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16-5(海都クスルへ5(スティード艇長ムラド))

 オム市からスティードの街までは10数キロの道のりである。海へと向かっている筈が緩やかな上り坂が続き、カイトが不思議に思っていると、「なんだ、ありゃ」とクロが声を上げた。

「どうしたの、クロ」

「あんな城壁、オレは知らねぇぞ」

 丘を越えた先に、延々と続く城壁が見えたのである。高さは3mほどか。どこに城壁の端があるのか、咄嗟には判らない。

 城門はあったが開かれており、門番もおらず、人々は当たり前のように自由に行き来していた。

 城壁の向こうは紺碧の空だけが広がっている。

「いつ造ったんだ、これ」

 クロが呆れたように言う。

 他の人々の流れに乗って城門を潜り、曲がりくねった道を少し進むと、いきなり視界が開けた。

「わあ」

 カイトとフウが揃って声を上げる。

 三方を急峻な崖に囲まれた、大きな港が眼下に広がっていた。港には大小様々な船が数えきれないほど停泊している。建物の多くは狭い平地に屋根を重ねるように建てられていたが、港を囲んだ斜面にもへばりつくようにたくさんの家がある。

 ほとんどの家の屋根の色は鮮やかな赤橙色だ。

 意外と緑が多く、そのほとんどは果樹のように見えた。

「すごい、すごい!」

 子供のように弾んだ声を上げる二人を余所に、クロは背後の城壁をずっと目で追っていた。

 スティードの街を囲む崖。すべてに城壁がある。

『こりゃまるで、トワ郡から攻められることを想定してるみてぇじゃねぇか』

「なんだか風が違う」

 フウの声に、「どう違う?」とクロが訊くと、「何かが混じってるみたい。ちょっと重い気がする」とフウは答えた。

「確かになぁ」

 風は海から吹いてきている。

「塩が混ざっているからかなぁ」

「塩?!」

 カイトとフウが声を揃え、クロは楽し気に笑った。

「ま、行ってみようぜ。お嬢ちゃんたち」

「うん!」

 と、二人はまた声を揃えた。


 街の中心部まで下りて、まずは宿を確保した。

「高けぇな!」

 思わず文句を言ったクロに、恰幅の良いおかみは「ここはもう、トワ郡じゃないよ」と応じた。

「どういう意味だよ」

「宿泊税。入湯税。滞在税。ぜんぶ不要だ。それでも高いって言うかい?」

 なるほど旅人の払う総額は、トワ郡より辛うじて少なくなっている。

「……絶妙の値段設定だな」

 男女別れての大部屋で雑魚寝だが、他に部屋はないという。

「海都クスルに行きてぇんだが、船はどこで予約できる?」

「港に案内所がある。そっちに行きな」

 仏頂面のまま、おかみは地図を描いて丁寧に教えてくれた。

 案内所に行く途中に砂浜があり、カイトとフウが海水を舐めてはしゃぐのを、クロは堤防にもたれて悠然と見守っていた。初めて海を見たときに彼自身が同じようにはしゃいだことは、当然、カイトとフウには言わない一生の秘密である。

 宿のおかみに教えられた港の案内所に寄り、その後、夕食のため山沿いにある食堂に入った。

「まいったな」

 ジョッキを片手にクロが嘆息する。

「空きがあるのが、10日後とはな」

 海都クスルへ向かう船便のことである。

「うん」

「歩いて行った方が早い?クロさん」

「難しいとこだな。オレも行ったことのない道だからさっぱり見当がつかねぇ」

「馬車を使えば、どう?」

「そうだなぁ」

「クロ」

「ん?なんだ」

「誰か来た」

「えっ?」

 クロが振り返ると、食堂の賑わいを無視して、兵士が二人、クロたちの座るテーブルをまっすぐ目指して近づいて来ていた。

「見聞官様のご一行ですね?」

 兵士の一人が丁寧な口調で尋ねる。敵意は感じられない。しかしカイトもフウも弓をそっと引き寄せている。

「そうだが、何の用だい?」

「ムラド艇長がお会いしたいと申しております。もしよければ政庁までお越しいただけないでしょうか」

「艇長さんが?」

「はい」

「もし、嫌だと言ったら?」

「旨い酒を呑む機会を逃すことになる、とのことです」

 クロは嗤った。

「そりゃ、断れねぇな」

「ここの支払いは我々が済ませておきます」

「判ったよ」

「クロ」

 立ち上がりながらカイトが訊く。

「誰なの?」

「ホントは総督って呼ぶのが正式なんだがな。スティードを治めるトップのことを、慣例として艇長って呼ぶんだ」

「どういうこと?」

「マララの王領司さんのことを塩ノ守って呼ぶようなもんさ。塩ノ守と違うのは、役所の人間も艇長って呼ぶとこだな」

「えーと、つまり--」

「ムラド艇長というのはスティードで一番エライ人だ。

 イクの言い方に倣えば、ここスティードじゃあ絶対に逆らっちゃあダメな人、ってことさ」


 カイトたちが連れて行かれた政庁は、スティード自体の土地が狭いこともあるのだろう、塀もなく、3階建ての思ったよりも小さな建物だった。

 政庁に入ってすぐ事務官に引き渡され、カイトたちが案内されたのは、4、5人がようやく座れる小さなテーブルの置かれた狭い食堂である。

「よく来てくれたね」

 椅子に座ったまま不機嫌な声でカイトたちを迎えてくれたのは、ひとりの小柄な老女だった。

 髪はすべて白く、なで肩で、背中が丸まっている。

「あんたがムラド艇長?おいおい、婆さんじゃねぇか」

 老女がじろりっとクロを睨み上げる。

「あたしが年寄りで驚いているのかい?それとも女だから驚いてるのかい?どっちだい。犬っころ」

「ヒデェな、犬っころって。まあ、両方だよ、婆さん。あんたの名前は聞いたことがあったけど、あんたが年寄りだとも、女だとも知らなかったからな」

 ふんっとムラドが鼻を鳴らす。

「まあいい。座っとくれ」

「旨い酒があるからって来たんだけど、どこの酒だ、婆さん」

 座りながらクロが訊く。

「酔林国の酒さ」

 答えながらムラドは、食堂の奥の厨房へ合図した。

「おおっ」「酔林国?」

 クロとカイトが同時に声を上げる。クロと話しているときとは別人のような笑顔を、ムラドがカイトに向けた。

「行ったことがあるのかい?カイト」

「うん」

「酔林国の酒を呑んだことはあるかい?」

「あるわ」

「そうかい。今日、用意したのは酔林国の酒の中でも特に美味しいって評判の酒さ。トロワっていう魔術師の造った酒だ」

「トロワさんの?!」

「おや。知ってるのかい?」

「わたし、酔林国でしばらくトロワさんの酒蔵にお世話になっていたもの」

「そうかいそうかい」

「なあ、婆さん」

「なんだい」

 クロに向き直ると、ムラドから笑顔が消えた。

「なんだかオレに対する態度と、カイトに対する態度がぜんぜん違うんだけど。それと、まだ自己紹介してねぇよな。なんでカイトのことを知ってるんだ?」

「違って当然じゃろう。ワシは娘っ子が好きなんじゃ」

「……」

「マララの見聞官が来ていると聞いての。お前らのことは調べさせた。カイトとフウの顔を知っているのも当然じゃろう。何せ、二人とも可愛いからのう」

「……ホントに女か?あんた」

 厨房から食事が運ばれてくる。湯呑が置かれ、酒が注がれる。

「では、乾杯じゃ」

 カイトとフウだけに向けてムラドが湯呑を持ち上げる。クロは一人で湯呑を口にして、「くうっ」と唸った。

「うンめぇ!」

「ホント、すっごく美味しい」と、フウ。

「フウは呑み口があるのう」

 ムラドがニコニコと笑って言う。

「ホント、美味しい」と、カイト。

「喜んでもらえて何よりじゃ」

「おお。最高だぜ」

「お前はそれで終いじゃからな。犬っころ」

「はあ?」

「カイトとフウはいくら呑んでもいいんじゃぞ。後でワシの頼みを聞いてくれたらの」

 猫なで声でムラドが言う。

「頼みって、なに?」

 湯呑を口にしながらフウが訊く。

「それは後での」

「オレらを呼んだのは、その頼みのためか?」

 真顔で訊いたクロに、「違うわ」と、吐き捨てるようにムラドが答える。

「じゃあ、何のためだよ」

 拗ねたように訊いたクロに、「お前ら、何のために王都へ行く」と、ムラドは低い声で尋ねた。

「観光さ」

「それをワシに信じろと?馬鹿にするでないわ」

「本当だよ」

「まあ、良い。お前らが行く。そのことに意味がありそうじゃからな」

「はあ?」

「犬っころ。お前、クスルクスル王国の今の状況をどう思う」

「どうって、どういうことだよ」

「バカ王がキャナと国交を回復したことを、どう思うかと訊いておる」

「……バカ王って」

「バカはバカじゃろう」

「ま。そうだけどよ。どう思うかって訊かれたら、バカだなって思うだけだな」

 ムラドが頷き、酒を喉に流し込む。

「ところがこの街の商人どもは、良くやったと褒めておる」

「なんで」

「キャナと国交を回復したことで、船が安全にキャナ沖を航行できるようになったからじゃ。国交を回復する前より収入が増えたからじゃ」

「ああ」

「ヤツラは利益しか見ん。それも目先の利益しかな。

 なるほどキャナ沖は安全に航行できるようになった。しかし、キャナの軍船も、クスルクスル王国の軍船を恐れる必要がなくなった。

 バカ王が即位する前は、我らの海軍力はキャナをはるかに凌いでおった。だが、クスルクスル王国と友好関係を築いている間にヤツラは百神国ゴダと洲国の海軍を相手に実戦を重ねて、今や練度ではヤツラの方がはるかに上じゃ」

「スティードを囲む城壁、あれ、もしかして婆さんが造らせたのか?」

「役に立つかどうかは、かなり怪しいがな」

「トワ郡がここに攻めてくるって思ってる、ってことか?」

「いいや。ワシが想定しているのは、キャナじゃ」


「キャナのやり方を見ていると、他国へ侵攻する際には必ず、補給路をきっちり確保しておる。だとすると、ヤツラがこの街を見逃すはずがない。ここを抑えれば船で物資を運んでオム市に運び込めるからの。

 陸路とは別に、強力な補給路が確保できる。

 じゃが、海からここを落とすのは難しいじゃろう。ヤツラも練度を重ねてはいるが、まだまだ我らも海で負けるつもりはない。

 しかし、モルドという男の思考を追うと、おそらく海から攻めることには拘らんじゃろう。

 ヤツの発想は自由じゃ。

 まずは無理をしてでも陸から攻めて、陸地側に橋頭保を築いてからここを攻める可能性が高いとワシは睨んでおる」

「その為の城壁か。よく考えてるな、婆さん」

「考えたくて考えておる訳ではないがな」

「で、なんでオレらを呼んだんだ?」

「カイトに訊きたいことがあったんじゃ」

「わたしに?」

「平原王とのいくさのことじゃ」

 カイトが身動ぎする。

「平原王とのいくさの折に、某国の王族が森人に連れ去られた。知っておるか?」

「おいおい。そりゃあ」

「それが何?」

 動揺することなく、カイトが訊き返す。

「情報は宝じゃ。しかしどこに宝が眠っておるかは判らん。気になることは調べる。知っている者に直接会う。そうやって人の知らぬ情報を得る。

 それがワシのやり方じゃ。

 なぜ森人が敵を殺さずにわざわざ森に連れ帰ったのか。ちょっと気になっての」

「--殿下を森に連れ帰ったのは、わたしよ。お婆さん」

「ほう」

 ムラドが細い眼をさらに細くする。

「なぜじゃ」

「あの人がもうひとつの頭のところにいたから」

「一ツ神の信徒か」

 最初からそう思っていたかのように、ムラドが訊く。

 カイトは首を振った。

「わたしには判らない。でも、イズイィさんはそうだろうって言ってたわ」

「武装魔術団のイズイィか」

「知ってるの?」

 ムラドが頷く。

「言ったろう?情報は宝だと。狂泉様の森人と平原王のいくさにヤツが参加しておったことは知っておる。

 ヤツが今はナソ州でキャナ相手にゲリラ戦を指揮していることもな」

「そうなんだ」

「武装魔術団のイズイィが、平原王の軍に一ツ神の信徒がいた、そう言ったのじゃな?他にイズイィは何を言っておった。一ツ神の信徒について」

 カイトが記憶を探る。

「お前が森に連れ帰った王族は、ファリファ王国の者だった。それは知っているか」

「うん」

 ムラドの言葉がカイトの記憶を呼び起こす。

 イズイィもそう言っていたはずだ。ファリファ王国と。イズイィだけでなく、パロットの街で、塩ノ守も。

「イズイィさんは、ファリファ王国とクスルクスル王国は簡単に行き来できるから、平原王の軍にいた一ツ神の信徒は多分キャナから来たんじゃなくて、クスルクスル王国から来たんだろうって言ってたわ。

 イズイィさんに会った時に、殿下が、まるで初めてキャナの人に会ったみたいに驚いていたからって。

 確か、殿下の着けていた指輪が、クスルクスル王国でしか産出しないめずらしい石だったからって」

「それから?」

「だから、わたしに気をつけろって。クスルクスル王国に行くのなら。

 わざわざ揉め事を起こしているような気がする、クスルクスル王国に一ツ神の気配が感じられてしょうがないって、イズイィさん、言ってたわ」

「そうか。そう言っておったか」

「うん」

「なぁ、婆さん」

「なんじゃ、犬っころ」

「一ツ神の信徒が海都クスルにも根を張ってる、そういうことか?」

「そうではない」

「違うのか?」

「海都クスルに、ではない。海都クスルの王宮にじゃ。バカ王のすぐ側に、一ツ神の信徒は入り込んでおる」


「確証もない。しかし、間違いないじゃろう、とワシは踏んでおる。

 いつからかはワシも知らぬが、バカ王が即位したときには、彼奴はもう側近になっておった」

 さすがにクロは、クスルクスル王国の宮廷の事情は知らない。

「だれだよ」

「アマン・ルーという名の女狐じゃ。今は、宰相になっておる」

「はぁ?」

 クロは呆れたように声を上げた。

「一ツ神の信徒がクスルクスル王国の宰相だって?だったらクスルクスル王国はもう終わりじゃねぇかよ」

「そうじゃ。バカ王が即位したときに、すでに終わっておったと言ってもよい。バカ王にキャナとの国交を回復するように勧めたのも、アマン・ルーじゃ」

「確証はない、って言ったよな、婆さん。どうしてソイツが一ツ神の信徒じゃないかって思うんだ?」

「今のウチの状況がナソ州に似ているからじゃ。

 あそこもな、州公が変わって、新しく州公となった女の側に、どこから来たのか判らぬ側近がついておった。コイツが妙な政策ばかり取りおると思っておったら、最後にはキャナの軍隊を州都に引き込んで国を滅ぼしおった」

『ヤツラは信奉者に取り入って組織に潜り込み、少しずつ侵食して、最後に裏切るんだ』

 イズイィがカイトに話してくれたことだ。

「現にバカ王のやっていることを見るがよい。キャナに都合のいいことばかりじゃ。

 洲国を屈服させたらキャナが軍を止めると王に吹き込んだのも、前後の状況からすると、間違いなく彼奴じゃ」

「なんでそんなヤツが王の側近なんかになってんだよ」

 と言って、クロはふと気がついた。

「ソイツって、まさか、ルー一族?」

「本当かどうかはワシも知らんが、本人はそうだと名乗っているな」

「マジかよ」

「なに?ルー一族って」

 カイトが訊く。

 クロが顔をしかめる。

「虚言王の芝居に出てくるんだ。

 クスルクスル王国の建国のときの話さ。クスルクスル王国が建国されるずっと前、大災厄の後に、いまの海都クスルがある場所に小さな国が建国されたんだよ。クスルという名の王国で、この国を興したのがルー一族だ。

 虚言王が海賊の仲間を連れて旧大陸に戻って来た時にはとっくにクスル王国は滅亡してて、海都クスルの辺りは無政府状態だったけどな。

 ここで虚言王は一人の男と出会うんだ。

 コイツがサーズ・ルーって名のルー一族の末裔で、最終的に虚言王はコイツからクスル王国の王位を譲り渡される。

 王位を譲られたことで、虚言王はクスルクスル王国を興すんだよ」

「ふーん」

「ま、芝居の話だけどな。

 オレはてっきり、サーズ・ルーなんて洲国の悪辣公と同じで、ぜんぶ作り話だと思ってたぜ」

「自らを虚言王と称して憚らないお方じゃからな。すべてが王位を正当化するための偽り、ということもあろうな」

「だけど宰相さんは、自分はルー一族だって名乗っている、と」

「本当かどうか、確かめようはないがな」

 クロが嘆息する。

「あーあ。せっかくお姫様と仲良くやってこうと思ってたのによ、どっか別の国に逃げないといけないのか?キャナと関わらないようにするにはよ」

「それで済むかの」

「どういう意味だ?婆さん」

「モルドが何を望んでおるか、判るか?犬っころ」

「誰にも判らねぇんじゃね?それ。少なくともオレには判らねぇよ」

「かつて狂泉様の森の南側はすべてキャナの支配下にあった。モルドは、かつてのキャナの領土を取り戻すことを大義として掲げておる」

「聞いたことあるぜ、それ。けど、偽りだとしか思えねえって」

 パロットの街でジュニアが言っていた話だ。

「ワシもそれはウソもウソ、真っ赤なウソだと思うておる。だとしたら彼奴の本当の目的はなんじゃ?」

「オレは興味ねぇよ。知りたくもねぇ」

「本当かどうかはワシにも判らん。判らんが、本当なのではないかと疑っている噂がある」

「どんな噂だよ」

「モルドの本当の目的は、この世界から全ての神々を立ち去らせることだ、という噂じゃよ」


 クロが頭を抱える。

「モルドってやっぱり……」

「狂っている、か?」

「だってなぁ」

「大災厄より以前、神々は今より我々に近かった。しかしそれも、竜王様が神々と約を交わす以前と比べれば、ずっと遠くなったそうだがな。

 お前も知っておろう。犬っころ」

「そりゃ知ってるけどよ」

「竜王様は神々に天にお控えいただいて、人のできることを増やした。

 つまり、竜王様には神々と約することができた、ということじゃ」

「モルドは竜王様じゃねぇぜ。それに竜王様は神話だろ?」

「モルドはそうは思ってはおらぬ、ということじゃろうな。じゃが、そう考えればモルドの不可解な行動も理解できるわ」

「どう理解できるんだよ」

「彼奴はな、世界をひとつにまとめようとしておるのじゃ。

 世界をひとつにまとめ、かつて竜王様が神々と約したように、人の総意として神々と交渉するつもりなのじゃ。交渉して今よりも更に神々に遠くに立ち去っていただこうとしておるのじゃ。

 だから、戦い続けておる。キャナとしては十分な成果を収めたにも関わらず、軍を止めぬのじゃ」

 クロは首を振った。

「ダメだ。オレには理解できねぇ」

 ふとクロが考え込む。

「だけどよ、それだとおかしくねぇか」

「何がじゃ。犬っころ」

「モルドは一ツ神の信徒なんだろう?この世界から神々を立ち去らせたら、一ツ神はどうなるんだよ。

 他の神々と一緒に立ち去ってもらうのか?

 それに一ツ神の信徒は龍翁様や海神様を偽物の神様だって言ってるんだよな。

 偽物の神様と交渉するっていうのか?」

「そうじゃ」

「いやいや、だってよ、モルドは"常世への水先人”なんだろ?それだと、一ツ神の信徒も裏切ってるってことにならねぇか?」

 ムラドがフンと鼻を鳴らす。

「そういうことになるな」

「……無茶苦茶じゃねえか」

「お前のいう通り無茶苦茶をしておるソイツが、大国であるキャナを抑え、しかも、軍人としても政治家としても優秀だというのが、最大の問題なんじゃよ」



「艇長さん」

 お茶の入った湯呑を傾けてカイトが訊く。

「何かのぉ、カイト」

「どうして、えーと、アマン・ルーという人は、一ツ神の信徒だってことを隠していられるの?そんなのすぐにウソだって判りそうなのに」

「おお、流石じゃ。よく気がついたのぉ」

「ああ、それ、オレも気になったんだ。どうしてだよ、婆さん」

「カイトのマネっ子か?犬っころ」

「おい」

「あたしも不思議。どうして?お婆さん」

「フウも気になるか。さすがにいいところに気づくのぉ」

「……いいよ、もう」

 言葉を放るように言ったクロに、ムラドが顔を向ける。

「もし、じゃがの。アマン・ルーがこう言ったとしよう。『海神様に誓って、わたしは一ツ神の信徒ではありません』とな。

 するとどうなると思う?犬っころ」

「そりゃあ、海神様が神罰を下されるんじゃねえ?」

「それがそうはならんじゃろう。おそらくは何も起こらん」

「なんで?」

「一ツ神などという神は存在しないからじゃ」

 クロが考える。

「一ツ神が存在しない、となると、さっきのを言い換えりゃあ、『海神様に誓って、わたしは存在しない神の信徒ではありません』、……ってことか?」

「間違っておらんじゃろう?」

「一ツ神は存在しない神なんだから、存在しない神の信徒になんか、なりようがないってことか。

 間違ったことを言っていないから、海神様も神罰を下されることはない」

「そうじゃ」

「なるほどなぁ」

「でも、それだったら、一ツ神が存在しないことの証明になるわ。それなのにどうして、一ツ神の信徒は一ツ神を信じられるの?」

「それはな、ワシらとヤツラでは、物の見方がまったく異なるからじゃよ、フウ」

「えっ?」

「ワシらにとっては一ツ神が存在しない証明になっても、ヤツラに言わせればまったく逆の意味になる。

 ヤツラはこう言うのじゃ。

 本当の神は一ツ神だけ。海神様は所詮、偽物の神に過ぎない。だから偽物の神に誓っても、それは本当の誓いではない。とな」

「でも、そんなの」

「理屈としては間違っておらんじゃろう?

 だから、アマン・ルーは一ツ神の信徒であることを隠していられるんじゃよ」



 食事を終わらせ、ムラドは「今日はここに泊まれ」と言った。「お前らが予約した宿はワシが解約しておく。それと、海都クスルへの船も用意してやろう」

「できるのか?」

「ここから出る船は、緊急の際に役人を乗せるために必ず席を何席か確保しておる。明日、出航する便にお前らの席を用意してやる」

「そりゃ助かる」

「そこで、頼みなのじゃが」

 ムラドの声から厳しさが消え、甘えた響きを帯びた。

「なんだよ」

「カイト、フウ。今夜、ワシと一緒に寝てくれんか?」

「はぁ?」

「え?」

「若い娘とひとつベッドで一緒に寝るのがワシの健康法なのじゃ。これまで何人もの娘と寝てきたが、狂泉様の森人とは寝たことがなくての。

 どうかのう?」

 最後は縋るように、ムラドはカイトとフウに訊いた。

 クロは頭を抱えた。

「えーと」

「本当に一緒に寝るだけ?お婆さん」

「おいおい。止めとけ、フウ。何されるか判んねぇぞ。朝起きたら精気吸い取られてカビカビに干からびてるかも知れねぇぞ」

「なんにもせん。ただ一緒に寝るだけじゃ。そりゃ、ちょっとはおさわりもするかも知れんが、そんなのは軽いスキンシップ。ハグと同じじゃ。

 信じられなければ、海神様に誓うぞ」

「……スティードの艇長ともあろう者が、そんなこと海神様に誓うなよ」

「いいわ」とフウ。

「え?」「えっ?」

「ね。カイト」

「え、え?」

 ムラドに向かって、フウが小首を傾げて微笑む。

「その代わり、明日の船は間違いなく用意してね。お婆さん」

 ムラドが笑う。ヒッヒッヒッと。

「任せておくがよい」

「オレは?オレはどうすればいいんだよ」

「お前にはお前の部屋をちゃんと用意してやるわ。犬っころ」

 ムラドがカイトとフウに近づき、手を取る。

「まずは風呂に入るか?三人ぐらいなら一緒に入れる風呂がある。ちなみにの、ベッドはいちばん多い時で娘8人と寝たことがあるからの、三人ぐらいは余裕……」

 クロを一顧だにすることなく、フウと、「え、え?」と戸惑うカイトの手を引いてムラドが出て行く。

 ひとり取り残されたクロはクロで、「おーい。酒。さっきの、トロワだったか、って人の造った酒、持ってきてくれー」と厨房に向かって叫んだ。

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