24-7(新しい神7(たとえ、神々の敵となろうとも3))
「オレにも手伝わせてくれ」
話を聞いたカエルはミユに詰め寄った。
「なんでもする。もし、力を貰えるなら、英雄にでもなんにでもなる。いや、そうじゃなくてもいい。
とにかく手伝わせてくれよ」
「カエルさん」
「なんだい。姫様」
「三代様は一ツ神の信徒のことを、”全ての神々の背信者”、と呼んで批判されました。
ですが、新しい神の信徒になるということは、一ツ神の信徒ではなくわたしたちこそが、”全ての神々の背信者”になるということです。
それでも宜しいのですか?」
「姫様はもう、覚悟の上なんだろう?」
「はい」
「カシラをむざむざ死なせた神になんか、未練はねぇよ」
「隊長さんが行くところなら、ボクも行くよ」
「おいおい、かかし--」
「隊長さん、エイユウになったんだよね。だったらボクもエイユウになるよ」
「いや、そんな簡単に」
「なあ、かかし」
クロが口を挟む。
「なあに、お犬ちゃん」
「お前には、新しい神はどんな風に見えているんだ?」
「ミユちゃん」
「ん?」
「そこの子のことだよね?よく似てるね。ミユちゃんにそっくり」
クロがイタカを振り返る。
「だとよ」
イタカが唸る。
「そうか。そう見えるのか」
「うん」
「かかしはさ、隊長。オレたちの誰よりもずっと、ハラが座ってるんじゃねぇか?」
と、クロが言い、彼の声に被せるように、カエルが震える声で、「姫様」と、ミユに話しかけた。
「オレは下らねぇ人間なんだよ。ゴミ溜めみてぇなとこで生まれて、親も下らねぇヤツラでさ。人の物を奪うなんか当たり前で、裏切って、気に食わねえヤツラは片っ端からぶっ殺して生きてきたんだよ。ずっと。カシラに会うまでは。
でも、あの子たちはオレのことをカエルさんって呼んでくれたんだよ。
人として扱ってくれたんだよ。笑ってさ。
それなのに、オレはあの子たちの手を引いて、あの子たちを連れて行ったんだ。連れて行っちまったんだ。昔のオレみたいな、人でなしどものところへさ。
オレはアイツを許せねぇ。
あの神官野郎を。
でも、オレは、オレ自身をもっと許せねえんだ。
姫様。
オレ、あの子たちの声が耳から離れないんだよ。助けて助けて、っていう声が。あれからずっとここが」カエルが胸を押さえる。「苦しいんだよ。頼むよ。オレにも、あの子たちの仇を討つ手伝いをさせてくれよ」
「カエルさん」
「なんだい」
「わたしもです。わたしも苦しい。ここが。ずっと」
己の胸に添えたミユの手が微かに震えている。
「ロールーズの街を出て行くときに、わたしに手を振ってくれたあの子たちの姿が脳裏から離れないのです。
あの時、これであの子たちが助かると、愚かにもあの子たちに向かって振ったこの手が呪わしい。
いますぐ切り落としたいほどに」
ミユが固く手を握り締める。足を踏み出し、カエルの手を取る。
「共に参りましょう、カエルさん。皆で、キヒコ様のいらっしゃるところに」
「何人かには知らせといた方が、意外と秘密は守れるんじゃねえか」
クロが提案し、
「そうですね」
と、サッシャも同意した。
サッシャの昔からの仲間、ミユの護衛を務めている兵士たち、ファロの民人、その中でも口が堅く信頼を置ける者の名前をサッシャやイタカが挙げていて、ミユがふと後ろを、新しい神を振り返った。
軽く頭を垂れる。
新しい神がミユに何かを告げていると察して、会議室が静まる。
しばらくしてから、ミユが「えっ」と声を上げた。
「我が主よ。しかし……」
ミユの声に動揺がある。しばらくの沈黙の後、
「ですが」
と喘ぐように言って、新しい神を瞬きすることなく見つめる。神の声は、ミユ以外には聞こえていない。新しい神が何を言ったか、ミユの顔に戸惑いが浮かぶ。
「どうしたんだよ。お姫様」
ミユがクロを振り返る。視線が泳ぐ。口を開きかけ、再び閉じ、迷いを残したまま、フウへと視線を転じる。
「フウ」
「はい」
「主が、あなたもまた、姫巫女にしたいと、おっしゃっています」
「え」
「ダメだ!」
と、クロは反射的に叫んでいた。
「ダメだ!フウ!」
クロはためらうことなくフウに歩み寄り、フウの肩を掴んだ。
「ダメだ、フウ。断れ」
「クロさん……」
「新しい神の姫巫女になる。それがどういうことか、判っているか?」
「……はい」
「お前はカイトと森へ帰れ」
「え」
「これは森の外の問題だ。せっかく狂泉様がお認め下さったんだ。お前はまだ狂泉様の信徒だ。
森人だ。
オレたちにつき合う必要はねぇ」
「……クロさん」
短くクロが息を吸う。
「新しい神の姫巫女になるってことは、必ず死ぬってことだ」
ミユがいることは判っている。
ミユが必ず死ぬと、断言していると判っている。
しかし、言葉を止めることは、クロにはできなかった。
「例外はねぇ。全ての神々が、海神様や狂泉様が、お前の敵になるんだ」
「……はい」
「カイトを独りにする気か」
クロの言葉に、フウの瞳が揺れる。
「残される辛さを、お前なら良く知ってるだろう?あいつは父さまと母さまを失くした。独りで残された。
あいつにまた、同じ思いをさせる気か?フウ」
「……」
「そんなことオレが許さねぇ」
「あんたが許すことじゃねぇだろ、クロ」
「うるせぇ!」
クロが怒声を上げる。会議室が震える。
「オレは今、フウと話してんだっ!黙ってろ!カエルッ!」
「な……!」
怯んだカエルの腕を誰かが抑える。イタカだ。
クロはフウに向き直り、彼女の栗色の瞳を覗き込んだ。
「フウ。頼むよ。オレはあいつに辛い想いをさせたくないんだ。あいつが帰って来るのを待ってるって約束したんだろう?」
「--うん」
「だったら約束を守ってやってくれ、フウ」
フウが顔を伏せる。
しばらく考えてから顔を上げ、再びクロを見返したフウの口元には笑みがあった。
「ありがとう、クロさん」
「フウ」
フウの肩を掴んでいた手を、クロが離す。
「ごめんなさい」
嗚咽のような低い唸り声がクロの喉から漏れた。
「我が主よ」
声を上げたのはイタカである。
「何故、フウを姫巫女に?」
新しい神が視線をイタカに向ける。平凡王の姿をした神は、「お前の考えている通りだ。我が信徒よ」と、答えた。
「私ほど恵まれた者は、他にはいないだろう」
無機質で平板な神の声に、どこか誇らしげな響きがある。
イタカが新しい神に頭を下げる。
「いぬ先生」
「なんだよ、隊長」
がくりと肩を落としたまま、クロが応じる。
イタカはどう言おうか迷って、「フウの意思を尊重しよう」と言った。
「大丈夫だよ」
「何が」
「物事はなるようにしかならない。だから、大丈夫だよ、いぬ先生」
と、イタカは静かに言った。
「それが昨日のことだ」
と、クロは言った。ロールーズの城壁の上である。
「ねえ」
カイトが訊く。
「なんだ」
「新しい神って、なに?」
「そうだなぁ」
クロの声に少し軽さが戻る。
「改めて訊かれると、オレにもよく判らねぇな。どこから来たのかは知らねえけどよ、新しい神は人々の不満が祈りになって生まれると言われてるよ。
だとしたら今回は、お姫様に呼ばれたんだろうな」
「どうして海神様や狂泉様と争うことになるの?」
「天に新しい神が座る椅子がないからさ。あー、オレはそう聞いてるけど、ホントのとこはどうなんだろうな。
元々が人々の不満から生まれたってことだから、ホントは争うのは神々じゃなくて、神を信じる人間の方なのかもな」
クロがため息を落とす。
「新大陸のショナって国、知ってんだろ」
「うん」
「ショナの魔術師協会には、新しい神を封じる術があるそうだ」
「どんな術?」
「詳しいことは秘中の秘で、オレもよくは知らねえ。
”門”という術で、新しい神を、この世界から追放するか、封印するらしい。その際に、信徒の祈りで新しい神を縛っておいて、信徒と一緒に”門”の向こうに追いやるんだ。
神を追うための祭りでな」
「……」
「ただの信徒なら新しい神の信徒を辞めればいいんだ。改宗しちまえば罪には問われねぇ。あー、ま、法に触れたってことで人の決めた罪には問われるだろうが、神々としては許してくれるよ。
けど、姫巫女になっちまったら、もうダメだ」
「……」
「神々の敵として殺されるか、新しい神と一緒に”門”の向こうに追いやられるか。
どっちかしかねぇよ」
カイトがクロから視線を逸らす。クロも気づいて振り返る。
「カイト」
と、暗がりから声が響く。
フウの声だ。
カイトが身を翻す。後ろを見ることなく、カイトはその場から、すべてから逃げた。
ロールーズの街のどこかの屋敷の庭に、小さな茂みがあった。
「見ぃつけた」
と、茂みの奥を覗き込んだのはフウである。
「どうして見つけられるの」
茂みの奥で膝を抱えたまま、カイトが訊く。茂みに潜り込み、カイトの隣に腰を下ろして、「さあ」とフウは答えた。
「どうしてかな。カイトがどこにいるか、あたし、判るみたい」
「フウ」
「なに?」
「ミユ様の代わりに、死ぬ気なの?」
フウが笑みを浮かべる。
やっぱり判っちゃうか、カイトには。
と、思う。
「旧ロア城の森でカイトに会った時ね、あたし、ほっとしたの」
「どういうこと」
「ああ、これで楽になれるって」
「……」
「森に帰りたかった。みんなのところに。でも、ミユ様とも離れたくなくて。ファロのみんなは優しくしてくれたし、ちっとも辛くなんかない筈なのに、あたし、辛かったの。
すごく」
カイトは顔を伏せたまま聞いている。
「だから、あたしを殺すためにカイトが来てくれたって。これで楽にしてくれるって。そう思ったの」
「……」
「楽しかったわ、海都クスルへ行ったの。
カイトと一緒に行けて、ホントに楽しかった。マウロ様をお助けしたいって気持ちに嘘はなかったけど、楽しかったの」
「--わたしも」
「良かった」
フウが笑う。
「カイト」
「なに」
「顔、見せてくれる?」
カイトが顔を上げる。涙に潤んだ青みを帯びたカイトの栗色の瞳を、フウの赤味を湛えた栗色の瞳が覗き込む。
「でもね、ミユ様のこともやっぱり放ってはおけないの。
カイトの言う通りよ。本当にできるかどうかは判らない。でも、あたしも姫巫女になれば、もしかしたらミユ様をお助けできるかもしれない。あたしがミユ様の代わりに、”門”の向こうにさえ行けば」
「……」
「ごめんね。カイト」
フウが茂みから出て行く。カイトは呆然とフウの後姿を追っている。フウの姿が見えなくなってから、自分の唇に触る。フウの唇の感触がまだ残っている。
カイトは瞬きをした。
服の袖で涙を拭う。
唇を固く閉じる。そして茂みから這い出し、肩に弓をかけ直して、カイトはフウの後を追った。