24-6(新しい神6(たとえ、神々の敵となろうとも2))
新しい神を見た時、クロは思わず笑いそうになった。新しい神は見る人によって姿を変える。クロも知っている。
クロが見たのは、数字の描かれた球体である。
直径1mぐらいの黄色と白で塗られた球体が、ミユの向こうに浮いていた。表面に描かれた数字は、11である。
『なんだ、こりゃ』
と、クロは思った。
だが、事態の深刻さは判っている。
「若様に話す前に、いぬ先生に話しといた方がいいと思ってね」
イタカは酔っているようには見えなかった。酒の臭いもしていない。手も震えていない。
「英雄の力を得たからかな。すこぶる体調がいいんだ」
と、イタカは笑った。
「なんで」
「いぬ先生は公平だからさ」
クロは首を振った。
「ま、隊長の次に知らせてくれたことは、礼を言うよ」
と言ってから、
「お姫様が姫巫女っていうのはナルホドだけどよ、あんたが英雄っていうのは、似合わねぇって思うぜ」
軽口を叩く。
「オレもそうは思うんだけどね」
「しょうがねぇなぁ」
新しい神の姫巫女になる。それが意味するところをクロも理解している。しかし不思議と悲壮感がない。
口にした通り、しょうがねぇなぁ、と思う。姫様はホント、いつもいつも、しょうがねぇお人だよなぁ、と。
「オレも手を貸すよ。おっと。念のために言っとくけどよ、オレは英雄なんかにならねぇぜ?」
「いぬ先生を勧誘しようとは思ってないよ」
イタカの言葉に、クロは嗤った。
「勧誘ねぇ。ま、その通りか。
ああ、そんなアヤシイ勧誘になんか乗らねえよ、オレは。手は貸すけど、オレは龍翁様の信徒は辞めねぇ。
あっちが破門するなら仕方ねぇけどな。
しかし--、」
クロが顔をしかめる。
「多分、サッシャは怒るだろうな」
クロの予想は外れた。
イタカの話を聞いたサッシャは沈黙した。呆然と立ち尽くした。
「こちらが、我が主です」
ミユに言われてミユの背後に視線を彷徨わせ、「テオ……」とサッシャは呟いた。
「テオ」
もう一度、友の名を呼び、一歩、足を踏み出そうとして、サッシャは今にも泣き出しそうなほど顔を歪めた。
膝を落とし、嗚咽する。嗚咽はしばらく続いた。
「申し訳ありません、ミユ様」
顔を伏せたまま、サッシャは声を絞り出した。
「オレがミユ様を引っ張り出したために、こんな……」
「それは違います、サッシャ様」
ミユがサッシャの前に膝をつく。
「サッシャ様もご存知でしょう?わたしたちの祖先が国を失った理由を」
「……はい」
「わたしがトワ王国軍に加わったのは、わたしの意思です」
トワ一族が国を失った理由か。
クロは思い出す。
イタカに教えて貰った話だ。
トワ王朝の末期、トワ一族の王は驕り高ぶり、民を虐げた。イダ朝の祖は家臣の身ではあったが兵を起こし、王を討った。王を討ち、イダ朝の祖は、王の一族であるミユの祖先に王位を譲ろうとした。
だが、ミユの一族はそれを断った。
我らは民を裏切った、もはや我らに民を治める資格はないと。そしてイダ朝の祖に王位につくよう勧めた。
イダ朝の祖は6度、その勧めを断り、7度目にようやく受けた。
以来、ミユの一族はずっとファロで隠れるように暮らしてきた。二度と民を裏切ることがないように、民と共に生き、民への責任を忘れることがないように。
「お姫様の責任感の強さは、それが理由かよ」
話を聞いてそう言ったクロに、イタカは首を振った。
「それもあるだろうが、そうじゃないよ。あの子は、ミユは、ああいう子なんだよ。いぬ先生」
「そうかもな」
と、クロも頷いた。
「ミユ様」
サッシャが顔を上げる。
ああ、こういうとこか。とクロは思った。『今のサッシャさんは怖いもの』オム市の居酒屋で聞いたカイトの言葉を思い出す。
「ここは龍翁様の街です。オレは、龍翁様の信徒です」
揺るぎのない声でサッシャが言う。
「判っています」
ミユが笑みを浮かべる。
「郡主様を討てば、わたしたちはこの街を出ましょう」
サッシャが首を振る。
「どこにも行くところなんかありません。どこに逃げても、追われなくなることはありません。
神々が、新しい神の存在を認めることは、あり得ません」
「そうですね」
ミユが微笑む。
「しかしもう、後には引けないのです。サッシャ様」
「……ミユ様」
「郡主様を討ったところで、現在の状況に影響はないでしょう。しかし、我らは郡主様の非道を正すために立ちました。
正義を貫く。
いまのわたしにできるのは、それだけなのです」
「……」
「ご助力をお願いできますか?サッシャ様」
ミユがサッシャに手を差し出す。
サッシャの目がミユの掌に吸い寄せられる。
厚みのある手だった。指は長く、節が太い。ガサガサに荒れた、土の臭いがしみ込んだ硬い手だった。
「判りました」
サッシャが深く頭を垂れる。
「ご助力いたします。ミユ様のために。ミユ様の愛するトワの民のために」
「クロさん」
サッシャがクロに声をかける。
「なんだ?」
クロが振り返ると、サッシャはクロの方を向いてはおらず、立ち去るミユの背中を目で追っていた。
「ロタ一族とは言っても、オレは、分家なんです」
「知ってるよ」
「だから、みんなと一緒に働いてきました。土に塗れて、泥だらけになって。子供のころから。ずっと」
「お姫様のようにか?」
「ええ」
サッシャが頷く。
「オレは、彼らを守りたくて自警団を造ったんです。オレを育ててくれた、土と共に生きてきたあの人たちを守りたくて。
ミユ様の手を見て、それを思い出しました」
「へー」
「クロさん」
「なんだ」
「オレは、人じゃなくなるかも知れません」
「どういう意味だよ」
「ミユ様がわざわざオレに助力を頼んだのは、トワの民のことを思ってのことでしょう。ザカラを討つのは、トワ王国でなければならない。新しい神の信徒ではなく。そうでなければ、トワ王国の存在意義が失われてしまう。
オレが、ザカラを討ったという形にしなければならない」
「なるほどな」
「ミユ様の想いに答えるために、オレは、人としての道を外れるかも知れません。いや--」
サッシャが笑みを浮かべる。
「もうとっくに、オレは人の道を外れていますね」
サッシャの声に不思議な明るさがある。
「そうだなぁ」
クロが頷く。サッシャの言葉を否定しない。
「でもよ、大丈夫だろ、お前は」
「え?」
「独りじゃねぇだろ、お前は。オレと違ってよ」
クロが見ている。サッシャを。
サッシャの後ろには誰もいない。
しかし何故かサッシャは、クロが自分のすぐ後ろを見ている、と思った。自分の後ろ、左右に立つ誰かを。
「そうですね」
本当に。と、サッシャは力強く頷いた。
「ザカラを討つためには、新しい神の存在を知られないことです」
狭い会議室に場所を移し、イタカとクロに向かってサッシャはそう強調した。
「外にも。中にも」
外にいるクスルクスル王国軍はもちろん、ロールーズの街の古老たちにも、という意味だ。
「だけどよ。誰にも知らせないっていうのはムリだろう?」
「しかし、打って出るまでは何としても秘密にしておかないと、ザカラはすぐにここから逃げ出してしまうでしょう」
「そうだろうなぁ」
ザカラはおそらく、クスルクスル王国軍が優勢になったのを見て、郡主としての務めを果たしていると海都クスルの宮廷にアピールするためにここに来た。
それがクロたちの見立てだ。
もし、新しい神の存在を知れば、ザカラのこれまでの行動からして、今度は海都クスルまで逃げて行ってしまう恐れがあった。
「郡主様の居場所は判ります」
ミユが言う。
「わたしたちが討ちます」
サッシャが首を振る。
「確かに英雄の力があれば、ザカラを討てるかもかも知れない。しかし、オレは反対です。ミユ様たちも討たれる恐れがある」
「覚悟はしています」
「ミユ様」
「はい」
「ザカラを討って終わり、ではダメです。生きて下さい。できる限り。そうでなければ--」
サッシャが軽く首を振る。
「意味がありません」
「サッシャ様……」
「ミユ様。ザカラは具体的に、どこにいるのですか?」
「東門を出た先に」
「だったらオレたちが西門から打って出ます」
「え?」
「オレたちがクスルクスル王国軍を引き付けます。その間にミユ様たちは東門から出て、ザカラを討って下さい」
「西門からどうやって出るのですか?」
トワ王国の王として軍議にも出ている。クスルクスル王国軍が守りを固めた西の高台を攻略することが難しいことは、ミユも知っている。
「なんとしてでも」
「それでは、サッシャ様たちが危険すぎます。わたしは賛成しかねます」
イタカが手を上げる。サッシャとミユを制止する。
クロも遅れて気がついた。おそらく、イタカの英雄としての感覚の方が、クロよりも上回っているということだろう。
イタカがそっと忍び寄って部屋の扉を勢いよく開ける。
「わっ」
と声が響く。
声を上げたのはカエルで、カエルの後ろには、にこにこと笑ったかかしがいた。
「あ、いや、盗み聞きするつもりはなかったんだ。何かコソコソしてるからよ、オレも混ぜ……て……」
言い訳しようとしたカエルの声が途切れる。視線がミユの後ろに吸い寄せられている。
「カシラ……」
呆然と呟く。
クロは嘆息した。
「なあ。秘密にしておくのって、やっぱりムリなんじゃねえ?」