16-2(海都クスルへ2(悔しくもあり、悔しくもない、不思議な))
『ズイブン、仲良くなってるな』
キヒコたちと一緒に戻ってきたカイトとフウを見て、クロはまずそう思った。
狩りに出る前には二人の間にはまだ遠慮があった。戸惑いと言ってもいい。それがすっかりなくなっている。
二人で視線を交わしているとまるで恋人同士だ。
「なんでキヒコの爺さんと一緒なんだよ」
「訊かないでくれ」
カイトより先にキヒコが答え、クロは「ああ」と察した。キヒコたちがそりに乗せて引き摺って来た大物。仕留めたのはキヒコたちではなく、途中から加勢したカイトとフウなのだろう。
「それで、どうするか、決めたか」
「うん」
「そうか」
クロが頷く。
「それじゃあ、狂泉様の森まで送ってやるよ。でもよ、ようやく見つけて、はい、サヨナラっていうのもアレだからな。
もうちょっとゆっくりしていこうぜ」
「いいよ、クロ。帰るだけならひとりで帰れるわ」
「そういう訳にいくかよ」
とクロは怒ったように言った。
カイトは狂泉の森を出てからも、朝食の後に10本ほど矢を射ることを続けている。
流石に街中では矢を射ることは難しく、毎日とはいかなかったが、カイトとクロが世話になっているマウロの屋敷には、矢を射るのにちょうどいい具合の的があった。
「あたしも使ってるの、これ」
とフウが言うので、二人で矢を射た。
カイトが射る姿を見て、フウは、
「ホント、上手いね」
と呆れたように言った。
「子供だったし、もうはっきり覚えてないけど、あたしの一族の誰よりも上手いんじゃないかって思うわ」
「誰にも負けたくないもの。弓では」
「ふーん」
フウの栗色の瞳の奥で、怪しい光がキラリッと輝く。
「ねぇ、カイト。今まで会った人で、カイトより上手い人っていた?」
「ううん」
「じゃあ、あたしと勝負してくれる?」
「フウと?」
「うん」
カイトはフウの瞳の奥を探った。フウの意図を測りかねた。勝負するまでもなく互いの技量はもう判っている筈だと思う。
しかし、もちろん逃げるつもりはない。
カイトは弓を持ち直し、「挑戦はいつでも受けるわ」と、誇り高く応じた。
フウがカイトを連れて行ったのは、レヴリ湖の湖岸である。マウロ宅の近くには砂浜が続いている。
「ここでどんな勝負をするの?」
どんな勝負をするにしても負けるつもりはない。満々たる闘志を秘めてカイトが訊く。
「どれぐらい遠くまで矢を飛ばせるかの勝負よ」
「判った」
「本当は同じ弓を使った方がいいと思うけど、自分の弓でいいよね」
「うん」
「何やってんだ、二人で」
のそのそと歩いて来たのはクロである。まだ起きたばかりらしく、ふぁーと大きく欠伸をする。
「ちょうどいいところに来てくれたわ、クロさん。これからカイトと弓の勝負をするの。立会人になってくれる?」
クロが嗤う。
「挑戦者だねぇ、フウは。いいぜ。それで、どんな勝負だ?」
「どれぐらい遠くまで矢を飛ばせるか、よ」
「ん?」
クロが考える。
「とにかく遠くまで飛ばした方が勝ちか?フウ」
「うん」
「カイトは?何か勝負に条件は要るか?」
「要らない」
「そうか」
クロが頷き、「どっちが先手だ?」と訊く。
「カイトから」
カイトが口を開く前にフウが答える。
「ま、そうだろうねぇ」
意味ありげにクロが頷いたのが気になったものの、ちっとも負ける気のないカイトは「判った」と湖岸に立った。
湖に向かってではなく、湖岸沿いに矢を放つのである。
弦を引き、ビュッと矢を放つ。勢いよく矢が飛び、はるか遠くに突き刺さる。
「流石だねぇ」
感嘆の声をクロが上げる。
「じゃ、次はあたしね」
フウが湖岸に立って弦を引く。
少し、間があった。
フウの着ている服が、微かに風に靡いた。
ビュッとフウが矢を放つ。
カイトは矢を目で追い、特に意識することなく矢の軌道を予測していた。
あれ?と思う。
矢の軌道がおかしい。
速度は落ちてる。が、飛び続けている。
「え?」
ヒュンッと湖岸に突き刺さったカイトの矢を飛び越えて、呆れるほど遠くにフウの矢は突き刺さった。
カイトはポカンと口を開いたままだ。
「はい。フウの勝ち」
暢気な声でクロに告げられ、カイトは我に返った。「えっ?」クロを振り返る。「えっ?」フウを見る。
フウが肩を竦める。
「負け……た?」
カイトは呆然と呟いた。視界が歪んだ。慌てたのはフウである。
「カイト、カイト、ごめん」
カイトに駆け寄って手を添わせる。
「謝ることじゃない」
カイトの声が震えた。
「あーあ。知らね」とクロ。
「ごめん、ちょっと意地悪をしただけなの。あたし、ズルをしたの」
カイトが顔を上げる。狼狽えるフウの姿が涙に歪んで見える。
「……なに?ズルって」
「魔術だよ、カイト」
フウより先にクロが答える。
「フウは風の精霊の術で、お前より遠くまで矢を飛ばしたのさ」
「そう、そうなの。ごめんね」
「謝ることじゃねぇよ、フウ」
クロが冷たく突き放す。
「オレは最初に訊いたよな。とにかく遠くまで飛ばした方が勝ちかって。何か条件は要るかってよ。
フウが魔術を使えるのはお前も知ってただろ?
だからもっとよく考えて、お前は、魔術を使うのは無しでって言わなくちゃいけなかったんだ。
それを言わなかったのは、お前の驕りだろ」
「わたしの驕り……」
「そんなことないわ、カイト。ホントにごめんね」
「クロの言う通りだ」
カイトは服の袖でぐっと涙を拭った。
「えっ?」
カイトがフウに視線を向ける。今度はきちんと、心配そうに自分を見つめるフウの顔が見えた。
「フウが謝ることない。クロの言う通りだもの。負けるはずがないって思いこんで、フウが魔術を使えるってことを考えなかった。
だから、わたしの……、わたしの……」
カイトが言葉を続けようとして、ためらい、顔を伏せ、何かを振り払うように口を開き、また閉じる。
笑い声が響いた。
フウとクロの笑い声だ。
「言いたくなければ言わなくていいのよ、カイト」
フウの明るい声に促されるように、
「次は負けない」
と、カイトが言って、フウは再び明るく笑った。
「おーい」
クロがカイトとフウに声をかける。
「何かあったみたいだぜ。隊長さんが来た」
「えっ」
フウが視線を回すと、一艘の船が近づいて来ているのが見えた。厳しい表情をしたイタカの姿が甲板にある。
「フウ。矢はわたしが回収しておく。先に戻ってて」
「うん。ありがとう」
フウが駆けていくのを見送り、カイトは自分とフウの矢を回収に向かった。湖から涼しい風が吹いてくる。
「弓で負けるの、久しぶりだな」
幼い頃を除けば初めてだ。『もっと上手くなって』と心に決める。いつか、魔術ありでもフウに勝ちたい。
それと--、
「もっとフウのことを知りたいな」
自分自身のつぶやきに驚いてカイトは足を止めた。胸に温かいものがある。ドキドキと鼓動が聞こえる。
それが何か判らず、カイトは顔を伏せ、戸惑いながら胸を押さえた。
自分とフウの矢を回収し、クロと一緒にマウロの屋敷に戻ると、使用人たちが心配顔で何かを話していた。
「何かあったのか?」とクロが訊く。
「いえ」
一度ためらってから、年長の使用人が顔を上げる。
「イタカ様とお嬢様が話されていたのを、この子が漏れ聞いたのですが--」この子と言われたまだ若い使用人が、顔を伏せる。「マウロ様が、海都クスルで、その、亡くなられたらしいと……」