言う。軽く首を振る。

 クロが顔をしかめる。

「縁ねえ」

「どうしてシンクさんが、こんなところにいるの?」

「オレは商人だからね。ここならいい商売ができると思ってね。売れそうなモノをいろいろ持って来たんだよ。ハブラシ、石鹸。下着もあるよ。足りてないんじゃない、こういうの」

「あー、確かにな」

「もうけっこう売れたよ」

 にこにこと笑ってシンクが言う。

「それと、カイトちゃんに返さないといけないものがあるからね」

「わたしに?何を?」

「これ」

 シンクが取り出したのは一本の矢である。

「助かったよ」

 カイトが首を振る。

「ううん。わたしこそ。ありがとう、シンクさん」

「命を助けられたからねぇ。礼を言うのは、やっぱりオレの方だよ。それとね、カイトちゃんにじゃないけど、他にも預かり物があるんだ」

 彼らしからぬ丁寧さでシンクが、脇に置いた荷物から何かを包んだ布を取り出す。シンクが開いて見せたのは、十数房の髪の毛だった。

「これ、騙されて殺されたっていう子供たちのだよ」

「え?」

「クスルクスル王国軍に殺された子供たちだけどね、リプスは子供たちの首をロールーズの街に放り込もうとしてたらしいんだ。だけど、軍に帯同していた海神様の巫女様が頑として認めなくてね。

 子供たちの遺体は巫女様の手できちんと埋葬されたよ。

 これは、巫女様が、子供たちの生まれ故郷のファロに葬ることができればって取っておいたんだって。

 ロールーズの街でカイトちゃんを探しているときにさ、偶然、巫女様に会ってね、オレもカイトちゃんに返さないといけない物があるから、ついでに渡してきますよって預かってきたんだ」

 カイトがクロに顔を向ける。

「クロ」

 クロが頷く。

「お姫様を呼んで来る」

 クロに連れられて姿を現したミユを見て、「わお」と、シンクは声を上げた。「こりゃ、美人さんだなあ」

 デレデレと目じりを下げる。

 ミユは子供たちの遺髪を受け取ると大事そうに胸に押し当て、目を閉じた。

「フウ」

 涙の跡を残したままフウを呼び、遺髪を預ける。

「これを」

「はい」

 フウが頷いて後ろに下がり、やがて、遠くから人々の泣き叫ぶ声が聞こえた。死んだ子供たちの親たちの声だ。

 ミユはシンクの手を取り、「ありがとうございます。シンク様」と、深々と頭を下げた。

 シンクはミユに手を取られたまま「いやあ、こんな美人さんに礼を言われたら、オレ、どうしたらいいのか判らなくなっちゃうなぁ」と、だらしなく笑った。

 手を振ってカイトたちを見送り、「もったいないなあ」と、シンクは呟いた。「あんな美人さんまで、もう死ぬ以外、道がないっていうのは」

 遠くで、まだシンクが見送っていることに気づいて、ミユが深々と頭を下げる。

 シンクは軽く眉を上げた。

 胸の奥に鈍く疼くものがある。

 遠い昔に失くしたと思っていたものがある。

「ま、オレには関係ないか」

 と肩を竦め、フォル商会で後金を受け取るために、鼻唄を歌いながらシンクは東へと足を向けた。



「どうだった?」

 戻って来たカイトに、クロが訊く。

「誰もいない。あの人だけ」

「ふーん」

 クロが視線を向ける。カイトがあの人と言ったのは、100mほど先、ミユたちの行く手に立ち塞がった一人のひょろりとした男である。

 笑顔はない。

 むっつりと口を閉じて、ただ、ミユたち一行を見つめている。

 男の背後には、街がある。

「オレが話してこよう。皆はここで待っててくれ」

 イタカが前へと出る。

「気をつけろよ、隊長」

「何かあったらミユを頼むよ、いぬ先生」

 歩み寄ったイタカに、男は、「困るんだよ」とあからさまな怒りと苛立ちを含んだ声で文句を言った。

「どうしてこんなところに来たんだよ」

「我々はここを通して貰いたいだけだ。他には何も望まない。約束しよう」

 男が、はぁっとため息を落とし、首を振る。

「ここは海神様の街だ。判ってんのか?あんた」

「む」

 男の遠慮のない物言いに、イタカが怯む。

「新しい神の信徒を、海神様の街に入れられるとでも思ってるのか?オレらの街を避けて行ってくれ。

 あんたらと戦るつもりはないからよ」

 イタカを新しい神の英雄と知っているのか知らないのか、男はまったく臆する様子を見せない。

「申し訳ない。だが、他に道がないんだ。通して貰えないだろうか」

「そんなことオレらの知ったことか。あんたらの都合をこっちに押し付けないでくれ。迷惑なんだよ。

 あんたらを討たない。それだけで感謝して欲しいね」

「そうか」

「いいか。絶対に街には入るなよ」

 男がイタカに背中を向け、

「ああ、そうだ」

 と、言葉を続ける。

「この街は昼寝の習慣があるんだ。あんた、知ってるか?」

「いや」

「昼寝の時にはみんな、窓を閉める。扉もな。商店も閉まるし、神殿も扉を閉じる。寝るにはうるさいからな。

 だから、誰が街を通って行こうが、誰も気づかない。

 ま、あんたらには関係のない話だろうがね」

 それだけを言い捨てて、男が街へと戻って行く。

 振り返らない。

 イタカは立ち去る男の背中に向かって、深く頭を下げた。

 窓も扉も閉じられ、静まり返った街の中を、ミユたちもひと言も口を開くことなく通り過ぎた。

 別の街でも、同じようなことが起こった。

 十数人の男女が、「街には入れられない」と、行く手を阻んだ。

 陽が落ちようとしていた頃のことだ。

「そっちに廃屋がある。誰も管理してない廃屋だ。誰が使おうが知ったことではないが、街には入るなよ」と、乱暴な口調でミユたちを追い払った。「汚らわしい。とっとと行っちまいな」

「なんだ、その言い方ぁ!」

 怒声を上げたカエルや元山賊たちの前にミユが立ち塞がり、黙って人々に頭を下げ、実際に行ってみると、廃屋と言うには立派な建物があり、食事の支度までしてあった。

「毒は入ってねぇよ」

 クロとカイトが確かめ、念のために、英雄であるカエルがひと口食べて確認した。

「どうしてこんなに良くしてくれるんだろう」

 カイトの問いに、

「お姫様がザカラを討った。それが一番大きいんじゃねぇかな」

 と、クロは答えた。

「自分の為じゃなく、トワ郡の民のために。みんな本当は誰がザカラを討ったか知ってるんだ。だからじゃねえかな。

 お姫様がトワ一族だっていうのは、まあ、それもあるだろうが、あまり関係ないんじゃねぇかとオレは思うぜ」

 カイトにはよく判らない。

 クロが言葉を続ける。

「お前ら森人の義務は、狂泉様の許しなく森に入った者を殺すことだろう?」

「うん」

「でもよ、すぐに殺すって訳じゃないんだよな。説得したり、首根っこ掴んでつまみ出したり。

 それって、狂泉様の法に逆らってるってことじゃないのか?」

「そんなことない。--と、思うわ」

「それはそれで正しいことだってことだよな」

「うん」

「こうしてお姫様のために食事を用意してくれたり、眠れるところを用意してくれるのも同じことだよ。

 多分な」

 カイトはしばらく考えて、「わたしは森人だわ」と、言った。

「なんだよ、急に」

「わたしは森人だから、外の人とは違うわ。でも、同じでもあるんだ。そう思っただけ」

 カイトが食事に取り掛かる。遠慮なく頬張る。

「相変わらずムズカシイことを言うねぇ、お前は。オレにはさっぱり判らねぇよ」

 と、クロは嗤った。



「兵士がいる」

 先行していたレナンの部下が報告し、ミユたちは足を止めた。100人は越えているという。だが、陣形を整えているのではなく、まるでミユたちを歓迎するかのように道の両側で炊事をしているという。

「それと、あの方は、多分--」

「何だ」

 どう言おうかと迷っていた兵士が、気を取り直し、レナンを見つめ返す。

「隊長にも、確認していただいた方が宜しいかと思います」

「やあ、ようやく来られましたな」

 にこにこと笑って出迎えた老人を見て、レナンは驚いた。

 歳は取っているが動作は機敏で隙がなく、意志の強さと生真面目さが目じりの皴にまで深く刻まれている。しかし、口元には不思議なユーモアがある。

「カン将軍」

 半ば呆然としてレナンが老人の名を口にする。

 クスルクスル王国軍を率いて戦い、トワ王国軍をロールーズの街に押し込んだ、カン将軍、その人である。

「何故、あなたがこんなところに」

 隠しきれない驚きを声に残してレナンが訊く。

「脱獄して参りましたよ」

 カン将軍が答える。

「脱獄……?」

「勝手に軍を動かした罪を問われましてな。ま、その通りなのですが、ほとほと嫌になりましてなぁ。

 もし良ければ、ご一緒させていただければと思いまして、彼らとここでお待ちしていたということですわ」

「彼ら?」

「クスルクスル王国軍を抜けた兵たちですよ」

「あ」

 レナンも元はクスルクスル王国軍の兵士だ。言われてみれば、知った顔が幾つもある。

「ミユ様にお会いしたいが、宜しいですかな?」

 レナンが部下を走らせ、イタカたちに守られてミユが姿を現し、カン将軍は居住まいを正した。ミユに向かって深々と頭を下げる。

「子供たちを死なせてしまったこと、お詫び申し上げます」

「カン将軍。頭をお上げください」

 ミユがカン将軍に歩み寄り、彼の腕に手を添える。

「わたしが甘かった」

 頭を下げたまま、深い悔恨の混じった声でカン将軍が言う。

「わたしがリプスめを追い返していれば、こんなことにはならなかった。知っておりましたのに。彼奴めがどういう人間か」

「カン将軍の責任ではありません。わたしが--、わたしが、誤ったのです」

 ミユの言葉に、カン将軍が首を振る。

「キヒコもむざむざと死なせてしまった。彼らも--」

 カン将軍が背後の兵士たちを振り返る。

「子供たちを死なせてしまったことを悔いております。中にはザカラに恨みを抱きながらも、生きるためにとクスルクスル王国軍にいた者、ザカラを討つという行動には起こせなかった者もおります。

 我らも共に、行かせては頂けませんか」

「しかし--」

「最早、我らにも帰るべきところはどこにもありません」

「……カン将軍」

「それに、どうもわたしは俗物であることをやめられない様でしてな」

 カン将軍の口調が変わる。

「えっ?」

「全ての神々を相手に戦えることなどそうそうないことです。最後にひと花、派手に咲かせたいのですよ」

 と、軽やかに老人は笑った。

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