24-8(新しい神8(カイトがいる、ということ))
フウの跡を追ってカイトは王宮に行き着き、王宮の入り口で彼女を待っていたクロに会った。
「わたしも残る」
「新しい神の信徒になるのか?」
からかうように訊いたクロにカイトが首を振る。
「狂泉様に破門されたら仕方ないけど、そうでなければ、わたしは狂泉様の信徒だわ」
「ま、そうだよな」
「うん」
「お姫様が待ってるぜ」
「え?」
「お前が戻って来たってフウが出てったらしいからな。お前が戻って来たことは知ってるよ。
会いたいそうだ」
「判った」
クロが王宮内へと足を向ける。
「で、リアちゃんはどうなった?」
「ちゃんとお務めを果たして、母さまと会えたわ」
だらしなくクロが笑う。
「そりゃ良かった」
「うん」
両開きの、無駄にでかい大きな扉をクロが押し開く。広い。部屋の正面、床から数段高いところに派手に飾り立てられた椅子が据えてある。
謁見の間である。
部屋にはミユとフウ、それにイタカがいた。三人で部屋の真ん中に立ち、カイトを待っていた。
「おかえりなさい、カイト」
ミユがまず、口を開く。
「わたしもここに残る」
宣言でもするかのようにカイトがミユに応じて、「あいさつぐらいしろよ、カイト」と、クロが呆れたように言った。
「あ、ゴメン」
くすくすとミユが笑う。
「まるで、カイトの父さまみたいですね、クロさん」
クロが顔をしかめ、大げさに手を振って見せる。
「止してくれよ、お姫様。そりゃ、コイツはガキだけどよ、せめて保護者って言ってくれねぇか」
「保護者ですか」
「ああ」「うん」
クロとカイトが声を揃えて頷き、ミユは楽しそうに笑った。
「では、クロさんにお聞きしましょう。
本当に宜しいのですか?」
クロが肩を竦める。
「それはカイトが決めることさ」
「そうですね」
ミユが改めてカイトに菫色の瞳を向ける。
『きれい』
と、カイトは思った。
こんなにきれいだったんだ、ミユさんは。
『何言ってやがる。これ以上ないお姫様だぜ、あの子は。お前には判らないかも知れねぇがな』
クロの言う通りだ。と思う。
わたしは、何も判っていなかったんだ。
エルが纏っていた華やかな美しさとは違う、素朴で、力強い美しさがミユにはあった。
ミユの向こうに海が見えた。
金色の海が。
違う。と、カイトが思い直す。稲だ。豊かに揺れる稲穂の波だ。酔林国に初めて入った時に見た景色だ。
「カイト」
ミユの背後に、きらきらと稲穂の間に輝く用水路さえ見える気がした。
「何。ミユさん」
「狂泉様の森には帰れないかも知れません。それでもいいのですか?」
「うん」
カイトが少し言葉を探す。
「--わたし、革ノ月を終えて、すぐ酔林国に行ったの」
「はい」
「わたしが酔林国から戻ると、父さまと母さまは、--死んでいたわ」
「……はい」
「だから、フウを探すために森を出るときに、伯母さまに、必ず帰って来てねって言われて、わたしも、うんって答えたけど、でも」
「でも?」
「いま帰るのは、伯母さまとの約束を守ったことにはならない。そう思うわ」
カイトの栗色の瞳に、森の泉の静けさがある。
「そうですか」
ミユがカイトに歩み寄る。カイトの手を取り、カイトから視線を逸らすことなく「ありがとう、カイト」と、ミユは言った。
「サッシャ様たちが待っています」
「こっちだ」
イタカが先に立って歩き始める。
歩き始めたミユから離れてフウがカイトに歩み寄り、「本当にいいの?カイト」と心配そうに訊いた。
少しいじわるをしたくなった。
「フウは勝手なことをする」
「え?」
「だから、わたしも勝手なことをするわ」
フウが笑う。寂しそうに。安心したように。
「判った」
ミユの傍らに戻っていくフウを見送るカイトに、「なあ、カイト。お前にはどう見えてる?」と、クロが尋ねてきた。
「え?」
「新しい神だよ。お姫様の後ろにいるだろ?」
「うん」
ミユの背後に、確かに何かの気配がある。
似た気配をカイトは知っている。狂泉の神使である銀色狼の気配、死の公女の神使である赤犬の気配だ。しかし、一番近いのは、紫廟山の禁忌の森で背後から差し込まれた細い腕だ。背中に押し付けられた豊かな乳房だ。
だからそこに新しい神がいると言われても、カイトは不思議には思わなかった。
「気配はある」
クロの質問の意味が判らないまま、カイトが答える。
「えっ?」
「え?」
クロがあっと気づいてカイトに視線を戻す。
「もしかして、見えてねぇのか?」
「え?」
クロが深く頷く。
「そうか。何も見えないってこともあるのか」
カイトには新しい神が見えていない。あるがままにあるものを見ているからか、理由は判らないが。
カイトらしいぜ。クロはそう思った。
「どういうこと?」
「新しい神は、見る人によって違った姿で見えるんだよ。オレには表面に数字が浮いたただの球体に見えてるけどな、フウは、フウの母さまが見えてるらしいし、カエルはキヒコの爺さんが見えてるんだってよ」
「そうなんだ」
「オモシレェよな。伯爵様なら何が見えるんだろうな」
「伯爵様……」
カイトが考える。
「何となくだけど、難しい計算式とか見ていそうな気がする」
クロは笑った。
「なるほどな。計算式ね。そうかも知れねぇなぁ」
「カイト。わたしはあなたの強さが羨ましいと思っていました」
歩きながら、ふとミユが言った。
「え?」
「でも、いまは、クロさんがあなたの相棒なのを何より羨ましく思っています」
「どういうこと?」
「そのままの意味ですよ」
ふふふと、いたずらっぽくミユが笑う。
ミユの笑いの意味が判らず、カイトはクロに、
「どういうこと?」
と、訊き直した。
クロが肩を竦める。
「さあな。オレにも判らねぇよ。姫様は昔っから、もうひとつ判んねぇお人だったからな」
「え」
「ん?」
「昔からって?」
「え?」
クロがカイトを見返す。
「オレ、そんなこと言ったか?」
「言ったわ」
ふむとクロが考え、「さあ。どういう意味だろ。オレにも判らねぇな」と、首をひねった。
謁見の間に比べればはるかに小さな扉の両側に、かかしとカエルが立っていた。
「おかえり、森のお嬢ちゃん」にこにこと笑ってかかしが開けた扉をミユとフウが潜り、イタカが続いた。
足を止めたままのカエルはカイトを見上げて何か言いかけ、口を閉じ、少し迷って、くしゃっと笑った。
「頼りにしてるぜ。お嬢」
「うん」
部屋の中には、10人には少し足りない人々がいた。
サッシャやクロが信頼できると思った人々だ。
部屋の真ん中に据えられた長机の正面にサッシャがいる。
旧ロア城で見かけた山賊、いつもキヒコの傍にいた男もいる。カイトが初めてサッシャに会った時、ケサンと並んでサッシャの護衛をしていた男もいる。カイトの知らない人もいる。
誰もが、『きちんと森と向き合っている人だ』とカイトは思った。
人々の中にミユの親衛隊長もいた。
小柄だがよく鍛え上げられた身体は引き締まり、陽に焼けた顔は僅かに頬がこけ、落ち窪んだ眼孔の奥に意志の強そうな灰色の瞳があった。
元は中部トワ郡のクスルクスル王国軍に属していた兵士である。階級は低かった。しかし、彼の上官が反乱軍に降った後にも、彼だけが数人の部下と共に最後まで投降を拒否して抵抗を続けた。
彼らの戦いぶりと忠誠心を惜しんだサッシャが単身、敵陣へと乗り込み、3日かけてトワ独立軍に加わるよう口説き落とした兵士である。
レナンという名だとカイトは教えられた。
「正面から打って出るべきだと思います。北門から。正門から」
と、提案したのは、彼である。
発言を求めてレナンが手を上げると、会議室が静まった。
「郡主殿の非道はタリ郡でも知られていましたから、元々、クスルクスル王国軍の兵士の士気は低かった。
カン将軍にはわたしも会ったことがある。
一見すると真面目一辺倒で堅そうに見える方だが、意外と気さくな方で、場を明るくする能力にも長けていた。士気の低いクスルクスル王国軍を動かしていたのは、あの方の性格によるところが大きかった筈です。
だから、カン将軍も無理はしなかった。こちらを追い詰めようとはせず、降伏を勧めてきた。愚考するに、カン将軍が降伏を勧めてきたのは温情からではなく、クスルクスル王国軍の実情を知った上での冷徹な計算だったのではないでしょうか」
「それで?」
サッシャが先を促す。
「正面から打って出るべきだと思います。北門から。正門から」
と、レナンは断言した。
「新司令官殿は、子供たちをだまし討ちするという愚行を犯した。
元々士気が低かったクスルクスル王国軍の兵士の間に動揺がある。今なら、正面から堂々と打って出れば、多くの兵が逃げ散るでしょう」
クロが頷く。
「確かにな。ひどく緩んでたよ。クスルクスル王国軍の陣内は」
クロの隣でカイトも頷く。
「しかし打って出ると言ってもよ、どうやって?北門前の橋は落とされてるぜ?」
クロが訊く。
「新しい橋を架ければいいんだ、クロ」
「はぁ?」
「確かに落とされはしたが、土台は残っている。予めロールーズの街の建物を壊して、材料を用意して、手早く橋を架け直してしまえばいいんだ」
「簡単に言うなあ」
「オレはカイトを見たからな。オム市で」
急に自分の名を言われて、「え?」とカイトが声を上げる。
「どういう意味だよ」
「オレだけじゃない。多くの兵士が見た。カイトの弓の腕を。だから大丈夫だ。安心して命を預けられるよ」
「つまり、カイトに守らせておいて、その間に橋をかけちまおうってことか?」
「簡単な話だろう?」
クロがカイトを振り返る。
「だ、そうだけど?」
「うん」
カイトが頷く。
「誰も死なせないわ。わたしが」
サッシャが頷く。力強く、深く。
「そうだな。打って出よう、正面から。正々堂々と」