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24-3(新しい神3(神官の務め))

 助けてもらえると信じていた。

 しかし、期待はあっけなく裏切られた。

 いつ頃のことだったか憶えていない。憎しみはない。そもそも憎しみを覚えるような歳ではなかったハズだ、と思う。

 だが、心の奥深くに記憶は刻まれて残った。

 洲国の王都、千丈宮でのことだ。

 腹を空かせて、河神の神殿に行き、食い物をせがんだ。

 薄汚れた獣人の子供が伸ばした手を払いのけ、河神の神官は、彼を神殿に続く石段から蹴り落とした。

 人を見かけや立場で判断するべきではない。

 クロはそう思っている。

 ある時、なぜ自分がそんな風に思っているのかと考えて、ああ、とクロは、ガキの頃に石段から蹴り落とされたことを思い出した。

『あれ、いつ頃のことかなぁ』

 いくら考えても思い出せない。

 夢ではない。

 それは確かだ。

 石段から蹴り落とされた後、逃げた。おそらく。憶えてはいないが。ガキだった。逃げる以外できなかったハズだ、と思う。そして倒れた。多分。

 助けてくれたのも、河神の神官。

 道端に倒れて動けなくなっていたクロを迷うことなく自宅へと連れ帰り、神官は親身になって世話をしてくれた。

 垂れ流す汚物を少しも気にすることなく。弱々しくかみついた牙にぶつぶつ文句を言いながら。

 生臭な神官だった。

 酒を呑み、女を連れ込み、しかもひどく臭かった。

 彼の顔は覚えている。

 不精髭だらけで、ヒヒヒという粗野な笑い声も。

 だから、石段から蹴り落とされたのは夢ではない筈だ、とクロは思う。

『まだ元気でいるかなぁ』

 助けてくれた神官がどうなったか、クロは知らない。

 身体が動くようになるとすぐに逃げたからだ。

 逃げた理由はクロにも判らない。

『ま、野生の獣みたいなモンだったからな、あの頃は』

 と、思う。

 戦乱の続く洲国で、独りでなんとか生き延びて、千丈宮にはそれ以来、行っていない。だから、生臭な神官がまだ生きているのかどうかも知らない。

 あまり興味もない。

 なぜか。

 ただ、人は見かけじゃねぇよな、とクロが思っているのは、ガキの頃の経験があったからなのは間違いない。

 石段から彼を蹴り落とした神官が犬の獣人で、助けてくれた神官がヒトだったことも、人を見かけや立場で判断するべきではないという彼の信念を補強する一因となった。



「子供たちを逃がしたい」

 サッシャにそう訴え出たのは、ロールーズの街の古老たちだった。

 古老とは言っても老人とは限らない。街に根を張った有力者たちのことで、老人もいたが、まだ30代後半と思われる女もいた。

 トワ郡庁を落とした後、トワ王国軍はロールーズの街を拠点とした。

 オム市ではスティードの街からクスルクスル王国の援軍が来る恐れがあったし、ザカラが築いた城壁だけでは防御面で不安があったからだ。

 ロールーズの街の歴史は古い。

 サッシャの属するロタ一族よりも前、イダ一族がトワ王国を治めていた頃に築かれた街で、何度も戦乱に見舞われて荒れてはいたが街を囲む城壁は健在で、トワ郡からの援軍を期待するにも都合が良かった。

「必ず援軍を連れて来るよ」

 ロールーズの街を拠点と定めてすぐ、そう言ってマウロはトワ王国への参加をためらう各地の古老を説得するためにロールーズの街を離れた。

 カン将軍率いるクスルクスル王国軍とは3度、戦った。2度勝ち、ゆるみが出た。もしかするとそれがカン将軍の狙いだったのかもしれない。3度目のいくさで、サッシャの指示に従わない部隊が出て、酷く敗れ、ロールーズの街に押し込まれた。

「なぜ」

 と、サッシャは訴え出た古老たちに尋ねた。

「今、急に?」

 クロも不審に思った。

 なるほどクスルクスル王国軍に囲まれてはいるが、食料の蓄えはまだ十分にある。マウロが援軍を連れてくる可能性もある。

「子供たちを助けたいからよ!」

 古老たちのひとりである女がヒステリックに叫ぶ。

「あんたたちが来なければ、こんなことにならなかったのよ!」

「だめだ」

 サッシャは拒否した。

「そもそも、カン将軍が応じないだろう。クスルクスル王国軍からすれば、こちらの蓄えを減らしたい筈だ。

 閉じ込めておく人間は多いほどいい。

 それなのに子供たちを外に出すことを認める筈がない」

 だろうなぁ、とクロも思う。

 なんだかウサンクセェよなあ、コイツら。とも思う。

 何か後ろめたいことがある。

 各々がそれぞれのやり方で、それを隠している。女がヒステリックに叫んだのも、後ろめたさの裏返しだ。

 ミユは黙っている。表情も変えていない。ミユは、組織に頭がふたつあるのは良くないと理解している。父であるマウロが古老の説得のためにロールーズの街を出たのも、それはそれで嘘ではないが、サッシャがトワ王国の頭なのだと、はっきり示すためと理解している。

 だから、何も言わない。

 しかし、ミユの性格からすれば、お姫様は迷っているだろうな、と判る。

「わたしがクスルクスル王国軍と話してみましょう。子供たちを街から出してもらえるように」

 古老たちの後ろから現れた男に、クロは見覚えがあった。男は口髭を生やしていた。海神によく似た口髭を。

 クロが思い出すより先に、ミユが「スクート様」と驚いたように声を上げた。

 クロはそこでようやく思い出した。

 ファロでガキどもの先生をしていた神官様か、と。


 クスルクスル王国軍に囲まれる前に、ロールーズの街を、慰問と称してファロから民人が訪れていた。

 子供たちもいた。

 スクートが教えていた子供たちだ。

 クロを見て、

「犬が二本足で歩いているんだ!」

 と、叫んだ子もいた。

 他の子よりもしっかりした、年長の女の子もいた。マイという名だと、彼女はどこかはにかんだ様子でクロに教えてくれた。

「あの子たちを死なせたくはありませんからね」

 スクートはそう言った。

 笑顔で。

「大丈夫か?」

 クロには、子供たちを街から出すことに不安があった。スクートの笑顔には、一点の曇りもなかった。

 古老たちとは違って後ろめたさのない笑顔。

 クロにしてみれば、胸が悪くなりそうな笑顔だった。

「お願いできますか?スクート様」

 サッシャが口を開くより早くミユが答えていた。

 こうなるとサッシャは何も言えなくなる。立場としてはミユが上だからだ。だから普段ミユは何も言わない。

 しかし今回は思わず声が出た。

 そんな感じだった。

「これも海神様のお導きでしょうから」

 と、スクートは笑った。


 何度か交渉があり、子供たちを街から逃がすことにクスルクスル王国軍も合意した。

「大丈夫。子供たちの安全は、わたしが保証しますよ」

 スクートの声には陰りがない。

「ありがとうございます。スクート様」

 ミユは玉座から降りてスクートの手を取った。これで子供たちを死なせなくて済む。彼女はそう信じた筈だ。

「本当に大丈夫か?オレは止めた方がいいと思うぜ」

 クロは無役だ。トワ王国軍の居候といった立場に近い。その身軽さでミユに再考を促すために言った。ま、どっちでもいいけどな。といった軽い口調で。

 口にはしないがサッシャもイタカも、クロと同じ意見だと判っている。

「オレも行こう」

 割って入ったのはキヒコである。

「あんたが行くのは余計にヤバイだろう?」と言ったクロに、キヒコは「カン将軍とは知り合いだ。あの人なら、卑怯なマネはしねぇよ」と請け負った。

 これが決め手になった。

 不幸なことにクロも信じた。キヒコの人を見る目を。キヒコの爺さんの知り合いなら大丈夫か、と。

 手下も何人かキヒコにつき従うことになり、その中にカエルもいた。

 ロールーズの街の西門が開けられ、子供たちが街を出た。城壁の上から見送るミユに手を振って、ファロの子供たちもクスルクスル王国軍の陣へと姿を消した。

 子供たちが出たのとは異なる東門が激しく叩かれたのは、それから何ほども経たないうちのことである。

「あの野郎……!あの野郎……!」

 クロやミユの前で、涙を流し、床を叩いて、カエルは嗚咽した。カエルはずぶ濡れだった。濠を泳いで渡ったのだと言う。

「裏切りやがった……!ガキどもを、クスルクスルの兵に売りやがった!」


 門を出てクスルクスル王国の陣中に入ってすぐ、ロールーズの子供たちとファロの子供たちが分けられたのだという。

「彼らが、ファロの民人です」

 と、スクートが言ったのだという。

「何のマネだ、神官!」

 キヒコの怒声に、ぐるりと周りを囲んだクスルクスルの兵の槍が上げられた。スクートはクスルクスルの兵の向こうに、後ろを振り返ることなく、姿を消した。

「カン将軍を呼べ!あの方がこんなこと、許す筈がねえ!」

 子供たちを後ろに庇いながら怒鳴ったキヒコのすぐ横で、カエルも剣を抜いた。スクートと入れ替わるように、兵の間からひとりの男が現れた。

 青白い顔をした男だった。

 兵士にしては細身で、義眼だろうか、左目はただ白いだけで瞳がなかった。

 キヒコが顔色を変えた。

「--セス」

「久しぶりですね。キヒコさん」

 細く掠れた声には、あからさまな嘲笑が混じっていた。

「なぜ、お前がここにいる」

「こちらに新しく赴任された将軍様に従って来たのですよ」

「なに?」

「英邁王様の許可もなく勝手なことばかりしておられましたからね。罷免されましたよ、カン将軍は。

 ああ、違いますね。

 そもそも兵を徴募する権限なぞ、あの方にはなかった。だから、今頃は牢の中、ですよ」

 キヒコが絶句する。

「今は、リプス様がここの司令官です」

「カエル」

 キヒコが囁く。

「このことを若様や姫様に知らせろ」

「しかし、カシラ」

「ここから逃げられるとしたらお前しかいねえ。死んでも街に戻れ」

「リプス様は、ファロの民人は一人残らず殺せ、とのご命令です。ガキどもの首を刎ねて、街に投げ込んでやれ、と」

「行け!」

 キヒコに強く言われて、カエルは逃げた。

「ガキどもの声が耳から離れねえよ、姫様」と、カエルはミユに顔を向けた。「先生、先生って。助けて……、ってよ、それを聞きながら逃げて来たんだ。カシラが、仲間が盾になってくれて……。

 あいつは、あの野郎は人間じゃねえ!」

「外に!」

 兵士がひとり、駆けこんできた。

「キヒコさんが!」

 城壁に上がったミユやクロが見たのは、磔にされたキヒコだった。塀の外側、内濠に向かって高々と掲げられていた。上半身は裸で、手足を太い釘で磔台に打ち付けられていた。

 ミユは息を呑んで言葉を失くした。

「今すぐ降伏しなさい!」

 青白い顔をした男が、磔にされたキヒコの傍に立って、大声を響かせた。

 キヒコがセスと呼んだ男である。

「さもなければ、子供たちも同じ姿になりますよ!」

 近くに立った兵に向かって、セスが顎をしゃくる。兵が頷き、キヒコの腹を裂き、内臓を引き摺り出す。

 カエルが叫び声を上げる。城壁から飛び出そうとする彼を、クロやイタカが掴んで引き留めた。

 ミユは顔を青ざめさせて、それでもキヒコから視線を外さなかった。

「こんな茶番に騙されるんじゃねえぞ、姫様!」

 キヒコの腹を裂いた兵士が、驚いてキヒコを見上げた。

 とてもキヒコが声を出せる状況ではない。

 しかし、キヒコは叫んだ。

 城壁の上のカエルたちが沈黙する。キヒコの叫びを聞き逃すまいと、身体を乗り出す。クスルクスル王国の兵でさえ、一人残らず黙り込んだ。

「すまねぇ!ガキどもはみんな殺されちまった!もう、みんな、死んじまったよ!だから降伏なんかする必要はねぇ!

 もう少しの辛抱だ!

 すぐにマウロ様が戻って来て下さる!ガキィ殺すような外道を、トワの民が許すはずがねぇ!

 このいくさはオレらの勝ちだ!

 何より!」

 キヒコの太い笑い声が響く。心底、楽しそうな笑い声が。

「嬢ちゃんが帰ってくる!

 そうしたらザカラだろうが、リプスだろうが、もうお終いだ!

 嬢ちゃんの矢から逃れられるヤツは一人もいねぇ!

 ここにいるヤツラは全員、もう死んだも同じさ!だから安心して、オレは先に行かせてもらうぜ!」

「ええい!黙れ!」

 セスが兵の手から長剣を奪い取る。キヒコの裂かれた腹に突き入れる。

「フウ」

 怒りと涙で顔をくしゃくしゃにしてカエルが喘ぐ。

「カシラを、カシラを……」

 後は言葉にならなかった。

 キヒコは、城壁の上で弓を構えるフウの姿を捕えた。ああ。これなら間違いねぇやと思い、自分の腹を抉っていたセスが崩れ落ち、おいおい、そっちかよと笑って、フウが放った二矢目で死んだ。

「ちくしょう、ちくしょう」

 カエルが繰り返す細い声を聞きながら、クロはその場を離れた。

 椅子や机が叩き壊された部屋の中に座り込み、クロは頭を落としていた。クロが破壊した家具の残骸だ。

「クロさん」

 振り返らなくても誰の声か判った。

「何だい、お姫さま」

「お願いしたいことがあります」

 と、丸まったままのクロの背中にミユは声をかけた。


 スクートの不思議なところは、自分が人に責められるようなことをしたのだという自覚がまったくなかったことである。

 クスルクスル王国への反逆者を軍に引き渡す手助けをした。

 それが彼の認識で、だから彼は、クスルクスル王国軍の陣中にあって、なぜ、兵士たちが自分を避けるのか、侮蔑し、見下すような、殺気のこもった視線を向けるのか理解できなかった。

「この騒動が終われば、わたしはロールーズの街に戻ります」

 とさえ、彼は言った。

「これがわたしの務めですから」

 と、誇らしげに。

 人を人たらしめている何かが、スクートには欠けていた。

 クスルクスル王国軍に動揺があった。兵の中にはトワ郡出身の者も多い。助けると騙して子供を殺した。己が間違った側にいると思い、軍を無断で離れる者がすでに幾人も出ていた。

 スクートはそうしたことにも無頓着だった。

 クスルクスル王国軍は、ロールーズの街の外濠と内濠の間の市街にある家屋を接収して兵舎として利用している。スクートは自分が割り当てられた兵舎で床に就き、「起きろ」と激しく揺さぶられて、混乱した。

 目を覚ました彼の前に、黒い犬の獣人がいた。

 クロである。

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