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17-13(海神の立つ街13(五日目の出来事3))

「こっちにいるなんて珍しいな。伯爵様」

 クロがペルの離宮から戻ると、ターシャはリビングで一人、古びた書物を広げていた。

「ここにいる方が屋敷の中の様子が良く判るからね」

「なぁ、伯爵様」

「なんだい、見聞官殿」

「あんたは怠け者で、精一杯サボっているのを、あんたの主に認めていただいているんだろう?」

「そうだね」

「その割にちょっと働き過ぎじゃね?」

「私がサボるためには誰かに働いてもらわないといけないからね。そのために少しばかり努力をしているだけだよ、私は」

 クロが鼻で笑う。

「ホントかね」

 ターシャが書物を閉じる。

「それで、ペル様は何とおっしゃっていたかね」

「承知いたしました、だとよ」

「そうか。お辛い思いをさせてしまうな」

「何を始めたんだよ。伯爵様」

「たいしたことではないよ。ただ、宰相殿にこちらの邪魔をして欲しくないからね。少し宰相殿に忙しくなって頂こうというだけだよ」

「ペル様に断っておくようなことなのか?それ」

「英邁王様にキャナの姫をひとり、世話しようという話だからね」

 クロが黙る。しばらくターシャの言葉の意味を吟味して、首を振った。

「……無理じゃね。それ」

「なぜだね」

「なぜって、もういるだろう?英邁王には。ロタ一族の嫁さんがよ」

「だからといってキャナの姫を貰えない訳じゃないよ」

「いやいや。伯爵様、キャナの姫を側室にしようって言うのか?あり得ねぇよ。キャナの王家だろ。

 応じるハズねぇよ」

「英邁王様とロタの姫は別れていただく」

「はぁ?!」

 クロはまじまじとターシャの顔を見返した。

「ペル様にご了承をいただいたのは、このことだよ」

「……ペル様がどうのって話じゃねぇんじゃね?それ」

「宰相殿の権力の源は英邁王様だ。そこにくさびを打ち込む、それだけのことだよ」

「簡単に言うなぁ」

「英邁王様と妃の間には、まだ子がいない。ロタの姫の歳を考えれば、これから子ができる可能性は低い。

 これが大義名分となる。

 キャナの姫は一ツ神の信徒を嫌っている方が多い。宰相殿が一ツ神の信徒と知らなくても、キャナとクスルクスル王国の争いを良く思っていない方に来ていただけるとなれば、宰相殿は全力で止めざるを得ないだろう。

 何より英邁王様は、キャナの血に対する憧れが強い」

「キャナの血?」

「祖母であるアリア姫様だよ。英邁王様はアリア姫様を敬慕している。この話を持ち出せば、英邁王様の心は必ず揺らぐよ」

「だからってよ、--」

 と言いかけて、クロは首を振った。

「まあ、いいや。宮廷のごちゃごちゃしたことなら伯爵様の専門だからな。オレには関係ねぇか」

「ちなみに、うちに毒が盛られたことも宰相殿の耳に届くように図っておいたよ」

「どうして?」

「こちらがバタバタしていて何か企む余裕はないと宰相殿に思って貰うためにね。せっかく毒を盛られたんだ。利用しない手はないだろう?」

 クロはため息を落とした。

「なんだか他にもいろいろやってそうだなぁ」

「宰相殿が忙しくなるような手は、他にもいくつかね」

「楽しそうだな、伯爵様」

「いい刺激にはなっているよ」

 クロは笑った。

「カイトと似てるな、あんた。もしこれで誰か死んでたら、きっとあんたも犯人を絶対に許さないんだろうな」

「どういうことだね?」

 ペルの離宮に行く途中でカイトが話した内容を伝えると、ターシャも笑った。

「カイト殿の恨みは絶対に買いたくないね。地の果てまで追われそうだ」

「まったくだ」

「ところで見聞官殿。そのカイト殿に伝えて貰いたいんだけどね」

「なんだい、伯爵様」

「今夜、私の古い友人が訪ねてくる予定になっている。ただし、あまり表立ってうちを訪ねてくることはできない方なので、何らかの方法で忍んで来られることになる。

 具体的な方法は判らないがね。

 間違って射殺したりしないよう、カイト殿に伝えて貰えると助かる」

「男?女?どっちだ?」

「女性だよ。妙齢の、ね」

 と、妙な響きを声に含ませてターシャは答えた。



 ターシャがクロに告げた来客は、夕食も終わり、陽が沈んでかなり経ってから屋敷を訪れた。ターシャの書斎の扉がノックされ、「伯爵様。お客様がいらっしゃいました」とマリが告げた。

 現れたのはターシャとさほど歳の変わらない女である。

 髪が短い。

 翠色の瞳は厳しくターシャを見詰め、口はへの字に曲がっている。

「よく来てくれたね。リリィ」

「まさかこの歳になって塀を乗り越えるハメになるとは思わなかったわ。ターシャ」

 抱擁を交わしながらリリィと呼ばれた女が文句を言う。

 諜報部員たちが詰めている向かいの屋敷と同じ理由で、ターシャの屋敷の両隣もずっと空き家になっている。

 その空き家のどちらかの塀を乗り越えてきたということだろう。

 ターシャは笑った。

「梯子を用意しておくべきだったね」

「それで私に何の用かしら。こう見えても忙しいのよ、私」

「友だちのよしみで、君に頼みたいことがあってね」

「あら。友だちだったことなんかあったかしら。私たち」

「だったら口止め料代わりにお願いするよ」

「何の口止め料?」

「君がクスルクスル王国に構築したキャナの諜報組織の全貌を私が知っている。そのことを誰にも話さない代わりに、だよ」

 リリィがため息を落とす。

「港でうちの者に話しかけた時からそうじゃないかとは疑っていたけれど、いつの間に調べたの?」

「暇だったからね」

「本当に嫌な人ね。それで、頼みたいことってなに?」

「調べて貰いたいことがあるんだ。

 クスルクスル王国の諜報組織を使うことも考えたが、諜報組織としては君の構築した組織の方が優秀だからね」

「あなたに褒めて貰えるなんて光栄だわ」

「今日の昼食に毒を仕込まれてね」

「あら」

 リリィが楽しそうに笑う。

「そのまま死んでしまえば良かったのに」

「今はそういう冗談は言わない方がいいよ、リリィ。ヌーヌーが神経質になっているからね。

 西の公女様の神使に引き裂かれた君を、私は見たくはないよ」

「それで?」

「まずは教えて欲しい。ペル様の暗殺未遂事件とアニム殿の殺害。君はどこの”寄宿舎”がやったと考えている?」

「”チケ寄宿舎”よ」

「確か、しばらく前に代替わりしたよね、そこは」

「ええ」

「私の読み通りなら女がいるはずだ。”チケ寄宿舎”に。その女のことを調べて欲しい」

「何という女なの」

「ティアという名の、17になる娘だよ」


「ねぇ、ターシャ。貴方、何を企んでいるの?」

「企むって何をだね」

「貴方のところに滞在している見聞官さん。今日、出掛けた時に私たちの尾行をまいたでしょう」

「おや。そうかね」

 リリィがわざとらしくため息をつく。

「私の質問には答える気がないのね」

「見聞官殿は客人だよ。彼らが何をしているか私には判らないな。

 だが、たいしたことではない、と思うね」

「本当に?」

「君が気に病むようなことではない。私はそう思うよ」

 リリィがターシャに近づき、彼の琥珀色の瞳を下から覗き込む。

「相変わらずきれいな瞳ね」

「君もね」

「いつもウソばかりついている人の瞳とは思えないわ」

「私は嘘をついたことはないよ。

 --君にはね」

 リリィが笑い、身体を離す。

「いいわ。信じてあげましょう。今回も、ね」

「ありがとう、リリィ。

 ところで、久しぶりに君のお茶会にも行きたいのだがね。どうかな」

「そうね。キャナ王国の公使として、たまには貴方を召喚して、生活態度を質しておいた方がいいかも知れないわね」

 リリィが梯子を使って塀を乗り越えるのを見送った後、ターシャはリビングに向かった。屋敷の明かりはほとんど落ちているが、リビングにだけ明かりが残っている。

 リビングの戸口にメルがいた。

 ターシャに気づくと、メルは頭を下げてその場を離れた。

「ヌーヌー」

 と、薄暗がりの中、リビングから外を窺っていたヌーヌーに、ターシャは声をかけた。

「まだ休まないのかね」

「リアはもう、カイトとフウと一緒に休んでいます」

「君がだよ。ヌーヌー」

 黙り込んだヌーヌーの前に、ターシャは膝をついた。ターシャを見返したヌーヌーの青い瞳にはまだ悔しさと怒りが大きく波打ち、激しい大波の底、光も届かない青い海の底で隠し切れない不安が震えていた。

「毒を仕込まれたことに君が責任を感じるのは悪いことじゃない。だけどもう終わったことだよ。

 いつまでも気にするのは良くない」

「また来るかも知れません」

「足音は覚えた。そうなんだろう?」

「わたしは公女様の使徒です。しばらく眠らなくても平気です」

「それでもまったく眠らなくても平気な訳じゃない。いざという時のために眠れる時には眠るべきだよ」

「ターシャ様はお休みください」

 ターシャは大きなため息を落とした。

「そうか。だったら仕方ない」

 立ち上がり、左足を引き摺って、ソファーに座る。

「ヌーヌーが眠る気になるまで私もここにいるとしよう」

「え」

「私も少し働きすぎなんだがね。働きすぎて、我が主に叱られそうだ。お前はもっとしっかりサボれ、ってね」

「……」

「もし私が我が主に破門されたら、ヌーヌーともお別れだね」

「判りましたから!」

 囁き声で、ヌーヌーが鋭く叫ぶ。相手がターシャだから抑えてはいる。が、恨みがましくターシャを下から睨んでいる。

 ターシャは笑った。

「嬉しいよ。納得してくれて」

 ターシャは立ち上がり、ヌーヌーを見て、左手で何かを掬い上げるような動作を繰り返した。

「……何をなさっているんですか?ターシャ様」

「いや。リア様はまだ片手で抱き上げられたんだよ。ヌーヌーはしばらく抱き上げたことがないからね。

 できないかと思ったんだが」

「……リアはまだ、5つです」

「ヌーヌーだってまだ12だろう?」

「もう12です」

 ふむ。と、ターシャが考える。

「この足でヌーヌーを抱き上げるのは、確かに無理か」

「はい」

「だったら手を繋いで、私を支えてくれるかね」

「え?」

「働きすぎたせいかな。少し足が痛むんだよ。それに、また襲われるかも知れない。その時には助けて貰わないといけないからね。たまには昔のように私のベッドで眠ってくれないかな。

 もちろん、ヌーヌーはもう大人だから無理にとは言わないが」

「ターシャ様」

「なんだね」

「わたしはまだ子供です」

「ふむ?」

 ヌーヌーがターシャに歩み寄り、ためらいがちにターシャの手を取る。青い瞳でしっかりとターシャを見上げる。

「まだ子供なのを、いまは嬉しく思います」

 ヌーヌーを見下ろし、

「私もヌーヌーがまだ子供なのを、嬉しく思うよ」

 と、ターシャは微笑んだ。



 誰かに素手で胸を触られるのを感じて、フウは目を覚ました。隣で眠るリアが彼女の胸に手を伸ばしている。

「かあさま……」

 眠ったままリアが呟く。

 フウは、昼間のリアの姿を思い出した。マリに抱き締められたヌーヌーを凝視していたリアの姿を。

 父と母についてリアは何も話さない。

 自分の素性を問われると、黙って微笑む。

 伯爵様がリア様と呼ぶこの子。この子はいったい、何者なんだろう。

『見聞官殿たちの乗る船と行き会ったのは、狂泉様と海神様のご加護だろうな』

 海都クスルに向かう海賊船の船上で、ターシャがリアについてそう語ったと、フウはクロから聞いている。

 ターシャはリアの正体について推測がついているという。

 しかし、フウにはさっぱり判らない。

 リアはたった独りで何かをしようとしている。それだけは判る。それが何かは判らないが、とてもまだ5つとは思えない強い意志がリアにはある。

『だけど』

 何者であろうと。

「ちゃんと守りたいね」

 いつから起きていたのか、リアの向こうに横になったカイトが言う。

「うん」

 と頷いて、フウはそっとリアに手を添わせ、静かな眠りの中に沈んでいった。

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