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23-13(竜王の国13(ハララム療養所の騒乱4))

 ハララム療養所の外では、歯切れのいい簡明な命令と短い返事が飛び交っていた。

 展開しているのは200名ほどの部隊だ。

 一隊を率いる隊長は中尉に昇格したばかりの若い女で、たまたま当直だった彼女は、レンツェから報せが入ると、彼女が駆り出せるだけの兵と、宮廷から衛兵まで借りて出動してきていた。

「異常はないねー」

 腰に手を当て、中尉が副官に呑気に声を掛ける。

「ムダ足、ですか」

 副官も呆れたように応じる。しかし二人とも、ハララム療養所の端から端まで、視線を素早く、注意深く走らせている。

「声を掛けてみてくれる?夜中だから。静かにね」

 副官は、「はっ」とハララム療養所の門の前に進むと、短く息を吸い、

「誰かいないかっ!」

 と大声を響かせた。

 そのまましばらく待つが、誰かが出てくる様子はない。

 指だけを動かして、中尉が正門を示す。

「行って」

 彼女の後ろに控えたガタイのいい兵士が「了解いたしました」と、むすっとしたまま応じる。

 副官が下がり、兵士が身体を屈め、正門を力任せに蹴る。見守る中尉の眉がぴくりと動く。正門がびくともしなかっただけではない。音がしない。正門が吹き飛びそうな勢いで蹴ったのが嘘のように。

「そこ、乗り越えられるー?」

 正門を蹴った兵士が、門の上へと手を伸ばす。何かが兵士の手に当たる。門の上に見えない壁がある。

「こちらもダメです、中尉殿!」

 高い塀を乗り越えようとしていた別の兵士が叫ぶ。

「攻城槌を用意しろ!」

 口元に浮かべていた形だけの笑みを収め、中尉は鋭く叫んだ。

「ハララム療養所を囲む!増援を要請しろ!魔術師も呼べ!ハララム療養所から、一人も逃がすな!」



 処置棟の地下にある警備員室で、”古都”の魔術師は、眠る特別製の兵士のひとりに薬物を注射し、教えられた呪を口にした。

 だが、薬物が効き始めるにはまだ時間がある。

 最初に処置を施した兵士をそのままにして、魔術師は隣のベッドに眠る兵士を起こす作業に取り掛かった。

 兵士は全部で5体。

 遠くで何かが壊される音が響く。びくりっと魔術師は振り返った。地下に続く扉が壊されたのだ。”患者”たちの下品な怒鳴り声も聞こえた。

『ええい。いまに見ておれ……』

 魔術師は扉に背中を向け、薬物を用意し、次の兵士に注射した。兵士を起こすための呪を唱える魔術師の背後で、最初に処置を施された兵士が、身体を起こしていた。


「なんだ、ここは?」

 地下に降りて来た”患者”のひとりが不審そうに呟く。短い廊下の両側に扉がいくつか並んでいる。

「物置か?」

 呟いた”患者”の肩を、別の”患者”が叩く。

 肩を叩いた”患者”が指さした先で、扉がひとつ開いた。

 背の高い細身の女が出て来る。若い女だ。服を着ていない。よく鍛えられた身体をしている。元は兵士か、と先頭に立った”患者”は思った。

 女の膝から下と、肘から先に刺青らしきものが彫られている。

「誰だ、お前」

 女は”患者”たちを見て、視線を落とした。自分の手を見る。女の手が黒ずんでいる。何度か軽く握り、開く。

 女が顔を上げる。女の青い瞳が、”患者”たちをひとりひとり観察するかのように動く。

「はっ?」

 女が消えた。

 先頭にいた”患者”は、何が起こったか知ることなく死んだ。女が”患者”の頭を掴んでいる。捩じ切られた頭だけを。

 身体だけになった”患者”が崩れ落ちる。

 女が掴んだ首を自分に向ける。

 まるで自分が手にしているものが何か判らない、とでも言うように生首を見つめる。

 女の乳房の間に長剣が差し込まれる。殺された”患者”のすぐ後ろにいた”患者”が突き刺したのである。

 彼は手練れだった。しかも女は裸だ。長剣は正確に女の心臓を貫いている。しかし、”患者”は違和感を感じた。心臓を突き刺したが、殺ったという感じがしない。女の身体から力が抜けていない。

 女の身体に突き刺さったままの長剣から手を離し、彼は後ろへと逃げた。

「下がれ、コイツは……!」

 言葉が途切れる。胸から突き入れられた女の手が、彼の背中に抜けている。

「わ、わ、わ」

 他の”患者”たちが後ろに下がる。

 女が腕を振り、胸を貫かれた”患者”の身体が壁に叩きつけられる。

 ずるずると滑って落ちる死体を気に留めることなく、女は自分の胸に突き刺さった長剣をゆっくりと抜いた。

「に、逃げろ、コイツ、”古都”の製品だ!」

 残った”患者”のひとりが叫び、わっと彼らは狭い階段へ殺到した。背中を見せることは危険だと知ってはいたが、恐怖にパニックとなった。

 女が”患者”たちに目を向ける。

 もう一度、血に塗れた自分の手を見て、”患者”たちに視線を戻す。

 微かな理解が女の瞳に宿る。

 女は身体を屈め、力を溜め、逃げる”患者”たちに一陣の風となって躍りかかった。



「どうやって逃げる?レン」

 百神国の男に訊かれたレンは、誰かに服を引かれた。振り返ると、ひとりの少女が彼の服の裾を引いていた。

「こっちに行けば、地下に抜けられるわ。お兄さん」

「えっ?」

「こっちよ」

 少女が駆け出す。

「ついて来て」

「地下?」

 レンの頭が追いつかない。

「何をぶつぶつ言ってるんだよ。レン」

 百神国の男に問われて、レンは「いや、あの子が」と指さした。「どの子だ?」と百神国の男が問い返す。

「いや、あの……」

 少女が駆けて行った先を見て、血が凍った。青白い顔をした少女の姿が、床から浮かんでいる。

 どこか下を指さしている。

 華奢な少女の身体を通して向こう側が透けている。

『こっちよ』

 声だけがレンの耳元で響く。

『あたしを信じて』

 少女の姿が消える。

 下を指さす手だけが残り、それも消えた。

 レンはゴクリッと喉を鳴らした。

「な、なあ。迷宮大都って、なんで迷宮大都っていうんだっけ」

「はあ?」

「地下から逃げられる……と思うか?」

「--地下か」

「ああ」

「なるほどな。地下に逃げ込んじまえばなんとかなるかもな。けど、迷っちまわねぇか?」

「多分、大丈夫、だよ」

「なんでだよ」

「案内してくれる子がいるから、だよ」



「軍が展開している!」

 巨漢が倒されたことで玄関にいた警備員たちは逃げ散り、”患者”たちは勇んで玄関へと駆けて行ったが、すぐに戻って来て大声で叫んだ。

「とても逃げられる数じゃねぇぞ!」

 ”患者”たちの間に動揺が広がる中、

「地下に逃げるように彼らに言って。カイト」

 カイトの耳元でフランの声が響く。

「あたしが結界を張ったから、外から押し入るにしても時間がかかるわ。簡単な結界だからいずれは破られちゃうけど、まだ時間はあるわ。

 地下に逃げ道を造って、別の”患者”たちはもう『案内』したわ」

「でも、護衛は?」

 ネズミの護衛のことだ。

「ずっと地下深くに引いて貰ったから大丈夫よ。ここの地下室と地下世界の間に通路も開いたわ。

 昼間ここを覗きに来た時に地下で会った抵抗組織の子、いたでしょう?あきらめの悪い子ね。あの子が近くにいるから、あとは彼らに任せればいいわ」

「判った。どこに行けばいいの?」

「左手の建物よ。人の気配があるでしょう?」

「うん」

 と頷いて、カイトは”患者”たちに向かって話しかけようとして、弓を素早く構えた。「逃げて!」と叫ぶ。

 ぎゃっと幾つもの悲鳴が上がる。

 処置棟に背中を向けていた”患者”たちが数人、血飛沫を上げて倒れる。

「そっちに地下に逃げられる道があるわ!」

 フランに言われた療養棟をカイトが指さす。

 ”患者”たちの反応が鈍い。カイトは矢を放った。”患者”たちの間をすり抜けて飛んだ矢は、腕を振り上げた裸の女の額を正確に射抜いた。

「わ、わ」

 襲われかけた”患者”が慌ててその場から逃げる。続けざまにカイトは矢を放ち、女の喉、心臓、さらに再度、頭を射抜いた。

 だが、女は倒れない。カイトの矢に押されるように数歩だけ後ろへ下がり、矢で射抜かれたまま、感情の伴わない目でカイトを見た。

 銀色の短い髪に、青い瞳。

 背が高く、細身だ。長い手足にはしなやかさと力強さがある。

 血の臭いが濃い。体中をべったりと赤く血に染めている。おそらく彼女自身の血ではなく、返り血だ。

 特に両手。

 まるで血の塊のように真っ赤だ。

「早く!」

 カイトが叫び、カイトに殺気を向けていた細目の”患者”が走り出し、少し遅れて、残りの”患者”も慌てて続いた。

 額に突き刺さった矢を女が投げ捨てる。続いて首、心臓と矢を抜く。女の視線は逃げる”患者”たちの背中を捕えている。

 女が走り出そうとして、転倒する。矢が両足を射抜いている。

 矢で射抜かれた自分の足を不思議そうに見て、ちらりとカイトを見、ようやくカイトと自分を射抜いた矢を結び付けた、と見えた。

 無造作に女が矢を引き抜く。

 立ち上がる。

 女の膝から下が白い光を放ち、土煙を残して姿が消えた。

 だが、カイトは女を見失っていない。

 土煙の上がり方。音。気配。夜の闇の中で獣を追うように、視覚だけではなく感覚のすべてを使って女の姿を捉えている。

 女は、逃げた”患者”たちとは反対側、カイトから見て右側に飛んだ。

 ゾマ市で戦った”古都”の製品とは違う。姿を消しているのではなく、速いだけだ。ただし、姿が消えたか、と思うほど速い。

 カイトが何もないところへ、女が走る先へと矢を放つ。

 頭を下げて女が矢を躱し、下げた頭に向かって飛んでいた矢も叩き落され、一気に女がカイトに迫る。

 女は素手だ。武器は持っていない。

 しかし、素手であるはずの手で、”患者”が紙切れのように引き裂かれるのを、カイトは見ている。

 カイトの髪が削られ、いつ抜いたか、山刀が女の細い首に叩き込まれた。

 女が身体を捻って山刀を躱そうとする。だが、遅い。女の首は半ば以上、断ち切られている。首から大量の血を噴き出しながら女がカイトから飛び離れる。カイトは逃がさない。飛び離れる女をカイトの矢が追う。女の額に三本の矢が吸い込まれ、破裂する。

 女がよろめく。が、倒れない。踏み止まる。

 山刀に手をかけてカイトが女を追う。女の首を落とすために。

 頭を半分失くした女が首を回す。カイトを見る。女の頭半分は失われている。眼球は失われている。しかし確かに、『見られた』とカイトは直感し、身体を捻った。

 女の手がカイトの頬を掠めて過ぎる。

 女が体勢を崩す。

 カイトが蹴っている。女の腹を。女の手を躱しながら。

 そのまま飛び離れる。

 女は追って来ない。

 ぶくぶくと細かな泡が女の頭を覆っている。修復されている。カイトは泡に向けて矢を放った。躱される。カイトから見て、右に女が飛んだ。弓を回す。いない。釣られた。女のフェイントに。

 素早く視線を戻す。

 冷たい女の青い目と、血で真っ赤に染まった女の手が、カイトのすぐ傍にあった。

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