20-2(狂泉の森の旅2)
ふと、カイトが足を止めた。
「クロ」
前方を見つめたまま荷物を下ろす。
「どうした。何があった」
「悪いけど、わたし、ちょっと行ってくる。ここにいて」
「行くって、どこに……」
「ふう、どうしたの?」
リアの声にカイトとクロは振り返った。フウが左手を頭に当てて、何かに驚いたように立ち竦んでいる。
「おい、フウまでどうした」
クロの脇を通ってフウの顔を覗き込み「もしかして、聞いたの?」と、カイトが訊く。
「えっ?」
フウがカイトを見返す。
「場所も、判る?」
「あ、え?」
「クロ」
「なんだ」
「狂泉様の許可なく森に入った人がいるわ。わたしは行かないといけないから、クロはここでみんなを守ってて。
森人も危険な獣もいないけど、気をつけて」
「ああ。任せときな」
「ありがとう」
カイトの姿が森に紛れる。
足音もせず、そこにいたことが嘘のように姿を消す。
クロはマウロと視線を合わせた。二人はフィカ一族の”水”である老人の言葉を思い出していた。
『だったら判るかも知れないな』『あの子がまだ、狂泉様の信徒なのかどうかが、だよ』
クロとマウロには判らなかった。
森の様子はいつもと変わらなかったし、何も聞こえなかった。
だが、二人は知っている。狂泉の許しなく森に入った者は、狂泉の猟師が悉く狂泉への供物とすることを。そして、もし、狂泉の許可なく森に入った者がいれば、狂泉の森の猟師はそのことを森に教えられるのだということも。
狂泉の許しなく森に入った者がいることを、森は当然、カイトに教えた。
カイトにだけではなく。
フウにも。
それはつまり、狂泉がフウを守り人として認めている、ということだった。
ファロの森にフウと二人で入った時のことだ。
『帰りたい』
フウはずっと溜めていた想いを吐き出すようにそう言った。腹の底から絞り出すように言ったその声を、カイトは忘れていない。
けれどフウはこうも言った。
『ミユ様と離れたくないの。危なっかしくて。ミユ様を放ってどこかに行くなんて、とてもできないわ』
どちらもフウの本心だとカイトは思う。
許しなく森に入ったのはまだ子供で、カイトより先に現場に着いていた猟師が、首根っこを掴んでつまみ出した。
「うちの集落に泊まらないか」
と言った猟師の言葉に甘えて、カイトたちは彼の家に泊まらせてもらっている。
フウは明るい。いつも通り。
しかし、無理をしている、とカイトには見えた。
「お前のしたいようにすればいいじゃねぇか」
どうすればいいんだろう、とカイトに相談されて、クロはそう応じた。
「好きなんだろう?フウのこと」
心は静かなままだった。カイト自身、不思議なほど。
わたしはホントにクロを信じているんだ。という想いが、静かに心に広がっている。
「うん」
素直に頷く。
「だったらよ、せっかく狂泉様が守り人としてお認め下さったんだ。一緒に森に帰ろうって言えばいいとオレは思うぜ」
「でも、フウはミユ様のところにいたいとも思ってるわ」
「だったら両方に住めばいいじゃねぇか」
「えっ?」
「どっちを基本にするかはお前ら次第だけどよ、例えばファロに住みながら、たまに狂泉様の森に帰るって生活でもいいんじゃねぇか?どっちかにしないといけないって訳じゃねぇんだろ?」
「あ、うん」
「それとも森の外では暮らせねぇか?お前の方が」
「森の外で暮らす?」
カイトはラダイの言葉を思い出した。
『元森人のオレから見ても、姫はこれ以上ないぐらいの森人だ。姫が街に溶け込んで暮らしている姿はちょっと想像できないな』
カイト自身もムリだと思う。
だが、ファロならどうだろうか、とも思う。狂泉様の気配が漂う森に囲まれたファロならば。
カイトは首を振った。
「……判らない」
「ま、焦ることはねぇよ。ゆっくり考えな。何よりお前、まだフウにお前の気持ち、伝えてないだろ」
「……うん」
「まずはそこからだよ、カイト」
「ねえ、クロ」
「なんだ」
「わたしが、その、フウのことを好きだって、どうして判ったの?」
クロが笑う。
「お前、自分がどんな風にフウのことを見ているか気づいてねぇだろ。みんなとっくに知ってるよ、そんなこと」
リアちゃんもかな。もしかして、リアちゃんも気づいているのかな。
だったら、もしかして、フウも?
「フウ。大丈夫?」
家の外でひとり座っていたフウに、落ち着かない胸を抑えてカイトは声をかけた。返事を聞く前に、フウの隣に腰を下ろす。
「あれが、森が教えてくれる、ってことなんだね」
「うん」
「不思議な感じだったわ。まるで、--何と言ったらいいかな、森と直接、繋がったみたいだった」
「上手いこと言うね。わたしはどう言えばいいか判らなかった。今でも。でも、そうだね。森と繋がった、そんな感じだね」
「どうしてかな」
「なにが?」
「どうして、森はあたしに教えたのかな」
「……」
「だって、母さまは、あたしを破門したわ。だから森を出たのに。独りで。みんなと一緒に死にたかったのに」
「フウ」
「なに?カイト」
「お願いだから、死にたかったなんて言わないで」
フウがカイトに顔を向ける。
「お願い」
「そうだね」
フウが笑う。
「せっかくカイトが助けてくれた命だもんね」
「そうじゃない」
「えっ?」
カイトの目が潤んでいる。
「そうじゃないよ、フウ」
「うん」
フウが頷く。
「ゴメン」
少しだけ沈黙する。
「ホントにゴメン。判ってる。判ってるわ、カイト」