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23-6(竜王の国6(フランとの出会い))

「オジサン、この子に迷宮大都を見せてあげたいんだ。ちょっと入らせてもらってもいいかな」

 にこやかに笑ってオーフェが声をかけたのは、眉をしかめ口をへの字に歪めた、気難しそうな初老の男である。

 東の市場近くに聳える鐘楼の前でのことだ。

「おう、オーフェじゃねぇか。誰だい、その子」

「婆さまのお客様だよ」

 オーフェが紹介したのはカイトである。

 男が破顔する。

「タルルナさんのお客さんか。だったら断れねぇな、いいぜ、入ってくれ」

「わあ」

 鐘楼の上に出て、カイトは思わず声を上げた。

「ひろーい」

 迷宮大都だけでなく、遥か地平線の彼方まで見渡せる。

「あそこが東の市場で、あそこが婆さまの家です」

 オーフェが指さす。

「誓約の神殿はどこ?」

「反対側ですね」

 オーフェに従って鐘楼の反対側に回ると、街を貫く大河が見えた。

「昨日渡った橋があれです。誓約の神殿はあの辺りで、ヨリさんの家があったのは、あの辺りですね」

「あれは?」

 と、カイトが指さしたのは、迷宮大都の外れ、城壁に囲まれた一角だ。広い。多くの緑があり、建物がいくつも並んでいる。

「王宮です」

「あそこだけ城壁で囲まれているんだね」

「街をぜんぶ囲ってしまうには、迷宮大都は広すぎますからね。でも、昔は迷宮大都も城壁で囲まれていたんですよ」

「ホント?」

「それも3つもあったんです。ほら。よく見てみると、城壁の跡があちこちにあるのが判りませんか?」

 言われてみれば、繋がってはいないものの城壁らしきものが街のあちこちに点在している。オーフェの言う通り、三重になっているらしく、城壁の跡を追っていると、まるで街が渦を巻いているようにも見えた。

「そう言えば、迷宮大都まで百神国や洲国に攻め込まれたことがあるって聞いたけど、城壁がなくてどうやって街を守ったの?」

「近くまでは来ましたけど、迷宮大都まで来る前に撃退したんですよ」

「そうなんだ」

「ここから10キロほど向こうに谷があるんです」

 迷宮大都の北西にオーフェが顔を向ける。

「歩いても2時間ほどしかかからない。百神国は、ほんとうにすぐそこまで迫っていたんです。一ツ神の信徒たち、いや、モルドは、迷宮大都の市民を率いてそこで奇襲をかけたと聞いています。

 キャナ王国の正規軍を打ち破って油断していたんでしょう、炊事の煙が上がっているのを見て、モルドは市民軍を二つに分けて、一隊は正面から、もう一隊は裏道を通って百神国を反対側から攻めたそうです。

 挟み撃ちにしたってことですね。

 油断していた上に前後から攻められて、百神国の軍はパニックになって、壊滅したそうですよ」

「ふーん」

 カイトは、狂泉の森でイズイィから聞いた話を思い出した。

『ヤツラが攻めて来た時、オレはまだキャナにいたんだ。キャナにいて、神官としてではなく一市民としてヤツラと戦ったんだよ』『最初はただ、棒っきれで百神国の兵士を殴りつけるだけだったけど』

 武装魔術団の団長となる前のイズイィも、一ツ神の信徒に率いられた多くの市民たちの中にいたのだろうか。

 先頭に立って百神国の兵の中に突っ込んで行ったというフィータの兄も。

 カイトの胸の奥に言葉にならない疑問がある。

 カイトはまだ国というものがよく判らない。狂泉の森で言うところの一族と似たものかという程度の認識しかない。カイトにとってクル一族は、家族も同じだ。

 言葉にならない彼女の疑問を言葉にすれば、外から攻めてきた別の一族を命を賭して撃退した人々がなぜ、他の一族にいくさを仕掛けるのか、森の外の言葉に言い換えれば、外から攻めてきた国を、国と家族を守るために命を賭して撃退した人々がなぜ、他の国にいくさを仕掛けているのか--、ということになるだろう。

『早く雷神様がお戻りになられたらいいのに、と思うわ』

 切実な響きを帯びたパメラの声を思い出す。東の市場に響いたフィータの力強い声を思い出す。

『百神国を攻め、洲国を攻め、キャナにいったい何の益があるのでしょう!』

 東の市場いた人々のフィータを見つめる目。彼らの多くはフィータに敵意を向けてはいなかった。

 一ツ神の信徒にとって都合のいい血統だけは確かな女とライが教えてくれたキャナの王も、本当は、いつの日か雷神が神殿の扉を開き、いくさが終わることを望んでいるのだと、パメラは教えてくれた。

 それなのになぜ。

「ボクたちの家族も参加してて、伯父と、ボクとは年の離れた従兄が亡くなりました」

「そうなんだ」

「モルドは、百神国を壊滅させて浮かれる市民を、まだ終わっていないって叱咤して、百神国の残していった武器を取って、今度は東から迫って来る洲国を急襲したそうです。百神国の軍が打ち破られたって伝わる前に。

 洲国の軍を急襲して、負けたふりをして伏兵の潜む場所まで誘い込んで、こちらも壊滅させたと聞いています」

「スゴイね」

「迷宮大都に戻った時には人々の歓喜の声で空が割れそうだったと聞いています。

 ボクも覚えていますよ。

 街中がお祭り騒ぎのように賑やかだったのを。

 でも、ちょっと不思議なことがあって、いくさに参加した叔父から聞いたんですが、いくさ場でのモルドの指示に誰も逆らえなかったらしいんです」

「どういうこと?」

「百神国の背後に部隊を回したり、伏兵を置いたりしていますけど、モルドは一ツ神の信徒の長ではありましたけど、それまで名もない一市民だったのに、モルドが指示をすると誰もが彼の言う通りに従ったって言うんです」

 どこかで聞いた話だな。と、カイトは思った。

 しかし、どこで聞いたか思い出せない。

「でも、一ツ神の信徒が迷宮大都の人を引っ張って行ったんでしょう?そう聞いたわ。だからじゃないの?」

「ボクもそうかと思いますが、叔父は違うって言っていました。後になって思うと、なんだか気味が悪かったって」

 あ。フウが言ってた話か。

 狂泉様の森を出た理由を聞いた時だ。

『あれは何だったんだろうって今でも不思議に思うわ。だからあたしにも判らないの。どうして森を出たのか』

 あの話に似てるな。カイトはそう思い出し、何気なく鐘楼から下を見下ろして、「あっ!」と鋭く声を上げた。

「どうかしましたか?カイトさん」

「赤い髪の子が見えた」

「えっ?」

 オーフェが下を見下ろす。人は小さく、とても顔が見分けられる距離ではない。それでも懸命に視線を走らせていてオーフェの反応が遅れた。

「探しに行ってみる!」

 カイトの叫び声が尾を引くように遠ざかり、消える。

「えっ、待っ……」

 オーフェが慌てて視線を戻すと、鐘楼の上に出る扉が開いていて、カイトの姿はすでにどこにもなかった。


 カイトは階段を滑り落ちるように駆け下り、鐘楼を飛び出した。後ろを振り返ることなく、人混みの中に見えた赤い髪の少女を追う。

『いた』

 それらしい髪がちらりと見え、人々の間をすり抜け、見失い、また見つけ、気がつくと自分がどこにいるか判らなくなっていた。

 カイトは足を止めた。

 どこかの路地だ。

 いつの間にか不自然なほど人の姿がない。

 通りだけではなく、両側の建物にも人の気配がない。

 薄っぺらな壁の向こうには空っぽの舞台があるんじゃないか。そんな気がした。

 懸命に走って来たにも関わらず、少女との距離は開いたままだ。

 赤い髪の少女が角を曲がる。

 カイトは弓を肩に掛け直し、ゆっくりと少女を追った。

 路地の突き当りに、少女は足を止めていた。カイトを待っていたのだろう、背中をこちらに向けたまま。

 少女が歩き始める。

 壁に向かって。

 白い壁に溶け込むように、少女の姿が消える。

 短く息を吸う。

 いつもより慎重に足を進める。

 自分も壁に吸い込まれるのだろう、カイトはそう思っていた。だが、壁の2mほど手前まで進んだところで、カイトの足元から地面が消えた。


 光が消え、闇がカイトを押し包む。視界を奪われ、音が瞬時、断ち切られる。

 この感覚。知ってる。と、カイトは思った。狂泉様に抱き締められ、瞬きするよりも早く紫廟山からクル一族の集落に戻った時。あれに似ている。

 すぐに足が地面を踏む。

 足元は固くない。柔らかい。

 どこか別の場所に連れて来られた、と悟る。

 周囲は闇に包まれたままだ。

 素早く矢を引き抜く。

「あたしを射たりしないでもらえる?」

 若い女の声がしっとりと響く。

 敵意は感じられない。

 声の先に、気配もない。

「だれ」

 霧のように存在感の濃い闇を探り、弓を上げたまま問う。

「あたしを探していたんでしょう?」

「え?」

「うさぎくんの手紙は読んだわ」

「うさぎくん?」

 カイトの緊張が緩む。誰のことか、何故か判った。

「もしかして、それ、トロワさんのこと?」

「そうよ」

 少し考え、弓に矢を番えたまま、

「ひとつ教えて。あなたはどうして、トロワさんを弟子にしたの?」

 と、カイトは訊いた。

「初めて会った時に、あの子の目つきがひどく悪くてね、からかったら面白そうだったからよ」

 笑いを含んで声が答える。

 カイトが弓を下ろす。矢を仕舞う。

「信じてもらえて嬉しいわ」

 闇が晴れる。

 いつの間にか自分が室内にいることに、カイトは気づいた。天井まで届く広い窓があり、床には柔らかな絨毯が敷かれ、暖炉には暖かな火がある。

 どこかのリビングだ。

 女がひとり、ソファーに座っている。

 赤い鮮やかな長い髪。カイトをからかうように笑いを浮かべた栗色の瞳。露出の多い肌は僅かに赤みを帯びて白く、ゆったりとした服を着ていても肉感的で女らしい柔らかな肢体を隠しきれていない。

 きれいな子だな。と、思う。

 色香が濃い。

 親し気な笑みを浮かべた赤い唇は、まるでカイトを誘惑しているかのようにも見える。

 まだ若い。

 カイトと同い年ぐらいだ。

 しかし、もっと年上のようにも思える。

 何故だか歳が判り難い。

「フラン、ね?」

「ええ」

「会いたかった」

「あたしもよ、カイト」

「えっ?」

「だってあなたは、狂泉の自慢の子だもの」

 カイトが身震いする。カイトにとって狂泉は、呼び捨てにできる相手ではないからだ。

「狂泉様の友だちって、ホントなんだ」

「そんなことまで話したのね。うさぎくん」

 フランが前の椅子を示す。

「座って、カイト。少し聞きたいことがあるから」

「何?聞きたいことって」

「その前に、お茶を淹れるわ。それともお酒の方がいいかしら。狂泉に分けて貰ったうさぎくんのお酒があるけど」

「お茶でいい」

 クロとフウがいたら絶対に断らないだろうな、と思いながらカイトが答える。戸口の向こうにフランが姿を消し、トレイに湯呑をふたつとお茶菓子を載せて戻ってくる。

「おいしい」

 湯呑を口にして、カイトは思わず声を上げた。

「トワ郡に入るときに飲んだお茶に似てる」

「北部トワ郡にも行ったことがあるのね、カイト」

「えっ?」

「マララ領から北部トワ郡に通じる街道で飲んだんでしょう?」

「あ、うん」

「これ、そこのお茶よ。あたしも好きで取り寄せたの」

「そうなんだ」

 もうひとくち飲んで、

「ねえ、フラン」

 と、カイトは尋ねた。

「なに?」

「フランはトロワさんの魔術の師匠なんでしょう?」

「そうよ」

「誰よりも長く生きてて、誰にも負けないぐらい魔術の腕があるんでしょう?」

「誰にも負けないぐらい魔術の腕があるというのは、まあ、そう言ってもいいけれど、誰よりも長く生きている訳ではないわ」

「だったら、わざわざお茶を淹れに行かなくても、呪文を唱えただけで出せるんじゃないの?」

 フランが笑う。

「できるけれど、おいしくないわよ」

「そうなの?」

「予めお茶を淹れた湯呑を用意しておいて、ここに取り出して見せるだけだもの。冷めちゃっておいしくなくなっちゃうわ」

「そうなんだ」

「ターシャは元気だったかしら」

「え?」

「うさぎくんの手紙に、あなたがターシャから墓守の子を預かったって書いてあったわ」

「フラン、やっぱり伯爵様と知り合いなんだ」

「ええ」

 フランが頷く。

「あの子に閣下を紹介したのはあたしだもの」

「閣下?」

「あたしでも名を口にするのを憚られる御方のこと」

「あ」

「ラーラの墓を探している子がいるって聞いてね、ターシャに会いに行ったの。

 でも、それはあたしを引っ張り出すためのあの子の策で、本当に墓を探していた訳じゃなかったんだけど」

「ラーラって、誰?」

「竜王って言った方がいいかしら」

「えっ」

 カイトが驚いて湯呑を下ろす。

「竜王様って女の人なの?」

「そうよ」

「わたし、男の人だって思ってた」

「7000年も前のことだもの、あの子が生きていたのは。いつの間にかあの子が男だったって間違って伝わっているけれど、別に訂正する必要もないしね」

「そうだね」

 と頷いてから、カイトはフランの質問に答えた。

「伯爵様は楽しそうだった」

「楽しそうって?」

「マウロさんって知ってる?フラン」

「ファロの領主様ね」

 当然のようにフランが答える。

「うん。そのマウロさんがゲイル刑務所に捕まっていたのをみんなで助け出したんだけど、なんだか遊んでいるみたいに見えた。伯爵様は」

「ターシャが一ツ神の信徒に協力しなくて良かったわ」

「え?」

「だってもし、ターシャが一ツ神の信徒に協力していたら、今頃はクスルクスル王国までぜんぶモルドの手に落ちていたかも知れないもの」

「フラン、あんたは”古都”の首席なんでしょう?」

「ええ」

「一ツ神の信徒は、”古都”と関わりがあるって聞いたわ。だったらあんたは、一ツ神の信徒の味方じゃないの?」

「味方ではないわね」

「どうして?」

「”古都”からするとね、あたしは邪魔なの」

「えっ?」

「自由に魔術の研究ができないから。研究をしようとしても、あたしが止めちゃうから。だからあの子たちはあたしを排除することに協力したのよ。

 ハララム療養所で、あの子たちは、あたしがいれば止めただろう魔術の研究をしているわ。

 カイト。

 あたしがあなたに聞きたいのはね、あなたがどうしてカムラ魔術師の家に行ったのか、よ」


 カイトがお茶をすする。

「ヨリさんに会いに行ったの」

「何のために?」

「ヨリさんの様子を見てきてくれって、ライに頼まれたから」

「暴君さんね」

「知ってるの?」

「会ったことはないけれどね。それでどうだったの?」

「ヨリさんは」

 カイトが考える。

「--まだ、森人だった」

「そう」

「フランはどうして、わたしがヨリさんのところに行ったことを知ってるの?」

「跡をつけたもの」

「うそ」

「あなたに気づかれないようにするのは大変だったわ」

 カイトが「むう」と唸る。

「まだまだだな、わたし」

「そんなことないわ。

 あたし、あなたの影にあたしの妖魔を忍び込ませようとしたのよ。うちを訪ねて来た時に。

 でもまさか、気づかれるとは思わなかったわ」

「あの時……」

「だから遠くから妖魔に跡を追わせたのよ。見失わないよう手分けして、馬車を先回りさせたりしてね」

「どうしてわたしがヨリさんの、ううん、カムラさんの家に行ったことを気にするの?フラン」

「彼が一ツ神の信徒だから」

 フランが湯呑を口にする。

「あたしいま、一ツ神の信徒について調べているの。

 誰と誰が繋がっていて、誰が組織の要になっているのか。彼らひとりひとりがどんな人生を送ってきたのか。

 一ツ神の信徒になってまだ日は浅いけど、カムラ魔術師は幹部のひとりよ。

 だから、あなたがどうしてカムラ魔術師のうちを訪ねたのか、知りたかったの」

「カムラさんは、”古都”とも繋がってるの?」

 そっと言葉を置くようにカイトが訊く。

「”古都”が不死を売り物にしていることは知っている?カイト」

「ううん」

「”古都”はね、不死を売ることを約束して、研究資金の名目で、いろいろなところの王族や貴族、商人からお金を引き出しているのよ。

 不死の実現は、”古都”の最優先の研究課題のひとつだわ。

 カムラ魔術師がハララム療養所で研究しているのはね、その不死なの。”古都”のために不死を研究しているのよ、彼は」

「……」

「見に行ってみる?」

「え?」

「カムラ魔術師がハララム療養所で、どんな研究をしているか」

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