23-11(竜王の国11(ハララム療養所の騒乱2))
レンは洲国の生まれで、数ヶ月前のいくさで捕虜となり、ハララム療養所に放り込まれた。腕や脚の腱を切られ、再び繋ぎ直され、麻酔もないまま腹を裂かれ、腸をかき回されたが、まだしぶとく生きていた。
かならずアイツらの喉笛を食い千切ってやる。その一心で正気を保ち、狂うこともなかった。
彼がいるのは独居房だ。
取り扱いの難しい”患者”と判断されて移されたのである。
何か起こっている。
遠くから聞こえてきた争うような声に、レンは起き上がり、扉の小窓から外を窺った。
誰もいない。
矢の音が聞こえた。
誰もいなかった筈が、低い呻き声が聞こえて、霧が晴れるように男が姿を現し、倒れた。
身体を伸ばして床を窺うと、ひくひくと痙攣している兵士らしき男が見えた。喉を矢で射抜かれている。
がちゃりと鍵を回す音が響いた。
思わず扉から下がる。だが扉が開く気配はなく、扉の外に誰かがいる気配もなかった。
足音を殺して扉に近づき、そっと押す。
何の抵抗もなく開く。倒れた兵士以外、誰の姿もない。
するりと廊下に出て、ふと見ると、鍵穴に鍵の束が刺さったままになっている。鍵の束を引き抜き、倒れた兵士が手にしていた長剣をレンは奪った。隣に並んだ扉の鍵を次々と開けていく。
捕まっていた”患者”たちが辺りを慎重に窺いながら出てくる。
「何があった」
百神国の生まれと思われる男が訊く。体つきや辺りに油断なく注意を払う様子から、兵士、とレンは当たりをつけた。
「知らん」
レンは短く答えた。
「だが、チャンスだ」
「そうだな」
男が声を弾ませる。男の顔は半分、ケロイドとなっている。
レンは男の瞳の奥を窺い、「手を貸してくれないか。助けたいヤツラがいるんだ」と言った。
「洲国の連中か?」
「いや」
レンが首を振る。
「ガキどもだよ」
「あ?」
「あんたも見なかったか?オレらだけじゃねぇ。ここにはガキもいる。どこから連れて来られたか知らねぇが、まだ、10にもならねぇようなガキどもが。
アイツら、ガキまで切り刻んでやがる」
「ああ」
「助けたいんだ」
「キャナのガキだぜ?多分」
「だからって放っておけるかよ」
「ふむ」
男が考える。
「オレだけでもやる」
「いいだろう」
男が笑みを浮かべる。顔が醜く歪む。
「ただし、助けるついでに、”医師”どもはぶっ殺させて貰うぜ」
「ああ」
レンが頷く。
「もちろんだ」
「ボクも、連れて行って貰えますか」
まだ若いキャナ人らしい男が割り込んだ。彼の腕は肘から先がない。足もだ。両腕と片足の膝から先が金属製の義肢になっている。
「ボクは、ここの元”医師”です。今はこんな姿になっていますが」
元”医師”は昏い瞳をレンに向けた。
「あの子たちを助けた後は、ボクを殺してもらっても構わない。
いや、もう死んだ方が楽な子たちもいる。ボクを、あの子たちといっしょに死なせてくれませんか」
通路の端で大きな声が上がる。
「警備員だ!」
と、誰かが叫ぶ。
「案内は要るな」
百神国の男が顎を撫でながら言う。
「元”医師”もぶっ殺すか?」
念のため、レンが訊く。
「今はオレたちと同じ”患者”だろ」
レンは嗤い、元”医師”に顔を向けた。
「それじゃあ、案内を頼むぜ、あんちゃん」
元”医師”の若い男が「はい」と頷いて駆け出し、ガチャガチャと鳴る金属音を追って、レンと百神国の男も走り出した。
解き放たれた”患者”たちの何人かは、復讐のために走った。
いつもは拘束して運ばれる処置棟に駆け込み、警備員に出会うと手当たり次第、殺して回った。
処置室にいた魔術師は、扉が蹴破られた時、処置の最中だった。
怒り狂った”患者”たちは魔術師を捕え、文字通り引き裂いた。処置台の上にいた”患者”は魔術の素人である彼らから見てもすでに手の施しようがなく、警備員から奪った長剣で楽にしてやった。
ハララム療養所にはカムラ魔術師たちキャナの魔術師だけではなく、”古都”の魔術師たちもいる。キャナの魔術師の多くは迷宮大都にある自宅へと帰って不在だったが、”古都”の魔術師たちはハララム療養所に自室があった。
”古都”の魔術師のために設けられた自室は処置棟の三階に設けられており、そのうちの一室に”患者”たちは雪崩れ込んだ。
部屋のあるじである魔術師は、寝室の床に這いつくばっていた。
ベッドの上には女がいた。女は裸で、若い、とは思われたものの、年齢の見分けはつかなかった。顔が黒く炭化していたからである。火の精霊術で焼かれたのだと、”患者”たちはすぐに悟った。
ひいひいと喘ぐ魔術師は腹の辺りを押さえており、血が点々とベッドの上まで続き、ベッドの女の手元にはナイフがあった。
女のことを彼らは知らない。
知らないが、騒動に気づいた女が、これを好機と捕えて魔術師を殺そうとして果たせなかったのだと、”患者”たちは理解した。
無様に喘ぎながら逃げようとする魔術師を捕え、動けないよう後ろから抱えて胸を突き出させる。
別の”患者”が二人がかりで死んだ女の身体を支え、力の抜けた手にナイフを握らせてやる。
「な、何をする気だ!や、やめろ、止めてくれぇ!」
黒焦げになった女の顔が魔術師に迫り、”患者”に支えられて握った女のナイフが魔術師の心臓を貫く。魔術師が叫ぶのを止める。短い息が、魔術師の唇の間から漏れた。
「見事だったぜ」
と、”患者”のひとりが女に声をかける。
”患者”たちは女をベッドに横たわらせてから、「ひとつ残らず燃やしちまえ!」と、室内に火を放った。
「暴動だぁ!」
警備員の叫び声に跳ね起きた魔術師もいる。生来、寝起きが良く、彼はすぐに状況を分析した。まずは自室に留まるべきと判断し、姿を消す術を自分にかける。
何ほども待つことなく、扉が叩き破られた。
”患者”どもは部屋中をひっくり返して彼を探したが、結局、荒らすだけ荒らして最後は火を放って出て行った。
『野蛮人どもめが』
忌々しく心のうちで呟く。
”患者”の足音が聞こえなくなって、それからもう少し待って、魔術師は姿を消したまま処置棟の地下に向かった。
そこには、”古都”の本国で処置を施した特別製の兵士が、前線へ送る前に一時的に保管されていた。
ハララム療養所の所長であるカムラ魔術師が最終的な処置を行うことになっていて、いまは深く眠らせている。
『キャナの魔術師の処置なぞ必要なものか』
彼には”古都”の魔術師としての誇りがあった。
”古都”以外の魔術師を、ハララム療養所の所長であるカムラ魔術師も含めて、見くびっていた。
それが、彼の命取りとなった。
「フラン」
「何かしら?」
「騒ぎが大きすぎるわ」
「大丈夫よ」
「え?」
「ハララム療養所そのものに術をかけて、外とは遮音してあるから。それと、火が見えないよう、幻もね。もちろん臭いも遮断しているから、外から中の騒ぎは判らないわ」
「本当に?」
「心配なら外に出てみる?静かなものよ」
フランの言う通り、ハララム療養所は静かだった。
だが、いささか静かすぎた。
キャナの諜報部門のトップであるレンツェは、ハララム療養所の近くにも諜報員を配していた。
ハララム療養所を監視するために配置された諜報員は、いつも不愛想な顔をした、もう60を越えようかという女だった。彼女はハララム療養所にほど近い雑貨屋を隠れ蓑にしていた。閉店はしていても、食事が終わる、トイレに行く、風呂に入ると、何かある度に彼女はハララム療養所の様子を窺っていた。
いつものように窓越しにハララム療養所を見て、ふと彼女は違和感を感じた。
何かが違う。
何かは判らないが。
ハララム療養所は静かなままで、何かが起こったようには見えない。見えないが、彼女は一緒に暮らす息子を呼んだ。
レンツェは間違った報告をしても怒らない。
しかし、たとえ些細なことでも報告を怠ると厳罰を課した。
「何も異常はないけど、何か違和感がある。そう、レンツェ様に報告しておくれ。至急だよ」
息子が頷き、駆け出していく。
足の速さだけを見込んで一緒に暮らすことにした息子だ。余計なことを言わないし、言われたことは確実に実行してくれる。
これであたしの仕事は終わり、と、もう一度だけ深く静まり返ったハララム療養所の様子を伺ってから、女は夕食後の洗い物に取り掛かった。