17-5(海神の立つ街5(闇の神の信徒の使用人たち1))
「おいしい」
カイトは思わず声を上げた。
ターシャの屋敷のバルコニーでのことだ。かくれんぼの後、リアとヌーヌーと一緒におやつを、と誘われたのである。
カイトが食べたのは棒状の揚げ菓子だ。
「ほんと、おいしい」
フウも同意する。
「喜んでもらえて何よりだわ。あ、いえ、何よりです」
おやつを運んで来たメイドが言い直す。カイトやフウよりは年上だろうがまだ若い。顔立ちはシャープで向こうっ気が強そうに見えた。
「メル。慣れない敬語なんか使わなくていいから。カイトとフウになんか」
揚げ菓子をかじりながらヌーヌーが言う。
「それと、念のために言っとくけど、カイトを試しちゃダメよ。強そうな人を見ると、あんたはすぐに試そうとするから」
「ヌーヌー様、お客様を試すだなんて、そんなこと」
「笑って誤魔化してもダメ。冗談じゃ済まなくなるから。カイトの場合」
「そんなことない」
カイトが否定する。
「さっきも」
「あ……」とメル。
「もう何かしたの!?」
えへへへとメルが笑う。
「カイト様とヌーヌー様がかくれんぼされているときに、ちょっと」
「何をしたのよ!」
「カイト様がずうっとヌーヌー様の後ろをついていってたのがちょおっと憎らしく見えたんで、そのぉ、あたしがちょおっと投げ飛ばしちゃおうかなぁ、と思って手を出したら、転がされてたのはあたしの方で。
えへへ」
「わたしの後ろでそんなことまでしてたの!?カイト!」
「うん」
「マリ姉さんにも呆れられました。あんた、下手したら死んでたわよって」
「マリの言う通りよ」
ヌーヌーが新しい揚げ菓子に手を伸ばす。
「あんたにはカイトがどんな風に見えてるのよ、メル」
「え?別に、森人だなぁって」
「あのね、メル」
「なんですか?ヌーヌー様」
「わたしにはね、カイトの側に、西の公女様が寄り添われているように見えるの」
「え。マジで?」
「西の公女様じゃなくて、狂泉様かも知れないけど。とにかくカイトはね、生と死、両方に立ってるの。
カイトの向こうには、壁のような、死があるわ。
狂泉様の森人はみんなそうなのかなって最初は思ったけど、フウはそうでもないし、カイトが特別なのね」
「わたしは特別じゃないよ、ヌーヌー」
「特別じゃない子が、あんなカンタンにわたしを見つけられたりしないの!わたしを誰だと思ってるのよ。
特別じゃなきゃ困るわ」
怒ったようにガジガジとヌーヌーが揚げ菓子をかじる。
「ねえ、ヌーヌー。あたしたち、まだちゃんとこのお屋敷のみんなを紹介してもらってないわ。
もし良ければ紹介してもらっていい?」
「そうね」
フウに応えて、ヌーヌーがメルを指し示す。
「もう知ってるとは思うけど、まずこの子がメル」
「よろしくお願いします」
ぺこりとメルが頭を下げる。
「メルはね、”寄宿舎”の一族だったのよ」
「家族経営の弱小”寄宿舎”ですけどね」
「何?キシュクシャって」
へーと感心したように頷いたフウの横でカイトが訊く。
「殺し屋よ」
「ん?」
「お金を貰って人を殺すことを生業としている組織よ」
「えーと。賞金稼ぎ、とは違うの?」
「賞金稼ぎは、賞金のかかった犯罪者を捕まえて、場合によっては殺して、賞金を貰うのが仕事でしょ。
捕まえるのは犯罪者だけ。
でも、”寄宿舎”は殺す相手が犯罪者かどうか区別しないの。お金さえ貰えれば、誰でも殺すのよ」
「対象次第で金額については要相談ですけどね」
「それがどうして、メルさんはここで働いているんです?」とフウ。
「舎監長だった祖父が老齢を理由に引退しちゃったんですよ。それで”寄宿舎”を廃業したんです。父も母も死んじゃってるし、殺し以外、あたし出来ることがなくて、路頭に迷ってたら伯爵様のお屋敷でメイドを募集していると聞いて、応募したんです」
「でもそれが正解。だって、元”寄宿舎”なんて捕まったら間違いなく死刑よ。そんなことも考えてなかったんだから、この子」
「まっとうな仕事だと思ってましたから、”寄宿舎”って。
ま、今も、思ってます」
「こんな調子だからターシャ様がこの子に新しい身分を用意されたの。過去を作り替えちゃったのよ」
「そんなことできるの?」
「そこはターシャ様だから」
なぜか得意そうにヌーヌーが言う。
「ターシャ様はあたしに、過去を捨てるのとは違うんだっておっしゃって下さいました。新しい過去は用意するけれど、あたしはあたしのままでいいって。”寄宿舎”も立派な仕事だって」
「ねぇ、ヌーヌー」
フウが首を捻りながら訊く。
「何よ」
「伯爵様って、ホントに闇の神の信徒なの?それにしてはなんだかお優しいと言うか、ぜんぜん闇の神の信徒らしくないって言うか」
「あたしも思います。お優しいですよね、伯爵様」
「もちろんじゃない」
やはり得意そうにヌーヌーが言う。
「いつかは忘れたけど、ターシャ様、
『仕事もせずにこんな立派な屋敷に住んでいる。これが悪人でなくてなんだね?ヌーヌー』
とおっしゃってたわ。
間違いなく、ターシャ様は闇の神の信徒よ」
「そんな人、いっぱいいますけどねー」
「ターシャ様ぐらいしっかりサボられてる人なんかいないわよ。メル」
「それ、誉め言葉なの?ヌーヌー」
「そうだ、ヌーヌー様。皆さんでアイスクリームを召し上がりませんか?カイト様とフウ様は多分、召し上がられたことがないと思いますからびっくりされると思うんですけど」
「うん、それ、いい考えね」
「すぐに持ってきます」
「カイトとフウに紹介したいから、アイスクリームはマリかキノに持って来させて」
「はーい」
軽い返事を残してメルが屋敷に戻っていく。
名前は知らないものの、カイトもフウも他のメイドとも会っている。
「ヌーヌー、マリさんとキノさんって、どっちがどっち?」
「背の高い方がマリ。ほとんどしゃべらない子がキノよ」
ヌーヌーの説明に、フウが「判った」と頷く。
「メルさんが元殺し屋だとしたら、マリさんとキノさんも、そうなの?」
「違うわ。
キノはね、海都クスルの商人の一族の娘だったんだけど、不幸が重なってたったひとりで残されたの。でもそのおかげで、と言うとアレだけど、莫大な財産をひとりで相続して、働く必要は全くないんだけど、酷い人見知りでね。
それを治したくてターシャ様のお屋敷に勤めることにしたのよ」
「人見知りを治すために?闇の神の信徒のお屋敷に?」
「ターシャ様が闇の神の信徒だって知らずに就職したみたい。ちょっと、うーん、かなり浮世離れしてるかな」
「ヌーヌーに言われるなんて、相当ね」
「どういう意味よ!」
「それじゃあ、マリさんは?」
むくれながらヌーヌーがフウの質問に答える。
「マリはね、本人に言わせると、生まれながらの冒険家、ってことになるわ」
「冒険家?」
「はい。その通りです」
バルコニーの扉を開いて姿を現したマリが笑顔で応える。手にはトレイを持っている。
「アイスクリームをお持ちしました。ヌーヌー様」
「ありがとう、マリ。
さっき言ったけど、この子がマリよ」
「よろしくお願いします、カイト様。フウ様」
アイスクリームをマリがテーブルの上に置く。
「このアイスクリームはバンドさん作です。どうぞお召し上がりください」
「バンドさんって?」
「料理人のバンドさんですよ。カイト様」
「おいしいっ!」
ひと口含んで、フウが声を上げる。
リアは言葉もなく目を丸くした。カイトもだ。
「甘さ控えめ、濃厚ではなくさっぱりしてて繊細さもあってって、バンドさんの外見からすると、とても想像できないおいしさですよね」
「うん!」
「そこ、頷くのは間違ってない?フウ?」
「だって、ヌーヌー。バンドさんて、あのゴツイ人でしょう?」
「まあね。本人からきちんと聞いた訳じゃないけど、大平原じゃあ知らない人のいない傭兵だったらしいしね」
「へー」
「でも、ある時、いくさ場で一対一で殺されかけて傭兵を辞めたらしいわ。
ね、マリ」
「はい、ヌーヌー様。”シミ”に殺されかけたって、バンドさん、言われてましたわ。わたしにも意味は判りませんけど、その時に自分の限界を思い知ったって」
カイトがアイスクリームを食べる手を止める。
「”シミ”?」
「何か心当たりがあるの?カイト?」
「ちょっと」
「へー」
「もし、バンドさんが言ってるのがわたしの知ってる人だとしたら、その人といくさ場で出会って生きているだけで、スゴイと思う」
「あんたがそこまで言うとはねー」
「生まれながらの冒険者って、どういうことですか?マリさん」
「フウ様はイルシャリ・ア王国という国をご存知ですか?」
「いいえ」
「イルシャリ・ア王国は新大陸の北にある国で、わたしはそこの生まれなんです。わたしの家がどういう家かと言えば、生まれたときからわたしに許嫁がいた、と言えば判っていただけるでしょうか」
「許嫁?」
「生まれたときから?」
「はい」
マリがフウとカイトに向かって頷く。
「しかし、どうもわたしの血筋は冒険家の血筋だったらしく、わたし以外にも、伯父とか従兄とか、何人も国を捨てて旅に出ていたんです。
わたしも子供の頃から理由もなく旅に出たくて、とうとう自分を抑えきれなくなって、13の歳に国を出ました」
「14になる前にってことですか?」
「はい」
マリが頷く。
「新大陸から旧大陸と回って、クスルクスル王国には、アースディアから渡って来たんです」
「スゴイでしょ。13よ、13。それも身を守る術が何もないのに、たった一人で。信じられないわ」
「何とかなるものですよ。ヌーヌー様」
「わたしにはとても無理だわ」と、ヌーヌー。
「あたしも」
フウは狂泉の森を一人で出た。その実感から無理だと思う。
「わたしもムリ……かな」
「カイトはだって、14歳の時に一人で酔林国まで旅をしたでしょう?」
笑いながらフウが言う。
「狂泉様の森の中だったもの。酔林国までは行ったけど、森から出るのは怖かったわ」
「カイトでもそうなんだ」
「よく一人で森を出たと思うよ、フウ」
「あたしは、まあ、ね」
「それなのに何でここにいるのよ。カイト」
カイトが考える。
「酔林国に行って、いろんな人に会って、外の話を聞いて、少しずつ怖くなくなってきたっていうのはあるかな」
「もし、カイト様が森の外で生まれられていたら、わたしと同じように旅に出ていたかも知れませんね」
にこやかに笑ってマリが言う。
「判らない。その……」
「なに?」
フウが先を促す。
「……前に、どうしてわたしが弓を上手く使えるのか、訊かれたことがあるの。狂泉様の森に生まれたからでしょうって。
そうかな、とも思ったけど、でも、いくら考えても弓を使わない自分を想像できなくて。
だから、狂泉様の森の外で生まれるってどういうことか、想像できない」
フウが笑う。
「そうね。弓を持ってないカイトを、あたしも想像できないわ」
「うん」
「ずっとたびをしてたのに、まりさんは、どうしてたーしゃさまのおやしきにおつとめすることにしたんですか?」
リアが尋ねる。
「一番はおかねが無くなっちゃったからですよ、リア様。
旅を続けるにも一文無しでは続けられませんからね。それで仕事を探していたら、伯爵様のお屋敷でメイドを募集しているって聞いて、しかも伯爵様が闇の神の信徒だって聞いて、面白そうだなって思ったんです。
でも、まさかこんなに長くお勤めするなんて思いもしませんでした」
「どうしておつとめしつづけているんですか?」
「なんだか居心地が良くて。それで今もここにいます。
ところでご存知ですか?リア様」
「なにをですか?」
「イルシャリ・ア王国では、冬には一日中太陽が昇らないし、夏には太陽が一日中沈まなくなるんですよ」
「ええっ!」
フウとリアが声を揃える。
ふむ。と考えて、マリはヌーヌーに尋ねた。
「少し皆さんにお話ししてもよろしいですか?ヌーヌー様」
「仕方ないわね。マリも座ったら?」
興味ないフリをしているが、ヌーヌーもマリの話を聞きたがっている。マリは「ありがとうございます」と微笑んで--
『あ』
どなた?と問う声が、フウの脳裡で閃く。
ターシャの屋敷の玄関が見えた。扉の外にはやせっぽちの少女が立っている。狭い額には血の色で描かれた目が三つ。ヌーヌーだ。だが、幼い。
西の公女様に言われて来たわ。
伯爵様はどこ?
感情の伴わない、乾いた声。
辞めるのを止めても構わないでしょうか?伯爵様。
旅の資金は貯まったんじゃなかったのかね?マリさん。あの子。死の聖女様。記憶がないだけじゃない。空っぽだ。ヌーヌー様が笑われるところを見るまではここにいたい。そう思います。ターシャが頷いて笑う。そうだね。それは私も見てみたいね。
でも。と、ターシャが考える。マリさんが残ってくれるとしても。誰か新しく雇う必要があるね。
前のオシゴトですかぁ。お爺ちゃんを手伝ってましたぁ。お爺さまは何のお仕事をされていたの?
”寄宿舎”ですよぉ。
あら。
ヌーヌー様、笑われないですねぇ。うーん。それはね。メルが顔をくしゃくしゃにして涙を落とす。何も憶えていないなんて。そんなの。あんまりです。わたしたちにできるのは、普通に接して差し上げることだけ。わたしはそう思うの。
こくんと頷いてメルが顔を上げる。
……びっくりするぐらい常識のない子ですね。
ぼそぼそと言ったのはもうひとりのメイド。かなり浮世離れしていると、ヌーヌーに言われたキノだ。
憶えることが多すぎますよぉ。
メルが泣き言をこぼす。けれど確かに。メルは落とさない。割れた、と思った食器が、いつの間にか受け止められて手の中にある。
食器の並べ方。
うー、と唸って、間違える。
苦笑する。
ヌーヌーが見ている。聞いている。マリとキノがメルを教えているのを、ずっと見ている。
「何してんのよ、メル!」
すべてに色がなかった。そのことにようやく気づく。
「それはさっきマリが教えたでしょう!」
ヌーヌーが怒鳴る。
鮮やかにヌーヌーが彩られる。
両手を腰に当てて、ヌーヌーが怒っている。
マリは話し続けてきた。旅で見たこと。会った人たちのこと。キノも。メルも。笑いかけ、話し続けてきた。そうして注ぎ込まれた想いがヌーヌーの小さな体に満ちて、まるで爆発したかのように、ヌーヌーは怒っていた。
灰色だった世界が眩しいほどの光に満ちて、怒鳴ったヌーヌーに真っ先にメルが飛びつき、わんわん泣きながら抱き締める。
すぐにキノが続いて、明るい笑い声が聞こえた。
マリの笑い声だ。
フウは目を瞬かせた。
ターシャの屋敷のバルコニー。
マリは微笑んで、腰を下ろそうとしている。
わたしがここにいるのは--。聞こえるはずのない声が陽光に溶けるように消える。
何が起こったかは判らない。しかし、そうか。と、フウは納得する。
マリさんがここに残ったのは、ヌーヌーのためなんだ。
ヌーヌーの隣にマリが腰を下ろす。
「イルシャリ・ア王国は輝きの国とも呼ばれていて、……」
カイトとフウとリア、そして誰よりも、期待にきらきらと瞳を輝かせたヌーヌーに向かって、マリは話し始めた。
誤字報告して頂き、ありがとうございます。
修正いたしました。