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17-19(海神の立つ街19(マウロ救出作戦・前夜))

 リビングのテーブルに、チョコレートムースが置かれる。「伯爵様とクロには、こっちだ」

 置いたのはバンドである。

「チョコレートムースはアルコール入りだから、ヌーヌー様とリア様は、こっち」

 イチゴのムースを置く。

「フウは、こっちで」と、アルコール入りのチョコレートムースを置いて、「カイトはこっちだ」

 と、カイトの前にはイチゴのムースを置いた。

「よく判っているねぇ。バンドさん」

 クロが嗤う。

「おいしい」

 ひと口食べてフウが感嘆の声を上げる。

「うん」

 カイトも頷く。

「ちょっとひと口、いい?」

「うん」

 フウがカイトのイチゴのムースにスプーンを伸ばし、「ホント、こっちもおいしい」と笑顔をこぼす。

「なんか旨そうなモン、食ってるなぁ」

 そう言いながらリビングに姿を現したのはラダイである。

「まだ数はあるぜ。良かったら食うかい?」

 バンドが問い、「ありがたくいただきます」とラダイは笑って答えた。


「なぁ、クロ。今日、口入れ屋のとこに寄ったんだが、これ、フウちゃんのことじゃねえの?」

 腰を下ろしながらラダイが差し出した一枚の紙を、クロは受け取った。

「探し人--」

 5年前に狂泉様の森を出た少女を探しています、と紙には書かれてあった。探し人の依頼書だ。年齢は15、6歳。名前は不明。特徴も不明。どんな些細なことでも情報をご提供いただいた方には、報酬として--。

「ウソだろ。なんだよ、この報酬!」

 クロは思わず叫んだ。

「依頼人はキャナのフォル商会ってなってる。心当たりないか、クロ?」

 クロはカイトを振り返った。

「なぁ、カイト、お前、誰にフウのことを探してもらってたんだっけ」

「タルルナさん」

「ああ、そんな名前だったな。フウがトワ郡にいるらしいって、むちゃくちゃ中途半端な情報をお前に教えてくれたの」

 クロが手元の依頼書に視線を落とす。

「何か関係があるのか?その、タルルナって人。フォル商会と」

「知らない」

 と、カイト。

「ま、そうだろうな」

 素っ気ないカイトの答えを気にすることなく、クロが頷く。

「鋼の女史」

「ん?」

「タルルナ女史の異名だよ」

 チョコレートムースを口に運びながら横から答えたのはターシャである。

「伯爵様、知ってんの?」

 クロもチョコレートムースを食べながら応じる。

「有名人だからね。

 迷宮大都で彼女の名を知らない者はいないよ。

 彼女は元々、洲国の生まれでね。戦災孤児だったが、幼い頃にキャナの商人である養父殿に拾われて、まだ小規模だったフォル商会を一代でキャナでも指折りの店に成長させた女傑だよ」

「フォル商会はオレも知ってるよ」とラダイ。

 ラダイが選んだのはチョコレートムースではなく、イチゴのムースだ。

「クスルクスル王国にもいろんな街に支店があるからな。もちろん、海都クスルにもあるし」

「フォル商会はクスルクスル王国だけでなく、新大陸にまで進出しているよ。

 タルルナ女史は自分と同じような境遇の子供を積極的に養子にしていてね、その養子にした子供たちに各支店を任せているんだよ。

 養子にした子供の数は100人を超えている筈だ」

「100人。ソイツはスゲエな」

「前にペル様のお屋敷でカイトが言ってたのは、この人のこと?」

「うん」

「見聞官殿。私にも、その依頼書を見せてもらえないかな」

「ああ。いいぜ」

「カイト殿は、タルルナ女史とどこで知り合ったのかね?」

 依頼書を受け取りながらターシャが訊く。

「酔林国に行く途中。紫廟山を越えるときに護衛をしたわ」

「護衛の報酬としてフウを探して欲しいって頼んだんだとよ。頼んだときにはまだフウの名前も判ってなかったから、調べてはくれたものの、トワ郡にいるらしいって曖昧な情報だけでよ、探すのに苦労したぜ」

「ごめんなさい、クロさん」

「フウが悪いわけじゃないさ。そういやぁ、フウが見つかったって、連絡とかしてねぇよな」

「うん」

「私が連絡しておくよ」

「ん?」

 クロがターシャを振り返る。

「伯爵様。あんた、その、タルルナって人と知り合いなの?」

「知り合いではあるね」

 依頼書に視線を落としたままターシャが答える。

「今は丸くなられたが、若い頃の彼女は抜き身の長剣のようでね。近寄れば容赦なく突き殺されてしまいそうな怖さと鋭さがあった。

 それがひどく魅力的でね。

 若気の至りで恥ずかしいが、何度か観劇にお誘いしたことがあるよ」

 クロが嗤う。

「なるほど。よーく知ってるって訳だ」

 ターシャが首を振る。

「これがそうでもなくてね。お誘いはしたが、軽く笑顔であしらわれてしまって、以来、彼女には上手く避けられているよ」

 ヌーヌーがイチゴのムースを食べていた手を止める。青い瞳がすっと細くなる。

「ターシャ様のお誘いを?断ったのですか?」

 ヌーヌーの怒りを逸らすように、ターシャが笑う。

「若い頃の話だよ。ヌーヌー。

 どうも女史は私のことを”古都”の方たちと一括りにされているらしくてね。私が、我が主の信徒だという理由で」

「あ」

「心当たりがあるのかね?カイト殿」

「ううん。ただ、タルルナさん、”古都”をすごく嫌ってた気がする」

 ターシャが頷く。

「女史が”古都”を嫌っているのは確かだね。私は”古都”の方々とは違うと、いつか誤解を解けないものかと思っていたからいい機会だよ。

 フウ殿が見つかって、今はカイト殿と一緒に私の屋敷にいることを、私からタルルナ女史に知らせておこう」

「前は断られた。だから、まずは文通からか?伯爵様」

 からかうようにクロが言う。

「そうだね、まずは文通からだね」

 フウが「ありがとうございます、伯爵様」と礼を言い、フウにつつかれて、カイトもあっと気がついて、「ありがとうございます」と礼を言った。

「気にすることはないよ。カイト殿。フウ殿。むしろ女史とつき合いを深めるいいきっかけになるからね。

 こちらこそ礼を言うよ」

「それじゃあ、口入れ屋にはオレが伝えときますよ。もう見つかったって。連絡もしておくからって」

「大丈夫かよ、ラダイ。手数料が取れなくなって怒るんじゃねえか。口入れ屋が」

「そんなケツの穴の小さいヤツじゃないさ」

 ラダイの言葉に、リアが少し反応する。

 ヌーヌーがラダイを睨む。

「言葉遣いには気をつけて。リアがいるのよ」

 ラダイが朗らかに笑う。

「ああ、ゴメンゴメン、ヌーヌーちゃん。そうだね、気をつけるよ」

 ヌーヌーの眉が吊り上がる。

「わたしのこと、ヌーヌーちゃんなんて、気安く……」

「ん?何か言ったか?伯爵様」

 チョコレートムースを食べるターシャの口元に笑みがある。何かを面白がっているような。何かを納得したような笑みが。

「何も言ってないよ、見聞官殿。ただ、なるほどと、思っただけだよ」

「そうか?」

 なんか、前にもおんなじことがなかったっけ。そう思ったものの、それがいつのことだったか思い出せないまま、クロはすぐに忘れた。

「伯爵様。

 わたし、ティアという人を見てみたい」

 と、カイトが言い出したからである。


「はあ?」

 ターシャが答える前に、クロが素っ頓狂な声を上げた。

「なんでだよ、カイト」

「どんな人か見てみたい。それだけ」

「見てみたいって、お前、自分を殺そうとしてるヤツだぜ?そんなの見てみたいの?」

「うん」

「ホント。物好きだねぇ、お前は」

 呆れたようにクロが言う。

「ふむ」

 短く考えて、

「ティア嬢のことはラス君に任せることにしている。それは判っているね?」

 と、ターシャが問う。

「うん」

「あたしも一緒に行きます」

 ターシャが視線を、カイトと並んで座ったフウに向ける。

「フウ殿もティア嬢に興味があるのかね?」

「あたしは、カイトが無茶をしないように付き添いです」

「なるほど」

 ターシャが笑う。

「いいだろう。ティア嬢がどこにいるかは、ラダイ殿が知っている。彼と三人で行ってきたまえ。

 悪いが、いいかね。ラダイ殿」

「もちろん。姫のためですからね。喜んで引き受けますよ」


 そう笑ったラダイがカイトとフウを連れていったのは、海都クスルの中心部から離れた貧民街である。

「ここ、森に似てる」

 貧民街に入ってすぐ、カイトが呟いた。

 人々に見つからないよう家の影に潜んでいた時のことだ。まだ夕刻で、路上には多くの住民がいる。

「姫もそう思うかい?」

「うん」

「あたしもそう思う。どうしてかな。ぜんぜん違うのに」

「オレも最初、不思議に思ったんだけどね。ここの人たちがありのままだからじゃないかって、今は思っているよ」

「そうだね」

 カイトが頷く。

 街には子供の声が溢れている。ゴミだらけで臭いもひどい。路地は狭く、建物も統一感がない。

「そうか」

 フウも頷いた。

 雑多な街に生命感が溢れてむき出しになっている。

 それが、静かではあるものの常に木々に、溢れるほどの命に囲まれた狂泉の森に、どこか似ているように思えた。

「じゃ、行こうか」

 陽が落ちると、人の姿が消えた。

 見つかる心配はほとんどなさそうだったが、先を行くラダイに倣って陰から陰へと三人で忍んでいく。

「どうして誰もいないの?」

「夜、出歩くのは自殺するようなモンなんだよ。ここでは」

 それがどういう意味かは、すぐに判った。

 ラダイが足を止める。

 誰かいる。

 女だ。

 落ち着きなく周りを見回しながら早足で歩いている。

「帰るのが遅れたな」

 路地の影にも誰かがいる。

 ひとりではない。どこから湧いたか、何人も。

 女を襲うつもりだ。

 道路を挟んだ反対側にいるにも関わらず、下卑た笑い声が聞こえる気がした。

 どうする?

 と、ラダイが訊く前に、カイトの弓から矢が放たれていた。

 路地の影にいた男たちが倒れる音だけが響き、ぎくりっと女が足を止め、路地の奥を恐る恐る窺い、血の臭いには気づいたかもしれない、が、そのまま足を速めて立ち去っていく。

「矢だけ回収しておこう。それと、オレたちも早くここを離れた方がいいな」

 暗がりから出ながらラダイが言う。

「どうして?」

「血の臭いにつられて野犬が集まって来るからだよ」

 言われて注意深く周囲を探ると、確かに、遠くから近づいて来るたくさんの獣の気配があった。

「うん」と、頷き、矢だけを回収し、先に進んだ。

「あれだよ」

 路地の暗がりに潜んでラダイが通りの先の一軒の家を示す。貧民街の他の家々と違ってしっかりとした造りの建物がある。

 家と言うより屋敷と表現した方が良さそうな広さがある。

「あの薬屋が、”チケ寄宿舎”のアジトだ」

「薬屋なんだ」

 ラダイが頷く。

「今の舎監長とティア譲が繋がったのは、もしかすると、その辺りに理由があるかも知れないな」

「そうか」

「ここまでは来たものの、さて、どうやってティア嬢を見ようか」

「あそこにいるんでしょう?」

 カイトが訊く。

「ティア嬢が出掛けていなければね」

「だったら、あそこに行ってみればいいだけでしょう?」

「えっ?」

「大丈夫。見つからないようにするから」

「待って、カイト。あたしも行くわ」

「いや、ちょっと……」

「大丈夫です、ラダイさん。まだカイトには敵わないけど、カイトに教えて貰って、あたしも気配を消すのは前よりズイブン上達しましたから」

「いや、上達って--」

「行ってきます」

 ラダイが止める間もなく二人は暗がりから出て姿を消し、10分ほどで戻ってきた。

「ホントに行って来たの?」

「うん」「はい」

 カイトとフウが頷く。

 ラダイは苦笑し、

「それで、どうだった?」

 と訊いた。

「普通の人だったわ」カイトの言葉に、フウも頷く。

「普通って?」

「ただの人だった。本当に、どこにでもいる、ただの人だったわ。ティアさんは」

「ただの--」

 ラダイは、ティアの姿を思い浮かべた。数日前、ターシャの依頼で”チケ寄宿舎”を探りに来て、初めて見たティアを。

 可愛らしい娘だった。

 誰に対しても笑みを絶やすことなく、物腰は柔らかで、薄汚れた貧民街にあって彼女の周囲だけが清涼な空気に包まれているかのようだった。

 だが、本性を知っているからか、言い様のない不快さをラダイは感じた。

 蛆が湧き、溶けるまで腐った人の臓物。

 それと同じ臭いをクロはティアに感じたという。クロがそう感じたのもムリはないと、ラダイも思っている。

 人の皮を被った別の何か。

 ラダイにはティアはそう見えた。

「帰ろう、ラダイさん」

「あ、うん」

 カイトとフウが音もなく走り出す。

 ラダイもすぐに続く。

 風を感じた。

 前を行くカイトとフウから。

 水滴ひとつひとつの重さを感じられそうな、眩しい光が溶け込んだ風を。生と死が分かちがたく混然と一体になった風を。

 オレはやっぱりもう森人じゃないんだな。かつて感じた寂しさと安堵と共に、ラダイはそう思った。



 海軍特別養成所ファロ分隊の隊長であるイタカは、久しぶりに戻ってきた海都クスルの路上で震える手を抑えていた。

 ファロに着いた昨日から酒を断っているのである。

「流石に、酔っ払ってる訳にもいかないが」

 カザン将軍の自宅前でのことだ。

「おお、待っていたぞ!イタカ!」

 応接室で顔を合わすなり、カザン将軍は上機嫌な声で叫んだ。

「将軍、ご無沙汰しております。今日は……」

 がははははとカザン将軍が笑う。

「いい、いい。用件は判っている!マウロ殿の件だろう!」

「えっ?」

「安心しろ。準備は万端だ。後は決行あるのみだ。心配するな、イタカ。お前の役目もちゃんと用意してあるからな!」

 そう言って老人はガハハハハと笑って、イタカの背中をバンバンッと叩いた。

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