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18-4(檻の中のカイト4(脱獄決行))

 ゲイル刑務所の木工展には海都クスルの市民だけでなく、多くの貴族や軍人も訪れていた。

 製品の品質が良いのと安さが理由だ。広報活動を行うブースがあり、いくつもの露店が並び、ステージでは音楽まで奏でられている。

 入場客の中でひときわ目立っているのは、軍服を着たカザン将軍である。

 彼の傍らには細君もいる。

 それと、使用人らしい女が二人。

「これは珍しい。あなたがこんなところに来られるとは」

 話しかけてきたのは彼と顔見知りの軍関係者だった。カザン将軍がそうした人々と談笑しているところに、ざわめきが起こった。

「あれは」

 人々の視線の先に、杖を突いたひとりの人物がいた。

 海都クスルに暮らす者ならば、彼のことを知らない者はいない。

 クスルクスル王国に亡命しているキャナの貴族であり、闇の神の信徒であるターシャ・オン・ロード伯爵である。

 ロード伯爵の隣には彼の護衛を務める死の聖女、ヌーヌーまでいる。

 ゲイル刑務所の関係者と思われる男たちが、慌てた様子で走ってくる。

「こ、これは伯爵様。今日は何のご用でこちらに」

「なに、前にお邪魔した時にこちらで木工展が開かれると聞いたのでね、少し見学させて貰おうと思っただけだよ。

 それと、あれから異常がないか確認のためにね」

「そ、そういうことであれば、事前にお知らせ頂ければ……」

 人々の視線はターシャに向いている。

 カザンと話していた軍関係者も、カザンと話していたことも忘れて、成り行きを見守っている。

 恐怖を帯びた人々のざわめきを聞きながら、

「お気をつけて、ペル様」

 と、カザンは呟いた。カザンに従っていた筈の、使用人らしき女、二人の姿がない。

 返事はなかった。

 声としては。


 木工展が終わり、門が閉じられ、ひっそりと静まったゲイル刑務所の片隅の暗がりの中で、「そろそろいいでしょう」と声だけが響いた。

「はい」

 暗がりでゆらりと大気が揺らめき、カザンに従っていた使用人の女が二人、姿を現す。

 フウとペルである。

「気をつけてね。フウ」

「ペル様も」

 フウが音もなく駆け去って行く。

「さて」

 ペルは高く聳える刑務所の塀に目を転じた。

 フウが戻って来るまでに塀に施された結界を解くこと。それが彼女の仕事である。


 カイトはそっと身体を起こした。

 フウが来ている。

 何故か判る。

 すぐ隣で眠る女囚を起こさないよう、毛布から抜け出す。鍵のかけられた入り口の前で外の様子を窺う。

「行くのかい?」

 牢の奥からサクが訊く。

「うん」

 振り返ることなくカイトが頷く。

 牢の外に人影が現れる。

 フウだ。

 カイトと視線を交わし、鍵を開ける。

「鍵、かけ忘れるなよ」

 扉を潜るカイトにサクが声をかける。

「気をつけてな」

「うん」

「お気をつけて」「また会いましょう、姐さん」「気ぃつけてな」

 他の女囚たちも囁く。

「ありがとう」

 囁き声で応えて、カイトとフウは牢の前から消えた。

「あーあ、行っちまいましたねえ」

「寂しくなるな」

「そうだね」

「このまま終わるかねぇ」

「賭けるか?」

 あちらこちらから女囚たちが応じる声が響く。

「騒ぎが起こる方に、あたしも賭けるよ」

 そう言ってサクは大きく欠伸をした。

「それじゃあ、騒ぎが起こるまでもうひと眠り、させてもらうとしようかね」

「そうですね」

 と、明るい声でフスが応じて、女囚たちは形のない期待を胸に、浅い眠りの中に沈んでいった。


「カイト、姐さんって呼ばれてたの?」

 走りながらフウが訊く。

「うん」

「楽しかった?」

「ちょっとね」

 声を抑えてフウが笑う。

「後で詳しく聞かせて」

「うん」

 マウロがどこにいるかは判っている。

 ゲイル刑務所の見取図を手に入れたのはカザン将軍とララである。

 見取図のどこにマウロが捕らわれているか調べたのはペルだ。見取図を手に馬車で出かけていった翌日、「マウロ様はここにいるわ」とペルはフウに教えた。

「それから、看守がいるのはこことここ。あとは--」

 迷うことなくペルが見取図を指さしていく。

 そうした情報をペルがどうやって手に入れたか、フウは知らない。知らないが、ペルの情報は正確だった。

 ペルが教えてくれた通り、立ち番をする看守がおり、詰所があった。

 看守がいるところまで来ると、二人は気配を消し、フウが呪を唱えた。眠りの縁にある者をより深い眠りへと誘う呪である。

 ペルの長姉、直伝の術だという。

「強力よ」

 と、ペルはフウに教えながら笑った。

 ペルの言葉通り、看守たちはフウの唱える呪に抗う間もなく次々と眠りへと落ちていった。立っている者はカイトが素早く支えて横にし、机に座っていた者はそのままコトリと突っ伏した。

 確かにスゴイな。

 と、感心しながらカイトとフウは先へと進んでいった。

『この先』

 刑務所のかなり奥まで進んだところで、フウが身振りで示す。

 看守の詰所があり、そこに看守が二人いる。詰所の向こうが、マウロのいる独居房のある区画である。

 フウが呪を唱え、立っていた看守が崩れ落ちるのをカイトが素早く支える。座っていた看守の頭が机にぶつかってゴンッと大きな音を立てる。

 カイトもフウも息を殺して様子を窺ったが、看守は目を覚まさなかった。

 ホゥと息を吐いて、フウは看守が腰に下げた独居房のカギを取った。廊下を進んで、独居房の奥に声をかける。

「マウロ様」

「フウ、本当に来たのか」

「いま開けます」

 束になった鍵をひとつずつフウが試す。

「いや、わたしは……」

「行かれた方がいい。マウロ殿」

 マウロの隣の独居房から、誰かが声をかけた。

 そちらに誰が入っているかも、フウは予め教えられている。トワ郡の前の郡主、ロナである。

「だったらロナ様も」

 マウロの言葉にロナが笑う。

「わたしはクスルクスル王国に奉職する役人です。そのわたしが牢を破る訳にはいきません」

「それはわたしも--」

「マウロ様。開きました」フウがそう言うのと、「中に入ってて。フウ」とカイトが言うのは同時だった。

 フウが振り返ると、カイトの背中があった。

 弓に矢を番えている。

 カイトの向こうで、看守とは別に配された番人が2体、のそりと動き始めていた。


 青銅の彫像、と見えた。高さは2m近い。両手に長剣を持っている。

 それが2体、カイトに向かってきている。

 フウはするりと牢に入った。

 自分がいても邪魔になるだけだと判断したのである。

 カンッと音が響く。

 カイトの放った矢が青銅の彫像の額に当たって落ちる。青銅の彫像は足を止めない。

 動きは鈍い。だが、着実だ。

 カイトを逃さないよう二体で挟み込む。長剣が振り上げられ、ブンッとカイトに向けて振り下ろされる。

 マウロが鋭く息を呑む。

 が、カイトがいない。

 コンコンッと軽く何かを叩く音が響いた。

 カイトだ。

 いつ移動したのか、カイトに向かって右側に立った青銅の彫像の懐に入っている。そこで何かを確認するかのように、カイトは彫像の身体を指で叩いていた。

 青銅の彫像がカイトを見下ろす。

 長剣が振り上げられ、不意に、青銅の彫像の顔が横を向いた。

 もう一体も、横を、あらぬ方向を向いている。

 カイトが移動する。急ぐ様子もなく普通の足取りで歩く。もう一体の青銅の彫像の懐に入り込み、同じようにコンコンと叩く。

 身体を叩かれた青銅の彫像がカイトを見下ろす。

 長剣を振り上げ、動きを止めて、横を見る。その隙にカイトが懐から逃れる。

「何が起こってる」

 マウロは呆然と呟いた。フウには判っている。

「声を飛ばしているんです。多分」

「声を?」

「はい」

 旧ロア城の斜面でカイトと出会った時と同じだ。声を飛ばし、青銅の彫像の注意を逸らしているのだ。

 カイトが矢を抜く。

 青銅の彫像がカイトに向き直る。

 バキンッという何かが割れる音が、甲高く響いた。

 左側の青銅の彫像が、ぐらぐらと身体を揺らす。その胸に、いつ放たれたか、矢が深々と突き刺さっていた。


 マウロはまじまじと青銅の彫像の胸に突き刺さった矢を見た。

 何か違和感がある。

 突き刺さっている矢が太い。まるで槍のように。と、そこで気づいた。いや。一本じゃない。何本か、束になって突き刺さっている。

 バキンッ。

 同じ音が響き、マウロは視線を回した。

 右側の青銅の彫像の胸にも、同じように矢が突き刺さっていた。

 最初に矢で射抜かれた方の青銅の彫像が膝をつき、もう一体も頼りなくグラグラと身体を揺らした。

 膝をついた方の青銅の彫像の胸から、何かが勢いよく噴き出していた。

「これは」

 マウロは牢内に飛んで来た液体を指につけ、舐めた。

「海水か」

「つまりそやつらは、海神様のご加護で動いているということですか」

 そう言ったのは隣の牢のロナだ。

 ガシャンと青銅の彫像が倒れる。もう一体もすぐに続き、倒れた青銅の彫像から流れ出た海水が床に広がっていく。

「海神様のご加護で?」

 カイトは弓を下ろし、ロナに尋ねた。

「だったら倒さない方が良かったのかな」

 ロナの笑い声が響く。

「倒さなければ君がやられていただろう、森の子よ。牢を破ろうと言うのだ、今さら問題はないのではないかね」

「そうだね」

「マウロ様。行きましょう」

 牢を出たフウがマウロに声をかける。

「マウロさん、まだ迷ってるの?」

「いや」

 マウロも牢から出て首を振った。

「フウに眠らされて君たちに運ばれるというのは、あんまりだからね」

「うん」

「マウロ殿」

「何でしょう、ロナ様」

「トワ郡をお願いいたします」

 マウロは深く頷き、「承知いたしました」と、答えた。


 カイトとフウに連れられて塀の近くまで逃れてきて、マウロは声を失くすほど驚いた。塀の結界を解いているペルがいたからである。

 ペルの肖像画はファロでも飾られている。会ったことはなくても、遠くからペルを見たこともある。

 まだ若い頃、マウロはファロを飛び出し、トワ郡の一兵士として洲国とのいくさに身を投じたことがあった。圧倒的な戦力差と絶望的な戦況にマウロをはじめとするトワ郡の兵士の誰もが死を覚悟した時、ペルは現れた。

 クスルクスル王国軍の兵士たちを背後に引き連れ、馬に跨り、背中に落とした長い髪をただ風に任せ、高々と剣を掲げて。

「我が民を一人も死なせるな!」

 ペルの大音声がいくさ場に轟き、クスルクスル王国の兵士が喚声を上げ、マウロも叫んだ、「ペル様!ペル様!」と。

 随分と歳を取っている。

 だが、まざまざとあの時の興奮を思い出すことができる。

「こんなところで、何を……」

 声を絞り出してマウロはペルに尋ねた。

 ペルが笑顔で答える。

「この塀の結界を解いています。流石にフウにはまだ難しいので、わたしが来たと、それだけのことです」

「いや、しかし--」

 マウロが声を途切らせたのは、カイトが彼の腕に触れたからだ。

「賊だ!」

 遠くで叫び声が響いた。

「囚人が逃げたぞ!」「脱獄だぁ!!」

 たちまち刑務所が目覚めていく。あちらこちらから叫び声が響き、明かりが灯されていく。

「気づかれたか」

 マウロが呟く。

「わたしたちじゃない」

「え?」

「誰か来る」

 口汚く罵る声が近づいてくる。カイトの知っている声だった。

「早くなさいよ!」

 建物の角を曲がって現れた影はふたつ。ひとつは小さく、もうひとつはひょろりと背が高い。

「準備できてる?!」

 息を切らせて訊いたのは、ヌーヌーである。

「ちょっと早すぎました。死の聖女様」

 ペルの答えを聞いてマウロがぎょっとする。

 ヌーヌーはヌーヌーで、カイトとフウに向かって「少しは驚きなさいよ!」と怒鳴っていた。

「ヌーヌーが来ていること、知ってたから」とカイト。

 フウも頷いている。

「なんでよ!」

「えーと。なんとなく」

 声にならない怒りに、ヌーヌーが地団太を踏む。

「なによ!なんとなくって!」

「あら」

 ヌーヌーが連れて来た男を見て、ペルは声を上げた。

「あれ?」

 とカイトも呟く。

 男の方もまた、「これはこれは。意外な方たちが揃ってますね」とペルやカイトを見て楽しそうに笑った。

 ヌーヌーが連れて来たのは、木工作業中にカイトに声をかけてきた、自称、洲国の王、パララだった。

「こんなところで何をなさっているのですか、王太后様」

「それはわたしのセリフですよ、パララ様」

「いたぞ!こっちだ!」

 ヌーヌーたちを追って来たのだろう、建物の陰から看守が現れ、すぐにペルが呪を唱えながら手を振った。

 何かで殴られたように看守が後ろへ倒れ、そのままピクリともしない。

 パララが感嘆の声を上げる。

「さすがペル様」

「お褒めいただき、ありがとうございます。パララ様。ただ、塀の結界を解くにはまだ時間が要ります。

 少し、時間稼ぎをしましょう」

「どうするのですか、ペル様」

 フウの問いにペルが微笑む。

「飛竜たちを、呼びます」

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