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17-15(海神の立つ街15(死人の襲撃1))

 揺れは微かだった。

 リアは揺れに気づいて目を覚まし、半分眠ったまま、カイトがベッドを出るのを感じた。

「大丈夫よ」

 そう言ったフウに何か答えた気がする。どれぐらい経ったか判らない。やがてカイトが戻って来て、「大丈夫。寝よう」と言うのを聞いた気がする。それが夢か現実か、リアにははっきりとしなかった。

 翌朝「おはよう」と言ったフウもカイトもいつも通りで、護衛として詰めているラダイの笑顔も変わらず、ヌーヌーはぶっきらぼうに優しく、海賊に捕らわれていた時にもまったく態度の変わらなかった伯爵は、やはり伯爵のままだった。クロもいつも通り、だらしなく笑っている。

 だからリアはしばらく異常に気づかなかった。

 朝食を終え、いつものように庭で矢を射るカイトとフウを見ていて、ふとリアは焦げ臭いにおいに気づき、周囲の様子にも違和感を感じた。

 ターシャの屋敷の外、鉄柵の向こうの景色が違う気がする。

「ふう。きのうのよる、なにかあったの?」

「ちょっとね」

「なあに?」

「地震と火事よ。魔術のだけれど」


 フウに連れられて屋敷の外に出て、リアは「なくなっちゃってる」とポカンと口を開けた。

 ターシャの屋敷の両隣と裏に建っていたはずの建物がない。無残に潰れて黒コゲの残骸となっている。

「伯爵様がここに越されてからお隣には誰も住んでいなかったそうだし、裏のお宅に住んでた人たちはカイトやラダイさんたちが助け出したけど、いくら水をかけても火が消えなかったんだって。

 火事の前に地震があったけど、揺れたのはこの辺りだけ」

「どうしてたーしゃさまのおやしきはもえてないの?」

 フウが苦笑する。

「予めお屋敷を守る術をかけてたみたい」

 リアが改めて残骸を見回す。怖くなっちゃたかな、とフウは思ったが、リアは「すっきりしたね。ちょっとこげくさいけど」と笑った。


 事情聴取に現れたのはクスルクスル王国の外交を担当する部門の担当者で、明らかに腰が引けており、形式的な質問をひとつふたつしただけでそそくさと帰って行った。

 元々が閑静な住宅街でもあるし、闇の神の信徒であるターシャが人々から恐れられているからか、それともターシャの屋敷だけが焼け残っているのを不気味に感じたか、野次馬も少なかった。

 その少ない野次馬の中に、一人の女がいた。

 漆喰でも塗ったかのように異様に肌が白く、薄い唇はまるで生まれた時から一度も開いたことがないかのように固く結ばれている。

 女は、野次馬の後ろからターシャの屋敷の周囲をぐるりと見て回るとすぐにその場を離れた。

 計ったように同じ歩幅で2時間ほど歩いて、女は港に近い、妙に暗く沈んだ一軒の平屋の扉をノックした。

 開かれた扉の陰から現れたのは、ノックした女によく似た女である。

 一言も言葉を交わすことなくただ視線だけを交わして女が扉を潜り、迎え入れた女が周囲を見回してから扉を閉じた。

 ぎしぎしと鳴る廊下を進んで女が入った部屋には、一人の老婆がいた。

 安楽椅子に座り、編み物をしている。

「どうだったかね」

 顔を上げることなく老婆が問う。

「ロード伯爵の屋敷は無傷で残っていました。周囲の屋敷はすべて燃えて潰れています」

 女が感情のない声で報告する。

「そうかい」

 それだけを老婆は応え、女は老婆が言葉を続けるかどうか3秒ほど待ってから、踵を返して部屋を出て行った。

「失敗したの?お婆さん」

 老婆の手が止まる。部屋の隅をちらりと見る。女がいる。若い女だ。影に隠れて女の表情はよく見えない。ただ、女の口元には、穏やかで温かな笑みがあった。

「いつ来られたの?気がつかなかったわ」

 老婆が編み物を再開する。

「さっきよ、お婆さん。お断りしましたわよ」

「本当かしら」

 女が微笑んで小首を傾げる。

「まあいいでしょう。貴女は雇い主だしね。

 失敗ではないわよ、お嬢さん。種まきついでの小手調べといったところかしら。悪くはない結果だったわ」

「だったら良かった」

「ところで、死の聖女様は間違いなくお留守になるの?彼女がいるとわたしの術は何の意味もなくなってしまいますからね」

「死の聖女様はロード伯爵様の護衛ですから。伯爵様がお出かけになれば、必ず一緒にお出かけになられる筈ですわ」

「それはいつになるの?」

「さあ」

 別にいつでも、とでも言いたげに女が肩を竦める。老婆は一瞬きょとんとして、楽しげに笑った。

「いいわ。準備は終わっているし、気長に待ちましょう。ただし、待っている間のお手当も忘れないでね」



「キャナの公使から召喚状が届いてね。どうしても行かざるを得ない」

 ターシャがクロたちにそう告げたのは、まだ両隣の屋敷が燃えた焦げ臭さの残る翌日のことである。

「召喚状ってよ、出向いたら捕まって、そのまま帰って来れなくなるんじゃねぇの?」

「私を逮捕する命令は出ていないからね。公使殿が私に何か尋ねたいことがあるだけだろう。ヌーヌーもいるし、問題はないよ。

 むしろ心配なのは、ヌーヌーが不在になることだ。

 ヌーヌーの不在を狙って敵が襲ってくるかも知れない。くれぐれも気をつけてくれたまえ」

「何をどう気をつけたらいいのか、オレには判らねぇけどな」

「リアに1ミリでもケガさせたら許さないからね!」

 公使が寄越した迎えの馬車から身体を乗り出してヌーヌーが叫ぶ。「はいはい」と適当に応えてクロは屋敷に戻った。

 昼遅くに出掛けた二人は夕方になっても戻らず、「夕食までに戻らなければ、先に夕食を済ませておいて欲しいと、ご主人様の伝言です」と、カガスが告げた。

「だったらそうさせてもらうとするか」と食堂に座り、ターシャ抜きの夕食を始めようとした時である。

 クロはくんっと鼻を動かした。

「なんだか、焦げ臭いにおいが強くなってねぇか?」

 ラダイも鼻を動かす。彼には判らない。

 カイトが椅子から立ち上がる。弓を手にしている。

「強くなってる」

 カイトの言葉に、ラダイと仲間がすばやく戸口へと身を寄せ、外を窺う。フウはリアを椅子から立たせてから、自分も弓を手にした。

「怖い?リアちゃん」

「ううん」

「あたしから離れないでね」

 リアがこくりと頷いてフウの服をぎゅっと握る。

「このためだったのかよ」

 クロが呟く。

 ターシャの屋敷の周囲からまだ焦げ臭いにおいが漂ってきている。その臭いに紛れて、次第に強くなる別の臭いがどこから来るのか判らない。

「何だ、テメェ!」

 厨房でバンドの怒声が響き、クロが視線を回す。

 ラダイが仲間に合図する。ラダイを含めて護衛は3人。ラダイは食堂に残り、彼の仲間のルースとタオが厨房へ走った。

 何かが倒れるような激しい音が厨房から響くと同時に、厨房とは反対側にある入り口でダンッと大きな音が響き、ラダイとクロは視線を戻した。

 グラグラと身体を揺らして、男がひとり、戸口に立っていた。顔色は真っ青で、視線が定まっていない。

 男の頭部を矢が射抜いている。

 男が姿を現すや否やカイトの放った矢である。

 矢に頭を射抜かれたまま、ダンッと、男はさらに一歩、食堂に踏み込んだ。腐った肉と土の臭いが塊となって食堂に押し寄せて来た。

 フウがリアを後ろに庇う。

「おいおい」

 クロが顔をしかめ、鼻に皴を寄せる。

「よりによって死人の術かよ」

 ぐらぐらと揺れる頭に合わせて死人の視線はあちらこちらへと彷徨っている。カイトたちを認識しているようには思えない。

 ダンッと一歩を踏み出すにもかなり時間がかかっている。

「どうすればいいの?」

 カイトが訊く。

「ゾマ市でやった”古都”の製品と同じだ。頭を潰せばいいんだ。基本はな」とクロ。

「頭を潰したつもりでも十分じゃなくて、倒したと思った死人に襲われることもある。首を落とすのが確実だよ、姫」

「判った」とカイトは頷いた。ゾマ市でオセロも同じことを言っていた筈だ。

 厨房からも争っているらしい大きな音が響いてくる。

「姫」

「何?」

「ちょっとアレの両膝を射抜いてくれないか?」

「うん」

 と頷いた時には、カイトの放った矢が死人の両膝を射抜いていた。

 ガクリッと死人が膝をつく。そのまま前のめりに身体が傾ぐ。

 すかさずラダイが死人の脇に走り寄り、死人の首を切り落とした。首を失くした身体は倒れるに任せ、切り落とした首を蹴り飛ばす。

「素晴らしい連係だねえ」

 クロは後ろで暢気に構えている。

「クロ。あんたの担当は、そっちだ」

 ラダイが指し示したのは食堂からリビングに続くもうひとつの入り口である。

「厨房は大丈夫か?」

 左右両方の剣を抜きながらクロが訊く。

「バンドさんがいるし、メルちゃんもいる」

 ラダイが答える。

「闇の神の信徒の屋敷に勤めようっていう料理人と使用人だ。心配するだけムダだよ」


 ラダイの言う通り、ルースとタオが厨房に駆け込むと、裏口から踏み込んで来た死人の身体にはすでに果物ナイフが突き刺さっていた。

 メルが投げたのである。

 すぐにルースとタオの放った矢が続き、死人はガシャガシャと皿や食材を巻き込んで倒れた。

「食いモンを粗末にするんじゃねえ!」

 バンドが大声で怒鳴って死人に歩み寄り、手にした出刃包丁を死人の首に振り下ろす。転がってきた死人の首を、臆することなくメルが裏口へと蹴り飛ばした。

「もう!なんて臭いよ!」

「せっかくリア様に召し上がっていただこうと思って用意しておいたデザートが滅茶苦茶だわ」

「……伯爵様のお屋敷を襲うとは。いい度胸していますね」

「そんなことないわよ、キノ姉さん。だってヌーヌー様がいない時を狙ってきたんだもん」

「そうね。根性が悪いって言った方がいいかもね」

 まるで世間話でもするかのような軽い口調でマリがメルに同意する。うんうんと頷くキノにも緊張感はまったくない。

「ちきしょう。こう臭くなっちゃあ、しばらくここは使えねえぞ!」

「次が来るよ」

 ルースが矢を構える。

 裏口から現れたのはぐらぐらと頭を揺らした女の死人である。女の後ろにも別の死人が続いている。

 厨房に踏み込んできた死人の頭に、バンドの投げた出刃包丁が命中し、女の額を割った。

「これ以上、入ってくるんじゃねぇっ!」

「いい考えだね。それ」

 ルースが死人の上半身に立て続けに矢を放ち、頭を割られた死人が矢の勢いに押されて後ろへと下がる。すぐにタオが裏口の扉を叩きつけるように閉じ、「それっ!」と叫んでマリとキノ、メルの三人で、扉に向かって食器棚を押し倒した。


 カイトの矢で膝を射られて前のめりになった死人の頭をクロが切り落とす。

 倒れる死人を避けて後ろに下がりながら、クロは『気に入らねえ』と胸のうちで吐き捨てた。

 違和感がある。

 食堂に踏み込んできた死人は三体。ラダイが二体、クロが一体片付けている。

『単調すぎる』

 死人の動きが鈍い。鈍すぎる。

 それに、腐った肉と土の臭いに紛れて、死人の術とは別に、精霊の気配がある。

 しかし、どこに精霊がいるか、まったく判らない。相変わらず辺りに漂っている焦げ臭さも手伝って、クロの嗅覚が狂わされている。

「変だ」

 ラダイが呟いたのも、やはり違和感を感じてのことだろう。

「死人の動きがこんなに鈍いのは、術者が死人の操作にたいして手間をかけていないからだ。

 それなのに、数が少なすぎる。

 もっと多くの死人で押し寄せられる筈だ」

「死体を十分、準備できなかったからじゃねぇか?」

 クロは精霊の気配を追っている。

 どこだ?

 どこに隠れている?

「ヌーヌーちゃんが不在になったところを急いで狙ったからというのはあり得るが、だったらこんな……」

 焦げ臭い?

 なぜ?

 そうだ。

 なぜ、焦げ臭い?

 クロの視線が倒れた死人に吸い寄せられる。

 死人が動いている。微かに。頭を切り落としたのに。胴体部分が。僅かに。そうと気にしなければ判らないほど僅かに、膨らんでいる。

 そこから、焦げ臭い、いや、何かが融けるような臭いが--。

「伏せろ!」

 クロは叫んだ。厨房にも声が届くように。

「死人が爆発するぞ!」


 ラダイとクロが食堂のテーブルを引き倒して盾にする。フウがリアを抱えてテーブルの陰に飛び込み、カイトと二人でリアを前後から抱えた。

 死人が破裂した音は、むしろ音よりも衝撃として感じた。

 天井や壁に何かが突き刺さる音がガンガンッと響く。死人の身体に仕込まれていた鋭く削られた金属片である。

 天井や壁から青白い炎が上がる。細かな肉片となって飛び散り、天井や壁に張り付いた死人の身体が燃えているのだ。

「外からは燃やせなかった、だから今度は中からってことかよっ!」

「クロ」

 カイトが短くクロに問う。

「仕方ねぇ」

 カイトの問いの意味をすぐにクロは察した。ここから逃げよう。それが襲撃者の狙いだとしても。

 クロも判っている。

 他に手はない。

 まずクロがテーブルの陰から飛び出し、すぐ後からカイトもリビングに続く入り口まで一気に駆けて、二人で外を窺い、カイトがフウに頷いた。フウはリアに「しばらくガマンしてね」と言ってから彼女を抱き上げ、テーブルの陰から飛び出した。

「魔術の火だ!逃げろ!」

 ラダイが厨房に向かって叫ぶ。厨房から聞こえていた「火を消せぇ!」という声が「ちくしょう!」という罵声に変わって、バンドたちが食堂へ駆け込んで来るのを確かめ、ラダイは先に逃げたカイトたちを追った。

 リビングに入ったところでラダイはたたらを踏んだ。十数体もの死人が彼らの前に立ち塞がっていた。

 カイトたちの姿はない。死人の向こう、リビングから庭へ続く背丈ほどもある窓が開いている。多分、そちらへ逃れたのだろう。

「カイトッ!」

 姿の見えないクロの叫び声が、庭から響いて来た。

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