17-4(海神の立つ街4(王太后暗殺未遂事件の裏側))
カイトたちを訪ねて来たのは20代ぐらいの女で、カイトは彼女に見覚えがあった。女が「海軍少尉のララ」と名乗ったところで思い出し、「あっ」と声を上げる。
「知ってんのか?カイト」
「港でわたしにいろいろ訊いた人」
海都クスルの港に着いた時に、カイトを尋問した海軍の担当者である。
「ふーん。そのララさんが、オレたちに何の用?」
「王太后様暗殺未遂事件に関してお尋ねしたいことがあります」
笑顔のないまま生真面目な声でララが答える。
「王太后様暗殺未遂事件ねぇ。そう聞くと大事件だって気がするなぁ」
ララがちらりとクロを見る。
大事件なんです、と彼女のきつい眼差しが語っていた。
「だけどよ、えーと、少尉さん、だっけ。コイツはただ人助けをしただけだ。それ以上でもそれ以下でもないぜ?」
「判っています。ですが、なにぶん情報が不足しています。ご協力していただければ助かります。
よろしいですか?」
「いいぜ。特に予定はないし」
「ではまず、カイトさん」
「うん」
「なぜあなたはペル様……、いえ、王太后様をお助けしたのですか?あなた方には関係のないことでは?」
「イクがペル様のことを好きだから」
「イク?誰です?」
「友だち」
「マララ領のパロットの街に住んでる子だよ。カイトの友だちでね。そのイクがペル様の大ファンなんだ。
オレも何でお前がわざわざペル様を助けたのか不思議だったけど、そうか、イクの為だったのか」
「うん。でも」
カイトはペルの顔を思い出しながら、
「助けて良かった」
と言った。
「通りがかったのは偶然、なのですか」
「偶然、としか言いようがないなぁ。もし、港でアンタらにあれ以上足止めされててもダメだっただろうし、オレたちが厄介になる筈だった商人が店を閉めてなかったとしてもダメだっただろうよ。
コイツの具合が悪くならなかったら、やっぱりあの場所にあの時間にはいなかっただろうな」
「ペル様の馬車だと判ったのは何故です?」
「レプリカを見たことがあるんだ。オレもカイトも」
「レプリカ?」
「そう。ペル様の馬車のレプリカ」
「どこでです?」
「マララ領。オレの知り合いが海都クスルで見て気に入って、勝手に造ったペル様の馬車のレプリカに乗せてもらったことがあるんだ。
だから判ったのさ、ペル様の馬車だって」
ララが少し考え込む。
「では、何故、賊がいると気づいたのです?」
「何故……」
今度はカイトが考え込んだ。
「それは、えーと、ざわざわするっていうか、もぞもぞするっていうか……」
「ムリだよ、少尉さん。それをコイツに説明させるのは。言葉で考えてる訳じゃねぇから、コイツは」
「そうですか」
ララが手元の書類に視線を落として口を開く。
「賊は--、額と喉を正確に射抜かれていました。衛兵が駆けつけた時には、弓を握ってはいましたが、矢は無く--」
「それはわたしが弾いた」
「弾いた……?」
「矢で」
ララが眉根を寄せる。
「賊が放った矢を、矢で弾いた、と言うのですか?」
「うん」
「その上で、賊の額と喉を射抜いたと?まさか、そんなこと……」
理解と驚きが同時に閃き、ララの眉間の皺が少しだけ浅くなる。
「そう言えば、海賊船を制圧したのも--」
ふーん。とクロは思った。なかなかモノワカリのイイねぇちゃんだなぁ。軍人にしとくには惜しいぐらいだぜ。
「賊が放ったと思われる矢は、王太后様の馬車から遠く離れたところで見つかりました。なぜそんなところに、というのも疑問のひとつだったのですが、そういう訳だったのですね。
賊は他に油も用意しており、馬車に火を放つことも考えていたようです。もし最初の矢で確実に殺していなければ、ペル様がご無事だったかどうか判りません。
感謝いたします。カイトさん」
「いいってことよ」
クロが応えるところではない。が、誰も突っ込まない。ララが広げていた書類を片付け始める。
「お時間を取っていただき、ありがとうございました。もしかするとまたお伺いすることがあるかも知れませんが、本日はこれで失礼いたします」
「なあ、少尉さん」
「なんでしょう」
「王太后様暗殺未遂事件って、あんた、言ったよな。大事件なんだよな。
それなのによ、なんであんた一人なんだ?あんた、海軍だよな。港の時みたいに陸軍や宮廷の連中は来ないのか?
特によ、衛兵とか」
ララがため息を落とす。
「誰もが怖がって来ようとしないのです」
「ここに?」
「はい」
クロが嗤う。
「そりゃ、判らねぇでもねぇな」
「それに--」
ララが独り言のように呟く。
「なんだよ、少尉さん」
「いえ。なんでもありません」
結局ララは首を振り、「ありがとうございました」と言って帰って行った。
ララの言葉の続きをクロに教えてくれたのは、ターシャである。
ララが帰った後、ターシャはカイトとフウに「ペル様から招待状が届いているよ。昨日の礼に、お茶会に来てくれないか、だそうだ」と告げた。
「オレは?オレには来てないのか?」
「わたしとフウだけみたい」
招待状を開いたカイトが答える。
「なんでだよ。そりゃ、オレは何もしてないけどよ。フウだって何もしてないだろ」
「クロはペル様と会ってもいないでしょう?」
クロが手を振る。
「まあいいや。行ってきな、二人だけで。お茶会なら用はねぇし。けど、もし旨い酒が出たらオレの分も貰ってきてくれよ、フウ」
「うん」
フウが笑顔で頷く。
「で、いつだよ。呼ばれたのは」
「明日、かな」
「ご都合が良ければ、ということだったよ。どうするかね。カイト殿」
カイトとフウが顔を見合わせる。
『ん?』
二人が目配せし合ったようにクロには思えた。
「行く」
「あたしも。行きます」
ターシャが頷く。
「では、私からペル様にそう返事を出しておこう」
「ありがとうございます」
カイトとフウが声を揃える。
「礼を言われることではないよ。かくれんぼの続きをしたくて、リア様とヌーヌーがうずうずしているからね」
「そ、そんなことありません!ターシャ様!」
「じゃあ、やめる?ヌーヌー」
からかうようにフウが言う。
「わ、わたしはいいけど、リアががっかりするでしょ!」
「はい、ぬーぬーねえさま。わたしはもうすこしみんなであそびたいです」と、リア。
「ほら!リアだってこう言ってるわ!」
「よーし。じゃあ、次は--」
フウを先頭にリビングから出て行く4人を見送り、「……リアちゃんが一番大人に見えるってのは、どうなんだろうね」とクロは感想を述べた。
二人だけになったリビングで、ターシャは、
「王太后様暗殺未遂事件の犯人を捕まえたくないんだよ。陸軍も。宮廷も。さっきの少尉殿の属している海軍も、ね」
と、ララの言葉の続きをクロに教えた。
「へぇ。なんでだ?」
ターシャの屋敷にいるのはヌーヌーだけではない。
屋敷の諸事全般を取り仕切る、執事と表現すべき初老の男と、メイドと表現するのが相応しい3人の女、それに料理人がひとりいる。
クロの質問に答える前にターシャは執事のカガスに、自分には紅茶を、クロにはビールを持ってくるよう命じた。
「見聞官殿はクスルクスル王国の政治状況をご存知かね?」
「知らねえよ。興味もねぇ。宮廷のゴタゴタなんてよ」
「だろうね」
ターシャが笑う。
「どこの国でも権力争いというものはあるものだ。クスルクスル王国で言うと、貴族同士、海軍と陸軍、神官の間にも存在している。商人の間にも貿易を主とする者と地場製品を扱う者の間に争いがある。
だが、いま一番大きな争いは、現王と王太后様との争いだ」
「良くある話だなぁ」
ターシャが頷く。
「現王の周囲に、権力を求める方たちが集まるのは判るだろう。
しかし、王太后様の場合はちょっと違う。
王太后様は、三代様が亡くなられるとすぐ、王宮を出られた。権力争いを嫌われたのだろう。
カイト殿とフウ殿が招待されたのも、王太后様の住む離宮だ。
薫風王様の時代はそれで上手くいっていたが、現王になってから状況が変わった。
現王のやり方に納得できない方たちが王太后様を担ぎ出そうと集まっている。王太后様のご意思に関係なくね」
「あー」
クロの胸が悪くなる。
「それで王太后様をやっちまおうとしてるのか?息子が」
「海軍も陸軍もそう読んでいる、ということだろうね。まさか現王を逮捕もできないから、皆、及び腰になっているんだよ。
だけど私は、状況はもう少し複雑だと思っているよ」
「どういうことだよ」
「見聞官殿は、現王に会ったことはあるかい?」
「ある訳ねぇだろ」
ターシャの問いに呆れたようにクロが答える。
「私はお会いしたことがあってね。あの方は優柔不断だ。とても実の母親を殺すような果断さはない」
「じゃあ、犯人じゃねぇのか?」
「突き詰めれば犯人だよ、英邁王様が。しかし、事件を主導したのは英邁王様ではなく、宰相のアマン・ルー殿だろうな」
アマン・ルーという名に、クロは聞き覚えがあった。
「……艇長が言ってたヤツか。一ツ神の信徒だって」
「私もそうだろうと思っているよ。証拠はないがね。
宰相殿の狙いはふたつある。
まずは王太后様を殺すこと。殺せれば幸い。しかし、殺せなくても構わない。
彼女の一番の狙いは、公の場で王太后様が誰かに襲われたという事実を作り出すことだ」
「王太后様を担ごうとしている連中を炙り出すため……、か?」
「いや」
ターシャが否定する。
「王太后様を担ごうとしている方たちに火をつけるためだよ」
火をつける。
つまり、と考えてクロはターシャに尋ねた。
「王太后様を担ごうとしているのって、どんなヤツらなんだ?」
「主に旧臣だな、現王に宮廷から追い出された。いや、現王が気に入らないと自ら宮廷を出た方たちと言った方が正確かな。
軍に影響力のある方も多い。
何より、軍には現王より王太后様を支持している者の方が多い。血の気の多い若い兵士も大半が王太后様支持だ。
となると、判るだろう?」
「下手すりゃ、内乱……」
「一ツ神の信徒らしいやり方だろう?」
「はあ」
とクロが呆れたように息を吐く。
「だけどよ、それだけじゃないんだろう、伯爵様。宰相さんの狙いはふたつあるって、さっき言ったよな?
内乱以上の、いったい何を宰相さんは狙ってるって言うんだ?」
「現王を今以上に自分の支配下に置くことだよ。そしてそれは成功したと、私は思うね」
「よく判らねぇ」
「宰相殿はおそらく現王に仄めかしただけだろう。王太后様を暗殺するかどうか。あくまでも決定したのは現王だという形にするために、上手くね。
仄めかした宰相殿に、現王は消極的に頷いたはずだ。
性格的に考えると、それは現王の負い目になる。母殺しを是とするほど強い方ではないからね。
その負い目を部下が知っている。
つまり、弱味を腹心に握られた、ということだ。現王はもう、宰相殿の言うことならどんなことでも従うだろうね」
ため息をひとつ落とし、
「……似てる気もするけど、ぜんぜん違うな」
と、独り言のようにクロが呟く。
「何がだね?」
「たいしたことじゃねぇよ。オレの知ってるケツの青いガキどものことさ。
宰相さんとおんなじようなことをやってたけど、やり方っていうか、陰険さが比較にならねぇなって思っただけだよ」
クロが誰のことを言っているか知っているのかどうか。
ターシャは静かに紅茶を口に運んだ。
「だが、どうも状況は宰相殿が想定したのとは別の方向に進んでいるようだね」
「別の方向って、何だよ」
「カイト殿とフウ殿が王太后様に招待されただろう?」
「それがどうしたんだ?」
「王太后様はもう何年も、誰かを離宮に招待したことがないんだよ。離宮を出ることもほとんどない。
賊に襲われた日は王太后様の夫君である三代様の月命日でね。三代様は王宮に隣接している海神様の神殿に葬られているから、この日だけは王太后様は海神様の神殿で祈りを捧げられているんだ。
そこを狙われた訳だが、実は、と疑っていることがあってね」
「何だよ」
「王太后様は、本当は、あの場で殺されるおつもりだったんじゃないか、とね」
「馬車が止まったからと言って、あんなふうに路上で姿を現されるだろうか。いかにも狙って下さいとでも言わんばかりに。
王太后様はそんな愚かな方じゃない。
むしろ馬車の中に留まられるだろう。だからこそ、それを想定して賊は油を用意していたのだと思う。
だが、王太后様は姿を現された。
賊の前に、わざわざ」
「そうだな」
「一般には知らされていないことだが、昨日の襲撃の際には、侍女がひとり、王太后様の馬車に同乗していたんだ。
この侍女が事件後に死んでいる」
クロが首を振る。
「あんた、ずっと屋敷から出てないよな?昨日から。なんでそんなこと知ってるんだよ」
ターシャが薄く微笑む。
「侍女を殺したのは、王太后様だろう」
「はぁ?」
クロが驚いて声を上げる。
「なんで」
「生きるためだ。何かがあった。何かがあって、賊に討たれるつもりでいた王太后様は、生きることを選択された」
「さっぱり判らねぇ」
「王太后様は聡い御方だ。
王である息子が自分を殺そうとしている。そのことを知って、殺されてやろうとした。いや、息子が自分を殺そうとしていることを知って、生きる気力を無くされた、と言った方がいいかも知れない。
一方の侍女はね、ずっと王太后様に仕えてきた者でね。王太后様も実の娘のように可愛がっていたんだ。
その侍女が自分を殺そうとしていることも、王太后様は知っていた」
「なんで?なんで侍女が王太后様を殺そうとするんだよ」
「善良な人間を殺し屋に仕立てる。簡単なことだ。貴殿もご存知だろう?見聞官殿」
クロはため息を落とした。
「それで?」
「襲撃の本命は侍女だったんだよ。
馬車が止まる。賊が油を投げる。火を放つ。パニックが起こり、そこを突いて馬車の中で侍女が王太后様を刺す。襲撃があったと隠しようがないし、王太后様を殺すにはこの方が確実だ。
矢を射るのがカイト殿なら別だが、矢で射殺すというのはなかなか難しいものだよ」
「確かにな」
「だが、王太后様は馬車を出られた。
王太后様は自分を殺そうとしていた侍女を憐れんだんだ。あなたがわたしを殺す必要はない。罪を犯す必要はない。わたしは賊の手にかかって死にましょう、とね。
だから馬車から出たんだ。
多分、賊の方が驚いただろうな」
「それ、想像だよな、伯爵様の」
「推測する根拠はあるのだがね。ちょっと理由があって話せないな」
「いい。伯爵様が話せねぇことなんか聞きたくねぇよ」
「だが、そこへカイト殿が通りがかった。そして、友だちが悲しむからという簡明な理由で王太后様を助け、こちらは理由が不明だが、王太后様は手放していた生を掴んだ」
「……カイトが、理由なのか?」
「判らないな。私は神々ではないのでね」
「ホントかよ」
ターシャが笑う。
「いずれ侍女の死は公にされるだろう。ただし、あくまでも根拠のない噂として、侍女の名誉を守る形で。
例えば、馬車が襲撃された際に王太后様を守って死んだらしい、とかね」そう言いながら紅茶を口に運び、ふと、手を止める。
「なぜカイト殿だけではなかったのか--」
「何が」
「王太后様に呼ばれたのが、だよ」
「ああ」
「もしかするとカイト殿ではなく、フウ殿の方かも知れないな。王太后様に生きる気力を取り戻させたのは」
「ところで見聞官殿。せっかく海都クスルまで来たのなら、カイト殿やフウ殿と観光にでも行ったらどうだね?
もし良ければ、ヌーヌーとリア様も一緒に連れて行ってもらえると嬉しいのだがね」
「いいよ、そんなの。メンドくせぇし」
「観光名目で海都クスルに来ているし、なるべく目立つのが君たちの役割なのだろう?見聞官殿」
「……アンタ、いったいどこまで知ってんだよ」
「私は何も知らないよ。私はただ情報を集め、推測しているだけさ。しかし、そうだな、貴殿たちの本命は、イタカ殿と言ったところか--」
「なあ、伯爵様」
「なんだい?」
「物知りのアンタなら知ってるんじゃないかと思って訊くんだけど、ファロにある海軍特別養成所って、アレなんだよ。なんであんなもんがあんなところにあるんだよ」
「ああ」
ターシャが笑う。
「それは私も知らないな」