17-18(海神の立つ街18(襲撃者の正体))
「狙われてるのは、最後まで犬に襲われていたカイトかフウ、それにリアちゃんの誰かだろう。
が、オレの勘だと、カイトだ」
ターシャの屋敷の応接室である。
向かい合っているのはクロとターシャだ。
中断された夕食はペルからの差し入れで済ませた。クロの前にはやはりペルの離宮から届けられた酒が置かれ、ターシャの前にはワインがある。
ヌーヌーが清めたとはいえリビングはとうてい使える状態ではなく、応接室を食堂兼リビングとして利用しているのである。
フウはまだ眠ったままで、カイトはフウについている。
ペルも一緒だ。
リアは食事が終わるまではターシャと一緒にいたが、その後のことはクロは知らない。もっともヌーヌーが一緒だ。心配する必要はないと判っている。
「そうだろうと思っていたよ」
ターシャに驚きはない。
やっぱりかよ。と苦々しくクロは思った。
「誰が狙われているか確かめるために、わざと隙を作って魔術師に襲わせたんだな。伯爵様」
「それが一番、簡単で、早そうだったのでね」
クロの言葉をターシャは否定しない。
クロはため息をついた。
「あんたが闇の神の信徒だってことを忘れていたよ」
「私が見聞官殿ほど素直じゃないのは、間違いないな」
クロは短く嗤った。
「オレのことを素直なんて言うのは、伯爵様ぐらいのもんだよ。
で、狙われてるのはカイトじゃないかって、あんたは思ってたんだよな?それを今回の襲撃で確かめた。ということは、カイトが狙われる理由に、伯爵様、あんた、心当たりがあるんだな」
「推測はしているよ」
「よければ教えてくれねえか」
「まず、ペル様の馬車を襲った男は、”チケ寄宿舎”という”寄宿舎”の寄宿生だ。
ペル様が襲われた翌日、宰相殿に近い宮廷の高官がひとり、殺されていて、これも”チケ寄宿舎”の仕業と推定されている」
「どう繋がるんだ、それ」
「半年ほど前に”チケ寄宿舎”の舎監長が代替りした。
父親が死んで息子が跡を継いだ。
息子の代になってから”チケ寄宿舎”は勢力を拡大していてね。
元々殺しを生業としている組織だ、死者が出ることは珍しくない。しかし、”チケ寄宿舎”の周囲で不審な死が相次いで発生している」
「例えば?」
「まず、先代の死そのものがそうだ。先代の側近、家族。それと、”チケ寄宿舎”と敵対していた”寄宿舎”の舎監長や寄宿生、及び関係者も死んでいる」
「ふーん」
「父親が死んで新しく舎監長になった息子は、ひとりの女を連れていてね。
いつからかは判らないが、おそらくは舎監長になる直前に知り合って、息子はその女に憑りつかれた様に夢中になっているそうだ。
名はティアという」
「ティア?」
クロが眉根を寄せる。
「……どっかで聞いた名前だな」
「ファリファ王国の王と王太子夫妻、それに侍女が数名、毒殺された事件はご存知かね?見聞官殿」
「あっ」
クロが声を上げる。
「そうか。塩ノ守が言っていた話か……」
「ご存知なんだね」
「いや、知ってるって程じゃねぇ。いっぺん聞いたことがあるだけだ。ティア、確かにそんな名前だった、塩ノ守が言ってたのは。
けど、聞いたのはズイブン前だ。すっかり忘れてたぜ」
「事件の詳細はご存知かね?」
「葬儀の最中に王や王太子夫妻が毒殺された、だったかな。それしか聞いてねぇ」
「侍女になりすました女が葬儀の賑わいに紛れて王宮に侵入し、”まかない”のスープに毒を入れて立ち去ったんだよ。
運の悪いことに、それを王と王太子夫妻が飲まれた。
犯人はすぐに捕まるかと思われたが、難航した。衛兵も侍女も、怪しい者は見ていないと証言したそうだ。
どことなくだが、うちの状況と似ていると思わないかね?」
「--最初っから疑ってたのかよ、伯爵様」
「ティアという娘が王と王太子夫妻を殺したのは、森人と平原王とのいくさに、彼女が慕う王族が狩り出され、森人に殺されたからだと推測されている。
カイト殿が狙われたのだとしたら、動機としては成り立つからね」
「どうして知ってるんだ」
「何をだね?」
「その、ティアって娘だよ。どうしてカイトが、えーと、なに殿下だったかな。恋人の仇だって知ってるんだ?」
ターシャがピクリッと眉を上げる。
「仇なのかね?」
「えっ?」
「本当に、カイト殿が仇なのかね?」
クロは頭を抱えた。
「……知らなかったのかよ、伯爵様」
ターシャがワインを口に含む。
しばらく考えてから、
「私でさえ知らなかった。だから、多分、知らないよ。彼女は」
とターシャは言った。
クロが顔をしかめる。
「……知らないで、襲ってきてるって言うのか?」
「そもそもグラム殿下も彼女の恋人ではないらしいからね。街で一度、声をかけられただけだそうだよ」
「はあ?」
「つまりティアというのはそういう娘だよ」
「マジかよ」
「面白い娘だね。我が主ならきっと嘉するだろう」
「さすが、いい趣味してるねぇ」
「ティア嬢の父君は王宮に勤める薬師でね。見聞官殿が会った、カイト殿のために薬をくれたという娘、おそらくそれが彼女だ。
彼女はカイト殿がペル様を助けるところを見た。そして標的を変えた。ペル様からカイト殿へ。
しかし標的を変えるなどということを依頼人が認める訳がない。
だから始末した。それが、宰相殿に近い高官が”寄宿舎”に殺された理由だろう。
彼女がカイト殿を狙っているのは、カイト殿が仇と知っているからじゃない。
ただ、カイト殿が狂泉様の森人だからだよ」
「そういやあ、ペル様はなんであんなタイミングで来られたんだ?ペル様も襲撃のことを知ってたのか?」
「いや。知っていたのは、私だけだ」
「だったらなんで?」
「貴殿ならよくご存知だろう?この世には知らない方が幸せなことがある。これはそのうちのひとつだよ。見聞官殿」
どこか楽し気な口調でそう言って、ターシャはグラスを口に運んだ。
フウが目を開ける。眠りから醒める。
「カイト……?」
ベッドに横になっている、と気づく。カイトが自分を見つめている。心配そうに。固く口を結んで。
記憶が混乱する。
「フウ」
柔らかな声に視線を回すと、優しく微笑んだペルがいた。
「頭は痛くない?」
「はい」
小さく頷いて、
「どうしてここにペル様がいらっしゃるんですか?」
と、尋ねる。
ターシャの屋敷のいつもの寝室だ。
えーと。
頭が回る。記憶がよみがえる。心臓を掴まれるような不安を思い出し、カイトに顔を向ける。
カイトが怪我をしている様子はない。
ホッとした。
「何があったの?」
「ヌーヌーが助けてくれた」
カイトが答える。
「そうか」
ヌーヌーが戻って来てくれたのか。
ヌーヌーは死の聖女だ。ヌーヌーなら死人の術なんかまったく問題にしないだろうと理解する。
「よかった」
「うん」
カイトが頷く。
「うん」
もう一度頷き、「……ホントに」と言って「良かった」と瞳を涙で潤ませて、カイトは笑った。
***
ターシャが闇の神の信徒だからという理由で海都クスルの市民の多くは彼を恐れたが、そうでない者も少なくはなかった。
ターシャの屋敷に勤めるバンドやマリたちがそうだし、社交界の女たちもそうだ。
死人に襲われた翌日、ターシャの屋敷からは小気味よい槌音がいくつも響いていた。
屋敷の修理を依頼した大工たちの立てる音である。
大工たちは死の聖女であるヌーヌーにさえ軽口を叩き、瞳を輝かせて作業を見守るリアに、ぶっきらぼうでありながらも優しく大工道具の用途や使い方を説明し、実際に作業の様子を見せていた。
海軍少尉であるララが一人の男を伴ってターシャの屋敷を訪れたのは、そうした音が賑やかに響いていた最中である。
『笑えばモテるだろうな、コイツ』
というのが、ララが連れて来た男を見たクロの印象である。
まだ若い。
しかし、疲れ切っている。
疲労が男を、随分と歳を取っているように見せている。
首筋から肩にかけて比較的新しい傷跡が続き、服の下にはもっと多くの傷があるだろうと推測された。真新しい包帯が巻かれた左手は何本か指が欠損している。
蒼い目に諦めがあり、より深い瞳の奥では、怒りが淀んで激しい渦となっている。
育ちは悪くない。
何気ない仕草のひとつひとつが、男が、子供時代にはきちんした躾を受けていたことを物語っている。
「ラス」
と男は名乗った。
今朝、ララを訪ねて来たのだという。
「彼は、”ターフ寄宿舎”の寄宿生だったそうです」
「過去形なのはなぜかな」
クロと並んで座ったターシャが問う。
応接室にいるのはクロとターシャ、それにララとラスの4人だけである。
「オレ以外、全員、死んだからです」
喉が潰れているのか、低くひしゃげた声でラスが答える。
「なぜ?」
「昨夜、”チケ寄宿舎”を襲撃して、逆にこちらが潰されました」
「ふむ」
ターシャの反応に、クロは、もしかしてと閃いた。
ラスの所属する”ターフ寄宿舎”が”チケ寄宿舎”を襲撃したのは、伯爵様に唆されたからじゃないのか、と。
『”寄宿舎”の連中にも、ペル様を支持している連中は多いからな』クロにそう話してくれたのは、カイルア市場で隣に座った男だ。
伯爵様はそうしたペル様を支持している”寄宿舎”に情報を流し、昨夜のうちに、反撃の手を打ったんじゃないか、それが”ターフ寄宿舎”だったんじゃねぇか、そう閃いたのである。
「それで、ここに来た理由は、なんだね?」
ターシャがラスに訊く。自分の推測が正しいのかどうか、ターシャの表情からも口調からもクロには読み取れない。『訊いても教えてくれるハズねぇか。この伯爵様が』と思いながらクロはターシャの声を聞いている。
「こちらに伺うように勧めたのはわたしです」
ララが横から答える。
「ラス殿がわたしを訪ねて来られたのは、わたしがペル様の事件を担当していたからです。ペル様の件の犯人を教えるから力を貸して欲しいと。
しかし、詳しく話を聞くと、どうやらこちらにお連れした方が良さそうでしたのでそうしました。
彼は、”チケ寄宿舎”が伯爵様のお屋敷を--いえ、カイトさんを襲っている理由も知っているそうです」
「君はどこから来た?」
ターシャが訊く。
「どことは?」
ラスが問い返す。
「クスルクスル王国に来る前に、君はどこに住んでいたのか、という意味だよ。ラス君」
ラスが昏く淀んだ瞳をターシャに向ける。
「オレはファリファ王国から来ました。従妹を--、ファリファ王国の前王様と王太子ご夫妻を殺した、ティアを追って」
『まあ、よくある話だよな』
ラスの話を聞きながらクロはそう思った。
ラスの母は10代で家出同然に家を出て、ラスを産み、死んだ。ひとり残されたラスを、ラスからすれば伯父である薬師が密かに援助していた。その薬師がティアの父で、表向きラスは薬師の一族としては扱われていない、という。
ラスは宮廷に勤める伯父とは別に、市井にあって、一介の薬師として生きてきた。
「しかし、伯父上が、王や王太子夫妻を毒殺した容疑で捕まり、事情を知るために王宮を訪ねて、そこで初めて従妹殿の犯罪を知って、海都クスルまで従妹殿を追ってきたということだね」
「はい」
「よく見つけられたな、あんた」
「ティアの周囲には常に死の気配が漂っています。
昔からそうだった。
ファリファ王国は北の国々を重点的に調べていますが、この件を担当している検察官殿は、ティアがクスルクスル王国に逃げたんじゃないかと疑っておられた。
オレもそう思っていたので」
「で、”寄宿舎”に潜り込んで、見つけた、ということか」
「はい」
ラスは簡単に頷いたが、
『”寄宿舎”に潜り込んで、何をしてきたのかねぇ。今まで』
とクロは思った。
『ま、だいたい想像はつくけどな』
ラスの昏い瞳の奥の奥にあるもの。それは諦めでも怒りでもなく。振り払おうにも振り払えない、重く粘りついた自己嫌悪だ。
「ティアはこちらにいる狂泉様の森人を殺そうとしています。グラム殿下の仇として」
「仇かどうかも判んねぇのに?」
「ティアには関係ないことでしょう。それは」
クロはため息をついた。
『伯爵様の言った通りってことかよ』
「なぜ、”寄宿舎”が私の屋敷を襲うのか不思議だったが、ようやく理解できたよ」
白々しくターシャが言う。
「それで、君の望みは何だね。ティアという君の従妹殿を、君はどうしたいのか、教えてくれないか?」
「ティアをどうしたいか……?」
ラスが黙る。
視線が応接室の床を彷徨う。
「では、質問を変えよう。君ではなく、ファリファ王国は君の従妹殿をどうしようとしているのかね?」
「オレはティアを、死なせたくありません……!」
腹の底から絞り出すようにラスが答える。
つまり、ファリファ王国はティアという娘を殺そうとしている、ということだ。
『甘えな』と、クロは思った。
話を聞いただけでも、ティアという娘は生きていてはいけない娘だと思う。しかし、死なせたくないと言ったラスを責める気もクロにはない。身内なら当然だよなと思い、それを他人事として、甘いな、と思うだけだ。
「それが君の望みということだね」
「はい」
「ではもうひとつ、いいかな」
ターシャが身体を背もたれに預ける。
少し間を置く。
クロが口を挟めるだけの間だ。
あっ、とクロも察した。素早く思考を巡らし、彼も、そうだな、と思って右肘をひじ掛けに預けた。
それがクロの同意だと理解して、ターシャはゆっくりと口を開いた。
「狂泉様の森人と平原王様とのいくさの際、グラム殿下を誰が殺したか、判っていない。そうだね」
「はい」
「いくさの最中、グラム殿下は森人に連れ去られた。なぜか」
「ええ」
「様々な筋から伝わってきた情報を基に、ファリファ王国では連れ去られたグラム殿下は殺されたと判断し、葬儀を行った。
間違いないね?」
ラスがターシャを見返す。なぜ、ターシャがこんな話をするのかと訝しんでいる。
「あくまで仮定の話だが--」
ラスの返事を待つことなく、ターシャが言う。
「もし、グラム殿下を森に連れ去り、殺害したのが、本当に、うちにいるカイト殿だと言ったら、君はどうするかね?」
「あ?」
ラスの身体が膨らむ。殺気が溢れる。
「……本当に?」
ターシャは琥珀色の瞳でラスを観察している。クロはクロで左手を剣に添わせてラスの表情の変化を注視している。
ララもまた、ターシャの予想外の言葉に身体を強張らせて、隣に座ったラスを凝視していた。
「あの娘が、グラム殿下を殺したかたき……?」
「あくまで仮に、だよ」
それまでと変わらないターシャの口調に、逆にラスは、ターシャの話が本当なのだと悟った。本当にカイトが、グラム殿下を殺した当人なのだと。
「まさか」
ラスの身体から力が抜ける。
「こんなことがあるのか」
「どうするね。ラス君」
ラスが視線を落とす。
吐息が洩れ、伏せた口元に笑みが浮かぶ。
「今更どうにも。いくさ場でのことです。誰かを恨んでも仕方がない」
ターシャが頷く。
「それが君の考えなんだね」
クロも剣に添わせていた手を離した。
「君の気持ちはよく判った。では、君と、君の従妹殿が二人だけで会えるように取り図ろう」
「え?」
ラスが顔を上げる。
「そんなことができるのですか?」
ターシャが微笑む。
「情報料代わりだ。遠慮なく受け取ってくれたまえ」