21-1(トワ郡反乱1)
ふうふうと息を切らせながら、男は応接室の椅子に体を落とした。椅子の軋む悲鳴のような音が不快に室内に響く。
本当に人かと疑わせる太りに太った巨体。
首は顎の肉がたるんで身体とほとんど一体化している。小山のような肩から伸びた両腕は、小指の先の先まで太い。
マララ領の王領司、ポルテである。
「ご主人が不在の折にお邪魔をして申し訳ありませんな」
「ポルテ様ならいつでもご歓迎いたしますわ。わたくしどもの愚息がお世話になっているのですから」
おっとりとした声で応じたのはカザン将軍の細君である。
海都クスルにあるカザン将軍の屋敷でのことだ。
「退役されたというのにお忙しいことですなぁ、カザン将軍も」
「お役に立てているのならばいいのですけどねぇ。若い人の邪魔になっていないか、心配しております」
「トワ郡で問題が起こりましたからなぁ。残念ながらわたしもマララ領に急いで帰らなければいけませんので、手早く用件を片付けることといたしましょう。
本日はこれをお渡しに参上しました」
ポルテが一通の封書をテーブルに置く。
「ご子息からです」
「まあ」
驚いたように細君がポルテを見返す。
「これだけのためにポルテ様がわざわざ?」
「本当はカザン将軍と少しお話をしたくてお伺いしたのですがな。お互い状況が許してくれなくなりましたからなぁ。
人に任すことも考えましたが、大事な手紙だ、わたしが直接お渡しした方がいいだろうと思いましてな。
そうそう、ご子息から伝言がありました。
助かりましたと伝えて欲しいと、ご内儀殿に」
細君が首を捻る。
「何かいたしましたかしら。わたくし」
「またお願いしたいとも言われておりましたよ、ご子息は。詳しいことは手紙に書いてあるそうです」
「申し訳ありません、ポルテ様。わたくしの教育が行き届かなかったばかりに、ポルテ様にこんな子供の使いのようなことをお願いするなんて。
仕方ないわねぇと母が怒っていたと、息子にお伝えいただけますでしょうか」
ポルテが低く笑う。
「承知いたしました。そう言えば、」
と、ポルテは話題を変えた。
「最近、海都クスルのわたしの屋敷で鳩を飼い始めたのですよ」
「鳩ですか」
「ええ。これが良く躾けられた鳩でしてな。海都クスルで放すとマララ領の王領府まで飛んで帰ってくるのです」
「まあ。それは随分と賢い鳩ですわね」
「鳩の世話をする者も雇いました。いや、趣味というものは、何をするにしても金が要るものですなぁ。
ああ、下らないことを申し上げた。
慌ただしくて申し訳ないが、失礼するといたしましょう」
「ご苦労様です、ポルテ様」
「伯母上のことをお願いいたしますと、カザン将軍にお伝え願えますか」
立ち上がりながらポルテが言う。細君を見つめるポルテの表情は変わらない。しかし、声に憂いがある。
ポルテは薫風王や現王とは従兄弟の関係にある。ポルテが伯母上と言えば、それは王太后であるペルのことに他ならなかった。
「承知いたしました。ポルテ様」
と、細君は微笑んだ。
リアと繋いだ手に、少し強く、フウが力を入れた。リアはそれで、何かが起こったのだと知った。
「あ、ごめん。痛かった?」
尋ねたフウの声が、いつもと違う。
「ううん。だいじょうぶ」
と、リアは首を振った。実際、痛くはなかった。しかし、フウの不安が彼女にも伝染した。リアは縋るようにフウの手をぎゅっと握り返した。
ハルはそうしたことを注意深く見ている。
マウロの顔からは笑みが消えた。しかし、穏やかさは消えなかった。穏やかさを残したまま、いつもは笑みの下に隠している厳しさが現れる。ハルの良く知っている厳しさ。母であるルゥが藍色の瞳の奥に漂わせている厳しさだ。
「サッシャ」
小さく呟いたのはクロだ。
カイトは、と見ると、カイトもまた、ハルと同じように、マウロやクロの様子を見ていた。
「リアちゃん」
カイトがリアに視線を落とす。
「お願いがあるの」
「はい」
リアが頷く。
カイトが視線をハルへと回す。
「うん」
カイトが口を開く前に、ハルが頷く。
「ボクもいいよ」
プリンスは、カイトが視線を向ける前に頷いた。
「ありがとう。ハル、プリンス」
カイトがリアの前に膝をつく。
「後から必ず行くから、リアちゃんは先に、プリンスとハルと一緒にトロワさんのところに行ってもらってもいい?」
「はい」
こくりとリアが頷く。
「それは駄目だ。カイト」
マウロが言う。
「ロード伯爵に頼まれたんだろう?リアちゃんを酔林国まで送り届けて欲しいと。ここまで来ればわたしは大丈夫、何とかするよ」
カイトが首を振る。
「わたしも一緒に行く。その方がいい」
「しかし--」
「リアちゃんなら大丈夫」
カイトが断言する。マウロは口を閉じた。カイトの声には不安も迷いもなく、プリンスとハルへの確かな信頼があった。
「そうだなぁ。狂泉様の森で二番目に弓が上手いヤツがついてんだ。心配ないか」
クロが軽口を叩く。
笑顔のプリンスが口を開く前に、
「にばんめじゃなくて、いちばんです。くろさん」
と、リアが真面目な顔で訂正した。
「ごめんね。リアちゃん」
フウがリアを抱き締める。
「わたしはだいじょうぶです。ふうこそ、きをつけてください」
「うん」
ハルと手を繋いだリアと集落で別れ、『鉄の道』に戻った。
「どうやってファロへ帰るか、だけどよ。狂泉様の森を辿っていくのが一番安全じゃねぇか?フウがファロに行ったようによ」
そう提案したのはクロである。
「しかし、外の状況は知っておきたい」
「ま、情報は大事だよな。けど、マウロさんはここに残ってた方がいいな。フウはマウロさんの護衛だ」
「はい」
「じゃ、行こうぜ。カイト」
フウとマウロを残し、『鉄の道』から外れ、カイトとクロの二人で森を出た。
「どこだろう、ここ」
クロがくんくんと鼻を動かす。
「やっぱり森の外だと、オレがいねぇとダメだな」
「知ってるの?」
「この臭い、覚えがあるぜ。お前も来たことがあるとこだよ、ここ」
「えっ?」
「シゴトで来たじゃねぇか。野盗が巣くってた廃墟はすぐそこだぜ」
「あ」
「カイト、森に戻ってな」
「どうして?」
「ちょっと聞き込みに行ってくるわ。
反乱が起こったっていうんだ。みんな殺気立ってるだろうからな。お前が行くと、余計にメンドウなことになるかも知れねぇ」
「大丈夫?」
「もし夜までに戻らなければ、お前らだけでファロに帰りな。オレはオレでなんとかするからよ」
「もしクロが戻らなかったら、マウロさんとフウを先に行かせて、探しに行くわ」
クロが嗤う。
「わざわざ助けに来てくれるって言うのを止めるっていうのもアレだからな。ま、好きにしな」
夜になるずいぶん前にクロは戻ってきた。カイトが意外だったのは、クロが徒歩ではなく、馬車で戻ってきたことだった。
馬車を操る御者に、カイトは見覚えがあった。
「もしかして、元傭兵のオジサン?」
大災厄の跡地にカイトとクロを案内してくれた、月の女神の祠を建てた男である。
「覚えてくれてたか、嬢ちゃん。前ン時は確か、名乗ってねぇよな。オレの名前はビスだ。よろしくな」
「ビスさんにボード市まで送って貰うことにしたんだ。オレはここにいるからよ、マウロさんとフウを呼んできてくれ、カイト」
「どういうこと?クロ」
「反乱軍にお姫様がいる」
クロの表情が厳しい。
「えっ?」
「ファロに行くだけムダだ。お姫様が反乱軍に合流したらしい。今はどこに反乱軍がいるか判らないが、早く追いかけた方がいい。
だから急いで、マウロさんとフウを呼んできてくれ」