17-3(海神の立つ街3(死の聖女2))
「はぁ?かくれんぼ?」
声を裏返してヌーヌーが訊く。カイトは「うん」と頷いた。
「簡単でしょ。それとも止める?」
「誰が止めるか!いいわよ。受けてやるわ。はっ。ここはわたしの、もとい、ターシャ様のお屋敷よ!ずっとわたしが住んでる家よ。
それなのに、負ける訳ないでしょ!」
「だといいけど」
言葉にならない怒りに小柄なヌーヌーの身体が震えた。
「ルールは!どうすんのよ!」
「鬼が100数える間に、子が逃げる。20分以内に鬼が見つけられれば、鬼の勝ち。見つけられなければ子の勝ち。
ってとこでどう?」
ヌーヌーが鼻を鳴らす。
「あんたなんか、5分で見つけてあげるわ!」
「それでね、ヌーヌー」
「何よ、ガキ!」
「もしわたしが勝ったら聞いてもらいたいことがあるの」
「どーせ、負けないから。勝つのはわたしだから。聞いてあげる。言いなさい、ガキ」
「わたしが勝ったら、今後はわたしをガキと呼ばないこと。フウのことも。それと、クロのことも犬って呼ばないこと。
いいかな」
「わたしが勝ったらどうすんのよ」
「オレたちが今後はヌーヌーのことを、ヌーヌー様って呼ぶのはどうだ?」
ソファーに座って聞いていたクロが提案する。
ヌーヌーが、くっくっくと低く笑う。
「絶対にあんたたちに、わたしのこと、ヌーヌー様って呼ばせてやる」
「それじゃあ、どっちが鬼になるか決めようか」
「私にも手伝わせてもらっていいかな?カイト殿」
クロと同じくソファーに座って成り行きを見守っていたターシャが口を挟む。
「もちろんです!ターシャ様!」
カイトより先に、なぜかヌーヌーが答えた。
「では、コインの裏表で決めようか」
「はい!」
コインが投げられ、ヌーヌーが逃げる役で、カイトが鬼と決まった。
逃げる前にヌーヌーはターシャに顔を向けた。
「ターシャ様。勝手にあちらこちらに入らせて頂きます。お許しいただけますか?」
「天井裏でもどこでも。ヌーヌー」
「ありがとうございます!」
感謝の言葉だけを残してリビングからヌーヌーが勢いよく走り去って行く。その後姿を見送り、「ちゃんとしてるねぇ」とクロは笑った。
ヌーヌーが隠れ場所に選んだのはターシャの書斎である。書斎に隠し部屋があることをヌーヌーは知っている。隠し部屋を開くのに複雑な手順があることも。
「ここなら見つかりっこないわ」
ヌーヌーが呟く。
「カイトに1時間ぐらい探させるべきだったかしら。でも、20分もここでじっとしているのも退屈だし、まぁ、いい--」
隠し部屋に光が差した。扉が開いたのである。
「見ぃつけた」
「え?」
開いた戸口にカイトが立っている。
「わたしの勝ちね、ヌーヌー」
ヌーヌーが隠れてからまだ1、2分。誰かが書斎に入ってきた気配はなかった。隠し部屋を開くための仕掛けを動かす音もしなかった。
「ええっ!」
ヌーヌーがカイトを指さす。
「なんで、どうして……」
「森で獲物を探すより簡単だったよ、ヌーヌー」
ヌーヌーはダッと駆け出した。カイトの脇をすり抜け、リビングに走り込み、「ターシャ様!カイト、ちゃんと100数えてました?!」と叫ぶように尋ねる。
ターシャがカップを置き、「もう見つかったんだね、ヌーヌー」と微笑む。「確かにカイト殿はここで100を数えてから探しに行ったよ」
ヌーヌーがクロをキッと睨む。
「あんたが手を貸したんでしょう!犬!」
「オレはずっとここにいたよなぁ、伯爵様」とクロがターシャに顔を向け、「負けたんだからオレのことはクロって呼んでもらわなきゃ。ヌーヌー」と真面目ぶって言う。
わなわなとヌーヌーの身体が怒りに震えた。
「まだよ!」
リビングに戻って来たカイトに、ヌーヌーは人差し指を突きつけた。
「今度はわたしが鬼をするわ!わたしが見つかったのより早くあんたを見つけたら、わたしの勝ちよ!」
「判った。じゃ、隠れるけど、いい?」
「どこにでも行って!」
「うん」
カイトがリビングから出て行く。クロが鼻と耳を動かす。カイトが廊下に出た途端、臭いも音も途切れ、たちまち気配が消えた。
きっちり100を数えてから、ヌーヌーはリビングから駆け出した。
いない。いない。どこにもいない。
厨房からトイレ、浴室、天井裏まで探すが、どこにもカイトがいない。
「どーなってんのよ!」
ヌーヌーが天井に向かって叫んだのはリビングで、クロが「20分、とっくに越えてるぜ、ヌーヌー」と告げた。
「負け、認めるかい?」
「認めるわよ!わたしの負けよ!認めるから出てきなさいよ!」
「だ、そうだぜ。カイト」
「うん」
カイトが姿を現したのは、ついさっきヌーヌーがリビングに入って来るのに通って来た廊下である。
「ど、どこにいたのよ!」
「ずっとヌーヌーの後ろについて回ってた」
「はぁ?!」
「カイトはお前の後ろにいたんだよ、ヌーヌー。お前、何度かリビングを通って行ったろ?お前が通り過ぎた後、カイトも通って行ってたぜ」
「……うそ」
「余裕がありそうだったからな、カイトの飲み物も用意しておいてやったんだ。お前の後ろについて回りながら、カイト、ここで茶も飲んでたんだぜ」
言われてヌーヌーがテーブルを見ると、確かに湯呑がひとつ多い。
「くっ」
ヌーヌーがキッとカイトを睨み、顔を洗うようにわしゃわしゃと涙を拭う。
「もう一回、勝負よ!」
「それはいいけど」
カイトが視線を向けたのはヌーヌーではなく、ターシャの隣に座ったリアだ。なんだか落ち着かず、もぞもぞしている。
「リア様も一緒にやります?かくれんぼ」
リアと向かい合って座ったフウが訊く。
「よろしいのですか。ふうどの」
「はい。ただし、条件があります。これからはあたしのこと、フウ、と呼んで下さい。フウ殿じゃなくて。
カイトも、カイトと」
「わかりました」
素直にリアが頷く。
「ただし、わたしのことも、りあさまではなく、りあ、とよんでください。ふう」
フウが笑う。
「リアちゃんとお呼びしたのでも構いませんか?」
「はい」
とリアは笑って頷いた。
フウが鬼と決まって、きゃあきゃあとリアとヌーヌーが逃げて行く。
「いいねぇ。やっぱりガキはこうでなくっちゃ」
「確かに悪くはないのだがね、我が家がこんなに明るくなるのは初めてだし。ただね」
「なんだい、伯爵様」
「ここが闇の神の信徒の住処だということを、君たちは忘れているんじゃないかね?」
「それって悪いことなんですか?」
100を数え終わったフウがそう言って「さあ、探すぞお」と腕を回しながらリビングを出て行く。
「だ、そうだけど?」
ターシャは嗤った。顔を伏せ、紅茶の入ったカップを口に運ぶ。
「確かにね。悪いことではないね」
カイトが隠れていたのは、2階にあるバルコニーの上に設けられた僅かな出っ張りの上である。普通ならとても人が登ることも座ることもできないようなところだ。
ターシャの屋敷は海から遠い。
しかし、港の入り口に立つ海神の巨像はターシャの屋敷からでも十分に見えた。
屋敷からはヌーヌーとリアの明るい笑い声が聞こえてくる。
バルコニーに出る扉が開く音が静かに響いた。
「見ぃつけた」
フウである。
「うん」
カイトに驚きはない。フウなら簡単に見つけるだろうな。そんな気がしていた。
しかし、軽やかにバルコニーに降りて、カイトは、
「どうして見つけられたの?」
と尋ねた。
「さあ。でも、あたし、カイトのいるところは判るみたい。なぜだか」
「そうなんだ」
「おーい。カイト、フウ!」
クロの声が、バルコニーの下の庭から響いた。
「オレらにお客さんだとよ!」