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18-2(檻の中のカイト2(マウロへの伝言))

「何をしてるの?」

 深夜のことである。

 カイトは一人の女に声をかけた。

 女がギクリッと振り返る。イサと同じように、どの群れにも属していない女のうちの一人だ。

 女の手には一本の紐が握られていた。紐は牢の木枠に通され、輪を作っている。

 大声で女が何かを喚く。興奮していて、ほとんど言葉になっていない。ただ、罵声を浴びせられているらしいことは判った。

 昼間のこともあって、女囚たちはカイトに一目置き始めている。

 しかし、女はカイトを恐れていない。

 いや、そもそも女は、カイトを見てもいない。焦点がカイトに合っているようで、何かまったく別のものを見ている。

 他の女囚たちも起き出し、「やめなっ!」とサクが一喝した。

 看守たちに連れられていく間も女は口汚く、カイトではない誰かを罵り続けていた。

「気にするコトないですよ。姐さん」

 カイトにそう声をかけたのはフスだ。

 フスは牢に戻ってからもカイトに挑み続け、ようやく諦めてくれた時には、カイトの呼び方がクソガキから姐さんに変わっていたのである。

「あの女、誰に対してもあんな感じで」

「いつもブツブツ言ってるだけで、気味が悪いったらありゃしねぇ」

 と、別の女囚も言う。

「自分の母親を刺して入ってきたって言うしな」

「え?」

「ま、親を殺してえってキモチは判るけどね、アタシらは」

 不思議なほど明るい笑い声がいくつか上がり、「明日も早いんだ、陰気くせぇヤツのことは放っといて、もう寝るよ」とサクが言って、カイトも他の女囚たちと一緒に寝床に着いた。


 ざわざわと遠くから浮足立った気配が漂って来たのは、陽が昇る前のことである。

「何かあったね」

 サクが起き出し、フスを呼ぶ。

 通りがかった看守をフスが呼び止める。フスが何かを看守に渡したように、カイトには見えた。

 おそらくカネだ。

 看守が左右を見回し、牢の木枠越しにフスに顔を寄せる。

 しばらくして、「えっ!」とフスが声を上げた。看守が立ち去り、フスに耳打ちされたサクも、厳しい顔でフスを見返した。

「何があったの?」

 カイトがフスに訊くと、昨日の女が死んだんです、とフスは答えた。

「それがただの死に方じゃねぇんですよ」

 フスの顔が青ざめている。

「あの女、口にしちゃいけねぇお方の名を口にしたんです」

「え?」

 サクがカイトの耳に口を寄せる。

「あのバカ、惑乱の君の御名を口にしたんだとよ」

 カイトも息を呑んだ。


 惑乱の君の御名を口にした者は呪いで死ぬ。

 カイトも知っている。誰かに教えられた訳ではない。惑乱の君の御名をいつの間にか知っていたように、ただ知っていた。

「どんな死に方だったの?」

 声を潜めてカイトは訊いた。

「それは訊いちゃあいけねぇことですよ、姐さん」

「訊いても話しゃあしねえだろうよ、看守どもも。下手に話すと、呪いに巻き込まれかねないからね」

「独房は、朝早くに姫巫女様が呼ばれて清められたってことです」

 サクがフンッと鼻を鳴らす。

「姫巫女様もご苦労なこった」

「あの人はどうして、そこまでして死んだの?御名を口にするなんて--」

「当てつけだろうね」

「当てつけ?」

 カイトは少し考えて、「誰への?」と訊いた。

「自分が刺した母親へのだよ」

 サクの答えは、カイトをさらに混乱させた。

「アイツは結婚して子供も生まれたんだけどね、ダンナが気に入らなくて追い出したらしいんだ。仕事をしてもすぐにトラブルを起こして長続きしなくて、子供と二人では生活していけなくなった。

 そこでアイツの母親が子供を預かろうとしたんだが、それを、子供を取り上げられるって逆上して刺しちまった」

「え?」

「理解んねぇだろ?」

 混乱顔のカイトにサクが訊く。

「だって、あの人の母さまはあの人を助けようとしたんでしょう?それなのに、どうして刺したの?」

「一番近くにいた人だからじゃねぇかな」

「ぜんぜん判らない」

「アイツの世界はね、閉じているのさ。

 世界が閉じてて、自分以外なんにも見えちゃいない。

 だからだよ。だから一番近くにいた母親を刺して、母親の当てつけのためだけに死んだのさ。あの女はね」

「……」

「判らなければそれでいいんだよ、こんなことはね」

 と、サクは笑った。



「ここなの?」

 朝食の後、牢の外から聞こえて来た声にカイトはあれっと振り返った。

 知っている声だった。

 カイトは思わず声をかけようとして、「あれは……」とサクが呟くのを聞いて、危うく言葉を飲み込んだ。

 牢の外に一人の少女が立っている。

 唇が赤い。まるで血の色だ。何かの印だろうか、狭い額に唇と同じ血の色で目が描かれている。

 縦にひとつ。真ん中の目を挟んで両側に斜めにひとつずつ、合計3つの目が。

 他でもない、死の聖女、ヌーヌーである。

「は、はい。ここが、彼の者の入っておりました牢でございます。聖女様」

 案内する看守の声に怯えがある。

「あまりお騒がせするのは良くないから手早くね、ヌーヌー」

 ターシャも姿を現し、女囚の誰かが「ロード伯爵様……」と震える声で呟いた。鍵が開けられ、看守が「下がれ、下がれ!」と怒鳴りながら扉を潜った。

「昨夜の件で、死の聖女様がお検めにいらっしゃった!下がれ、下がれ!」

 死の聖女と聞いて女囚たちが悲鳴を上げて扉から下がる。怖がられてるなぁ、伯爵様とヌーヌー。と、カイトにはむしろ不思議な光景である。

 澄まし顔でヌーヌーが扉を潜る。

「ねえ、そこのアンタ!」

 ヌーヌーが視線を向けたのは、何故か、と言うか、当然と言うか、女囚たちの後ろの方にいたカイトである。

「どこで眠っていたの、惑乱の君の御名を口にしたという、その不届きな女は!」

「え?わたし?」

「そうよ!早く教えなさい!」

「えーと」

 カイトは女囚たちをかき分けて前へ出た。昨夜、首を吊ろうとしていた女が寝ていたのは確か、と思い出しながら「ここ」と床を指さす。

「そこね」

「うん」

 ヌーヌーが膝をつき、手を添わせる。いつになく真剣な様子に「何かある?」とカイトは訊いてみた。

「気安く声をかけないでくれる?シゴト中よ」

「あ。ゴメン」

「どうだね。ヌーヌー」と、牢の外からターシャが尋ねる。あまり二人を絡ませるのは良くないと判断したのだろう。

 ヌーヌーが立ち上がる。

「大丈夫です、ターシャ様。こちらまでは惑乱の君の呪いは及んでいません」

「では、問題の独房の方を見させていただくとしよう。姫巫女様が清められたのだから心配する必要はないと思うけれど、王宮からのご依頼だからね」

 ターシャはカイトのために言ったのだろう。なるほど、そういうことか。とカイトは納得した。

 ヌーヌーが扉を潜ろうとする。と、不思議そうに顔を横に向けた。

 カイトを振り返る。ヌーヌーが何かをカイトに目だけで問いかけ、カイトはうんと頷いた。ヌーヌーだけに聞こえるように声を飛ばしたのである。

 ヌーヌーが軽く眉だけを上げて、扉を潜る。

 牢の鍵が掛けられる音が大きく響く。

「問題の独房はどっち?」

「こちらです、聖女様」

 看守が先に立ち、ヌーヌーが続く。

 姿が見えなくなる前に、ターシャがカイトに向かって片目をつぶって見せた。

「姐さん、スゴイっすねぇ!」

 ターシャの杖の音が聞こえなくなると、フスが走り寄ってきて声を弾ませた。

「死の聖女様とタメ口をきくなんて!オレには恐れ多くてとてもできねぇ!」

「あれが、ロード伯爵様か……」

 サクもカイトに歩み寄って呟いた。

「うん」

「どうしよう」

 サクの声が潤んでいる。

「何が?」

「見なかったのかい?イト。だって伯爵様、あたしにウインクされてったじゃないか」

 カイトが「えっ?」と振り返ると、サクはターシャが姿を消した廊下をうっとりと見つめていた。両手で包み込んだサクの頬が赤く染まっている。

「--こういうことかな」

「何がです、姐さん」

「世界が閉じていて、何も見えなくなるって」

「姐御は意外と、乙女だから」

 と、フスもしみじみと頷いた。



 ゲイル刑務所では、囚人たちに様々な労働を担わせている。

 刑務所の維持費削減が目的で、カイトが配属された木工班は椅子やテーブルなど様々なものを作っていた。年に2回、木工展を開き、囚人たちが作った製品を売って予算の足しにしているのである。

 木工班のほとんどは男の囚人だ。

 女囚は珍しい。

 カイトが刑務所内の木工所に入っていくと、男たちが一斉に振り返った。舐めるようにカイトを見詰めてくる。

 しかしサクがひと睨みすると、男たちはすぐにカイトから視線を逸らせた。

「あの人がマウロさんだ」

 サクが示したのは、看守のように囚人たちの間を見て回っている男である。

 側頭部を残して頭はすっかり禿げている。口元には穏やかで温かな笑みがあり、小さな瞳にも優しそうな笑みがあった。

 ミユさんの父さまにしては歳を取って見えるな。

 というのがカイトの印象である。

「模範囚ということと、木工の腕を買われて木工班の教師役をやってるんだ。確かにあの人の腕は確かだし、誰に対しても公平だから、囚人たちにも人望があるよ」

「そうなんだ」

「ところで、イト」

「なに?」

「お前、けっこう強いけどよ、何か習ってんのか?」

「子供の頃に護身術は覚えさせられた。後は、カーラさんとかプリンスとか、えーと、人が使ってるのを見て覚えた」

「護身術ってレベルじゃねぇだろ、アレ」

「そうかな」

「なあ、イト。ちょっとあたしと勝負しねぇか?」

「勝負って、何の?」

「そうだなあ。腕相撲とか」

「それはダメ」

「んん?負けたくないからかい?」

「先約がある」

 サクがニヤニヤと笑う。

「男か?」

「男の子と言った方がいいかな」

「そりゃ、しゃーねーな。あ」

 サクが立ち上がる。

 作業の様子を見て回っていたマウロが二人の近くまで歩いて来たのである。

「マウロさん、ちょっといいかい」

 マウロが振り返り、笑顔を浮かべる。

「あなたが声をかけてくるとは珍しいね、サクさん。なんだね」

「この子、新しく入った子なんだ。ちょっといろいろ教えてやってくれないか」

「ああ、喜んで。君、名前は?」

「カ……、じゃなくて、イト」

「イトさんか。よろしく。わたしはマウロだ。イトさんは、木工の経験はあるかい?」

「うん」

「それじゃあ、もう知っていることかも知れないが、まずは木の性質から教えよう」

 マウロはそう言って、木工所の隅に積まれた木材の前へとカイトを連れて行った。置いてある木の性質、生育場所、それぞれの木材に適した製品を説明する。木目の読み方、切り出し方など、カイトが知っていることもあれば知らないこともあった。

 カイトが感心したのは、ゲイル刑務所で作っている製品に細かな意匠が施されていたことである。お椀や皿、スプーンなど、食器ひとつとってみてもデザインが美しく、手触りがいい。

 木工に使う道具も様々で初めて見るものが多かった。

『父さまに教えて貰っているみたい』

 丁寧に説明するマウロの声を聞きながら、カイトはそう思った。フウが助けたいと言うのも判るな、と納得する。

「イトさんは木工をするときに、何を一番に気をつけている?」

 ふと、マウロに訊かれた。

「木の声を聞くこと」

 即答する。

 父に教えられたことだ。

「木を切り出す前に木の声を聞くわ。切り出した後も手を添えて、木目を読んで、何を作るか考える」

 マウロが笑う。

「フウみたいなことを言うなぁ」

「フウ?」

 カイトが問い返す。

「狂泉様の森人でね、ウチで預かっている子だよ。君と同い年ぐらいかな」

「知ってる」

「え?」

「知ってるわ、フウのことは」

 マウロがカイトを見直す。警戒の色が菫色の瞳に浮かぶ。なるほどこうして見ると、ミユさんとよく似ているな、とカイトは思った。

「君は」

「わたしはカイト。クル一族のカイト。あなたに会うために、ここに来たの」


「君が」

「わたしのこと、知ってるの?」

「イタカ殿が教えてくれたよ。フウを探している森人の子がいるって」

「うん」

「それがどうしてこんなところに?」

「あなたに計画を伝えるために来たの」

「計画?」

「2日後、木工展が開かれる夜に、フウと二人で迎えに行くわ」

「わたしを脱獄させる、ということかな」

「うん」

「わたしは行かない。法に逆らう訳にはいかない」

「それでも行く。もし、マウロさんがここから出ないと言うのなら、マウロさんを眠らせて、わたしとフウで抱えて行くわ」

 マウロが笑う。

「できないだろう、そんなこと」

「だから一緒に来て」

「……」

「フウを捕まらせたくなかったら」

「それは脅しだよ。カイト」

「こう言わないと、多分、マウロさんはここから出ようとしないだろうって、伯爵様がおっしゃってたわ。

 だから、わたしが来たの。

 迎えに行くって予めマウロさんに伝えておくために」

「誰だい、それは」

「ロード伯爵様。知ってる?」

「いや」

「とにかく伝えたから」

 カイトが背中を向ける。

「わたしとフウが現れても驚かないで」


「どうだった?」

 戻って来たカイトにサクが訊く。

「とりあえずわたしのやることは終わり。後は待つだけ」

「何を?」

「これ、面取りするの?」

 サクが作っているテーブルのことだ。

「ああ、頼むよ。それで、何を待つんだ?」

「フウが来るのを、よ」

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