23-3(竜王の国3(引き込まれた手紙))
「いくさだったわ」
カイトはポツリと感想を述べた。タルルナ宅の夕食のことである。
大家族だとは知っていた。
しかし、タルルナの言う通り、見ると聞くとでは大違いだった。子供たちが騒いで、とにかく煩いのである。泣く、喚く、ケンカする。タルルナの方針だろう、大人たちは何も言わずに談笑していた。
暴れ回る子供たちと同じ年頃のリアは、唖然とするだけである。
「近所から文句が出ないのかよ、これ!」
怒鳴るように訊いたタガイィに、タルルナは「だからここら一角ぜんぶ、買い取ったのさ!」と豪快に笑った。
「でも楽しかったわ」
「それは良かった」
笑顔でカイトに応じたのは、隣を歩くオーフェである。トロワに教えてもらったフランの自宅へと二人で向かうところだ。
「わたし、迷宮大都ってもっと、うねうねしてるのかって思ってた」
「うねうね?」
「えーと。迷宮って言うぐらいだから、もっと道路が入り組んでて、すぐに迷うような」
オーフェが笑う。
「この辺りは迷宮大都でも比較的新しい街ですからね」
「そうなの?」
「フランという人の家のある辺りは、もっとうねうねしていますよ、カイトさん。
それにこの街が迷宮大都って呼ばれているのは、街の地下がどこまて広がっているか判らないからですしね」
「ねぇ、オーフェさん」
「何でしょう?カイトさん」
「その、カイトさん、というのは止めてくれないかな。なんだか落ち着かない」
「そういう訳にはいきませんよ」
オーフェが朗らかに笑う。
「カイトさんは、婆さまの大切なお客様ですからね」
「うー」
「あれが東の市場です。乗合馬車の乗り場はあの向こうになります」
オーフェが指さす先で建物が切れている。
狂泉の森の外の街について、カイトもいくらかは勘が働くようになっている。ゾマ市の西の広場よりもズイブン広そうだな、と思いながら東の市場に入って、カイトはあんぐりと口を開けた。
「広すぎる」
人が少なく見える。
しかしそれは、東の市場が広すぎるからだと判る。遠くを歩く人の姿が小さい。意識することなく距離を測る。カイトの判断基準は、矢が届くかどうかだ。ムリだ。と思う。とても矢が届く距離ではない。
「ここも前はもっと狭かったんですけどね。執政殿が、海都クスルのカイルア市場に負けない広さにするようにって命じて、倍以上の広さになってしまったんです。
--あれも」
オーフェが東の市場の北側を指さす。
建築中の建物がある。東の市場の北面、すべてを占めるほど大きい。
「執政殿の命令で、すべての神々に捧げるために造っているんです。海都クスルの大聖堂に負けないように」
「ふーん」
と頷いてから、カイトは、ん?と思った。
「でもオーフェさん、一ツ神の信徒は、一ツ神以外の神様を偽物って言ってるって、わたし聞いたわ。
そうじゃないの?」
「確かにカイトさんの言う通りです。でも、執政殿が定めた法では、すべての神を自由に信じることが認められているんですよ」
「どういうこと?」
「一ツ神だけを信じなければならない、なんてことはなくて、すべての神々を信じる自由が民にはあるって法で謳っているんです。
逆に、一ツ神に限らず、国は神殿とは距離を置くことも明記しています」
「そうなの?」
「元々、雷神様の神殿組織は国とは距離を取っていましたから、それを明文化しただけとも言えなくはないんですけどね、上手いやり方--いや、セコイやり方だと思いますよ」
口調は丁寧だが、オーフェの言葉に辛辣な響きが混じる。
「人々を締め付けるのではなく、上辺だけの自由を与えて、不満を失くそうということでしょう」
「だったら、一ツ神も、あの」カイトが建築中の建物を指さす。「えーと、神殿にお祀りされるの?」
「いいえ。一ツ神はあそこには祀られません」
「どうして?」
「彼らの言い方に倣えば、一ツ神は常世にいる、ってことになりますからね」
「あ、そうか」
カイトも思い出した。
「死んでから救われる悲しい信仰だって、前に聞いたわ」
ヨリが言っていた話だ。
オーフェが頷く。
「悲しい--。確かにそうかも知れないですね」
「ねえ、オーフェさん。常世ってどこにあるんだろう」
カイトは答えを訊いた訳ではない。
オーフェも判っている。
「ボクも教えて貰いたいですね。もし、本当にあるのなら、ですけど」
カイトとオーフェが東の市場の半ばまで進んだ時である。東の市場の一角で怒号が上がり、すぐに悲鳴が続いた。
「待て!」「止まれっ!」
という声が響く。
オーフェは視線を回した。「ここを離れましょう」と、カイトに言おうとしてびくりっと身体を震わせる。
カイトの姿がない。
何かが倒れる音が響き、オーフェが視線を戻すと、一人の男が人混みをすり抜けるように走って来た。
男の後ろから、こちらは人々を突き飛ばしながら、憲兵が追いかけて来る。
別の憲兵が先回りして男の逃げる先に立ち塞がり、男はたたらを踏んで周囲を素早く見回した。逃げられないと悟ったか、懐からナイフを取り出す。そして自分の首にナイフを当てた。
群衆の間から甲高い悲鳴が上がり、憲兵たちが悪態をつきながら男に走り寄る。憲兵たちが倒れた男の様子を確認する。チッと舌打ちが聞こえた。
多くの人々が小声で囁き合う中、とても見ていられないと言うように顔を逸らし、立ち去る者も少なくはなかった。
オーフェもまた群衆に紛れて、憲兵の注意を引かないようその場を離れた。
「さっきの、なに?」
と、東の市場の出口辺りでカイトの声がすぐ側で響いたが、オーフェはもう驚かなかった。
憲兵に姿を見られない方がいい。カイトがそう判断したのだと察している。
「一ツ神の信徒に対する抵抗組織のひとりでしょう」
「そんなのがあるの?」
「ボクが子供の頃は、一ツ神の信徒の方が抵抗組織と同じことをしていたんですけどね。雷神様が神殿の扉を閉じられる前には」
「そうなんだ」
抵抗組織にカイトはあまり興味はない。それよりも別のことが気になった。
「ねえ、オーフェさん」
「何でしょう」
「雷神様が扉を閉じられて、何か生活は変わった?」
「えっ?」
「雷神様が神殿の扉を閉じられるって、狂泉様が森を捨てられたのに近いって聞いたことがあるの。
でも、それがどういうことか想像できなくて。
昨日だって、みんな夕食の前には雷神様に祈りを捧げていたし」
オーフェが笑う。
「雷神様に祈りを捧げてる間だけは静かでしたね」
「うん」
「雷神様が扉を閉じられたのは、ボクが5歳の時なんですよ。だから良く覚えていませんけど、生活そのものは何も変わっていないと思いますよ。
神殿の扉を閉じられたとは言っても雷神様が遠雷庭にいらっしゃるのに変わりはありませんしね。
それに、みんな信じているから」
「何を?」
「いずれ、雷神様は扉を開いて戻って来られる。ボクたちを見捨てられた訳じゃないってことをですよ」
東の市場の外れに設けられた停車場から乗合馬車に乗り、そこからさらに2度、乗合馬車を乗り継いだ。
一度目は街を貫いて流れる広い川に面した小さな駅舎で、乗り換えてすぐに長い橋を渡った。二度目は何台もの馬車が停められた広場で、「ここは迷宮大都の乗合馬車の路線がほとんど集まっているんです」とオーフェが教えてくれた。
中央停車場だという。
あまりの人の多さと賑やかさに軽い眩暈を覚えながら馬車を乗り換え、30分ほど走ったところで降りた。
「ここらはうねうねしてるね」
建物が古く、道路も馬車が入れないほど狭い。通りを行く人は多いが、中央停車場と違って静寂と落ち着きが人々の間にある。
「この辺りが旧市街です。もっとも、実際にはどれぐらい古いか判らないし、もっと古い街並みもありますから、正しい言い方ではありませんけどね」
少し歩くと狭い広場が現れて四方に道が延びていて、人の流れに乗ってそのうちの一本を進んで曲がりくねった坂道を上ると、カイトはもう、自分がどこにいるか判らなくなった。
道の先が開けている。
小さな広場に出て、
「あれが--」
と、オーフェが指をさす。
「誓約の神殿です」
小高い丘の上に小さな石造りの神殿があった。
誓約の神殿。
神々が天へと帰る代わりに祈りを捧げることを誓って竜王が建てた神殿だとカイトも知っている。
カイトたちと一緒に坂道を登って来た人々のほとんどは、誓約の神殿へと足を進めていく。
「思ったより小さいね」
「初めて見たときにボクも同じことを思いましたよ。思ったより小さいなって。でも、大昔に竜王様が建てられたとすると、小さくても当然かなって、今は思っています」
「あ。そうか」
人々に続いて誓約の神殿に入り、神々に祈りを捧げた後、更に旧市街の奥へとオーフェに連れられて踏み込んでいった。
「本当に、ここかな?」
不審そうにカイトは呟いた。
誓約の神殿から20分ほど歩いたところだ。
トロワが持たせてくれた住所の前だ。住所が正しいとすると、フランの自宅はひどく狭かった。
両隣の建物に挟まれて幅が2mほどしかない。しかも扉がひとつあるきりで、あとは3階建てほどの高さまですべてが壁で、窓も見当たらない。扉は固く閉ざされてしばらく開いたことがないように見えた。
ノックをし、声をかけるが返事はない。
オーフェが両隣の家に尋ねると、人が出入りするところを見たことがないと言う。
仕方なく、トロワから預かっていた手紙を玄関の隙間から差し込んで引き上げることにした。
「それでは、行きましょうか」
オーフェがそう行った時、突然、カイトが勢いよく振り返った。
鋭く視線を回す。
弓に矢を番えている。
いつカイトが矢を抜いたか、オーフェには判らなかった。
「何かありましたか?」
「誰かに見られていたわ」
オーフェの問いに、カイトが答える。
「えっ」
オーフェも周囲を見回した。
カイトが平原王の砦を落としたことをオーフェは知っている。トワ郡庁を落とすのにカイトが大きな役割を果たしたこともだ。
先程の東の市場の騒動の際に、憲兵に見つからないようカイトが素早く姿を消したこともあって、オーフェはカイトの言葉を疑わなかった。
「今も?」
カイトが矢を下げる。
「ううん。消えた」
矢筒に矢を戻す。
「もういない。行こう、オーフェさん」
「--ん」
一度だけ背後に視線をやり、歩き出したカイトを追ってオーフェも歩き始める。
二人の足音が通りの向こうに消えたうしろで、扉に差し込まれたトロワからの手紙が、音もなく内側に引き込まれた。