21-6(トワ郡反乱6(トワ郡庁 攻城戦))
夜が明ける前に、トワ王国軍--クスルクスル王国側からすれば反乱軍--は、トワ郡庁への攻撃を開始した。
攻撃は2ヶ所から行われた。
正門である北門と、東門だ。正門に主力を集中させつつ、こちらを囮として実際には防御が手薄な東門を破る、というのが狙いだった。
サッシャは北門の前にいる。
キヒコやイタカたちもだ。
ミユは前線から十分な距離を取って設けられた本営に座り、攻撃を見守っている。ミユの傍らにはフウが控えている。
マウロは東門の方にいるために姿がない。
わあわあと喚声を上げてトワ王国軍の兵士が北門に取り付こうとする。降り注ぐ矢を盾で受け、破城槌を兵士が押し進む。降り注ぐのは矢だけではない。熱湯がぶちまけられ、石が落とされる。火矢も飛ぶ。
攻撃を開始してからほんの10分ほどで、攻撃側の負傷者だけが増えていく。
「クロ」
カイトはクロと二人並んで、誰からも離れたところから見守っている。
「なんだ」
「あのはしご、何のためにあるの?」
カイトが指さしたのは、攻撃側が持ち込もうとして、何度も失敗しているはしごである。
「あれで城壁によじ登るのさ」
「でも、ちっとも城壁に近づけていないわ」
「守る方も必死だからな。あれをかけられたら、城壁に登られっちまう。で、そのまま城内に侵入されるだろ?」
「城内に進入して、中から門を開けようとしているの?サッシャさんたちは」
「ああ。そうだ」
「判った」
「何をする気だ?カイト」
「あそこにいる人たちを--」
カイトが、北門に連なる城壁の上にいる兵士を指さす。
「わたしが何とかするわ」
「オレは何をすればいい?」
カイトを止めることなく、クロが訊く。
「はしごと、矢をたくさん持ってきて。足りなくなると思うから」
「キヒコの爺さんにはしごと人手を借りてくる。ちょっと待ってろ」
「もう待てない」
カイトが城壁に向かって歩き始める。カイトの腰には、自分のではない矢筒がもうひとつ、巻かれている。
クロはキヒコのところへと走り、「はしごを貸せ!それと誰か、一人か二人、あと、矢をできるだけ!」と怒鳴った。
「何をする気だ!」
「あそこにいる連中をカイトが片付ける!そこにはしごをかけるんだ!」
「あそこって……」
キヒコはクロが指さす先を見て、ちらりと城壁に向かうカイトの姿を捕らえた。しかし、すぐに見失う。
「オレが行くぜ!」
カエルが叫び、
「ボクも行くよ」
と、にこにこと笑ってかかしが続いた。
「おう、頼む!」
「あ」
キヒコが声を漏らす。
いつの間にかカイトが城壁のすぐ下にいた。
城壁の兵士たちもカイトに気づき、矢を向け、彼らから見て左へとカイトが逃げたと見え、気がつくと見失っていた。
慌てて視線を戻すが、誰もいない。
カイトは彼らの予想しないところにいた。城壁にある僅かな凹凸を見極め、まるでそこに階段でもあるかのように、森に棲む一頭の獣のように一塊の黒い影となって、一息に城壁を走り上がっていたのである。
身体を低くして城壁の上、兵士の間に滑り込み、周囲へと矢を放つ。
兵士が四方へ倒れる。
空間が出来る。
城壁は北門と繋がっている。北門と城壁の接続部分は2mほどの壁だ。カイトはその壁を背にして矢を放った。
城壁の上の兵士たちが薙ぎ払われていく。大風に倒れるように。巨人に殴り倒されるかのように、端から次々と、数人ごとにまとまって倒れていく。兵士で埋まっていた城壁の上が、カイトの前が、みるみる開けていく。
カイトが前へと出る。歩く。
キヒコはあっけに取られてその様子を見ている。
『……しかし、北門の上にも兵が……』
と、視線を回して、ぞっとする。
北門の上にいた筈の兵士の姿がない。
弓の上手いヤツがひとりいて、何人もの味方の兵士がソイツに倒されたが、いまは誰もいない。
弓を握った兵士が一人、北門から身を乗り出して倒れているだけだ。
倒れた兵士の首の辺りを、矢が貫いている。
キヒコは知らない。
昨夜、サッシャに向かって矢を射た兵士がいたことを。彼だけが城壁に近づいて来るカイトに気づき、矢を放とうとして、果たせなかったことを。
ごくりっとキヒコが喉を鳴らす。
イタカも気づいていくさ場にいることも忘れて呆然と立ち尽くし、サッシャも気づいた。
「ああ。流石、カイトさん」
サッシャは感嘆の声を上げた。
「お前が敵うはずないじゃないか、ジブ。あんな--」
フウも見た。
城壁に立ち、弓を構えたカイトの姿を。どんな遠くからでも見間違いようのない、胸を打つ姿を。
『きれい』
と、素直に思う。
矢を引き抜く動作は目で追えないほど早く、それでいて基本に忠実で無駄がなく、ひとつひとつの動作にメリハリが効いているからか、フウにはカイトが、まるで止まっているかのようにさえ見えた。
これ以上美しいものがこの世にあるかしら、とフウが思ったのは、彼女が狂泉の森人だからだろう。
「ミユ様」
「ええ」
「あれがカイトです」
「ええ」
ミユもこくりと頷いた。
彼女の心の内はフウほど単純ではない。
ミユは恐ろしかった。何のためらいもなく人を殺すカイトが。驚きもある。感動も。人はここまでできるものなのかと胸が震え、
何よりミユは、
「羨ましい」
と、思った。
「え?」
フウがミユを振り返る。
「わたしは、カイトの強さが羨ましいわ」
「ミユ様」
戦場にいるとは思えない穏やかな声でフウがミユに話しかける。
「何?」
「カイトは弱い子です」
「え?」
意外そうに向けられたミユの視線を、フウの栗色の瞳が柔らかく受け止める。
「カイトは自分を責めています。平原王とのいくさで父さまと母さまが死んだときに、一緒にいられなかった自分を。ずっと」
「……」
「悲しくて、悔しくて、申し訳なくて、それでもカイトが立っていられるのは、あの子の一族がいたからです。
平原王の砦まで来てくれたハルが、--友だちがいたからです」
フウが笑う。
「だから、ミユ様は大丈夫です」
「えっ?」
「だって、マウロ様がいらっしゃいますから。ファロの人たちが。イタカ先生や、かかしさんが、キヒコさんやカエルさんが。
もちろん、あたしも」
「フウ」
ミユは、ファロの森で自分に矢を向けたフウの姿を思い出した。感情を失くしたかのように黙りこくったフウの姿を。一族がみんな死んでしまって、帰るところがなくなっちゃったと、声を押し殺して泣いたフウの姿を。
「だから大丈夫です。あたしたちがここにいますから」
あの時、わたしは今のフウと同い年だったかしら。
と、ふとミユは思った。
「うん」
温かく冷たい想いを胸に深く頷いて、ミユはカイトへと視線を戻した。
北門の前に不思議な静寂が広がっていく中、クロはカエルと二人、はしごを抱えて走り出している。
走るクロの脇を、かかしが風を切って追い抜いて行った。
「早えな、オイ!」
急いでいるように見えないが、足が長い分、随分と速い。城壁に真っ先に取り付き、「早く、早く、お犬ちゃん!」と急かす。
「判ってるよ!」
はしごをかける。かかしが押さえる。
クロよりも先に、「先行くぜ!」とカエルがはしごに手をかけ、あっという間に城壁の上へと姿を消した。
「お前も早えな!」
クロもすぐに続いてカイトの後ろへと出て、「カイト、矢だ!」と、矢筒をふたつ、投げた。
返事をすることなく、カイトが振り返って矢筒を受け取る。
カイトの矢が尽きたと思い、ひと呼吸遅れて、兵士たちが喚声を上げて押し寄せようとする。
カイトは何も変わったことをした訳ではない。
弓を肩にかけ、まず自分の矢筒を外し、受け取った矢筒のひとつを腰に巻く間、もうひとつを口に咥え、ふたつ目の矢筒を腰に巻き、肩から弓を外し、新しい矢を抜く。
これだけである。
ただしそれを、カイトは、身体をくるりと回す間に終わらせていた。
まず、あたふたと弓を構えようとした兵士が、弓に矢を番えたところで死んだ。
ほとんど前へ進めないうちに、カイトに押し寄せようとしていた兵士が数人、死体となる。更に5人が、うず高く積み重なった死体の一部となる。
残りの兵士たちが慌てて足を止める。
カイトと兵士たちの間に、再び空間が空く。両者の間に石畳は見えない。夥しい数の死体で埋め尽くされている。
カイトが矢先を下に向ける。
それ以上近づきさえしなければ殺さない。という意思表示である。
「どけどけっ!」
野太い声が響いて、兵士たちが道を開ける。
「クソガキがッ!ワシがぷっ殺してやるわ!」
全身に鎧をまとい、兜をかぶった小柄な男が現れる。背は低いが、鍛え上げられた筋肉で鎧が盛り上がり、はち切れそうになっている。両手には幅広の長剣が、引き絞るように握られている。
「射抜けるものなら、射抜いてみろ!」
男が叫ぶ。
声がくぐもっている。
男のかぶった兜は、目だけを残して、すっかり男の頭を覆っている。
「行くぞ、小娘ぇ!」
頭を下げ、男が走り出す。
死体の山を躊躇うことなく踏みつけ、乗り越えようとする。
カイトが弓を上げる。
バンッと鈍い音が響き、男の足が止まり、男はゆっくりと仰向けに倒れた。
死体の山の向こうに倒れた男の兜がガランッと落ちる。
男の頭の上半分がない。
何をどうやったのか、男の頭が破裂して原型を無くし、兜が抜け落ちたのである。
「ひっ」
兵士のうちのひとりが息を呑み、後ずさる。
「何をしている!下が……!」
指揮官が叫び声を上げ、それが不意に途切れた。指揮官は兵士たちの後ろにいた。兵士たちが壁になって矢は届かない筈だった。だが、大きく口を開いた指揮官の顔の真ん中に矢が突き刺さっていた。
指揮官の前にいた兵士たちは、矢が飛ぶ音を聞いた。自分たちの間をすり抜けていった矢の音を。
城壁の上に配されていた兵士の多くは弓兵だ。
弓の腕には自信がある。
だからこそ、薄々彼らは感じていた。
コイツは何か別のモノだ。オレたちと同じく弓を持っている。だが、本質的に、オレたちとは何かが違う。オレたちが知っているのとは、まったく別の--。
指揮官が崩れ落ちる。
「う、うわーッ!!」
兵士たちは狂ったような悲鳴を上げてカイトの前から遁走した。
城壁の上から飛び降りたクロは、先に飛び降りていたカエルに走り寄った。門の前には兵士の死体が積み重なっている。
「強ええな、カエル!」
「オレじゃねぇ!」
「え?」
「嬢ちゃんだよ!」
言われてよく見れば、兵士たちは矢に射抜かれていた。
「オレはあの嬢が怖ええよ!」
「心配すんな、みんなそうだよ!」
と叫び返して、
「とにかく門を開けろ!カイトの矢が尽きる前に!」
「おう!」
クロはカエルと二人で閂に手をかけた。矢が頭の上を通り過ぎるが、気にしない。
気にする余裕がない。
カイトが弾いてくれると信じるだけである。
「開けろ!」
閂を外し、渾身の力を込めて門を引く。
「開いたぞ!」
という声とともに喚声が押し寄せて来た。先頭を切って駆けて来るのはキヒコだ。嬉々としている。
「はあ」
クロは大きく開いた門の脇に避けた。
元山賊の手下を引き連れたキヒコがクロの前を走り過ぎ、カエルもその中に紛れ、次々とトワ王国軍の兵士がなだれ込んでくる。
少し遅れてイタカも、こちらはヒイヒイ息を切らせながら、通り過ぎていった。
イタカの後ろに続いたかかしはにこにこと笑いながらクロに手を振って、随分と余裕がある。
「みんな若いねぇ」
「クロさん」
「よお」
最後に現れたのはサッシャである。まだ身体が本調子ではないのだろう、ゆっくり歩いて来たにも関わらず、息が乱れ、額には汗が浮かんでいる。
「ありがとうございました。
カイトさんも」
サッシャの言葉にクロが視線を回すと、いつの間にか後ろにカイトがいた。
「ううん」
カイトが首を振る。
「ジブさんがいたら、これぐらいのことはしたわ」
いやいや、そりゃムリだろ。
と、クロは思ったが、賢く黙っていた。
クロの代わりにサッシャが、「そうですね。きっと」と、笑った。