17-10(海神の立つ街10(悪だくみの一味2))
ターシャの屋敷に戻ると、クロは、ソファーにぐったりと身体を預けた。
「疲れた……」
声が掠れている。
大聖堂の後も若い娘5人のリクエストに従ってあちらこちらと見て回って、時刻はすでに夕刻である。
トラブルもあった。
海都クスルで獣人は、珍しくはあっても見かけない存在ではない。
しかし、狂泉の森人となると別だ。
広場で大道芸を見ていた時のことである。「ねえねえ、あなた」と、数人の若い女たちがカイトに話しかけてきた。興奮を抑えられないでいる。女たちはそう見えた。
「もしかして、3日前にペル様をお助けしたのって、あなた?」
「それがなに?」
答えたカイトに、女たちの嬌声が応じた。「ああ、やっぱり!」「そうじゃないかと思っていたのよ!」
「な、なに」
カイトがたじろぐ。
女たちが満面の笑顔でカイトに迫ってくる。
「ねえねえ、どうやってペル様をお助けしたの?」「弓でよ!決まっているじゃない!」「すごーい!」「ねぇ、弓の腕前、見せてもらっていい?」「これにサインして貰えないかしら!」
ペルの肖像画を差し出す者までいた。
「ねぇ」
低い声を響かせたのはヌーヌーである。
「わたしたち、みんなで観光しているところなの。邪魔しないでくれる?」
女たちが振り返る。
何よ、このガキンチョ、とあからさまに不服そうな視線をヌーヌーに向ける。「なによ、アンタ」と口にした者もいる。
ヌーヌーの背後に控えていたメルの目に殺気が宿る。顎を引き、足を踏み出そうとする。いつの間にか小さなナイフが彼女の手の中にある。
「ひぃぃぃっ!」
女たちの後ろで、誰かが魂消えそうな悲鳴を上げた。
「し、し、死の聖女様ッ!!」
「え?」
女たちの視線が、前髪を上げたヌーヌーの狭い額に、死の聖女の印に吸い寄せられる。
後はパニックになった。
「ふん」
ほとんど無人となった広場に、女がひとり、逃げ遅れてガタガタと震えて尻もちをついていた。
「悪かったね。騒がせて」
クロが振り返って声をかけたのは、芸を中断された大道芸人たちだ。
ひとりの大道芸人が我に返り、苦笑する。
「邪魔されちゃいましたけど、最後まで見てもらえます?」と訊く。
「是非」
リアの手を握ったフウが答える。
「おっと。その前に」
大道芸人がカイトに向かって、
「わたしが言うことではありませんけど、お礼を言わせてもらえますか。ペル様を助けていただき、ありがとうございました」
と、言い、
「では」と楽器を持ち直し、大道芸人は仲間たちと明るい曲を響かせた。
「ターシャ様、ターシャ様、カイトったらなんにも知らないんですよ!」
弾んだ声でヌーヌーがターシャに報告している。
リアは帰路についたとたん睡魔に打ち倒されて、乗合馬車に乗ったことも知らないまま今はもうベッドの中だ。
「ご苦労だったね。見聞官殿」
「ガキどもの引率なんか、もう真っ平だ……」
「では、ビールでも飲みながら、こちらの成果を聞いてもらえるかね」
マリが運んで来たジョッキをたちまち空にして、クロは「もう一杯!」とジョッキを差し出した。
「まず、マウロ様がどこに囚われているか、だが……」
ターシャが声を途切らせる。
廊下でフウが「えっ!」と声を上げたからである。
「あら。もう見つかってしまったわ」
クロの知らない楽し気な声が響く。
「どうしてここにいらっしゃるんですか?!」
「もちろん、伯爵さまと、マウロ様のことをご相談するためですよ」
そう言いながらフウと並んでリビングに入って来たのは、魔術師の黒いローブを纏った老女である。老女の後ろにはガタイのいい老人が続いている。
クロはポカンと口を開けた。
老女の顔は知っている。肖像画で何度も見たし、3日前には実物も見た。
「ペル様……?」
「初めまして、クロさん」
ペルがにこりと微笑む。
「なんで?」
「先程ペル様が言われた通りだよ、見聞官殿。マウロ様のことを相談するために来ていただいた」
「いや、しかし」
「見聞官殿がヌーヌーたちを引率してくれている間に、昨日、カザン将軍がペル様の離宮を慌てた様子で訪ねられたという情報が入って来てね。
フウ殿の話からすると、マウロ様の件と無関係ということはないだろうと踏んで、正直にお手紙を差し上げた。
すると、直接顔を合わせて話しましょうということになって、こうして、カザン将軍とお二人で来ていただいたという次第だよ」
「カザン将軍?」
ガタイのいい老人を、クロが指さす。
「おう。そうは見えんかね、クロ見聞官殿」
ガハハハハと笑う老人は、今日は軍服姿ではない。
庶民の服を着て、商人にでも化けているつもりだろうが、風格がある分、余計に目立つ--正直に言えば、妙ちきりんな--格好をしていた。
「……仕事が早えな。伯爵様」
「本当の『王妃の黒いローブ』だ」ペルを見て感心したようにカイトが言う。「イクが見たら喜ぶ」
「伯爵様のお屋敷に伺うなら、むしろ少し怪しい格好をした方が怪しまれないだろうと思ったの。
久しぶりに着たのだけれど、おかしくないかしら」
「ぜんぜんお似合いです」
「ありがとう、フウ。捨てずにとっておいて良かった」
「イタカの依頼で来たんだって?!ご苦労だなぁ、クロ見聞官殿!後でアイツのことを教えてくれるか!」
「声、大きすぎませんか?将軍」
「ワシはもう将軍ではないぞ、クロ見聞官殿!声が大きいのは地声だし、それに、外に漏れる心配はないぞ!」
「どういうことです?」
「わたしが風の精霊術で遮音していますので」
「すごい。後で構いません。あたしに教えていただけますか?」
「もちろんよ、フウ。他にもあなたには覚えて貰わないといけない術があるから、そちらを習得したらね」
「はい!」
「ん?」とクロ。
他にもあなたには覚えて貰わないといけない術があるからって?いったい何のために?
「あー。なんだか、気のせいか」
「なんだね。見聞官殿」
「もしかして、マウロさんを脱獄させるってことで、もう、話、まとまってる?」
ガハハハハハとカザンが笑う。
ペルとターシャの口元にも怪しい笑みがある。
「おう!とっとと脱獄させっちまおうぜ、クロ見聞官殿!ワシらはこれから、一蓮托生、悪党の一味ってことだ!」
悪だくみの打ち合わせは、話があっちこっちへと飛んでなかなか前に進まなかった。
「息子に会ったって!」「ムラドのばあ様は元気だったか!」「おうおう、クスルクスル王国の成り立ちは虚言王様が……」「大災厄で崩れていた銀山をだな……」「ワシにとっての王は、三代様のみよ!」
ほとんどがカザン将軍の無駄話が原因である。
「話が進まねぇよ」
クロが嘆息し、「酒、追加、頼むわ」と、どんどん酔っ払っていく。
「わたし、自信がない」
計画を聞いたカイトがそう呟くと、
「なんとかなるさ、カイト。わははははは」
「悩め悩め、若者よ!ガハハハハハ」
クロとカザンが意味なく大笑いして、
「うるっさい!リアが起きちゃったでしょう!殺すわよ!オヤジども!」
ヌーヌーが逆上して怒鳴り込む。
「では、フウ。明日からわたしの離宮に毎日通っていただけますか?」
「はい。王太后様」
それでも何故か話がまとまっていくのは、要所をターシャがきっちり押さえているからである。
「軍に顔が利く連絡役が一人いてくれれば助かるのですが、それは後で考えるとしましょう。今日のところはこの辺りで」
とターシャが言った頃には、計画の概要はほとんど出来上がっていた。
「そうですね。では、伯爵様。失礼いたします」
ペルと一緒に立ち上がったカザン将軍を玄関まで見送ったところで、ターシャは彼に声をかけた。
「カザン将軍。軍の方はどうなっていますか?」
「ああ」
カザンの声が沈む。
「マズイな。でかいコトが起こりそうだ」
「将軍」
「なんですかな。伯爵」
「それはそのままにしておきましょう」
「うん?」
歳はとっているがカザンは姿勢が良く、長身で、同じく長身のターシャと同じ高さで視線が合った。
「いい目眩ましになります」
「--仮に抑えきれなかったら、どうなる?」
「むしろ都合が宜しいのでは?」
「ふむ」
カザンが考え込む。改めてターシャに顔を向け、
「伯爵。貴殿の狙いは何だ?貴殿は何故、この計画に加担している?」と訊く。
「私の希望はキャナの所領に戻ることです。そのためには一ツ神の信徒は障害となりますから、排除したいというのが第一の理由です。
第二に、むしろこちらが主な理由ですが、私が退屈で、この計画がいい暇潰しになるからですよ」
野太い笑い声が響いた。
「なるほど、ヒマつぶしか」
口元に笑みを残したたまま、カザンは、
「正直に申し上げれば、貴殿を信じるのは危険だと思っているよ、ワシは」
と、言った。
「では、今度ゆっくり呑みに来られては?旨い酒もあります。信じていただけるまで、お付き合いしますよ」
笑顔で応じたターシャに、カザンは首を振った。
「ありがたい申し出だが、遠慮しておこう。貴殿と腹の探り合いをしても、とても勝てる気がしないからな。
だが、ヒマつぶしというのはワシも同じだ。
何より」
カザンがターシャから視線を逸らし、玄関へと向ける。彼の視線の先には、フウと話すペルの姿があった。
「あんなに楽しそうにされているペル様を見るのは久しぶりだ。それだけで充分だよ、ワシには」




