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幕間(フランとマルタ)

「戻った様子はないな」

 訊いた憲兵の声に恐れがある。カムラ魔術師宅のリビングである。仲間の憲兵が声を抑えて「ああ」と頷く。「誰もいない」

「どこに行っちまったんだ。いったい」

「さあな」

 家から何かが持ち出された様子はない。

 ただ、室内は妙に片付いている。まるで、長い旅にでも出たかのように。

 弓矢はあったか?

 諜報部門のトップであるレンツェはそれだけを訊き、ないと報告すると、そうかと答えて後は何の興味も示さなかった。

 憲兵たちはカムラ魔術師の自宅を定期的に訪れている。しかし、ハララム療養所が燃え落ちたあの日から、誰かが出入りした様子はない。

「行こうぜ」

「ああ」

 仲間が頷き、憲兵たちが出て行く。

 憲兵たちが玄関の扉を閉じるとすぐ、どこに隠れていたのか、暗がりから女が姿を現した。

 フランだ。

 フランは憲兵たちが確かに立ち去ったことを妖魔に確認させ、中断された作業を再開した。

 軽く右手を差し出し、床に向かって呪を唱える。

 ちょうどカムラ魔術師が彼自身の影の中に消えた辺りである。

 カタリッと部屋の隅で音がする。

 引き裂かれるように光が夜に飲み込まれる。

 フランの足元から闇が溢れ、部屋を覆い尽くす。フランの影に潜んでいた妖魔たちが一斉に飛び出したのである。

 ギラギラと輝く妖魔の瞳は、まるで夜空に輝く無数の星だ。

「妖魔を下がらせて頂けますか?フラン姉さま」

 聞く者の背筋が思わず伸びるような、凛とした声が響く。

「あら」

 フランが振り返る。妖魔たちがフランの顔色を窺い、なーんだ、とでも言うようにフランの影の中に戻っていく。

「どうしてあなたがここにいるの?マルタ」

 マルタと呼ばれた女がため息を落とす。

 背が高い。魔術師の黒いローブを纏っていても、姿勢の良さが判る。姿勢が良いことが彼女の身長をさらに高く見せている。髪が短い。歳は20代のはじめだろう。

 フランによく似た栗色の瞳の奥に、微かに赤い輝きがある。

「お母さまのご命令です」

「どんな?」

「フラン姉さまを連れて帰って来なさい、って」

「今は帰れないわ」

「とても心配されています。お母さま」

「申し訳ないとは思うけれど、今は無理ってお母さまに伝えて貰える?あたしが謝っていたって」

 マルタが再びため息を落とす。

「もし、フラン姉さまがお帰りにならないようなら、フラン姉さまとしばらくいっしょにいなさいってご命令です」

 フランが笑う。

「それは悪いことをしたわね」

「新しい神が現れる兆しがある、とのことです」

 フランが笑いを収める。マルタを見返す。

「どこで?」

「クスルクスル王国のトワ郡で。もし、フラン姉さまがお帰りにならないのなら、新しい神の始末をつけてきて頂戴、とのことです」

「ねぇ、マルタ。どうしてあなたが来たの?くじ引きにでも負けたの?」

 マルタは自分から進んで手を上げる子ではない。と思って、フランは訊いた。

「いいえ」

 マルタが首を振る。

「お母さまのご指名です」

 マルタは旧大陸の出だ。他国から隔絶された平原で狩猟を主として暮らしている一族の出だ。国らしい国はなく狂泉の森人と違って農耕すら行っていない人々の出だ。

「そう」

 マルタを指名したということは、何か意味があるのだろう。しかし、『お母さまが何をご覧になったか、考えるだけ無駄ね』と諦めて、フランは頷いた。

「とにかく、あなたが3人目、ということね」

「3人目?」

 訝し気にマルタが訊き返す。

「何でもないわ。こっちのことよ。

 そうね--。

 新しい神が現れるのなら、魔術師協会の手も借りる必要があるかしら」


    ***


「トロワ。これ、なんだか判る?」

 休憩のために酒蔵から出て来たトロワを待って、ハノは声をかけた。

「これって?」

「あなたの机の上に置いてあったの。手紙みたいだけど、誰がいつ置いたのかしらって思って」

「手紙?」

 汗を拭いながらハノから手紙を受け取り、宛名を見てトロワはぎょっとした。

 うさぎくんへ。

 宛名にはそう記されていた。

 慌てて封を切り、呆然と立ち竦む。

「どうしたの?トロワ」

 ハノが心配そうに尋ね、「なんだぁ。何かあったのか?」と呑気な大声が続いた。

 いつも通り、用もないのに現れたライである。

「ライ、お前、暇か?」

 何やら面白そうな気配に、ライがニヤリと笑う。

「おお。ヒマでヒマで死にそうだぜ、オレは」

「そうか」

 トロワが手紙から顔を上げる。

「ハノ。悪いけど、少し家を空けるよ」

「どこに行くの」

「クスルクスル王国だ。カイトのいるトワ郡だよ」

「おお」

 嬉しそうにライが手をもみしだく。

「トワ郡に行くのなら、来るなと言われてもついて行くぜ、オレは。ハノ、心配すんな。オレがきっちりトロワを連れ帰ってやるからよ」

「いつ行くの?」

「早い方がいい。そうだな。作業も一段落している。今日にも行けるな」

「判った。すぐに支度するわ。ライさん--」

 ハノが声をかけようとした時には、「1時間後にまた来る!」と叫んで、ライはすでに駆け出していた。

 ハノが夫の横顔をちらりと見る。

 不安がないと言えば嘘になる。

 しかし、自分でも不思議なほど、トロワを止めようという気持ちが、心のどこにもない。

 初めて会ったときから、トロワはハノを子供扱いしなかった。訊けばどんなことでも詳しく教えてくれた。難しいことを誤魔化すことなく、ハノがハノなりに理解するまで。嫌な顔ひとつすることなく。

 いつもトロワを手伝ってきた。判らなくても、すぐ隣で。

 だから、何をすればいいかは判っている。

 夫がどういう人かも、判っている。

「トロワ」

「何だい?ハノ」

 妻が微笑む。いつもよりさらに頼もしく。

「お酒造りはわたしに任せて。手伝ってくれる人もいるし。だから、うちのことは心配しないで」

「すまないが、頼むよ。ハノ」

「あなたが造るよりも、おいしいお酒を造っておくわ」

 トロワは苦笑した。

「それは困るな」

「旅の支度をしてくるわ」

 室内に戻るハノを見送り、トロワは手紙に視線を落とした。

 見覚えのある字。

 姿形は変わっても、筆跡は変わらないんだな、と思う。


『新しい神が現れるわ。だからトワ郡まで来てくれる?』


 様々な考えが頭の中でぐるぐると回る。しかし、「ええい」とトロワは顔を上げた。考えても仕方がない。新しい神が生まれる。それは彼にとって経験したことのない出来事で、自分に何か出来るとはまったく思えなかった。

 だが、知識はある。

 魔術師として日々蓄えてきた知識が。

 いまはただ、知識は未知の出来事に対処するためにあるのよ、と教えてくれた、ひどく自分勝手な師匠の言葉を信じるだけだった。

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