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23-7(竜王の国7(迷宮大都の名の由来))

 何もないリビングの壁に向かって、フランが呪を唱える。前に突き出した手を軽く横に引く。

 ただの壁だったはずが縦に伸びた黒い直線が現れる。横に開く。音はしない。魔術だ。魔法のように、という表現は相応しくないが、まさしく魔法のように、どこまで続いているか判らないまっすぐ伸びた廊下が壁に開いていた。

「スゴイね」

「たいした術ではないわ。いつもは寒いから閉じているだけよ」

「違う」

「何が違うの?」

「フランの唱えた呪文のこと」

「どういうこと?」

「わたし、これまで何回か呪文を聞いたことがあるけど、フランの呪文が、いちばん、何と言えばいいかな。気持ちよかった」

 フランが微笑む。

「ありがとう、カイト。いくつになっても、呪を褒められるのは嬉しいわ。じゃあちょっと手を繋いでくれる?」

「どうして?」

「この廊下、少し空間を歪めてあるの。手を繋いでいないと、あなたが迷子になっちゃうから」

「判った」

 カイトが手を差し出す。

「ああ、でも、手を繋ぐより」

 フランがカイトに身体を寄せて腕を絡ませる。

「こっちの方がいいわね」

 フランのつけた香水の匂いがカイトを包む。良い匂いだな。と思いながら、カイトは戸惑ったように「フラン」と言った。

「なに?」

「わたしの腕に、その、フランの胸が当たってる」

「あら」

 フランがカイトを見返す。

「何か困ること、あるかしら?」

 なぜかカイトの胸がどきどきする。

「それは、その、ないけど」

「だったら行きましょ」

 カイトはフランに腕を引かれて廊下に踏み込んだ。踏み込んですぐ、背後に違和感を感じて振り返ると、入ってきたはずの部屋がない。前方に伸びる廊下と同じ廊下が後ろにも続いている。

「こっちよ」

 フランがカイトの腕を引く。

 ふたりの足元でぎしぎしと廊下が鳴る。

 狭い。

 二人で並んでいると、肩が壁に当たりそうだ。

「古そうだね。ここ」

「そうでもないわ。わざと古く見えるように作ってあるだけだから。

 魔術も芝居と同じでね、演出が大事なのよ」

「演出……」

「ちょっとかび臭くするとか。明かりを暗くするとか。廊下が鳴るとか」

「これ、わざとなの?」

 フランが短く呪を唱える。薄暗かった灯り--どこにあるかも判らない灯り--が、昼間の太陽のように明るく輝いて廊下を照らし出す。板張りの壁が輝いている。掃除が行き届き、意外と新しい。

 廊下はまだ軋んでいるが、さっきよりも音を小さく感じた。

「こうしちゃうと、風情がないでしょ」

 なるほど。と、カイトは思った。

『王妃の黒いローブ』と同じだ。敵役だった”古都”の魔術師。無数の手が繋がったおぞましい姿をしていたが、『あれ、昼間見ると間抜けなんだ』とクロが言っていた。『でも夜に見ると、ちょっと不気味だよな』と。

「そうだね」

 再びフランが呪を唱えて色調を変え、明るさを落とす。

「ここが狭いのも、演出なの?」

「これはね、空間を歪めるのに狭い方が都合がいいからよ」

「そうなんだ」

 三段しかない短い階段を降りた先で廊下が二つに分かれていた。

「ハララム療養所は左よ」

 カイトがクンッと鼻を動かす。

「なんだか、温泉の臭いがする」

「あの先に--」と、フランがまっすぐ伸びた廊下を示す。廊下の先には下に続く階段がある。階段の先は暗がりに包まれて、どこまで続いているか判らない。

「温泉があるわ」

「こんなところに?」

「昔の公衆浴場よ。もちろん遺跡ではあるけど、ちゃんとお湯が湧いててね。いつでも入れるように手入れはしてあるから、良ければ今度、入りに来ればいいわ。

 千人は入れる広さがあるから、気持ちいいわよ」

「判った」

 廊下を左に曲がり、壁に突き当たる。フランが呪を唱え、壁が木製の扉に変わる。扉を押し開くと、ひやりとした空気がカイトを包んだ。

 目の前に地の底へ続くかと思うような長い階段がある。

 フランがカイトの腕を離す。

「行って」

「うん」

 ためらうことなく階段を降りようとして、カイトがふと後ろを振り返ると、フランの姿がない。

「フラン?」

「ちゃんといるわ」

 フランの声だけが響く。フランの言う通り、気配はある。

「ん」

「もっと下に出ることもできたの。でも、実際に下りてもらった方がよく判ると思ったから、ここに出たのよ」

「どういうこと?」

「この街をどうして迷宮大都というか、知ってる?カイト」

「街の地下がどこまで続いているか判らないからって聞いた」

「その通りよ。

 この階段はね、迷宮大都の地下世界への入り口のひとつよ。ここを降りれば、地下世界がどれぐらい深くまで続いているか、よく判るわ」

「判った」

 階段は何度も右へ左へと曲がり、次第にトンネルそのものが広くなって、狭い戸口を潜ると、突然、視界が開けた。

「わあ」

 カイトが声を上げる。

 地下にいるとは思えないほど天井が高い広いホールの端にカイトは立っていた。

「昔の市場の跡よ」

 フランの声に振り返ると、フランの装いが変わっていた。

 足元まである丈の長いスカートを履いていた筈が、いつの間にかズボンに変わり、上着も羽織っている。

「……いつ着替えたの?」

「下りてくる間よ。ここ少し寒いし、ちょっと歩くから」

 フランが手にした上着を差し出す。

「カイトも着た方がいいわよ」

「ねえ、フラン」

 上着を受け取りながらカイトが言う。

「なに?」

「もしかして、わたしのこと、からかってる?」

 フランが艶やかに笑う。女のカイトでもくらくらしそうなほど、色香が溢れる。

「もちろん」

 あまりにも邪気に満ちた笑顔が眩しくて、カイトは慌ててフランに背中を向けた。どきどきと心臓が鳴る。

 くすりっと微笑んで、「さ、行きましょう」とフランはカイトに声をかけた。


「元々はね、ここ、3階建てだったの。それが崩れて、今はこんなに大きなホールになっているのよ」

 歩きながらフランが説明する。

 言われてよく見ると、あちこちに崩落した跡があり、とても人が登れない高さに、どこに続いているか判らない通路らしき横穴がある。

「でも、どうしてここ、こんなに明るいの?」

「あたしの術よ」

「うそ」

「ホント」

 明かりが消える。闇が周囲を包む。カイトの感覚が切り替わる。

 フランは側にいる。

 見えはしないが、カイトは見失っていない。空気の動き。フランの立てる音で、フランの姿を捉えている。

「本当はこんなに暗いんだ」

「ここが地下世界だって、判ってくれた?」

「うん」

 明かりが再びホールを照らし出す。フランは歩き続けていて、カイトもフランに遅れることなく続いている。

「こっちよ、カイト」

「よく迷わないね、フラン」

「ん?」

「わたし、狂泉様の森だとどんな場所でも迷わない自信があるけど、街の中だとすぐに自分がどこにいるか判らなくなるのに、って思ったの」

「あたしは忘れないもの」

「えっ?」

「一度見たものは、絶対に忘れないの。だから迷わないのよ」

「うそ」

「本当よ。ここみたいに崩れて前と様子が変わっちゃうとダメだけど、そうでなければ迷うことはないわ」

「それも魔術なの?」

「そうね」

「いいな。わたしなんか、一度聞いた人の名前もすぐに忘れちゃうのに」

「それは憶え方の問題よ。カイト」

「ねぇ、フラン」

「なに?」

「あんたはどうして、”古都”を造ったの?」


 フランの歩く音がしばらく続いた。

「そんなにはっきり訊かれたのは初めてだわ」

「ゴメン。訊いちゃダメだった?」

「そんなことないわ。みんな訊きたくて仕方がないけど、遠慮して訊くのを我慢してるって感じで、どうして訊いてくれないのかって思ってたから。

 うさぎくんとか。特に」

「トロワさんは、……訊けないんじゃないかな」

「そうね」

 フランが笑う。

「カイトは、大災厄って知ってる?」

「うん」

「大災厄の前には、デア、という国が旧大陸と新大陸のほとんどを治めていたわ」

「うん」

「デアという国はね、魔術師が支配していたの。

 魔術師は本来、国を造る才覚なんてないものなんだけど、大災厄の200年ぐらい前にアララスという魔術師が生まれてね。彼は魔術だけじゃなくて、政治の才があったわ。魔術研究を究めるには魔術師の国を造る必要があるって考えて、たった20年でデアを旧大陸最大の帝国に育て上げたのよ。

 ゼロからね。

 後継者も彼の遺志を継いで、彼が死んでから10年も経たないうちに、デアは旧大陸と新大陸のほとんどを支配していたわ」

「大災厄の200年前?」

「ええ」

「大災厄って、800年ぐらい前のことなんでしょう?」

「そうよ」

「もっとずっと古い国だと思ってた。デアって」

「ほとんどの人はそう思ってるんじゃないかしら。大災厄でいろんなものが失われて、大災厄以前はひとつの時代みたいに考えられているから。

 大災厄の前には、デアしかなかったってね」

「ホントは違うんだね」

「大災厄の前にも長い歴史があるのよ」

「ふーん」

「デアが滅んで、支配者だった魔術師たちの立場はひどく悪くなったわ。

 大災厄が起こった時には、あたしは動こうにも動けなかったから、大災厄からしばらく経ってから様子を見に来たの。そうしたら、魔術師たちは--代が替わった子も少なくはなかったけど--物乞いにまで落ちぶれていたのよ」

「物乞い……」

「ちょっと可哀想になってね。それで”古都”を造ったの」

「そうなんだ」

「意外?」

 カイトが首を振る。

「そうでもない」

「そう」

 軽く微笑んで、フランが言葉を続ける。

「国を造ったとは言っても、国を守る軍事力もない、人口もちょっとした集落ほどしかなかったから、外から簡単に入れないように国そのものに結界を施して、箔をつけるために閣下に守護してもらったの。

 魔術師の国らしくね。

 落ちぶれて自信を無くしていた魔術師たちに気力を取り戻してもらうために、デアの復活を国是として掲げて、じゃあ収入はどうしようかしらって考えて、ふと、あたし自身を材料として使えば面白いかしらって思ったの」

「どういうこと?」

 フランが自分の胸に手を添える。

「ここに成功例があるって喧伝しておいて、不死を売ったらどうかってあの子たちに勧めたのよ」

「フランが考えたの?不死を売るって」

「ええ」

 フランが悪戯っぽく笑う。

「カイトには判らないでしょうけど、多くの人は権力を握ると永遠に生きたいって願うわ。生きてさえいれば、権力を握り続けられるって。

 一度手に入れた者にとっては、手放そうにも手放せないほど甘美なものなのよ、権力は。

 王だけじゃない。

 神官や姫巫女だって例外じゃない。永遠の命を望む者は必ずいるわ。財を成した商人たちの中にもね。

 そうしたお莫迦さんたちからお金を引き出すには、不死を売るのがいちばん簡単で、良い方法だと思ったの。

 実際に不死を実現する必要はないのよ。

 ただ、研究しているフリさえしていればね。

 あと少し、もう少しだけ、お金がいる。必ず不死は実現できる。そうすれば、あなたは永遠に生きられる、まだ実現できないのは資金が足りないからだ--、って言っているうちに、出資した人たちは死んじゃうから。

 場合によっては、国が傾くまでお金を吐き出してね」

 カイトが短く考える。

 フランの話はカイトにはよく理解できなかった。

 不死を買おうとする人々がいることがカイトにはそもそも理解できなかった。

 命あるものは必ず死ぬ。森では当たり前のことだ。それが狂泉の法だ。森の外に置き換えれば、人の数だけ眼を持つ者と言われる西の公女様の白い御手を逃れようとするようなものだろう。

『本当にそんなことを望む人がいるのだろうか。森の外には』

 というのがカイトの感想で、

 同時に、

「……サクさんのサギみたい」

 とも、カイトは思った。

「誰かしら。その人」

「海都クスルで会った人。サギでゲイル刑務所に捕まってた。サーズ・ルーって人の財宝をネタにしたサギが得意だって。ちょっとソレラシイ恰好をして、それでオカネモチからオカネを引き出して、温泉に浸かってお酒を呑んでたって」

 フランが笑う。

「そうね。あたしは、不死をネタにした詐欺をするように、”古都”の子たちに言ったようなものね。

 でも、いま彼らは本当に不死の研究をしているの。

 研究をするのは別にいいわ。

 それが魔術師の本分だから。どんな研究をしてもあたしは止めない。例え失敗に終わっても経験になる。

 直接は次に繋がらなくてもね。

 ただね、ここでは止めて欲しいの」

「どうして?」

「ここはラーラの国だから。あの子が嫌がるわ」

「竜王様のためなんだ」

「そうね」

 フランが曖昧に頷く。

「ここから階段になるわ。まっすぐ上がって」

「フランは?一緒に行かないの?」

「あたしは疲れるから--」

 フランの身体が沈む。ゆっくりと音もなく、フラン自身の影の中に。そして影だけが走って、カイトの影に溶けた。

「楽をさせてもらうわ」

 フランの声だけが、まるでそこにフランが立っているかのように響く。

「……さっきもそうしてたの?」

「ええ」

 カイトは、ウーッと唸ってから、

「どこまで上がればいいの?」

 と諦めたように訊いた。


 階段を登りきって、長いトンネルを抜け、水の落ちる音を遠くに聞き、細い水路に沿ってしばらく歩いた辺りで、「誰かいる」とカイトが囁いた。

「良く判るわねぇ。まだ随分、遠いのに」

 カイトと並んで歩いていたフランが応じる。

「フランにも判る?」

「あたしは、あたしの妖魔に周囲を警戒してもらっているから。知らない子だけど、多分、抵抗組織の子みたいね」

「抵抗組織って、一ツ神の信徒への?」

「そうよ」

「どうしてこんなところにいるのかな」

「一ツ神の信徒もね、昔は同じことをしていたのよ。迷宮大都の地下に潜って打ち合わせをしたり、しばらくほとぼりを冷ましたりね。

 でもこの子は、ハララム療養所に地下から入れないか調べているみたいね」

「入れるの?」

「難しいわね。あの子のところからハララム療養所まではまだ遠いし。

 それに、護衛もいるしね」

「護衛?」

「地下から侵入するなんて誰でも考えることでしょう?だから--」

 フランの言葉を遮って、カイトが素早く振り返る。いつの間にか弓に矢を番えている。

「大丈夫。あたしの妖魔よ。ちょっと護衛を連れて来てもらっただけだから」

「え?」

 何かいると向けていた矢を、カイトは下げた。

 カイトの見ている先で影が立ち上がる。

「いいわ。来て」

 影が何かを掴んでいる。小さな生き物。動いてはいないが、死んでもいない。影に固く握られたまま、ひくひくと鼻を動かしている。

 ネズミだ。

「これが護衛?」

「ええ」

 フランが頷く。

「毒を持つように改造されて、呪を施されているわ。ハララム療養所に近づく者がいれば攻撃するようにね。

 これが100匹以上、護衛しているのよ」

「だったら、このまま進まない方がいいの?」

「前にハララム療養所を覗いた時に、呪は書き換えたわ。あたしがいれば攻撃されることはないから心配ないわよ。

 ありがとう、戻してきてくれる?数が減ったことがバレないうちに」

 ネズミを手にしたまま影が頷き、床に沈んで走り去っていく。

「フラン」

 再び歩き始めたフランにカイトが声をかける。

「なにかしら」

「フランには、できないことってないの?」

 薄い笑みをフランが浮かべる。

「いっぱいあるわよ。できないことは」

「ホント?」

「カイトは、矢で射抜けないものってある?」

「ある」

 しばらく沈黙してから、「たくさんあるわ」とカイトが答える。

「あたしにもね、できないことはたくさんあるわ。あなたと同じで」

「うん」

 カイトが深く頷く。

「判った」



「ハララム療養所はこの上よ」

 フランが足を止めたのは、天井の低い、まっすぐ伸びた石造りの狭い通路の真ん中だった。ところどころに横に延びる通路らしき窪みがあるが、すべて塞がっているように、カイトには見えた。

「昔はここから地上に出る階段があったんだけど、今はもう埋まっちゃってて使えないわ。カイト。あたしといっしょに、ちょっとあたしの影に入ってもらうわよ」

「どうすればいいの?」

「何もしなくて大丈夫よ。もし不安なら、目を閉じていればいいわ」

「判った」

 目を閉じたカイトの手をフランが取る。

 下に沈んでいるとは、カイトは感じなかった。ただ目を閉じて立っているだけで、何もおかしな感じはしなかった。

 ふと周囲が温かくなり、「もういいわよ。カイト」と言われて目を開けると、カイトは応接室らしい狭い部屋の中にいた。

「あたしはここで待っているわ」

「うん」

「姿を消す術もかけられるけど、要る?」

 カイトが短く考える。気配を消していれば、誰かに見つかるとは思わない。しかし、ファロでフウに負けた時のことをカイトは思い出した。

「うん。要る」

「それじゃ、気をつけてね」

「ありがとう」

 扉が僅かに開き、音もなく閉じる。

「早かったわね」

 戻って来たカイトにフランがそう声をかけたのは30分ほど後のことである。

 姿を消す術をフランに解いてもらい、カイトはフランに当惑したように顔を向けた。

「ねぇ、フラン」

「何かしら」

「ここにいる人たちは、その--」

「なに?」

「人を……、人を、食べるの?」

 と、カイトは訊いた。

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