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2-5(狂泉の森人たち5)

「さてカイト。これでお前も森人のひとりとなった。これからは森人として、守り人として、己が義務をしっかりと果たせよ」

 革ノ月から戻ったカイトに、クル一族の巫女である老女は、狂泉の祠の前でそう告げた。老女の告げた『守り人としての義務』とは、許しなく狂泉の森に入った者を殺すことである。

「許しなく森にひとが入ったって、どうやって判るの?」

 カイトの問いに、父と母は「森が教えてくれる」と言い、それはどういうことかと重ねて問うた彼女に、「その時が来れば判る」とだけ教えた。

 巫女である老女の答えも、伯母の答えも同じだった。


 集落と集落の間、誰の縄張りでもない森の中で、カイトは構えていた弓を下ろした。訝しげに首を回す。

 声が聞こえた訳ではない。

 森の木々が、意味あり気に揺れた訳でもない。

 ただ、判った。

 森が彼女に教えた。

 許しなく、森に入った者がいると。

 矢を仕舞い、弓を肩にかける。どこへ行けばいいか、なぜかそれも判る。

 荷物を拾い上げ、カイトは駆け出した。

 遠くはない。

 しばらく走って、姿を見る前にカイトは侵入者の立てる騒がしい音に気づいた。一緒にイノシシを狩った奴隷の彼よりもさらに騒がしい。

 気配を殺し、茂みに潜む。

 足音は二つ。

 だが、侵入者は二人ではなかった。

 男と女、そして女は腕に赤子を抱いていた。


『これからどうすればいいんだろう』

 狂泉の許しなく森に入った者がいれば森が教えてくれる。そして、許しなく森に入った者は殺す。

 カイトが知っているのはそれだけだ。

 カイトは茂みに身を潜めて男女の様子を窺った。

 男女はこれまでにカイトが会った外の人々、商人、雇用人、奴隷の誰とも、異なる服を着ていた。

 カイトからすれば、無駄に派手、と見えた。

「森の外には身分、というものがあるのさ」

 とヴィトが教えてくれた。

「身分が高くなればなるほど、ヤツラは仰々しく飾り立てたがる。動きにくいだろうに、働かなくてもいい自分を誇示するようにな」

 男女の来ている服はひどく動きにくそうだった。つまりこの二人は、ミブンが高い、ということだろうか、とカイトは思った。

 カイトは知らなかったが、彼らは彼らで、彼らが普段着ている服からすれば、随分と動きやすく、質素な服を着ていたのである。

 男の方はズイブン背が高かった。

 奴隷の男も背が高かったが、それよりもまだ高い。ただ、男にしては体つきは華奢で、顔立ちは優しく、肌の色もカイトからすれば異様なほど白かった。弱そうな人。というのがカイトの印象である。

 腰に何か、細長い物を下げている。長剣である。見るのは初めてだったが、山刀のような、何かの刃物だろうとカイトは見当をつけた。

『きれいなひと』

 女の方を見て、カイトはそう思った。

 隣を歩く男と比べると頭ひとつは背が低い。ただし、森人と比較すれば長身と言っていいだろう。男よりもさらに肌が白く、肌理も細かい。背中に落とした髪はハルよりも長く、ハルのように複雑な結び方をしていた。

 まっすぐ森の奥へと向けた視線に揺るぎはなく、気の強そうな人だな、とカイトは思った。

 おそらく20代前後だろう、二人ともまだ若い。

 どうするか決められないまま、カイトはしばらく、二人、いや、女の腕に抱かれた赤子を含めれば三人と並んで、森の奥へと進んでいった。彼らがカイトに気づいた様子は、まったくなかった。

 そうしているうちに、他の猟師たちも集まって来た。

 カイトと同じように気配を殺していたが、カイトが判るだけでも、少なくとも10人近い森人がいつの間にか男女を囲んでいた。

『様子を見よう』

 カイトはそう決めた。

 集まった他の猟師たちに倣った方がいい。そう判断したのである。


「止まれ」

 男女の前から声が響いた。もちろんカイトではない。別の猟師だ。男女が足を止める。男の方が顔を上げ、声のした森の奥へと不安げに視線を泳がせる。

 赤子を抱いた女の方も、前方に向けて顔を上げた。唇を固く結び、恐れは見せなかった。赤子を抱いた腕に、僅かに力が入る。

「ここは狂泉様の森だ。外の者が許しなく入ることは禁じられている。今すぐ引き返し、森を出よ」

 森に猟師の声が響く。

 若い男の喉がゴクリと動く。

「知っている。知っていて、来たんだ」

 震える声で男が言う。

 甲高いが、良く前に出る、聞き取りやすい声だった。

「しばらくの間でいい、どうか我々を、森にかくまって欲しい」

「駄目だ」

「狂泉様の許可なく森に入ったことは謝る。だが、森から出れば、殺されてしまう。平原王に」

「知らぬ」と、声が冷たく答えるのを聞きながら、カイトは『ヘイゲンオウって誰だろう……』と考えていた。

「立ち去らなければ、お前たちはここで死ぬ」

「我々が、この子が死ねば、王家の血が途絶えてしまう。我々は死ぬ訳にはいかないんだ。せめて森の反対側へ通してくれ。一時的でいい。森を通過する許可が欲しい。

 謝礼も出す」

 声に焦りを滲ませて男が言う。

 だが、茂みから様子を窺うカイトには、言葉とは裏腹に男がさほど恐れているようには見えなかった。むしろ男の青い瞳には、カイトにも判らない、深い覚悟があった。

「カネだけじゃない。宝石もある。全部あんたらにやる。だから頼む」

「駄目だ」

 と、声が冷たく告げる。

「ずっと住まわせて欲しいと言っているんじゃない。それでも駄目なのか?」

 声は答えない。

 若い男が顎を引く。女に下がるように仕草で示し、腰の長剣に手を掛ける。

「こんなことをしたくはないが」

 男が何かを呟き、男の服が風に揺れた。魔術だ。

 カイトは弓に矢を番えた。これまで彼女は魔術を見たことはなく、男が何をしているのかは判らなかった。

 ただ、風が不規則に男の周囲を取り巻いていることは判った。

 それと男が、狂泉の法に逆らおうとしていることも。

「無理にでも通らせてもらう」

 男の声から震えが消え、声のトーンが下がる。男の身体が一回り大きくなったように、カイトには見えた。

 男が長剣を抜く。

「悪いが、覚悟してくれ」

 平板な声で男が言う。

 カイトは弓を構えた。

 姿は見えなかったが、他の猟師たちも弓を構えた気配があった。

 男が足を踏み出し、前方の森へと走り出そうとする。そこへ、一本の矢が飛来した。

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