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17-12(海神の立つ街12(五日目の出来事2))

「とりあえず見聞官殿は、カイト殿とフウ殿と一緒にペル様のお屋敷に行かれた方がいいだろう」

「オレがカイトとフウを護衛するんじゃなくて、オレがカイトに護衛してもらうためだよな?」

 ターシャが首を振る。

「見聞官殿に知られては困ることを、私がしなくてはならないからだよ」

 クロは鼻で笑った。

「知りたくねぇよ。伯爵様のヒミツなんかよ」

「今日のことは見聞官殿からペル様に報告しておいてくれたまえ。それと、始めさせていただいたと、ペル様に伝えていただきたい」

「始めた?何を?」

「伝えていただければ、ペル様には通じるよ」

 フウがリアの前にしゃがみ込む。

「リアちゃん。今日はペル様に事情をお話しして、急いで帰ってきます。それまで待っててね」

 リアは「はい」と素直に頷いた。

 怖がってはいないかも知れない。けれど、不安には思っている。

「行ってきます」

 カイトやフウの姿が見えなくなる。

「大丈夫」

 リアの手を握り、ヌーヌーが言う。

「わたしがいるから」

「はい」

 ヌーヌーの手を強く握り返して、リアは頷いた。


 カイトたちを送り出したターシャは、まず、バンドを書斎に呼んだ。次にマリを、続いてキノを呼び、最後にメルを呼んだ。

「覚えているかい、メル」

 ターシャはメルにまずそう話し始めた。

「何をですか、伯爵様」

「君がうちに来てくれた時、ヌーヌーはまだ、ほとんど何も話さなかったことをだよ」

「……はい」

「君のおかげだよ。あの子が笑うようになったのは」

「怒ってばかりでした。ヌーヌー様は」

 ターシャが笑う。

「そうだね。笑うようになったじゃなくて、怒るようになった、だね」

「……」

「毒を入れられたことに君が責任を感じているのは判っているよ」

 メルの顔が歪み、ぽろぽろと涙が零れた。身体の両側に落とした手は、爪が手の平に食い込むほど固く握られている。

「あたし、あたし……、人を殺すことしかできないのに。それしかできないのに。……だから、何があっても……マリ姉さんやキノ姉さんを守るって決めてたのに。伯爵様やヌーヌー様を守るって……」

「君がそう思ってくれていることには感謝しているよ。メル」

 メルが首を振る。

「メル、ひとつ私と約束してくれないだろうか」

「……約束?」

「毒を入れた犯人を、一人で探しに行ったりしない、という約束だよ」

「……」

「それは私の仕事だ」

「でも」

「君に何かあると一番悲しむのはヌーヌーだ。私はヌーヌーを悲しませたくないんだよ」

「でも」

「私に時間を貰えないだろうか」

「え?」

 ターシャの口元には笑みがある。しかし、琥珀色の瞳には冷たく静かな怒りがある。あるように、メルに見せている。

「毒を入れた人物の見当はもう、ついているからね」


「え」

 と、メルが声を上げる。

「誰なんですか?」

 ターシャは笑った。

「駄目だよ、メル。それを言うと、君はすぐにここを飛び出してしまうだろう?いずれ君にもやってもらいたいことがあるから、それまで待ってもらえないかな。

 それともうひとつ、断っておくことがある」

「はい」

 身体中から溢れ出しそうな殺気を抑えてメルが返事をする。

「この後、ヌーヌーには、少し辛いことを話さないといけない。しかしそれは、ヌーヌーのためにも必要なことだ。

 だから、黙って聞いていて欲しい」

「え」

 メルが動揺する。視線が泳ぐ。

「……ヌーヌー様を、お叱りになるんですか?」

「そんなことはしないよ」

 ターシャはメルに微笑んで見せた。

「だけどあの子には、叱られるよりも辛いことを話さないといけないんだ。だからメル。君には、あの子の傍にいて欲しいんだよ」


 メルを下がらせた後、ターシャはヌーヌーを呼んだ。ただしヌーヌーは書斎ではなく、リビングに呼んだ。

 リビングの扉も窓も、閉じなかった。

 ターシャはソファーに座り、「ここに座ってくれるかね、ヌーヌー」と自分の隣を示した。

「しばらくの間、護衛を雇おうと思っている」

 腰を下ろしたヌーヌーに、前置きもなくターシャは告げた。

「護衛なら、わたしがいます!」

 ヌーヌーが叫ぶ。

 大きく目を見開いたヌーヌーの唇が震えている。

 ターシャはそのヌーヌーを安心させるように笑顔を向けた。

「もちろんヌーヌー以上の護衛はいない。だけどね、今はうちにリア様がいる。私たちが、いや、私ではなく、ヌーヌーが不在の時に、うちが襲われないとも限らない。

 カイト殿とフウ殿も出かけることがあるだろう。

 見聞官殿もだ。

 だとしたらどうしても手が足らない。

 それにね、護衛を雇うのは守るためだけじゃない。

 攻めるためだ」

「攻める……?」

「毒を仕込まれた。闇の神の信徒たる、この私が。もし、これで黙っていたら、我が主が私を許しては下さらないだろう?」

 ヌーヌーが顔を伏せる。

「リアのため、なんですね」

「そうだよ」

「……判りました。ターシャ様が、そうおっしゃるのなら」

「ありがとう、ヌーヌー。ではさっそくで悪いが、これを届けて貰えないだろうか」

 ターシャが一通の手紙を取り出す。

「どこへでしょう」

「我々をずっと見張っている、彼らのところへだよ」



「念のために言っとくけどよ」

 クロは歩きながら隣のカイトに話しかけた。

「なに?」

「お前一人で犯人を捜しに行ったりするなよ。襲って来たヤツラの正体が判らねぇうちは下手に動かない方がいいからな」

「うん」

「ん?」

 意外そうにクロがカイトを見返す。

「素直だな」

「森でも同じだもの」

「森?」

「うん」

 カイトが頷く。

「正体の判らない何かに出会ったら、基本、そこから動かない。まず、正体を探る。もし逃げられるなら、逃げる。

 仲間がいるなら、決して勝手なことはしない」

「なるほどな」

「それにね」

「なんだ?」

 カイトが黙る。少しためらう。

「わたし、あまりムカついてないの」

「へぇ」

「自分でも不思議なんだけど、なぜかな、驚きの方が大きいの」

「驚き?」

「さっき、ヌーヌーにやって見せたでしょう?毒を入れた人がどんな風に歩いていたか。ああ、なるほどって、感心したわ」

「毒を入れられたのにか?」

「うん」

「何を感心したの?カイト」

 フウが訊く。

「もし、森であんな風に歩いていたらすぐに判るわ。煩くて。でも、街ではあれが正解なんだって、びっくりした。

 だって気がつかなかったもの。すぐ近くまで忍んで来ていたのに。ううん、忍んでなかった。だから気がつかなかったんだけど。

 もし、街中で、毒を入れたのと同じ人に後ろから襲われていたら、多分わたし、殺されていたと思うわ」

「今は、判るけど、か?」

「うん」

「もし、誰かが死んでたら?」

 ふと気になってフウは訊いてみた。

「さっき?」

「うん。カイトはどうしたの?」

「足音は覚えた。だから探すわ。--報いを受けさせる」

「お前なあ。海都クスルの人口、知ってるだろ。50万だぜ。その中から探すって言うのかよ」

「関係ないわ」

 クロは笑った。

「さすがは狂泉様の信徒ってとこかねぇ。オレにはとてもマネできねぇよ。ところで、後ろのヤツ、伯爵様に言われた通りそろそろまくか?」



 ターシャの向かいの屋敷は、闇の神の信徒が引っ越して来ると噂が流れただけで早々に空き家になった。

 クスルクスル王国はそこに、ターシャを警護するという名目で人員を配置している。配置された人員の多くは諜報部員だ。ターシャの屋敷は常にクスルクスル王国当局に監視されているのである。

 しかし、ターシャがクスルクスル王国に亡命してすでに8年。監視はただの通常任務となり緊張感はさほどない。

 道路を挟んでターシャの屋敷がすっかり見下ろせる3階の小部屋。

 そこが監視用の部屋となっており、二人の諜報部員がいつものようにターシャの屋敷を監視していた。

「ねえ」

 不意に後ろから声をかけられ、二人の諜報部員は弾かれたように振り返った。

 ぎょっと目を剥く。

 ずっと見張っているのだ。声をかけた相手のことは知っている。遠くからだと「ただのガキ」と軽口を叩くこともできた。

 しかし、実際に相対するとなると話は別だった。

 顔を青ざめさせ、息をすることさえ忘れて二人の諜報部員は硬直した。

 小部屋の戸口に立っていたのは死の公女の使徒。

 死の聖女、ヌーヌーだった。

「ターシャ様がお呼びよ。すぐに来て」

 ヌーヌーが告げた相手は二人の諜報部員のうち、背が高い方である。

「え?」

「聞こえたでしょう?わたし、今、気が立ってるの。だから何をするか、わたしにも判らないの。同じことを言わせない方がいいわよ」

 ごくりと諜報部員が喉を鳴らす。

「早くして!」

「は、はいっ!」

 諜報部員が立ち上がり、ばたばたと部屋から出て行く。ヌーヌーは残った方の諜報部員に顔を向け、

「これ」

 とターシャから預かった手紙を差し出した。

「あんたの上司に渡して。あんたの、ホントの飼い主の方に」

「え?」

 ヌーヌーはポカンとする諜報部員に歩み寄り、改めて手紙を差し出した。諜報部員が震える手で手紙を受け取る。

「あんたのホントの飼い主によ。いいわね?」

 まだポカンとしている諜報部員を残し、ヌーヌーは踵を返した。

 ターシャの屋敷に戻ると、さっき送り出した筈の諜報部員がまだ門の前でうろうろしていた。

「何してんのよ!」

「……本当に、伯爵様がワタクシをお呼びなんでしょうか……?」

 怒鳴りつけたヌーヌーに、諜報部員は泣きそうな顔で訊き返してきた。イラッとしてヌーヌーは男の手を取るとずんずん引っ張っていった。

 リビングにターシャがいるとマリに聞いて行ってみると、ソファーに座ったターシャの膝に頭を預けてリアが眠っている。

 ターシャが唇に指を当て、身振りでヌーヌーに代わるように合図をする。ヌーヌーは黙って頷き、リアの頭をクッションに載せ替えて、隣に座った。

「良く来てくれたね」

 書斎に場所を移して、ターシャは諜報部員の男に話しかけた。

「い、いえっ!」

 直立した男の顔は青ざめたままである。

「悪いが少し、君に頼みたいことがあってね」

「はいっ!な、なんでしょうか!」

「実は新しく護衛を雇いたいと考えていてね。事情を記した手紙を書いたから、これを仲介人に渡して貰いたいんだ。

 ちょっと事情があって、うちの者を外には出したくなくてね。君の仕事ではないが、頼まれて貰えないだろうか」

「ワタクシで良ければ、喜んで!」

 早くここから逃げ出したい一心で男が返事をする。

「では頼むよ。仲介人の住所は、こちらに記しておいた」

 ターシャが机の上に置いた手紙と紙片を、ぎくしゃくと歩み寄った男が押し頂くように手にし、そのまま後ろへと下がる。

「それと、もし知っていれば教えて貰いたいんだが、いいかな」

「なんでしょうか!」

「ペル様を襲った犯人だが、どこまで調べが進んでいるかね?」

 任務に関係ないと上司が判断した情報は男のような下っ端には伝わってこない。男が知っているのは、仲間うちの噂話程度の情報だけだった。

「残念ながら何も進展はないと聞いています!」

「”寄宿舎”が絡んでいる。と、噂で聞いたが?」

 ごくりっと男の喉が動く。今朝、仲間から耳打ちされたばかりの話だ。まだ表沙汰にはなっていないが、ペル様の襲撃には”寄宿舎”が絡んでいるらしい、と。

「どこの”寄宿舎”か判っていない、ということかな」

「は、はいっ!」

「アニム殿の件はどうかね?」

 アニム。王太后暗殺未遂事件の翌日、路地裏で喉を掻き切られて殺された高官だ。こちらは事件発覚当時から”寄宿舎”の仕業だと噂されている。

「ワ、ワタクシは何も知らされておりません!」

 男は正直に叫んだ。

 ターシャが何故こんな質問をするのか理解できず、足が震えた。何をターシャが知っているのか判らない。そのことが恐ろしかった。

「そうか」

 ターシャが机の上に置いた鈴を鳴らす。書斎の扉が開き、マリが姿を現す。

「手間を取らせたね。ありがとう。マリさん、こちらの方を送って差し上げてくれ」

「はい」

「ああ。もうひとつ」

 男が書斎を出ようとしたところで、ターシャが声をかける。

「今日、この屋敷に見たことのない女性がひとり、入ってこなかったかね?まだ10代後半の若い娘だ。

 特徴としては、どこも怪しいところのないのが一番の特徴の女性だが」

「いいえ!見ておりません!」

 ターシャが頷く。

「呼び止めて悪かったね」

「いえ!失礼します!」

 マリに連れられて玄関に向かう途中、男は、屋敷のどこかで誰かが叫ぶ声を聞いた。厨房だろうか、そちらから声がする。

「くそっ。くそっ。オレがここに居ながら、なんてことだ!」

 ターシャの屋敷の使用人については、当然、調べはついている。叫んでいるのはバンドという名の元傭兵の料理人だ。

 ターシャの前から解放されて安心したのだろう、職業的な興味が男の心に湧いた。

「あの、何かあったんですか?」

 前を歩くマリに訊く。

「いえ。何もありませんわ」

 マリの返事が硬い。何かあったな、と確信し、これは手柄のチャンスと男は判断した。闇の神の信徒たるターシャの屋敷に潜入し、情報を得て来たとなれば、上司の評価を上げるチャンスだと。

「お話しいただけませんか?大丈夫。わたくしは政府の者です。きっとお力になれますから」

「政府の方?」

 喜びに顔を輝かせてマリが振り返る。

「ああ、でしたらお話しした方がよろしいでしょうか。実は……」

 と、マリは、昼食のスープに毒が盛られたことを話した。犯人が誰なのか、目的も判らなくて不安です、と。

「流石はマリさんだね」

 どこか浮き立った足取りの男を送り出し、扉を閉じたマリに、ターシャが声をかけた。

「とても自然な演技だったよ」

「お褒めいただき、光栄ですわ。伯爵様」

「オレはどうでした?伯爵様」

 ターシャの後ろに立ったバンドが訊く。

「バンド殿は、そうだね。大袈裟ではあったけど、バンド殿らしくて悪くはなかったってところかな」

「……まだまだです。バンドさんは」

 ぼそぼそと呟いたのは3人のメイドのうちの一人、キノである。

「……次は、わたしにも何かやらせていただけますか?」

「そうだね。メルと二人でやって貰いたいことがある。その時には頼むよ、キノ」

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