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22-1(キャナヘ1(遠いオム市))

 トワ郡庁は落ちた。

 しかし、サッシャをはじめとするトワ王国軍の高揚感は長続きしなかった。

 郡主であるザカラを取り逃がしたからである。

 ザカラの寝室からオム市の民家に抜け穴が続いていて、しかもクロが確かめたところでは、ザカラがトワ郡庁から逃亡したのは、昨日今日のことですらなかった。

「5日以上は前だ。逃げたのは」

「なんてヤツだ」

 キヒコが吐き捨てる。

 トワ郡庁を命を賭けて守っていた兵士たちは、誰もザカラが逃げたことを知らされていなかった。

 兵士だけではない。

 ザカラは家族にさえ逃亡を知らせていなかった。ザカラの妻や子は、置き去りにされたのである。

「胸糞が悪いが、ザカラを追っているヒマはない」

 と、トワ王国軍上層部の意見は一致した。

 遠からず来るだろうカン将軍の襲来に備える必要があったからだ。

 カイトはそういった状況の中、オム市を後にした。


「なるべく早く帰って来る」

 と言ったカイトに、フウは首を振った。

「あたしのことより、リアちゃんに力を貸してあげて」

「えっ?」

「リアちゃんが何をしようとしているかは判らない。でも、カイトの力が必要になるわ。リアちゃんには、きっと」

 確信を込めてフウが言う。

「だから、トロワさんに預けるだけじゃなくて、リアちゃんがやろうとしていることを手伝ってあげて。

 あたしは大丈夫、クロさんもいるし。だから、ね」

「--判った」

 フウがカイトを抱き締める。固く、強く、けれど、カイトが痛くないように想いのすべてを込めて優しく。

 カイトもまた、同じようにフウの身体を抱き締めた。

「行ってくる」

「気をつけてね」

 名残りを惜しみながら手を離し、角を曲がる前に振り返るとまだフウはこちらを見ていて、カイトは大きく手を振った。

 フウが手を振り返す。胸の前で、小さく。

 何故かカイトは、いつまでも立っているフウを見て、酔林国に旅立つカイトを見送ってくれた母の姿を思い出した。


 オム市からファロへと続く道を、海都クスルに行った時とは逆に辿り、マウロの屋敷に寄ってマウロとミユの無事を伝え、カイトはファロの森へと入った。

 フウが逃れて来ただろう森を、フウとは逆に西へ進み、洲国へと出て、己の感覚に従って狂泉の森を目指した。洲国ではとにかく人と会うのは避けて、狂泉の森に入った。

 戻って来たと感傷に浸る間もなく、休むことなく南へ、方角的には西へと急いだ。

 悪夢を見た。

 矢が尽きる悪夢だ。矢が届かず、誰も助けられない悪夢だ。父と母、一族の人々を亡くして、何度となく見た悪夢だった。

 ただ、これまでと違うのは、倒れて動かないのが父や母、フォンをはじめとする一族の人々ではなく、クロやフウだったことだ。

 カイトは悪夢から醒めた。目覚める前に夢だったと悟り、安堵し、意識して悪夢を心の奥に押しやる。いつも通り。

 狂泉の森にいる。と思い出す。

 弓矢を引き寄せる。

 疲れていたために深く眠り過ぎていた。

 熊がいる。

 いつもならカイトの方が先に熊に気づいてやり過ごしている。だが、やり過ごすには遅すぎた。まだ遠いが、向こうも気づいている。

 幸いなことに、熊は満腹で機嫌が良かったのか、カイトを無視してどこかへ歩み去ってくれた。

 カイトは浅く息を吐き、弓矢を手にしたまま、再び眠りの中に沈んだ。

 そうやって急ぎに急ぎはしたものの、酔林国にカイトが到着したのは、オム市を出てから1ヶ月近くが経ってからだった。


 トロワの酒蔵に息を切らして駆け込んだカイトを出迎えてくれたのは、ハノである。

「こんにちは!誰かいますか!」

「まぁ」

 カイトを見てハノは言葉を失くし、黙って歩み寄ると、カイトを強く抱き締めてくれた。

「……おかえりなさい、カイトちゃん」

 カイトを抱き締めたままハノが言う。

「ただいま。ハノさん」

 カイトもまた、ハノのぬくもりを確かめるようにハノの背中に手を回した。

「どうしたの、突然」

「ハノさん、プリンスは?」

「え?」

 ハノがカイトの栗色の瞳を覗き込む。

「プリンスがどうかしたの?」

「ここでプリンスと落ち合う約束をしているの。リアちゃんをトロワさんに紹介するために」

 ハノはカイトを改めて見直した。

 カイトの服が薄汚れている。遠くクル一族の集落から酔林国まで旅をして来た、初めて会った時よりもくたびれているように見える。

「カイト、どうしたんだ」

 酒蔵からトロワが現れる。

「カイトだ!」

 揃って声を上げたのはトロワと一緒に現れた双子の娘である。

「何かあったのか、カイト」

「待って、トロワ」

 ハノが遮る。

「カイトちゃん。プリンスはまだ来ていないわ。それよりカイトちゃん、あなた、どこから来たの?」

「オム市から。先にプリンスにリアちゃんを送って貰ったから……」

「オム市ってどこの街?」

「クスルクスル王国の、トワ郡の郡都だ。ハノ」

 トロワが後ろから答える。

「そこから来たのね」

「うん」

「プリンスはまだ来ていないわ、カイトちゃん。だから急がなくても大丈夫」

 ハノが双子の娘を呼び、「カイトちゃんをお風呂に連れて行って頂戴。そのままカイトちゃんが沈んでしまわないよう、見張ってて」と言いつける。

「はーい」

 双子がカイトの手を取る。

「行こう!カイト!」

「待って、ハノさん、わたし--」

「諦めて大人しく従った方がいいよ、カイト」

 笑いながらトロワが言う。

「ハノを怒らせたくはないだろう?」

 さすがに家族は良く判っている。

「そういうこと!」

 双子も声を揃える。

 カイトは双子に連れられて風呂に放り込まれ、身体を洗われ、着替えさせられ、食卓に座らされた。

「さあ、食べて」

 ハノに言われるまま食事を口に運ぶと、カイトの口から思わず「おいしい」と言葉が漏れた。

「……ハノさんの味だ」

「覚えててくれた?」

「うん」

「良かった」と、ハノが微笑み、食事をしながらたわいもないことを話していて、はっと気がつくと、カイトは明かりのない部屋でベッドに横になっていた。

 窓の外が暗い。

 いつの間にか夜になっている。

 あれ。

 と思う。

 どこだろう、ここ。

 見覚えあるな。

 記憶が不意に繋がり、言葉にするよりも先に、カイトはすべてを思い出した。

「トロワさんのトコだ!」

 カイトが使わせてもらっていた部屋である。

「よお。久しぶりだな」

 トロワとハノを探して居間に行くとライがいた。まるで自分の家でもあるかのようなデカイ態度で、ひとり酒を呑んでいた。

「どうしてライがここにいるの?」

「なに、ちょっとメシを食いに来たらお前が来てるって聞いてな。プリンスの野郎がどうとか、面白そうだったから起きるのを待ってたんだよ。

 おーい、トロワ!カイトが起きて来たぜ!」

 酒蔵中に響きそうなライの大声にまず現れたのはハノで、「良く眠れた?カイトちゃん」と訊いた。

「うん。ありがとう、ハノさん」

「良かった。何か飲み物を持ってくるわ」

 ハノと入れ替わるようにトロワが居間に入って来た。

「落ち着いたかい、カイト」

「うん」

「それじゃあ、プリンスがここに来るって何のことか、話してくれるかい」


「わたし、伯爵様から女の子を預かったの。トロワさんのところに送り届けて欲しいって。でも、狂泉様の森で、トワ郡で反乱が起こったって聞いて、その子をプリンスに預けてオム市に行ったの」

 相変わらずカイトの話は判り難い。トロワは順に訊くことにした。

「伯爵様って?」

「えーと」

 どう言えばいいかカイトが迷う。

 惑乱の君の信徒。

 と、ここで言うのは、あまり良くない気がした。もしかすると狂泉様が不機嫌になるかも知れない。

「クスルクスル王国に亡命しているキャナのキゾクで、えーと、元のガイムダイジンで、名を口にするのも憚られる御方たちの信徒」

「はぁ?」

 ライが声を上げる。

「名を口にするのも憚られる御方たちの信徒だあ?」

「うん」

「もしかして、それ、ターシャ・オン・ロード伯爵のことか?カイト」

「うん、そう!」

「知ってんのか?トロワ」

 トロワが頷く。

「有名な方だよ、キャナでは。会ったことはないけどな。

 カイトの言う通りキャナの外務大臣だった方で、酔林国に攻め込むことに反対して政権を追われて、クスルクスル王国に亡命したって聞いている」

「へえ」

 感心したようにライが声を上げる。

「キャナにもそんなヤツがいたのかよ」

「それで、カイトがロード伯爵から預かったというのは、誰だい?」

「リアっていう子だけど、トロワさん、知ってる?」

「いや。知らないな」

「何モンだ?」

「判らないの」

「どういうことだ?」

「リアちゃんが話してくれないから。伯爵様もご存知ないみたい。リアちゃんが教えてくれないから。

 ただ、想像はついているらしいけど」

「訳が判らねぇ」

「どうしてオレに?」

「リアちゃんが伯爵様と会った時に、リアちゃん、ひとつ質問をしたって、伯爵様に。

 それが道標だって伯爵様は言ってたわ」

「道標……」

「どんな質問なんだ?」

「教えて貰ってない」

「おいおい」

「でも、間違ってないだろうって、トロワさんが次の道標だろうって」

 トロワが考え込む。

 何も判らない、というのがトロワの正直なところである。ただ、カイトがロード伯爵を信頼している。それだけは判った。

「カイト、悪いが、平原王とのいくさの後、何があってロード伯爵と出会ったのか、順に話してくれないか」

「うん」

 平原王とのいくさの後、ライとエトーが酔林国に戻ってしばらくしてから狂泉の森を出て、獣人のクロに出会い、マララ領の見聞官になり、ファロでフウと出会い、マウロを助けるために海都クスルに行くことになって、途中で海賊に襲われ、海賊に捕まっていたターシャとリアに出会った、とカイトは話した。

「伯爵様がわたしたちと出会ったのは狂泉様と海神様のご加護だろうって伯爵様が言ってたって、クロが言ってたわ」

「ロード伯爵の連れていた子を、狂泉様と海神様が加護されていた……」

「うん」

「で、それから、どうしたんだ?」

 海都クスルに着き、無事マウロを助け出し、狂泉の森に逃げ込み、

「そこでプリンスとハルに会ったの」

「元気だったか?二人とも」

 ライが訊く。

「うん」

「そりゃ良かった」

「で、トワ郡の反乱のことを聞いて、リアという子をプリンスに預けた、ということか」

「うん」

「反乱軍がトワ郡庁を落としたらしいという噂は聞いていたが、そこにカイトがいたとは思わなかったよ」

「知ってたの?トロワさん」

「噂で聞いただけだよ、一昨日ね。オレはキャナの商人から聞いたんだが、確証はなくてね。

 カイトのおかげで確かめられたよ」

「一昨日……」

「で、どうするんだ。トロワ」

「プリンスがリアって子を連れてくるのを待つしかないだろうな」

「ま、そうだな」

「リアという子がまだ5歳だというのなら、一日に歩ける距離も限られてくるからな。だとしたら、プリンスが着くのはまだまだ先だろう。

 それまでうちにいるといい、カイト」

「うん……」

「焦るなと言っても難しいだろうが、焦っても仕方ねぇからな。しばらくゆっくりしていきな」

「判ってる」

 噂で聞いた。

 一昨日に。

 あれはもう、1ヶ月も前のことなのに。

『ここは、酔林国は、なんてフウから遠いんだろう』

 はるか東、見えるはずのないオム市へと視線を向けてカイトはそう思った。

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