19-1(騒動の後1(狂泉の森へ))
巨竜たちがゲイル刑務所を襲撃した数日後のことである。
海都クスルに落ち着きが戻ったのを見計らって、王太后であるペルは海都クスルから馬車で5日程のところにある王家の北の離宮に静養のため出発した。
暗殺未遂事件の心労を癒すためにと王宮に届けてはいたものの、三巨竜の襲来という予想外の出来事に出発を遅らせていたのである。
ペルが北の離宮に到着した日に、旅芸人の一座が、王太后様をお慰めしたいと自ら売り込んできた。
「よお。全員、無事みてえだな」
一座に紛れて現れたのは、巡礼船で海都クスルを離れていたクロである。
「クロの方は?襲われなかったの?」
「襲われたよ」
カイトの問いに軽い返事をクロが返す。
クロたちの乗った巡礼船には、メルとキノ以外にも、巡礼に扮したラダイの仲間が3人、キノの護衛のために乗り込んでいた。
「もっと多いかと思ってたが、こっちに来たのは一人だけだったよ」
”チケ寄宿舎”が送り込んだ刺客のことである。
最初の寄港地で降りて、裏通りに誘い込んでメルが返り討ちにしたという。
「いやいや、メルもたいした腕だったぜ。
見直しちまったね。
で、そっちはどうだった?なんだかいろんな噂が流れてんだけど。海都クスルが半分、焼け野原になっちまったとかよ」
「んー。しばらくゲイル刑務所は使えないかな。でも、それだけ」
「炎竜に巨海竜、雷竜まで現れたって、ホントか?」
「うん」
「そりゃ見たかったなぁ」
「誰にも乗せて貰えなくて残念だった」
クロは笑った。
「ホント、物好きだねぇ、お前は」
旅芸人の一座はクロの昔馴染みなのだという。
「前に言ったろ。昔、芝居の裏方をやってたこともあるってよ。座長がその時の仲間なんだよ。
ここに来る途中、たまたま会ってよ、協力してくれるってんで頼んだんだ」
旅芸人の一座に紛れて北を、狂泉の森を目指そうというのである。狂泉の森を抜けてトワ郡に出て、ファロに戻る予定だ。
「酔林国に行くにはファロから洲国に入って、そこからもう一度、狂泉様の森に入るのが一番早いだろうな」
「あたしが通った道を逆に辿るのね」とフウ。
「うん」
カイトとクロは、マウロとフウをファロに送り届けた後、ファロからさらに酔林国まで行くことにしている。
ターシャから預かったリアを、トロワの許に送り届けるためである。
「リア様をトロワ殿のところに送り届けて貰いたい」
マウロ救出作戦決行の2日前、ターシャの屋敷のリビングでカイトはそうターシャに依頼された。
リアも了解している話らしく、彼女もターシャの横に座っている。
「どうしてだい?」
カイトの隣に座ったクロが訊く。
フウもカイトと並んで、クロとは反対側に座っている。
「それがきっと、リア様の行くべきところだと思うからだよ」
「ぜんぜん判らねぇよ。伯爵様」
「残念ながら全てを説明することは私にもできなくてね。知っての通り、リア様自身が教えては下さらない。
ただ、リア様はね、初めて会った時に、私に質問をひとつ、されたのだよ。
それが道標だ」
「それがどんな質問か、教えては貰えねぇんだよな。伯爵様」
「悪いが教えられないね。けれど、間違ってはいないと思う。トロワ殿が次の道標だ」
「判った」
カイトが頷く。
「きっとリアちゃんをトロワさんのところに届けるわ」
リビングを出たところに、ヌーヌーがいた。
「カイト。リアを頼んだわよ」
低く沈んだ声でヌーヌーが言う。ヌーヌーの声には押し殺した不安がある。リアを手放すことを怖がっている。
「うん」
カイトはこくりと頷いた。
北の離宮を発つ前の晩に、旅芸人一座の芝居を見た。
クスルクスル王家を題材にした芝居ではなく、どこか別の国が舞台だという。『約束の弓--切れた弦--』という物語で、一組の男女の物語だった。
ストーリーは単純だ。
弦の切れた弓の飾られた部屋から話は始まる。部屋のあるじはひとりの王。老女だ。老女が昔を思い出す形で話は進む。
まだ若い時に、老女は一人の男と恋に落ちた。
だが、男は敵対する隣国の王子で、老女は王女だった。
二人は協力して両国の諍いを止めようとするが、止めようとすればするほど事態は悪化していき、味方になってくれていた老女の兄が何者かに殺され、国境を治める土豪たちの小競り合いを直接のきっかけとして、両国はいくさへと突入する。
老女の兄を殺したのは、老女の母だった。
かつていくさで死んだ老女の叔父にあたる弟の仇を討つために、老女の母はいくさを望んだのである。しかし老女の母に復讐を囁いたのは、男の国の商人。商人はいくさで儲けるために両国に不和の種を蒔いていたのだ。
老女は母を幽閉し、男は商人を斬った。
しかし、その時には両国とも多くの兵がいくさ場で死んでおり、とてもいくさを止められる状況ではなくなっていた。
いくさ場で敵同士として出会った二人は互いに矢を向け合い、老女の放った矢が男を貫くが、弦が切れた男の弓から矢が飛ぶことはなかった。
男の死に打ちのめされながらも、老女はそのまま攻め上がって男の国を征服する。
老女が踏み込んだ王宮で、男の許嫁だという女が言う。
「彼はわざと自分の弦を切ったのよ。民のために。彼の父や兄弟が治めるよりも、いいえ、彼自身が治めるよりも、貴女が治める方が民が幸せになれるから。
だから貴女は死ねないの。
だって、彼がそう望んだのだから。
貴女は、ここで、一人で、独りっきりで、永遠に苦しむがいいわ」
乾いた笑いを残して許嫁の女は窓から飛び降り、一人残された女は両国の王となり、民は幸せになった。
老女は弦の切れた弓を見つめている。
臣下たちが老女を呼ぶ声が響き、舞台が暗転し、どこからか男が老女を呼ぶ優しい声が聞こえてきて、芝居は終わる。
「結局、幸せになったの?あの人」
カイトがフウに訊く。さっきまで芝居が演じられていた大広間で、二人の他には誰もいない。
「なったんだと思うわ。死んでからか、生まれ変わってからかは判らないけど」
「死んでからって幸せなのかな。だって、えーと、一ツ神の教えもそんな感じじゃなかったっけ」
「常世、だよね。あたしも良くは知らないけど」
「うん」
「じゃあ、ちょっとやってみる?やってみれば判るかも知れないから」
機嫌良く酔っぱらったクロが、カイトとフウの声に誘われて大広間を覗くと、二人で、さっき見たばかりの芝居を演じていた。
カイトが男の役で、フウが老女の役だ。
フウはセリフを全部覚えているらしく、フウが教えるセリフをカイトが口にして、途切れ途切れながら話を進めていく。
「違うわ、ここはこうよ、カイト」
「こう?」
「そうそう。じゃあ続きね」
いくさ場で二人が出会い、弓を向け合う場面だ。
流石に森人である。クロから見ても、弓を構える二人の姿がさまになっている。不覚にも向かい合って立つ二人の姿に胸を打たれ、クロは苦笑を漏らした。
二人の邪魔をしないよう、大広間を後にする。
「カイトじゃねぇが」
ひとり呟く。
「これを見られただけで、海都クスルに来て良かったって感じだねぇ」
機嫌良く歩み去るクロの背後で、あまり聞いたことのないカイトの笑い声が明るく響いていた。
旅芸人の一座に紛れて北の離宮を離れ、もう数日歩けば狂泉の森というところで旅芸人の一座とも別れた。
同じ日の、昼メシ時のことである。
「来てるな」
と、クロが呟いた。
「うん」
カイトも頷く。
「じゃあ、片付けるとするか」
寄宿生の本領は住民に紛れることである。
カイトたちを追って来たのは5人。それぞれどこにでもいる民人に化けている。昼間だ。人通りもある。
人混みに紛れてカイトを襲おうというのである。
「おい」
商人に化けた寄宿生に、彼の使用人に扮した寄宿生が焦った様子で囁いた。
「--がいない」
「え?」
「血の臭いがしないか?」
姿を消していた寄宿生は、裏通りで、喉を矢で射抜かれた姿で発見された。
「おい、--はどこに……」
死体を見下ろす仲間が3人しかいない。
寄宿生たちは戦慄した。
街中ならば、自分たちの狩場だと思っていた。
だが、狩られている--。
商人に化けた寄宿生が黙って大通りを指さす。
人混みに紛れようと言うのだろう。
残りの二人も頷き、大通りへと出て、ふと気がついた時には、商人に化けた男は一人になっていた。
立ち竦んだ男の背筋を、冷たい汗が這い落ちていく。
仲間がいつ欠けたか判らない。さっきまで隣を歩いていた筈だと思う。血走った目で左右を探り、遠く、人混みの中に、自分をひたと見つめるカイトの姿に気づいた。
50mは離れている。
しかし、カイトの栗色の瞳は、瞬きひとつすることなく、男を捕えている。
男は悲鳴を上げた。人混みをかき分け、路地裏へと逃げ込み、背中を建物の壁に預け、はあはあと荒い息を吐いて、そこで死んだ。
どこからか飛来した矢に、喉を射抜かれたのである。
ずるずると男の身体が滑り落ち、倒れる。路地の奥からカイトが姿を現す。倒れた男に歩み寄る。
殺さなければ。コイツを。
男が立ち上がる。最後の力を振り絞って、ナイフを振るう。
殺す。コイツを--。
男は倒れたままだ。見開いた目の焦点は定まっておらず、唇だけが微かに動いている。殺す。コイツを……コロ……。