21-3(トワ郡反乱3(反乱の街))
ボード市内は意外と落ち着いていた。行き交う人の数もカイトとクロが滞在していた時とたいして変わらず、買い物帰りらしい市民の姿があり、子供たちが興味深げに通り過ぎる馬車を見送っていた。
『テオが殺された時の方がピリピリしてた気がするな』
サッシャが襲われたことが発火点になったと聞いていたが、暴発して反乱が起こった、という感じではなかった。
『十分、準備をしていたってことか?もしかすると、自分が襲われることも予定のうちだったか?』
オム市で会った時のサッシャの様子を思い出す。
死人に憑りつかれたかのように昏い目をして、空気のように存在感の薄かったサッシャの姿を。
良くやるねぇ、サッシャ。
と、思う。
クロたちが兵士に連れて行かれたのは郡支所である。
『意外と血生臭くねぇな』
郡支所に入って、クロはそう思った。
雰囲気が穏やかなだけでなく、血の匂いがまったく感じられない。業務も通常通り行われており、窓口には見知った顔もそのまま座っている。
ただ、いつもテオが座っていた席には、別の利発そうな若い女が座っていた。
一度も入ったことのない奥へと案内される。
「生きておられたのか……」
背中越しに、若い兵士の呟きが聞こえた。
クロは心の中で舌を鳴らした。
『そういうことかよ』
元は郡支所長の執務室だろう、壁に書棚が並んだ広い部屋へと通された。一人の若い男が彼らを待っていた。
体格が良く、背も高い。
『見たことがあるな、コイツ』
クロとカイトに向けられた刺すような視線が、クロの記憶を蘇らせた。
トワ郡に入ってサッシャに初めて会った時、彼の後ろに彫像のように立っていた若者のうちの一人だ。
『つまりコイツは、いろいろ知っている、ということか』
「よくおいで下さいました。マウロ様。わたしは、ボード市の行政長官で、ケサンと申します」
「行政長官ねぇ」
マウロが口を開く前に、クロは馬鹿にしたように言葉を吐いた。
「ズイブンとたいそうな役職だねぇ」
ケサンと名乗った若い男がクロに視線を向ける。ケサンの身体がじわりと膨らむ。殺気を隠しきれていない。
カイトの存在が薄くなる。ケサンの殺気に反応している。
彼女が何かしてしまう前に、クロはカイトに、動くなよ、と合図した。
「貴方は?」
「初めてじゃねぇよな、あんたとは。知ってるだろ?オレと、カイトのことはよ。忘れてねぇよな」
「……覚えてる」
コイツはどちらかと言えば、腕力にモノを言わせるクチだな、とクロは踏んでいる。
「ちょっと二人だけで話してぇんだが、いいかな」
「いいだろう」
クロの読み通り、簡単に乗ってきた。
「少し二人だけにしていただいて宜しいでしょうか、マウロ様。別室に案内させますので--」
「カイト。マウロさんから離れるなよ!」
ケサンの言葉を遮って、ケサンを見つめたまま、クロは執務室に声を響かせた。
「ここまで来て、マウロさんに何かあっちゃあいけねぇからな。絶対に、マウロさんから離れるなよ!」
「判った」
カイトたちが出て行き、クロの背後で扉が閉じられる。
クロはケサンの機先を制して探りを入れた。
「アンタはサッシャについて行かなくて良かったのかよ?アンタ、サッシャの護衛なんだろ?」
「ジブさんを殺したのは、お前らだな」
地の底から這い上ってくるような低い声でケサンが問う。
クロの質問に答える気はなさそうだった。
「殺された?ジブさんが?知らなかったぜ」
「しらばっくれるな!」
ケサンの怒声が響く。
「ジブさんは正面から喉を矢で射抜かれてた。ジブさんの弓の腕はトワ郡で一番だ。そのジブさんを相手にあんなことできるヤツがそうそういる筈がない。
それに、お前らがボード市を出たのと同じ日にジブさんはゾマ市に続く街道で殺されてた。
お前らの他に誰がいるっ!」
「ジブさんには気の毒だけどよ、たったそれだけで、オレたちがジブさんを殺ったと言われてもなぁ」
「ジブさんはサッシャ様に必要な方だった!それを……!」
「テオは必要じゃなかった、とでも言うのかい?」
殴り返すように、クロは静かに言葉を放った。
更に言い募ろうとしていたケサンが怯む。開いていた口が、そのまま「……テオ?」という呟きに変わって、閉じる。
「そう。前の郡支所長に殺されたっていうテオだよ。ああ、もう前の前の、かな」
「あんた……」
「サッシャも言ってるのかい?ジブさんを殺したのはオレらだって」
「いや……。サッシャ様は、どうしてだ、ジブって……、それだけで、ジブさんを殺った犯人は探さなくていいって……」
「だったらそういうことだろう?」
「……」
「なあ、オレらはお前らが担ぎ出したお姫様のところに早く行きたいだけなんだよ。だから騒動はなるべく起こしたくねぇんだ。
それとよ、」
クロの声が低く沈む。
「マウロさんを、死んだことにしただろう、お前ら」
ケサンの身体がびくりっと震えた。
「マウロさんが海都クスルで殺されたとか適当なコトを言って、お姫様--、ミユさんを騙して引っ張り出しただろう」
クロは大きく息を吐いた。怒りを吐き出すかのように。
「お前らの策に乗ってやるよ」
「え」
「マウロさんは死んだと思われてた。海都クスルで。オレたちはここでそれを知った。ただそれだけだ。
だから早くお姫様に会って安心させてやりてぇ。そのために協力してくれ。
そう言ってんだよ。
もう隠そうにも隠し切れないぜ、マウロさんが生きてることは。いや、隠そうとすればするほど、それこそいらねぇ尾ひれがいっぱいついて、余計に広まることになるだろうよ」
ケサンはクロを凝視している。
迷っている。
「あんたがここでやらねぇといけねぇのは、マウロさんに危害を加えることじゃねえんだろ?行政長官様よ。
勝手なことをして、サッシャをこれ以上、悲しませるんじゃねぇよ」
ケサンが「あ」と口を開ける。
「いいな」
と、言い捨てて、クロは部屋を出た。そしてケサンに気づかれないよう扉に耳を寄せ、部屋の中の様子を探る。
何も音は聞こえない。
物騒な気配も、臭いもしない。
『ま、こんなもんか』と、クロは扉の前から離れ、最初に出会った兵士に、カイトたちがどこにいるか、へらへらと尋ねた。
「多分、サッシャはマウロさんが海都クスルで処刑されたとか言ってお姫様を引っ張り出したんだ」
クロは、カイトたちにそう説明し、フウに顔を向けた。「だからと言って、今は怒ってる場合じゃねえぞ、フウ」と、諭すように言う。
「お姫様のトコに行くにはどんなにムカついても、ヤツラに助けて貰うのが一番いい。
ケサンはちょいと傷口に塩を塗り込んでけん制しといたから大丈夫だとは思うけどよ、マウロさんをホントに死人にされたりしないようにするのが、今は一番大事だ。だから絶対にマウロさんを一人にするなよ。
いいな、フウ」
「……うん」
「マウロさんも、カイトやフウがついて行けないところに行くときには、必ずオレに言ってからにしてくれ。
ちょいと不便だけどよ」
「手間をかけて申し訳ない、クロさん」
「お姫様のためだよ。気にすることはねぇ。じゃ、オレはちょいとビスさんに謝礼を渡してくるから、ここにいてくれ。
すぐに戻るからよ」
ビスに危険手当という名目で約束より多い謝礼を渡しながら、クロは「なんだ、あの連中は」と尋ねた。
クロたちの乗ってきた馬車の近くに数人、疲れた様子の民人がいる。
「反乱が起こって北に帰るに帰れなくなった連中だよ。連れて行って欲しいって頼まれてね。トワ王国軍も護衛をつけてくれるって言うから、引き受けることにしたんだ」
「それはいいけどよ」
クロは声を潜めた。
「あんたなら判ってると思うけど、信用しすぎるなよ。護衛を」
「判ってるさ。そっちこそ気をつけてな」
「カイトがいるんだぜ、こっちには」
ビスが笑う。
「いくさ場では、会いたくねぇよなぁ」
「もし、いくさ場で反対側にカイトがいるのを見かけたら、すぐに逃げることを勧めるよ。下手すると姿を見たと思った時には遅いかも知れねぇからな」
翌早朝、ケサンの用意した馬車に乗ってカイトたちはボード市を後にした。
ボード市を出る前に、トワ王国軍はゾマ市を離れた、とケサンに教えられた。トワ郡の郡都であるオム市攻略のために軍を進めたのだという。
「だとしても、ちょっと会いたいヤツがいるんでゾマ市に寄ってくれ」
「入れませんよ、ゾマ市には」
護衛についた兵士が答え、「なんで?」とクロは問い返した。
「ゾマ市は中立だから、クスルクスル王国軍だろうがトワ王国軍だろうが、入れることは出来ないと断られたそうです。
ですから仕方なく、サッシャ様もゾマ市の城壁の外に滞陣していたとか」
クロは嗤った。
「オレはトワ王国軍の軍人じゃねぇよ。いいから、やってくれ」
ゾマ市の北門に近づいたところで、「止まれ、止まれ!」と、クロの知っている声が響いて、馬車が止められた。
「ゾマ市はスフィア様の土地だ!トワ王国軍だろうが、クスルクスル王国軍だろうが、入れることはできねぇ!」
「オレも入れねぇのかい?」
馬車の扉を開けてクロは暢気に声をかけた。
「おお。クロじゃねぇか」
笑ってそう応じたのは、歓楽街で風呂焚きをしていた、元口入れ屋の男である。
カイトたちを馬車に残し、クロ一人で北門を潜った。
「アイブに会いたいんだ。どこにいる?」
「郡支所にいるよ。今じゃあアイツ、郡支所長代理様だ」
乗り換えた馬車の中で元口入れ屋の男が言う。
「へえ。そりゃすげえ。だとしたら、プロントの野郎はどうなったんだ?」
「スフィア様のトコに逃げ込んで震えてるよ。逃げ込む前にアイブを郡支所長代理にして、責任をぜんぶおっかぶせてな。
いや、しかし、度胸があるヤツだとは思っていたが、アイブのヤツがあそこまで度胸があるとは思わなかったぜ」
「何かあったのか?」
「反乱軍の連中、プロントの首を要求したのさ。それをたった一人で跳ねのけやがったんだ。
三万の軍勢を前に、たった一人でだぜ。
『郡支所長殿はスフィア神殿の庇護下にある。スフィア様が庇護されている者を、誰であろうと差し出すことなどできん!』ってな。
いやあ、男惚れしちまいそうなカッコ良さだったぜ」
「良くやるねぇ。スイ様の仇なんだから、プロントの首なんかホイホイ差し出せばいいもんをよ」
「でもま、そのおかげでゾマ市は中立ってことで、ひとつになれたからな」
「神殿も?」
「姫巫女様もアイブを支持すると宣言されたよ」
「と言うことは、当然、ゴラン様も賛成ってことだよな。戦神様の護り人の中でも歴代最強と謳われるゴラン様がいるってのは、心強いねぇ」
「今は神殿に立て籠もるハメになった場合に備えてる最中だ」
「どれぐらい耐えられる?」
「何ヶ月でも、って言いたいとこだが、そう長くはムリだろうな。市民を全員、収容するとなると、まぁ10日がいいところだろうな」
「短けぇなぁ」
「けど、譲れねぇモンは譲れねぇよ」
「アンタもアイブといい勝負だよ。もっと柔らかく生きりゃあ、いいのによ」
郡支所長代理になったということだったが、アイブは前にクロが訪ねたのと同じ執務室を使っていた。
「お邪魔するぜ」
クロが入っていくと、アイブは前と同じように、性格そのまま、背筋から指の先までまっすぐ伸ばして座っていた。
クロを見たアイブの細い眉が、僅かに上がった。
「クロか。久しぶりだな」
「お前も元気そうだな、アイブ」
「座っててくれ。茶でも持ってこよう」
と、立ち上がる。
「まだ自分で取りに行かねぇといけねぇのかよ」
アイブが笑う。
「みんな忙しいからな」
クロの前に湯呑を置き、「で、探し人は見つかったのか?」と訊く。
「ああ。おかげさまでな」
「ファロで、だよな。見つかったのは。だとすると、お前が来たのは反乱軍絡みか?」
「反乱軍に知り合いがいるんだ。これからどうするにしろ状況を知りたくてな」
アイブが背もたれに身体を預ける。
「10日ほど前になるな。反乱軍がここを出発したのは」
「そんな前か」
「今頃はもうオム市を囲んでいるだろう。
ザカラは街を出て反乱軍を迎え撃つ気はさらさらないようだからな。トワ郡庁に立て籠もって出て来ないそうだ」
「オレは見たことねぇけどよ、ザカラの野郎、郡庁を囲む城壁を造ってるらしいな」
「郡庁近くの土地をまるまる接収してな」
クロが嗤う。
「恨まれるだけだろうに」
「まあしかし、籠城が最善なのは間違いない。強力な救援が来る可能性が高いからな」
「どこから」
「ザカラにとって幸いなことに、カン将軍がいる」アイブがトワ郡の隣の郡の名を口にする。「タリ郡にな。現王に代替わりして、海都クスルで居場所をなくして左遷されていたんだ。知らないか?」
「聞いたことねぇな」
「カザン将軍の部下だった方だが、カザン将軍の陰に隠れることが多かったからな、お前が知らなくても無理はない。
しかし、軍歴も長く実戦経験も豊富な方で、とても優秀な方だよ。
海都クスルの宮廷はまだバタバタしてて、指示らしい指示は何も出ていないが、カン将軍が徴募をかけているから遠からず援軍が来るだろう」
「スティードの街の海軍は動いてないのか?」
「何故だかな」
「ゾマ市はどうするんだ?ザカラの救援には行かねぇのかよ」
「催促は何度も来てるけどな、郡庁から。兵を寄越せと。しかし、今はここを守るのに手一杯だ」
「どこがだよ」
クロが見る限りゾマ市は平穏だ。
「ところでキャナだが」
「ん?」
「ザワ州と手を組んだよ」
クロの胸が冷える。他の何より、嫌な予感がした。
「……公子さまか?」
「州公が代わって、新しい州公がキャナと停戦した。だが、新しい州公はオセロ公子ではないよ」
「誰だ」
「オセロ公子の弟君だ。前の州公である父君と公太子だった兄君は亡くなられたようだ。
しかし、オセロ公子がどうなったかは、不明だ」
「不明?」
クロが考え込む。
「オレはてっきり、公子さまがキャナと手を組んで州公になるんだと思ってたんだが、違ってたのか」
「オレもそう思っていたよ。だが、納得もしている」
「なんで?」
「お前は知らないだろうが、ゾマ市に来た当初のオセロ公子はひどく、そうだな、暴力的だった」
「十分、暴力的だったぜ?あの御仁は」
「もっとだよ。もっと荒れていたんだ。だが、いつ頃からか丸くなられた」
「……モモか?」
「会計士の子だよな。そうだ。あの子と出会ってから丸くなられた。だから、オセロ公子が州公になられなかったと聞いて、少しだけだが納得したよ」
「連れて行かなかったんだよな、公子さまは、モモを」
「ああ」
「元気でやってるか、モモは」
「悪いが知らないんだ。お前らがファロに行って、数日後にオセロ公子が去られて、しばらくしてからゾマ市を出て行ったからな」
「出て行った?どこに?」
「聞いていない。姫巫女様ならご存知だろうが。”スフィアの娘”と戦神様の護り人といっしょに、三人でゾマ市を出たからな」
「エルとマルと一緒に?」
「ああ」
しばらく手元の湯呑に視線を落としてから、クロは「ありがとうよ」と顔を上げた。
「助かったぜ、アイブ。忙しいところを邪魔して悪かったな」
アイブが首を振る。
「たいしたことじゃないさ。それより、あんたはこれからどうする気だ、クロ」
「トワ王国軍とか言って気取ってる連中を追いかけるよ。それからどうするかは、オレにも判らねぇ。
ま、成り行きに任せるしかねぇかな」
「クロ」
「なんだ」
「あんたには借りがある。とても返せないようなでっかい借りがな。
そのことを忘れないでくれ」
低く嗤い、「硬いんだよ、お前は」と、軽く手を振って、クロはアイブの執務室を後にした。